忘れられていた大阪の日本画と船場の生活の歴史「大阪の日本画」大阪中之島美術館 三木学評

大阪中之島美術館

「大阪の日本画」
会期:2023年1月21日~2023年4月2日
会場:大阪中之島美術館

大阪中之島美術館で「大阪の日本画」展が開催されている。まさに満を持してといってよい展覧会である。と言うのも、これだけの規模で、近代大阪で描かれた「日本画」が紹介されるのは初めてであり、大阪人にとっても、府外の人間にとっても、その全貌はほとんど知られていなかったからである。

大阪の近代建築が、大正時代から昭和初期にかけてのいわゆる「大大阪時代」と共に、注目されるようになってからすでに20年近く経つ。今でこそ、当然の如く認知されているが、筆者らが『大大阪モダン建築』(青幻舎、2007年、新装版2016年)を上梓するまでは、一部の人間しか知られていなかった。大阪の近代建築は、東京中心の建築史においては、「穴」のような存在であり、研究者の層が薄かったということが一因としてある。

しかし、バブル崩壊以降、大阪の景気も落ち込んでいたこともあり、再開発から逃れていて建築が多く残っていた。ただし、それは建築の価値を認めて残していたわけではなく、単純に立て替えの需要がなかったのである。しかし、2000年代初頭に少し景気が回復したこともあり、80年近く経つそれらの建築は解体され始めていた。その現状を見て、筆者らは大阪の近代建築を再評価し、価値を高め、できる限り利活用することを目的にして、保存・活用のグループをつくっていた。それらが功を奏して、解体する予定だった建築がリノベーションされて残ったり、いわゆる「腰巻保存」の形で残ったりするようになった。

建築は残っていれば、そのような発見は一般の人でも比較的容易であるが、美術や商業デザインの場合、それを発掘するには美術館や博物館、あるいは美術大学のような研究機関がないと難しい。大阪の近代美術、なかでも「日本画」に関しては、東京中心の美術史から外れ、その後も、近代美術館がなかったこともあり、歴史から埋もれていたといえる。

「日本画」と言うのは、不思議な言葉である。日本で描かれた伝統的な絵画のように思えるが、明治以降につくられたジャンルであり、歴史は極めて浅い。とはいえ、その中に明治以前の日本の絵画の要素が含まれているから、さらにややここしい。明治以降に本格的に輸入された西洋画に対置する概念、ジャンルとして、フェノロサや岡倉天心によって、幾つかの流派の技法や西洋画の要素を統合してできたのが「日本画」であるが、その過程で捨象された要素が数多くある。

大阪の日本画には、東京・近代中心の「日本画」の歴史から漏れ落ちた、ある意味で江戸時代を引き継いだ別の日本画の可能性があるといってよい。今回の展覧会の鑑賞者は、そのようなオルタナティブな歴史を大量に見ることになりかなり新鮮であろう。筆者も、今回紹介されていたなかで、北野常富をはじめとして、幾人の画家は知っていたが、知らなかった画家は多い。

展覧会は、第一章「ひとを描く―北野常富とその門下」、第二章「文化を描く―菅楯彦、生田花朝」、第三章「新たなる山水を描く―矢野橋村と新南画」、第四章「文人画―街に息づく中国趣味」、第五章「船場派-商家の床の間を飾る画」、第六章「新しい表現の探求と女性画家の飛躍」と、6章で構成されている。時系列ではなく、テーマ別に分類することで、近代の大阪ではどのような絵画が好まれ、描かれていたのか概観できるようにしたとのことだが、これらは画風の系譜にもなっており、「人物画」「浪速風俗画」「文人画」「新南画」「船場派」などの門下の系統が紹介されている。

特に関心を引くのは、大阪に残る江戸時代からの文人画や中国趣味に加えて、今回新たに命名されたら「船場派」と称される商家の床の間を飾る絵の系譜と、女性画家たちの活躍だろう。それらを生んだ土壌として、江戸時代から続く文人画(南画)の人気が続いておりパトロンがいたこと、船場を中心とした商家に床の間があり、それを飾る絵の需要があったこと、商家などの富裕層の子女の教養として絵を習わす文化があり、女性画家が多く活躍する場があったこと、などが挙げられる(これは戦後の具体に、女性作家が多いこととも比較できるだろう)。

これらは逆に言えば、パトロンと画塾で十分成立しており、東京や京都のように、国公立の美術学校が不要で、美術における高等教育や個人の表現主義的な官展と相いれなかったということであもる。美術学校と官展とは、すなわち明治以降にアカデミーとサロンという西洋の美術教育、美術体系を輸入してできたものであり、絵や彫刻を造形芸術の頂点としたヒエラルキーをつくり、美術工芸以外のさまざまな工芸や書は、その体系から外されていた。書画が一つである文人画、中国趣味の強い大阪は、西洋的な芸術体系には合わなかったし、床の間に飾る、さりげない、主張しすぎないというニーズに合わせた船場派も、個人を主張する表現主義的な芸術が評価される官展とは、空間的にも内容的にも真逆であったといってよいだろう。その意味では、矛盾ではあるが、近代という時代から外れたところに大阪の日本画の可能性はある。

住宅という空間、接客、会合と言う交流の場に飾るものとして、パトロンや市民のニーズに合わせた内容や形式が、地に足の着いた大阪の日本画の表現を育んだといえるが、いっぽうで戦前は商業都市として栄え、新聞社や出版社、百貨店などの商業美術も盛んであり、挿絵やポスター、チラシ、パッケージデザインなどの需要ももう一つの軸となるものだろう。実際、北野常富や菅楯彦も挿絵画家としてキャリアをスタートしている。

また、床の間に飾られてこそ、初めてその価値がわかるという、「船場派」の絵は、生活空間の中において絵画を楽しむという文化をもう一度見直すきっかけになるだろう。実は、『大大阪モダン建築』において、幾何学的な意匠と鉄筋コンクリート造によってできたアールデコが主流であった当時、建築だけではなくデザインにおいても、大阪特有のアールデコの傾向があり、それをマイアミのトロピカルデコのように、「大大阪デコ」や「船場デコ」と言ってよいのではないかと記した。そのことは、海野弘さんにお会いしたときにもお話したら同意されていた。船場派もデコではないが、船場特有の文化や生活空間の中で生まれた画風といってよいだろう。

島成園《まつりのよそおい》(大正2年) 大阪中之島美術館蔵

さらに、北野常富、中村貞以、島成園、橋本花乃、三露千鈴、高橋成薇、吉岡美枝などの描く女性像にも、近代化する中で変わっていく女性像の姿を見ることができる。そこに見られる近世と近代、和と洋の連続性こそが、大阪の日本画らしいところでもあり、当時の街や生活、女性たちの内面を想像する上でも、貴重な記録となっている。

本展に登場する主要な画家たちは、多くが船場周辺、環状線の内側に住んでいた。近代化、工業都市化するにつれ、商家や富裕層も阪神間などに住まいを移し、戦後は生活文化としてはほとんど船場の名残は見られない。その貴重な空間を見直す観点からも、大阪の日本画は、ますます注目されるだろう。

初出:『eTOKI』2023年3月24日公開。

著者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究、美術評論、ソフトウェアプランナー他。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行っている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹-色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。

https://etoki.art/

https://etoki.art/

この著者を支援する