今回は、キューバ出身のタニア・ブルゲラによって書かれた「Introduction on Useful Art」という短いテキストを紹介したい。これはもともと、2011年4月23日に移民運動インターナショナル本部で開催された「A Conversation on Useful Art #1」というイベントにおいてブルゲラ本人によって発表されたものである。ここで紹介されている「useful art」とは、ブルゲラが普段「アルテ・ウティル Arte Útil」とスペイン語で呼ぶものと同じ概念である。すなわち、「useful art」はアルテ・ウティルの英訳としてここで用いられている。したがって、この文章は、日本語に「有用芸術」と訳すことができるアルテ・ウティルというブルゲラ独自の概念を紹介するテキストであると理解することができる。以下の解説では「useful art」を「アルテ・ウティル」に置き換えて説明する。
まずブルゲラは、ここで語る「有用性 usefulness」とは、あらゆる資源とともにアートが社会の中に直接入っていくことであると述べる。フランス革命の結果人々がルーヴル美術館に入れるようになりアートの民主化が生じたと言われるのに対して、私たちは、ルーヴ美術館や城ではなく、人々の家や人々の生活に入っていかなければならないのであり、ここにこそアルテ・ウティルは存在する。アルテ・ウティルは、知識ある観客と、知識はないが同じレベルの関心と関与する気持ちのある観客の両方と取り組む非常に効果的な方法である。
アートの実践的な有用性に対する偏見は、それがデザインとなってしまうというものである。しかし、私が求めている功利的な要素は、すでに有用であるものをさらに美しくすることを目指すのではない。それとは逆に、有用であることの美に焦点を当てることを目指す。美的カテゴリーとしての有用性それ自体の概念と可能性への探究である。アルテ・ウティルは、私がこのプロジェクト(《移民運動インターナショナル》のこと)を行うために用いているメディウムである。
アルテ・ウティルは、社会においてアートを実行することに焦点を当てる美的経験ともに活動する方法である。そこでアートの機能はもはや、問題を「知らせるsignaling」ための場ではなく、そこから可能な解決法の提案と実行を行うための場所である。政治的アートであるならば、結果に取り組むのであり、結果に取り組むのならば、それはアルテ・ウティルでなければならない。
アルテ・ウティルについてリサーチをしている間、私の友人であるクレア(クレア・ビショップのこと)が、アルゼンチンのアーティストであるエドゥアルド・コスタ Eduardo Costaが1969年に書いた「アルテ・ウティル宣言 Manifiesto de Arte Útil」を教えてくれた。
私たちはデュシャンの小便器をトイレに戻さなければならないと私はいつも言ってきた。小便器は今やクイーンズ美術館のトイレにあるので、それを見ることができ、そこに小便をすることができる。
以上が、タニア・ブルゲラ「Introduction on Useful Art」の要約である。ちなみに、最後のところで、小便器がクイーンズ美術館にあって小便をすることができると言っているのは、ブルゲラがこの文章と同じ2011年に、「R. Mutt, 1977」と書き入れられた小便器をクイーンズ美術館のトイレに設置した、その名も《Arte Útil》という作品のことを指している。言うまでもなく、美術空間にアート作品として展示され脱機能化されてしまった小便器であるマルセル・デュシャンの《泉》(1917)を実際にトイレに戻して使用可能にしたもので、アルテ・ウティルという概念を象徴的に表している作品である。
ブルゲラのこのテキストは、アルテ・ウティルの概念を本人が簡潔に説明しているものであり、ネット上で読むことができるので、興味を持った方はぜひ原文に当たっていただきたいし、さらにブルゲラのインタビューなども読むと理解がより深まるであろう。