特集「美術評論の再起動」1-8 「誰が何をしたのか」から「何がどのように起こったのか」へ 〜 行為主体の分散と ekosistem の治癒〜

 

「ポスト89年」—— ベルリンの壁、そしてソビエト連邦そのものの内部崩壊によって、第二・第三世界を押し上げる新たなアートワールドが台頭したとされる1989年、ハバナビエンナーレに象徴されるサウス間の交流が注目され、世界各地で勃興したビエンナーレは、その土地の民主化の力をてこにして推し進められてきた、とされる。さまざまな摩擦や軋轢を超えて、開放され自由になったリベラルな主体。現代アートは、そうした確立した個の先取的な表現形態として成り立ってきたのだし、「ポスト89年」はいわばその発現を非西洋圏に見出すことで「グローバル化」しようとした言説上の転換点だった。キュレーターのアンゼルム・フランケは、「しかし、そうしたリベラルな秩序の上に建てられた美術制度」は、自らを信憑性を維持できなくなっており、「崩れ去っていくだろう」(*1 )と予告している。民主化への信念の上に建てられたイデオロギー的な構造が、一時期もちえた力を回復することはもうないとするならば、既存の制度は揺らぐ信憑性のうちに形骸化するばかりだ。

Cem A. @freeze_magazine

 

古い体制の崩壊というが、新しい時代のシフトとは、どのようにして起こりうるのだろうか?仮に世界中の色彩が明日突然入れ替わり、食パンが緑色になり草木が白くなったとしても、昨日と同じように朝食を食べ、わけのわからないまま時間に追われて家を出て、不思議な色の電車に乗って旅行に行くのだろうか。2020年にヨコハマトリエンナーレのキュレーションを務めたラクス・メディア・コレクティヴは、「これまでの議論の延長ではなく、議論の条件そのものの変化があり、そこに開かれるべき認識の扉がある」(*2 )と表現した。先の例で言えば、あらゆる現象学的なラベルを更新するようなものであり、生活の物理的な条件を一切変えずに行われる認識設定の変更なのだ。そんなことを思う間に、政治的現実は凄惨さを増し、香港国家安全維持法の発効と事実上の言論封殺、ミャンマーのクーデターと軍政による弾圧、ロシアのウクライナ侵攻が続いた。この政治世界の後退を、概念的でスペキュラティブな認識上の更新で乗り切ることは、もはや不可能とさえ思われた。

ジャカルタを拠点とするアーティストコレクティヴ ルアンルパが芸術監督を務めたドクメンタ15は、こうした状況に一石を投じるものだった。キュレーターであるデービット・テーの言葉を借りれば、彼らの「ゼロックスコピーとオープンなデジタル出版の採用」は、2000 年代初頭に世界中の友人宅に泊まり歩いていた「グローバルアート界のカウチサーフィン族にお決まりのネオ状況主義とシンクロして」(*3) いた。1998年のスハルト体制崩壊後の変革期に結集した彼らにとって、民主化運動と地続きであり、スタジオ、図書館、ラジオ局、クラブハウスが一体となった場の構成は、アンリ・ルフェーヴルの「空間の生産」やジョン・ロバーツ「コモンズの芸術」(2017年)に描かれたリソース共有に合致しているように思われる。1955 年のバンドン会議をはじめ、冷戦政治が視覚芸術にあたえた歴史的経緯をたえず意識してきたルアンルパにとって、昨年のドキュメンタで生じたスキャンダルは予想されたことかもしれない。

人口20万人の街カッセルで行われたルアンルパの実験では、lumbung(米倉)による余剰収穫物の共有、nongkrong (たむろしておしゃべりする習慣)、majelis(集会)での共同決定など、農村の互助システムが参照されている。アーティストの居住スペースから共同キッチンまで、時間をスローに共有することによるストレスの排除は徹底されており、専門的な知識をもとにある種の知的秩序を求めるアプローチは影を潜めている。作品展示を中心としてその周辺に資料やアーカイヴを置く通常のフロアプランを逆転させ、中中央のフリデリツィアヌム美術館には参加コレクティヴのこれまでの活動記録と託児所を置き、「展覧会」は街の周辺に広がる。14のコレクティヴがさらに複数のコレクティヴを招待し、その連鎖が続いて総勢1500人のアーティストが参加することになったこの芸術の祭典は、多国籍なアーティストがこのドイツ中部の田舎町を一時的に占拠しする社会実験であり、それ自体が膨れ上がる数と規模で圧倒する未来のリハーサルとなった。

 

Cem A. @freeze_magazine

 

ルアンルパが提示した多集団が入り混じるリゾーム型の構造は、アートワールドの白い壁の向こうにある不都合で時代錯誤な現実を明るみに出すには十分だ。先鋭的でヒロイックな個が率いる対立の構図に対して、彼らが提示するのは、個が前傾化しない集団的な連帯の構図であり、それが民主化の最大の武器であることを伝えているようにも思える。このことは同時に、美術界の慣習にも疑問を投げかける。コピーライトの帰属が定まらず、美術マーケットも美術館のコレクションにも収めることができない集団による場の形成は、近代を通じて確立されたアートのビジネスモデルを脅かすものだ。今後も必要なのは、この考えに賛同する数の増強と継続ということになる。

多様な個であることが称揚される解放的で民主的な言説は、権威的な批評のゆるやかな衰退と、無数の文化従事者が生み出すアテンションエコノミーの拡大と同時に進んだことを忘れないでいたい。互酬的な関係性で成り立つアート界では、話題性が実益に先んじるために、文化従事者がますます過剰なセルフマーケターと化し、それがキャリア作りと同義になりつつある。アートプロジェクトの実現を成果とし、それが収益源となり、法的な権利者とイコールであること—この近代の鋳型にはめられた「個」の形態を解きほぐすことが、いまラディカルに感じられるのはそのためだ。

ルアンルパの提案は、本稿の冒頭に触れた西洋美術の理念さえひとつの形式美に過ぎず、集合的でケオティックな実践知と現実の政治解決への有効性にこれを置き換えるべきだと主張しているように思われる。そして、この考えが、自分の名を冠しない集団的意識の醸成へと向かわせ、自らの采配の及ぶ範囲で実行に移すことを求めるのである。

 

(*1)  SAM Chats with Anselm Franke and Ho Tzu Nyen | Virtual Dialogues on Arts & Culture. The recording available on youtube at   https://www.youtube.com/watch?v=RJYWMgmJ_Bs [accessed 25 January 2023]. なお、執筆時点ではフランケ氏はHKWの職を退き、チューリッヒ芸術大学教授に就任している.

(*2)  2022年06月. Raqs Media Collectiveと筆者とのzoom 談話にて.

(*3)  David Teh (2012). “Who Cares a Lot? Ruangrupa as Curatorship” in Afterall Journal, Issue 30. Also available online at https://www.afterall.org/article/who-cares-a-lot-ruangrupa-as-curatorship [accessed 25 January 2023]

 

[編注] 執筆者は美術評論家連盟会員であるが、記事内容の帰結として匿名での寄稿を希望し、それを編集委員長が了承した。