論考「芸術とは何か?――AI技術時代における一つの試論」秋丸知貴評

 

「芸術(art)」とは、何か? 芸術とは、「科学技術(technology)」の補完概念である。

古代ギリシャの時代、人が何らかの目的を達成する「技」全般のことを「テクネー(technē)」と言った。つまり、「テクネー」は、絵画術、彫刻術、建築術、測量術、治療術、格闘術、乗馬術、料理術、弁論術、恋愛術、占星術など、ありとあらゆる「技」を意味する言葉であった。

古代ギリシャが古代ローマに支配され、「テクネー」がラテン語で「アルス(ars)」と翻訳されてもその意味に変化はなかった。つまり、「アルス」も何らかの目的を達成する「技」全般のことであった。

古代ローマが崩壊した後、ヨーロッパはキリスト教に基づく中世を迎える。この中世においても、ラテン語の「アルス」という概念に意味の変化はなかった。

ところが、ヨーロッパでは14世紀のルネサンスから17世紀の科学革命にかけて、「アルス」概念の意味に変化が生じる。

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ルネサンスに芽生えた合理主義精神はやがて科学革命をもたらし、従来の科学とは異質な科学を成立させる。

アリストテレス(Aristoteles: BC384-BC322)の『オルガノン』[1]を代表として、古代ギリシャの時代にも物事の論理的説明としての「科学(science)」は存在したが主観的なものだった。しかし、人類史上初めて近代ヨーロッパで、主観的ではない客観的な科学――「近代科学(modern science)」が成立する。

「近代科学」の客観性は、数量化に基づいている。つまり、いつどこで誰が解いても「1+1=2」であるように、世界を定量化して扱う「近代科学」は普遍妥当的である。

ヤーコプ・ブルクハルト(Jacob Burckhardt: 1818-1897)は、『イタリア・ルネサンスの文化』(1860年)で、ルネサンスを「世界と人間の発見」と特徴付けた[2]。ルネ・デカルト(René Descartes: 1596-1650)が『方法序説』(1637年)[3]で説くように、世界を質ではなく量で捉えることと、そうした量で捉えられた世界の法則を人間の理性は読解できると信じること、それがルネサンス的合理主義の核心である。

そうしたルネサンス的合理主義を、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci: 1452-1519)は一点透視遠近法や解剖図で実現し、ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei: 1564-1642)はピサの斜塔の物体落下実験で実行した。そうした観察と実験の螺旋運動により発達する近代科学を、フランシス・ベーコン(Francis Bacon: 1561-1626)はアリストテレスの『オルガノン』に対する『ノヴム・オルガヌム(ニュー・オルガノン)』(1620年)で、「知は力なり」と称揚した[4]。ベーコンは近代科学が実践的適用を通じて現実に世界を変革することを期待し、来たるべき理想的な未来を『ニュー・アトランティス』(1627年)で予言した[5]。

ここで興味深いことは、ルネサンス以来、そうした発達する近代科学の実践的適用において、次第に古来「術(technē/ars)」と呼ばれていたものの内、近代科学に結び付くものだけが抜き出されて「技術(technique)」と呼ばれるようになったことである。技術の特徴は、近代科学と同様に、数量化可能であり客観的なので再現可能なことである。やがて、「近代科学」と「技術」が結合したものが、一語で「科学技術(technology)」と呼ばれることになる。

これに対し、全ての「術」の内、「技術」が抜き出されて残されたものが「芸術(art)」と呼ばれることになる。つまり、「芸術」の定義は「技術ではない術」である。このように積極的にではなく消極的にしか定義できないことが、これまで「芸術」を誰も十全に定義できなかった理由である。

芸術の特徴は、技術とは逆に、主観的ゆえに数量化可能ではなく再現不可能なことである。つまり、芸術は量ではなく質の問題なのである。だから、技術なら教えることも教わることもできるが、芸術は教えることも教わることもできない。さらに、自分でも全く同じ芸術作品を再び制作することはできない。たとえレオナルドでも、もし《モナ・リザ》(1503-17年頃)(図1)をもう一度描こうとすれば全く同じものにはならないだろう。それは、芸術は人の心に基づいており、人の心は生きていて一回的だからである。

 

図1 レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》1503-17年頃

 

そうした主観性により、芸術には個性の問題が関わることになる。ハインリヒ・ヴェルフリン(Heinrich Wölfflin: 1864-1945)の『美術史の基礎概念』(1915年)に引かれた逸話が示すように、複数の画家が同じ風景を描いても決して同じ絵画にはならない[6]。なぜなら、人の心には個性があるからである。

芸術は、人の心に基づく以上どこまでも主観的である。他でもないこの「私」が描いたという意識が「署名」として現われ、そうした自意識が「自画像」を描くことを促すことになる。署名も自画像も、どちらもルネサンス期に登場した個性に基づく絵画の新しい様式である。

そして、その個性の最たるものとして、芸術には天才という概念が関わってくる。レオナルドの《モナ・リザ》のように、個性に基づく並外れて質の高い芸術作品を目にした時に人は天才の存在を認めざるをえない。高度な技術を持つ人や機械は《モナ・リザ》を完璧に模写することはできても、《モナ・リザ》を無から創造することはできない。従って、最も一回的で再現不可能なものとしての芸術の本質は独創的なアイディアである。

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レオナルドの場合がそうであるように、ルネサンスでは科学技術と芸術はまだはっきりと分かれていなかった。しかし、時代が下るにつれて両者は徐々に分かれていく。

その過程で、「職人(artisan)」と「芸術家(artist)」を分け、職人よりも芸術家を格上げしようとする動きも生じる。つまり、職人の中で低級と高級の区別ができ、高級職人が芸術家と見なされていく。

古代ギリシャでは、奴隷の単純な肉体労働よりも市民の自由な精神活動が上位とされていた。その伝統を踏まえて、近代ヨーロッパでは、市民の自由な精神活動の証として継承されてきた「自由学芸(liberal arts)」に「芸術(art)」を含めようとする動向が生じる。

まず、造形作品は、絵画、彫刻、建築、工芸の四つに分類できる。この内、単純な肉体労働ではなく自由な精神活動が認められたものが芸術と見なされ、その作者が、低級職人ではなく高級職人、つまり芸術家と呼ばれることになる。

この時、その自由な精神活動の指標とされたのが「ディセーニョ(disegno)」という概念である。ディセーニョは、「デッサン(dessin)」と「デザイン(design)」の共通語源である。つまり、感性的な色彩ではなく理性的な線描で世界を捉えることがデッサンであり、理性を通じて人為的な世界を構成することがデザインである。造形作品では、絵画、彫刻、建築、工芸の内、このディセーニョの働きが感じられるものが芸術作品と見なされることになる。

さらに、そうした芸術のジャンルの中でも序列が形成される。つまり、人間の精神の自由な働きの度合いが高いほど価値が高いとされ、視覚は触覚よりも精神の自由な働きの度合いが高いとされる。これにより、視覚的要素が高いものから上位に置かれ、絵画、彫刻、建築、工芸の順になる。

この序列には、人間の理性を自然よりも上位に見ることが含意されている。日常生活は、自然と地続きなので価値が低い。これにより、実用のための芸術よりも鑑賞のための芸術が上位とされる。「実用芸術(practical art)」に対し、実用性が脱色されているほど「鑑賞芸術(fine art)」になる。ここでいう「ファイン(fine)」とは、「実用ではない(non practical)」という意味であり、純粋に視覚的鑑賞の度合いが高い順に、やはり絵画、彫刻、建築、工芸の序列になる。鑑賞芸術の一位は絵画、二位は彫刻であり、建築は鑑賞芸術と実用芸術のどちらにも含まれ、工芸は実用芸術として鑑賞芸術から除外されることになる。

やがて、「ファイン」は省略され、大文字の「芸術(Art)」一語で鑑賞芸術を意味するようになる。なお、日本はこの「ファイン」を「美(beautiful)」と訳して、「鑑賞芸術」を「美術(beautiful art)」と翻訳することになった。ここには、フランス語の「美しい芸術(beaux‐arts)」やドイツ語の「美しい芸術(schöne Künste)」の影響もあっただろう。

ちなみに、ここでいう実用性には宗教性も含まれる。従って、芸術における純粋な鑑賞性の追求を「モダニズム(modernism)」と呼ぶならば、モダニズムからは「工芸(craft)」と「宗教芸術(religious art)」が排除されていくことになる。

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しかし、ルネサンス以後、芸術という意識は徐々に発達しても、同じ手わざの範囲内なので、芸術と技術の分節はなかなか明確ではなかった。それは、人の心を芸術として的確に表現するためには、まず技術が必要だったからでもある。つまり、常に芸術の中には技量という技術的要素が不可分的に含まれている。

芸術と技術の違いが明らかに意識されるようになったのは、レイモンド・ウィリアムズの『文化と社会』(1958年)[7]が示すように、科学技術の発達が18世紀以後に産業革命をもたらした時である。この時、機械による工業製品が登場すると、それとの対比により、生きた人間の心と手の産物である芸術作品との差異が明確に感受される。これにより、18世紀以後――概念としては明確化されないまま――芸術への関心が広く高まっていくことになる。

また、18世紀以後、産業革命は人々に経済的自由と政治的自由を求めさせ、市民革命をもたらして人権意識を普及させる。これを反映して、芸術は個性による自己表現の証としてますます高く評価されていく。ただし、芸術だけに注目して高く評価しようとするあまりに、本来芸術が科学技術の補完概念として形成されたという背景が見落とされ、芸術概念の解釈だけが多様化する事態が生じることになる。例えば、「芸術は精神の自由な働きである」や「芸術は個性による自己表現である」等は、定義として部分的であり十全ではない。

さらに事態を複雑にしているのが、古代ギリシャから19世紀まで、芸術の価値基準は「模倣(mimesis)」と思われていたことである(一度「芸術」概念が成立するとそれは概念成立以前の対象にも適用される)。つまり、どれだけ客観的再現を達成しているかが芸術の価値だと長らく信じられていた。写実的な絵画を尊ぶ価値観は、古代ローマのプリニウスの『博物誌』が伝える、古代ギリシャのゼウクシスとパラシオスの腕比べに既に窺われる[8]。

しかし、科学技術の発達により19世紀に写真を始めとする複製技術が発明されると、客観的再現は「技術」の問題であり「芸術」の問題ではないと認識されるようになる。これにより、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin: 1892-1940)が「複製技術時代の芸術作品」(1936-37年)[9]で言うように、絵画では画家の「個性」に基づく主観的表現が重視され始める。

印象派の擁護者であるエミール・ゾラ(Émile Zola: 1840-1902)は、1866年のサロン評で「芸術は気質を通して見られた自然の一角である」と主張した[10]。リチャード・シフ(Richard Shiff: 1955-)が『セザンヌと印象派の終焉』(1984年)[11]で論じるように、印象派ではまだ感覚の客観的再現が目指されていたが、逆にそれが印象派以後の主観的表現の触媒となり、表現主義的な様々な新傾向を招くことになる。一般に、20世紀初頭に成立した抽象絵画は、外界の対象を参照しない純粋な主観的表現と認められている。この抽象絵画の主流化は、現在も留まることなく続いている。

20世紀の芸術のもう一つの大きな動向は、教育を受けて技術化されていないより純粋な芸術が追求されたことである。パブロ・ピカソ(Pablo Picasso: 1881-1973)は、無垢な子供のように描くことを理想としていた。また、ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet: 1901-1985)は正規の芸術教育を受けていない「生の芸術(Art brut)」に注目した[12]。これらを受けて、21世紀に入り「アウトサイダー・アート(outsider art)」への関心が世界的に高まっている。

◇ ◇ ◇

21世紀も四半世紀が過ぎようとしている現在、最も注目されている話題は、AI技術の発達で従来の「芸術」の存在基盤が揺るがされていることである。AI技術による造形は、果たして「芸術」なのだろうか。しかし、この問題を議論するためには、まず「芸術」とは何かを概念的に明確にすべきであろう。

本稿で、筆者は「芸術」を「技術ではない術」と定義した。つまり、芸術の特徴は、主観的で数量化できないので再現不可能なことである。また、芸術の本質は、生きている作者の一回的な心の働きであり、その究極は独創的なアイディアである。従って、AI技術がランダムに作り出す造形は、どれほど精緻であっても芸術ではないと筆者は考えている。なぜなら、そこには生き生きとした人間の心がもたらす内的必然性がないからである。どれほど高速演算によっても、AI技術のランダムさはあくまでも生命ある人の心ではなくその近似物に過ぎない。

AI技術が形作る造形が「芸術」でないのは、自然が形作る偶然の染みが「芸術」でないのと同様である。本来、人の心が生み出したものでないものは芸術ではないのである(ただし、自然や機械を擬人化すれば、自然や機械の造形を比喩的に「芸術」と呼ぶことは可能である)。

逆に言えば、そうした人以外の造形物に人が最後に手を加えれば、そこにはその人の心が表れるので、それはその人の芸術作品となる。また、写真作品が撮影者の個性により芸術作品となるように、AI技術作品もプログラマーの個性により芸術作品となりうる。ただし、風景や絵画はどれだけ見ても見飽きないのに写真及び合成写真はいつか見飽きるという問題は、AI技術による合成造形にも当てはまるだろう。

 

図2 マイクロソフト・デルフト工科大学等による「レンブラントの新作」2016年

 

より難しい問題は、AI技術が人の心により生み出された造形を巧みに操作するときである。過去に人が創造した造形にはその人の心が反映しているので、そのデータを再現すれば、そこにまるでその人の心があるかのように感じさせることができる。

さらに、もしある芸術家が創造した造形に共通するパターンをデータ解析し、その特徴を新たに構成すれば、これまで不可能だった、独自の発想に基づく無からの創造、つまり単なる模写ではないその芸術家の「新作」が理論的には可能になる。実際に、既に2016年には、レンブラントの全346作品を解析し、その特徴を新たに構成して3Dプリンターで出力した、まるで彼自身が描いたかのような「レンブラントの新作」(図2)が登場している。

ただし、どれだけAI技術が再構成する造形にレンブラントの心が反映していても、それはレンブラント自身の生きた心ではない。従って、この場合、やはりAI技術により製作されたそうした絵画は一種の模写であり、仮に芸術作品と見なしてもやはり偽作に他ならない。AI技術が故人が遺したものを再構成することに対し、私達が時にありがたいと感じても、何か人格の尊厳を侵害しているようで本能的な嫌悪感を覚える理由はここに由来するだろう。

生命ある人の心から生まれるのが、真正の芸術作品である。その意味で、AI技術の造形物は真正の芸術作品ではない。それでは、AI技術は芸術に何をもたらせるだろうか。それは、新しい鑑賞方法である。

ヴェルフリンは写真図版の複数比較により、コンラート・フィードラー(Konrad Fiedler: 1841-1895)が『芸術活動の根源』(1887年)で論じる「純粋可視性」を具現化し[13]、「様式史としての美術史」を構築した。また、アンドレ・マルロー(André Malraux: 1901-1976)は『空想美術館』(1947年)で、写真によりあらゆる造形作品をデッサン・イメージとして抽出する世界美術史を構想した[14]。技術の発達は、芸術の新しい鑑賞方法を生むのである。

芸術の定義が「技術ではない術」であり、その特徴が生きた人の心に基づく主観的で数量化不可能で再現不可能であることは昔も今もこれからも変わらない。ただし、AI技術により従来は存在しなかった芸術の新しい鑑賞方法が生まれたとは言えるだろう。一人の作家の芸術作品を写真で複数比較すれば、そこにはその作家の個人様式が浮かび上がる。それと同様に、一人の作家の芸術作品をAI技術でディープ・ラーニングすれば、そこにはその作家の個人様式が現出し、さらに仮の見本まで作成できるのである。

結論として、AI技術による造形物は、真正の芸術作品ではないけれども、人の心が反映している限りその分だけ芸術作品として鑑賞することが可能と主張することができるだろう。

 

【註】

[1] アリストテレス『アリストテレス全集 1 カテゴリー論・命題論・分析論前書・分析論後書』山本光雄・井上忠・加藤信朗訳、岩波書店、1993年。アリストテレス『アリストテレス全集 2 トピカ・詭弁論駁論』村治能就・宮内璋訳、岩波書店、1993年。

[2] ヤーコプ・ブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』 新井靖一訳、ちくま学芸文庫、2019年。

[3] ルネ・デカルト『方法序説』谷川多佳子訳、岩波文庫、1997年。

[4] フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』桂寿一訳、岩波文庫、1978年。

[5] フランシス・ベーコン『ニュー・アトランティス』川西進訳、岩波文庫、2003年。

[6] ハインリヒ・ヴェルフリン『美術史の基礎概念――近世美術における様式発展の問題』海津忠雄訳、慶應義塾大学出版会、2000年。

[7] レイモンド・ウィリアムズ『文化と社会:1780-1950』若松繁信・長谷川光昭訳、ミネルヴァ書房、2008年。

[8] プリニウス『プリニウスの博物誌』中野定雄・中野里美・中野美代訳、雄山閣出版、1986年。

[9] ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」『ベンヤミン・コレクション 1』浅井健二郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、1995年。

[10] エミール・ゾラ「わがサロン」三浦篤訳、『ゾラ・セレクション 9 美術論集』三浦篤編、藤原書店、2010年。

[11] Richard Shiff, Cézanne and the End of Impressionism: A Study of the Theory, Technique, and Critical Evaluation of Modern Art, The University of Chicago Press, 1984.

[12] ジャン・デュビュッフェ『文化は人を窒息させる――デュビュッフェ式〈反文化宣言〉』杉村昌昭訳、人文書院、2020年。

[13] コンラート・フィードラー「芸術活動の根源」山崎正和・物部晃二訳、『世界の名著 81 近代の藝術論』山崎正和責任編集、中央公論社、1979年。

[14] アンドレ・マルロー『東西美術論 1 空想の美術館』小松清訳、新潮社、1957年。

 

著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。

2010年4月-2012年3月: 京都大学こころの未来研究センター連携研究員
2011年4月-2013年3月: 京都大学地域研究統合情報センター共同研究員
2011年4月-2016年3月: 京都大学こころの未来研究センター共同研究員
2016年4月-: 滋賀医科大学非常勤講師
2017年4月-2024年3月: 上智大学グリーフケア研究所非常勤講師
2020年4月-2023年3月: 上智大学グリーフケア研究所特別研究員
2021年4月-2024年3月: 京都ノートルダム女子大学非常勤講師
2022年4月-: 京都芸術大学非常勤講師

【投稿予定】

■ 秋丸知貴『近代とは何か?――抽象絵画の思想史的研究』
序論 「象徴形式」の美学
第1章 「自然」概念の変遷
第2章 「象徴形式」としての一点透視遠近法
第3章 「芸術」概念の変遷
第4章 抽象絵画における形式主義と神秘主義
第5章 自然的環境から近代技術的環境へ
第6章 抽象絵画における機械主義
第7章 スーパーフラットとヤオヨロイズム

■ 秋丸知貴『美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学』
第1章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について
第2章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラの凋落」概念について
第3章 ヴァルター・ベンヤミンの「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の問題について
第4章 ヴァルター・ベンヤミンの芸術美学――「自然との関係における美」と「歴史との関係における美」
第5章 ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――「複製技術時代の芸術作品」再考

■ 秋丸知貴『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに』
序論 近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究
第1章 近代絵画と近代技術
第2章 印象派と大都市群集
第3章 セザンヌと蒸気鉄道
第4章 フォーヴィズムと自動車
第5章 「象徴形式」としてのキュビズム
第6章 近代絵画と飛行機
第7章 近代絵画とガラス建築(1)――印象派を中心に
第8章 近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に
第9章 近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に
第10章 近代絵画と近代照明(2)――抽象絵画を中心に
第11章 近代絵画と写真(1)――象徴派を中心に
第12章 近代絵画と写真(2)――エドゥアール・マネ、印象派を中心に
第13章 近代絵画と写真(3)――後印象派、新印象派を中心に
第14章 近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム、キュビズムを中心に
第15章 抽象絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに

■ 秋丸知貴『ポール・セザンヌと蒸気鉄道 補遺』
第1章 ポール・セザンヌの生涯と作品――19世紀後半のフランス画壇の歩みを背景に
第2章 ポール・セザンヌの中心点(1)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第3章 ポール・セザンヌの中心点(2)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第4章 ポール・セザンヌと写真――近代絵画における写真の影響の一側面

■ Tomoki Akimaru Cézanne and the Railway
Cézanne and the Railway (1): A Transformation of Visual Perception in the 19th Century
Cézanne and the Railway (2): The Earliest Railway Painting Among the French Impressionists
Cézanne and the Railway (3): His Railway Subjects in Aix-en-Provence

■ 秋丸知貴『岸田劉生と東京――近代日本絵画におけるリアリズムの凋落』
序論 日本人と写実表現
第1章 岸田吟香と近代日本洋画――洋画家岸田劉生の誕生
第2章 岸田劉生の写実回帰 ――大正期の細密描写
第3章 岸田劉生の東洋回帰――反西洋的近代化
第4章 日本における近代化の精神構造
第5章 岸田劉生と東京

■ 秋丸知貴『〈もの派〉の根源――現代日本美術における伝統的感受性』
第1章 関根伸夫《位相-大地》論――日本概念派からもの派へ
第2章 現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相-大地》(1968年)から《空相-黒》(1978年)への展開を中心に
第3章 Qui sommes-nous? ――小清水漸の1966年から1970年の芸術活動の考察
第4章 現代日本美術における土着性――小清水漸の《垂線》(1969年)から《表面から表面へ-モニュメンタリティー》(1974年)への展開を中心に
第5章 現代日本彫刻における土着性――小清水漸の《a tetrahedron-鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に

■ 秋丸知貴『藤井湧泉論――知られざる現代京都の超絶水墨画家』
第1章 藤井湧泉(黄稚)――中国と日本の美的昇華
第2章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(前編)
第3章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(中編)
第4章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(後編)
第5章 藤井湧泉と京都の禅宗寺院――一休寺・相国寺・金閣寺・林光院・高台寺・圓徳院
第6章 藤井湧泉の《妖女赤夜行進図》――京都・高台寺で咲き誇る新時代の百鬼夜行図
第7章 藤井湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》――兵庫・大蔵院に鳴り響く新時代の龍虎図(前編)
第8章 藤井湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》――兵庫・大蔵院に鳴り響く新時代の龍虎図(後編)
第9章 藤井湧泉展――龍花春早・猫虎懶眠
第10章 藤井湧泉展――水墨雲龍・極彩猫虎
第11章 藤井湧泉展――龍虎花卉多吉祥
第12章 藤井湧泉展――ネコトラとアンパラレル・ワールド

■ 秋丸知貴『比較文化と比較芸術』
序論 比較の重要性
第1章 西洋と日本における自然観の比較
第2章 西洋と日本における宗教観の比較
第3章 西洋と日本における人間観の比較
第4章 西洋と日本における動物観の比較
第5章 西洋と日本における絵画観(画題)の比較
第6章 西洋と日本における絵画観(造形)の比較
第7章 西洋と日本における彫刻観の比較
第8章 西洋と日本における建築観の比較
第9章 西洋と日本における庭園観の比較
第10章 西洋と日本における料理観の比較
第11章 西洋と日本における文学観の比較
第12章 西洋と日本における演劇観の比較
第13章 西洋と日本における恋愛観の比較
第14章 西洋と日本における死生観の比較

■ 秋丸知貴『ケアとしての芸術』
第1章 グリーフケアとしての和歌――「辞世」を巡る考察を中心に
第2章 グリーフケアとしての芸道――オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』を手掛かりに
第3章 絵画制作におけるケアの基本構造――形式・内容・素材の観点から
第4章 絵画鑑賞におけるケアの基本構造――代弁と共感の観点から
第5章 フィンセント・ファン・ゴッホ論
第6章 エドヴァルト・ムンク論
第7章 草間彌生論
第8章 アウトサイダー・アート論

■ 秋丸知貴『芸術創造の死生学』
第1章 アンリ・エランベルジェの「創造の病い」概念について
第2章 ジークムント・フロイトの「昇華」概念について
第3章 カール・グスタフ・ユングの「個性化」概念について
第4章 エーリッヒ・ノイマンの「中心向性」概念について
第5章 エイブラハム・マズローの「至高体験」概念について
第6章 ミハイ・チクセントミハイの「フロー」概念について

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