【書名】「おやすみなさい おつきさま」
【作者】マーガレット・ワイズ・ブラウンさく/クレメント・ハードえ/せた ていじやく
【出版社】評論社
【刊行年】1979年9月20日
「おやすみ絵本」と呼ばれるジャンルの中でも定番中の定番と言える作品が、アメリカの児童文学作家マーガレット・ワイズ・ブラウン(1910~52年)の手になる『おやすみなさい おつきさま』(47年初版、原題:GOODNIGHT MOON)であろう。
これから眠りに就こうとしている子ウサギが、周囲に存在するすべてに「おやすみ」と語りかけているうちに夢の世界に旅立ってしまいました、というのがよく目にする粗筋。ほっこり、ほのぼのした絵本ということになっているらしい。
【派手で強烈すぎる色彩】
しかし、私は怖くて仕方がないのである、この絵本が。その理由は様々な面から説明できる。まずは子ウサギのいる部屋の色彩とその中身だ。壁は緑、床は赤、暖炉の上の置き時計は青、子ウサギを見守るおばあさんウサギの座るロッキングチェアは黄色といずれも目に鮮やかだ。

不朽の名作です。美術ファンなら、絶対、好きになる絵本です
これらの色彩の中で最初に目に入るのは、やはり強烈な緑と赤。ここで、ヨーロッパの道化が緑と赤の段だら服を着ていたことを思い出して欲しい。そもそも、こんな色の組み合わせが気持ちを落ち着かせる訳がないではないか。どちらかと言えば、「狂騒」「混乱」「不眠」に導く「おどけた印象の空間」であるのだ。
しかも、真っ赤な風船が1つ、ひもを垂らしながら空中に浮かぶ。さらに、内部から強い光が漏れ出ている「にんぎょうのいえ」が床に置かれ、ネズミもちょろちょろ動き回っている。気が散る要素、満載の家なんである。
全体的に漫画チックというか割と粗いタッチで絵が描かれているのに、子ウサギとおばあさんウサギだけがやけにリアルに描写されている点も見ていてどこか居心地が悪くなる。
【狂った比率が支配する空間】
安眠に導かれる訳もない空間には、ほかにも妙な点がある。登場するキャラクターなどの比率が狂っているのだ。部屋の大きさと比較した時に、子ウサギは小さすぎるし、おばあさんは大きすぎる。子ウサギと部屋の横幅を比較してみよう。部屋は子ウサギの体長の16倍以上はありそう。これって、この子が1メートルだとしたら、16メートルもの横幅になる訳ですよ。どれだけ大きな部屋なのか!
今度は子ウサギとおばあさんの番。おばあさんは少なくとも2・5倍以上、つまり背が2~3メートルにも達する勢いだ。ちょっと、大きすぎるのでは? つまり、やけにだだっぴろい空間に巨大なおばあさんと今にも消え入りそうな小さい子ウサギがいるという構図なのです。
これって、自身の幼年時代を思い返せば一応の説明はつく。子どもの頃は、自分のいる部屋や大人たちが実際以上に大きく見えた。反対に昔、通っていた学校を大人になってから訪れると敷地や建物の大きさは何も変わっていないのにやけに狭く思える。そういった誰もが身に覚えのある、これらの「心理的現象」が、この絵本の中でも起こっているのではないか、と。しかも絵本なのだから、あまり個々の登場者の比率などに目くじらを立てるなと言う向きもあろう。
【無限に反復する物語世界】
だが、絵の中にツッコミを入れたくなる部分はまだまだある。子ウサギのいるベッドの横には引き出し付きの家具が置かれている。その上には置き時計、黒電話、そして絵本『GOODNIGHT MOON』が置かれている。この部屋には電話機は1台きりしかないと思われる。それなのに子ども(=子ウサギ)のすぐ横に電話があるのはどう考えても不自然だろう。
また、今、読者が読んでいる絵本の中に、当の絵本が描かれているというのも頭が混乱する。もしも画中の子ウサギが傍らの絵本に手を伸ばし、ページをめくったならば、その中に自分の姿があって、その横にもっとサイズが小さくなった絵本がある。この絵本のページをめくれば、よりサイズダウンした子ウサギと絵本が出てくる。そんな運動が無限に繰り返されることになる。向かい合わせに置かれた2枚の鏡に挟まれた世界のような非現実感が絵本の全体に加味されているという訳だ。
【強く関係し合う新旧2作品】
入れ子式の構図は、まだまだほかにもある。文章には「おおきな みどりのおへやのなかに」電話が1台、赤い風船が一つ、そして「えのがくがふたつ」と書いてあるが、実際は3枚の絵が緑の壁にかかっている。
この絵がくせ者だ。子ウサギのいるベッドのすぐ上に、「さんびきのくまが いすにこしかけてる え」が飾られている。部屋の中央には、「めうしが おつきさまを とびこす え」が掛かっている。この熊さんがくつろいでいる画中の部屋の壁には、雌牛と月の絵が掛かっている!
さらに向かって左側の壁に掛けられた絵を見てほしい。そこには、ニンジンをぶら下げた釣りざおを持った母さんウサギが、今にも子ウサギを釣ろうとしている様子がしかとうかがえる。
さて、この最後の絵、どこかで見覚えがあるような……。そう、本作と同様、マーガレット・ワイズ・ブラウンが文章、クレメント・ハード(1908~1988年)が絵を担当して共同制作した絵本『ぼく にげちゃうよ』(42年初版、原題:THE RUNAWAY BUNNY)に登場する絵柄なのだ。つまり、2人が以前に手がけた絵本の中の1シーンが、それから5年後に発刊された作品の中で一枚の絵として再登場しているという訳だ。
母親の支配から逃れよう、逃れようと逃げ続けていても、行く先々に必ず母親が待ち受けているという“地獄”の恐ろしさが、ここでは描かれている。本作を指して、母親のわが子に向ける温かい愛情を描いている、などと評する方は、よほどおめでたい感性の持ち主なのでしょう。愛情という名でわが子を支配しようとする毒親の押しつけに全力で反抗・逃走しようと試みる子ウサギの姿を見れば、私は「がんばれ、クソみたいな親から逃げろ!」といつだって応援したくなる。
この絵のすぐ下には段数が四つの書棚が置かれている。その最上段にページが開かれた状態の本が1冊だけあるのだが、そこには『THE RUNAWAY BUNNY』と書いてある。雌牛と月の絵はそもそも『ぼく にげちゃうよ』の中にも1枚の絵として登場していたことは前述の通り。2人が手がけた新旧の2作品が、ここでも向かい合わせになった2枚の鏡のように互いに働きかけあっているのだ。
【映画的に進む絵と物語】
絵本の物語進行を大きく特徴付けるのは、非常に映像的という点だ。登場する場面が一つの部屋に限定されているのは、48年に映画監督アルフレッド・ヒチコック(1899~1980年)が手がけた実験的スリラー『ロープ』(1948年)を想起してしまう。
一つの部屋だけしか登場しないとなると、ついビジュアル面で単調な印象になるのではと懸念する方も多かろう。ところが、ハードの描き方は実に巧みだ。ページごとに部屋を捉える視角と大きさが微妙に変わるので見ていて全く飽きないのだ。
室内に置かれた2つの時計が読者に教えてくれる。このお話のスタート時間は、ある日の午後7時ちょうどで、ゴールが午後8時10分であることを。夜が深まるにつれ、月が昇り、闇が濃くなってくるのも芸が細かい。
子ウサギは部屋の内外にある様々な対象に「おやすみ」と呼びかけるのだが、部屋の全体像を示す見開きの2ページがカラーで描かれ、続く2ページには、呼びかけられた個々の物がクロースアップされ、しかもモノクロで描かれる。
カラーの引き気味の絵、モノクロでアップの絵が交互に登場するから「遠近、遠近」のリズムが生まれる。映画を見ているような感覚を味わわされるのは、流麗なカメラワークにも比すことが出来るページ進行にその秘密があるのだ。
【不思議な言葉たち】
ところで、子ウサギが「おやすみ」と呼びかける対象が常軌を逸しているのも目をひく特徴と言えよう。最初に、「おへや」に呼びかけ、その後、「おつきさま」。さらに絵の中の雌牛、あかりさん(照明)、「あかいふうせん」へと続く。呼びかけはそれでも終わらず、最終ページの「そこここできこえるおとたち」へと至る。
部屋の内外にある物を全部確認しようといわんばかりの行動からは、「これから眠ろう」とする意思がまったく感じられない。世界にある、ありとあらゆるものを名付けない限り、自分は安心して眠れない……。あるいは、名前をきちんと付けないと、自分(子ウサギ)が存在しているという実感が得られない……。
そんな焦りを究極まで表現するのが、本書に登場する驚きの言葉「おやすみ だれかさん」であろう。英語版、つまり原書だと「GOODNIGHT NOBODY」と書かれている。この言葉に対応する絵は、もちろんない。だって「NOBODY(=だれも~ない)」なのだから、絵だって描けるわけがない。言葉の上には空白のページだけが見える。
ありとあらゆる存在に名前を付けようと試み、さらにそんな行為の外側にある名付けられない領域にまで「おやすみ」を言おうとする子ウサギが安眠に至ると思いますか、あなたは? そんな訳はないでしょうね。
午後8時10分の子ウサギは、殊勝にも目を閉じて横たわっているが、その実は寝ていないに決まっているのだ。この子は、眠れない自分を持てあまして、またぞろ「おやすみ」と呼びかける対象を新たに発見しては、心の内側でその言葉をつぶやき続けるだろう。
最終見開き、午後8時10分のシーンの言葉が「おやすみ そこここできこえるおとたちも」というのが、また強烈なオブセッションを感じさせる。音などほとんど聴こえなさそうな空間にもかかわらず、全身を耳にして、どんな些細な音でも聞き漏らすまいと待ち構えているような子ウサギに眠りが訪れるわけもない。
つまり、この子のいる部屋は「閉ざされた不眠の王国」である。しかも、自分から不眠を望んでいる。この子にとって、自分の周りで繰り広げられている光景を認識できない、無意識が領する「眠りの世界」に行くのは我慢できないはずだから。
【すべては夢の中の出来事?】
あるいは、こうも言えるかも。この絵本は最初から最後まで、すべて夢の中の映像、出来事だったのだ、と。「眠りたいのになかなか眠れない」という子ウサギの悪夢そのものを描いているとは言えまいか。シュールすぎる時間・空間の展開、そして滑らかすぎるカメラワークに例えられる視点移動は、この本が夢の内部を描いていることの証左に思える。もちろん、一般的に言えば、すべては夢でした、で片づける「夢オチ」はいかにも安易な物語の回収法であるのは間違いない。
ただ本作においては、一見すると、ごく自然に情景を描写しているように見せかけて、鑑賞者側が細かく検討し始めると、あちこちに矛盾や不思議な点が出てくるばかりだ。最初から、単純に夢であることをにおわせた作りではないから、「例え夢オチだったとしてもこの作品は決して安易とは言えないぞ」と思わせる何かがあるのだ。
よく寝ているのに、その間、「不眠の夢」をたっぷりと見続ける。まったく眠れないので、懸命に「熟睡する夢」を見ようと試みる。あなたならどっちの迷宮を選びますか? 『おやすみなさい おつきさま』がそう問いかけているようだ。
入れ子状の迷宮、あるいは不眠の王国の中に入り込んだ読者は、子ウサギと同様に夜を彷徨うことになるかもしれない。
『おやすみなさい おつきさま』は一枚のガラス。
『ぼく にげちゃうよ』も一枚のガラス。
両作品を読むこと、それは、向かい合わせの2枚のガラスの中に閉じ込められてしまうことを意味するのだ。出口をなくし、眠りをなくし、精神の安定もなくし、今にも消え入りそうなほどの小ささにうずくまる子ウサギの焦燥と孤独感に読者は慄然とするだろう。
つまり、これは「おやすみ絵本」ではなく、その反対。「永遠におやすみすることのできないホラー絵本」なのだと思います。子どもたちが、この絵本を愛し続けてきたのは、作品の中に潜む「比率の狂った世界観」「親の束縛・世界の束縛から逃れ出たい葛藤」に魅せられてきたからだと私は確信しています。
この2作品を指して、「ほほえましい、癒やし系の絵本」と評する、すっとこどっこい(大人や識者)を私は決して信用しないだろう。安易、かつ表層的な、最初から“甘口の結論”しか用意していない、従来の「絵本評論」が私は大嫌いです。
きちんと絵本を「芸術作品」として読解するという最低の礼儀もわきまえないような文章が横行していることをいつも憂えています。これからも、絵本を真面目に論じていこうと考えています。真の絵本好きの皆さん、これからも私の絵本評論をお楽しみに!(2026年3月21日18時59分脱稿)

