メディア・アートのアーカイブをめぐって(キヤノン・アートラボと資生堂CyGnetを中心に)

*本原稿は、写真の交差通信 [PHOTON+] 第10号(発行:写真の交差・写真研究編集室 [Thinkroll Room](編集・AD:小室治夫)のために2024年2月に執筆した2本の1本です。 本誌の刊行に先立ち、『美術評論+』で公開することになりました。ご了承をいただきました小室氏に、心よりお礼を申し上げます。(2024/8/13 四方幸子)

I. アートラボ最後の展覧会作品:「R111―仮想から物質へ」(2001年)

2024年2月13日、ドイツのメディア・アーティスト、ミヒャエル・サウプから2001年にキヤノン・アートラボで開催したアートラボ第5回プロスペクト展、ミヒャエル・サウプ+supreme particles「R111―仮想から物質へ」(1) の評価額について問い合わせがあった。

アートラボ第5回プロスペクト展ミヒャエル・サウプ+supreme particles「R111―仮想から物質へ」(2001、スパイラル)

《R111》はsupreme particles (2) との連名でベルギーで発表され、翌年ドイツに巡回後、私が阿部一直とともに共同キュレーターを務めていたキヤノン・アートラボ (3) で招聘したメディア・アート作品である。日本での展示に際し、アーティスト側に加え、アートラボのエンジニアによるヴァージョンアップを行い、大規模なインスタレーションとして公開した。本作は2006年にドイツ、カールスルーエのアート&メディア・テクノロジー・センターZKMで展示、以後同センターに保管されている。サウプによれば、展示から17年以上が経過し、作品の状態や価値を、物質・非物質の両面から確認する時期にあるという。

《R111》は、1990年代初頭にインタラクティブ・アートに発し、インターネットに加えソフト、ハードの両面で多様な表現へと拡張してきた「メディア・アート」と呼ばれる領域の、2000年前後における頂点とも言える作品である。アートラボでは、アーティストとキヤノンのコンピュータ・エンジニアのコラボレーションによる新作を披露する「企画展」という枠に加え、海外の重要なメディア・アート作品を日本で紹介する「プロスペクト展」という枠を持ち、そこでもエンジニアの技術サポートを提供した。そのため「R111―仮想から物質へ」には、キヤノンが開発したインターネット上の知的情報検索技術やライブ映像発信システムなど、当時の最先端技術が実装された。

タイトルの「R111 」は、オスカー・フィッシンガーの1920年代の実験映画『R1』と二進法で7を表す「111」によるサウプの造語で、フィッシンガーと二進法の発案者でもある哲学者ライプニッツを、あらゆる存在を情報化していく現在に至るマルチメディア・ネットワークの発想の先駆と見なす彼独自の世界観が反映されている。

本作では、体験者の動きやインターネット経由のユーザーの操作、ウェブロボットが抽出するインターネットからデータなどを潜在的な「エネルギー」と捉え、それらの転移の容態がリアルタイムで視覚・音響化された。正面の大スクリーンでは、変動するエネルギーが統合されたCGによる仮想世界が可視化され、床上では水のようにうごめく映像が体験者の平衡感覚を揺るがせる。空間にはまた「リキッドモジュール」(シリコンオイルの波紋の変化)、「磁気モジュール」(大小の球体の粒の変化で磁力を可視化)などの装置があり、空間全体で、物質/非物質、デジタル/アナログ、ヴァーチャル/リアルをつなぎながらダイナミックなエネルギーの変容を体感させた。

「R111 ―仮想から物質へ」は、21世紀の初頭において新たなフェーズを迎えつつあったインターネットをはじめとする諸技術を駆使しながら実現された、一種究極の「アルス・コンビナトリア」であり、サウプにとっての集大成となった。私にとっても、現在に至るデジタルやアナログを超える「情報フロー」としての世界観を形成する上で重要な作品の一つである。

余談だが、サウプは本作の後、突如メディア・アート界から姿を消してしまう。メディア・アートを自分なりに突き詰めた、という達成感とともに、以前から抱いていた原子力への批評的まなざしから、自然に寄り添う観想的な活動に約10年間入っていたようである。そのスタンスを保ちながら2010年代に映像制作を開始、(4) 現在はメディア・アーティストとしての新たなフェーズを迎えている。サウプが姿を消した時期が、メディア・アートが領域横断的な実験場であった90年代から、スペクタクルやイノベーションの強風が台頭し始めた時期と重なるのは偶然ではないだろう。

冒頭に戻るが、サウプからの評価額についての問い合わせは、以下の状況に基づいている。彼のメールから、要約する。

アートを長期に渡って保護する法的な枠組みをしっかり整備することの重要性。でないと非民主的な勢力が、不要と見なす作品を廃棄することも起こりうる(時代や状況は異なるが、ドイツでは、ナチス支配下での「退廃芸術」の例がある)。

そのためにまず、アーティスト側からしっかり作品の価値を金額で提示することが重要である。ドイツではメディアに「アート」の価値を認めず、単なる機器の集合体と見なされる。非物質的な価値は理解されない。また、作品の価値は時代に応じて変動するため、それに流されないよう、作品自体の価値を確立することが非常に重要であること。

メディア・アートにおいては、作品のコンディションを継続的に確認する必要がある。稼働するかどうか、修復が必要な場合どこまで可能か?(新たなハードやソフト、OSに移行することは可能か、その場合作品の同一性がいかに保たれるか?)価値を確認するために作品を完璧に組み立てる必要性があるか否か?その作品の適切な保管、継続的な動作確認、そのための組み立て、必要に応じた修復にどれほどの人数と期間が必要か。ソフトもハードも更新は著しく、修復してもその瞬間から劣化が始まり価値は下がり続ける。予算は膨大になるだろう。

そしていずれ稼働しなくなる。その場合、ビデオや写真、3Dスキャンなどドキュメントとしての保存となるのか?これらのプロセスについては、若い世代のアーティストとも話し合う必要がある、そしてこれらについての方法は、すべてオープンソースで公開すべきである。

法的な整備の必要性は、私も感じている。そしてそのために作品の価値をしっかり評価することの重要性にも同意する。しかしメディア・アート作品を多く収蔵するZKMを擁するドイツにおいてもこれらは今後の課題であり、日本においてはまだ具体的な動きさえ出ていない。

最後に書かれた「オープンソースで公開すべき」についても同意する。メディア・アートは多様であり、一律な方法での修復や管理は不可能だが、ノウハウを公開して共同でアップデートすることは有効である。それは「アーカイブに関するアーカイブ」という側面を提起するとともに、「コモンズ」の実践ともなるだろう。

メディア・アートが常にハードやソフトの更新、機器の劣化に瀕しており、頻繁な動作確認や修復を要すること、いずれは作品の稼働ができなくなり、その時からドキュメントへ移行せざるを得ない問題については、私も長年直面してきた。実際に、自分がキュレーションを手がけたほとんどの作品は、再現できなくなっている。

本稿では、キヤノン・アートラボそして資生堂のネットギャラリーCyGnetでの作品で、現在保管や収蔵されたもの、ドキュメントとして再現されたものを紹介するとともに、メディア・アートのアーカイブについてのこれまでの取り組みについて述べていく。

II. メディア・アートのアーカイブ

アーカイブを検討する場合、メディア・アートにおける特徴として、以下が挙げられる。

まず、それぞれの作品において使用メディアや構造が多岐にわたるため、修復や保存、アーカイブの方法もその都度検討する必要がある。

制作においては、アーティストに加えて複数のコラボレーターやサポーターが関わることが多い。また参加型の作品が多く、体験においてはその都度作品されるものが異なること、また「作品」自体が体験者を含むものと見なされうる。作品ではデータの入力、分析や変換、蓄積、出力などが伴うが、そのプロセスにおいてデータのログが残され、それ自体もアーカイブ的なものとも言える。

つまりメディアアーアートにおける「作品」とは、複層的なものとして捉えられる。

まず、実際の展示や体験レベルにおけるもの:(1)展示や体験可能な状態で空間にセットアップされたもの、(2)体験者が操作することにより生まれるプロセスとそこでの作品の変容も含めたもの。また、展示されないものの、保管されるオリジナルのソフトやハードウェア、その他既存の機材、そしてデータの履歴も作品の一部として捉えることができるだろう。

次に、作品に関係する基本情報や記録としてのもの:(1)テクニカルライダー(システム図や機材リスト)、展示に必要な諸条件、組立および解体マニュアル、操作および運営マニュアル、修復用マニュアル。(2)体験者の操作後に蓄積されたデータ。(3)通常の展示や体験時の様子を撮影した写真や動画(製作者や体験者のインタビューなども)、加えて設営や解体プロセスを撮影した写真や動画。そもそも「作品」が複層的であること、その上で作品が制作後、使用するソフトやハードウェアの更新、使用による劣化にさらされ、頻繁に維持管理、修復が必要となっていること。そして今後は、(4)長期的な作品についての指示書、が必要となるだろう。そこには中・長期的な作品の維持や修復、作品で必要な機器が入手不可能になったり、作品が稼働しない、作品として成立しなくなった段階の見極め、およびその後の保管方法や展示方法(いずれは作品体験から、作品の記録の展示へと移行するだろう)について指示が必要と思われる。

メディア・アートのアーカイブについては、『PHOTON+』No.9(2018)で、2015年に急逝した三上晴子の作品を中心に述べた「時代による分断、メディア・アートの修復、そして今後」で触れている。参考までに、そこから以下抜粋をしておく。

メディア・アートがモノというより「コト」としての側面が強く、むしろパフォーマンスに近接するために、既存のアーカイブという方法が収まりにくいこと、更新されるハードやソフトに大きく依存するため、時代に応じた改訂、修復、差し替えが必要であること。短・中・長期に分け、作品の修復や再現の検討が現実的であると述べた。最終的には機材やプログラムが稼働不能となったり、作品の同一性が保てなくなる段階で、作品は「記録」としてのアーカイブへと並行することになるだろうと。作品制作時点で、自身がいなくなった時も含め、維持管理についての展望を持ち、明文化しておくことが望まれる。

アートラボ第6回企画展 三上晴子《モレキュラー インフォマティックス―視線のモルフォロジー》(1996春、ヒルサイドプラザ)

三上晴子《モレキュラー インフォマティックス―視線のモルフォロジー Ver.2》(2人用ヴァージョン、1996秋、DEAF96-Dutch Electronic Arts Festival、オランダ・ロッテルダム)

三上晴子《Eye-Tracking Informatics(ETI)》(2011) *1996年の《モレキュラー インフォマティックス》をYCAMで再制作、技術の大幅な変化に応じて作品名を変更

三上晴子《Eye-Tracking Informatics(ETI)》(2011)

また最後に、多くのアーティストや技術者のサポートによって制作され、死後も修復を経験したが三上作品については、飛躍的な解釈として、たとえば「三上」という個人名を声、連名によるものとして作品が進化していくこともありうると記した。またバージョン・アップによって、作品《モレキュラー インフォマティックス―視線のモルフォロジー》(5) を2011年にYCAMで再制作、技術の大幅な変化に応じて作品の形状や体験レベルが一変したため、作品名を《Eye-Tracking Informatics(ETI)》に変更、2017年に文化庁メディア芸術アーカイブ推進支援授業枠としてYCAMで修復、以後2度ほど展示され、YCAMに保管されている)。この例を「アーカイブ」の進化形か、そこからの逸脱と見なすかはともかく、更新されたそれ自体がまた「アーカイブ」としての保存・修復の対象になること。つまりメディア・アート作品については、短・中・長期的な稼働チェック、修復などが継続的に必要となると述べた。

三上晴子《欲望のコード》(2010、YCAM)

三上晴子《欲望のコード》(2010、YCAM)

三上晴子作品については、その後、《欲望のコード》(2010)は2016年にYCAMで修復後、同センターが保管、2020年の札幌国際芸術祭(SIAF)に招聘されたが、コロナ禍で中止となり、展示の機会がないままに7年が経過している。(6)

三上晴子作品については、2023年12月、YCAMのアーキビストとして作品修復と修復プロセスのアーカイブに関わった渡邉朋也から聞いた情報を以下伝えておく。(7) 修復に関わった中、作品の著作権や所有権など、法的な位置付けが曖昧であることが判明したという。また三上の作品制作におけるディレクションが、(彼女のことをよく知る)コラボレーターのアイデアを活かすものであったため、本人不在でも(三上の方向性を汲み取りながら)アップデートが可能であったとのことである。

III. アートラボ作品の展開やCyGnetについて

上述したが、三上晴子の《モレキュラー インフォマティックス―視線のモルフォロジー》(アートラボ第6回企画展、1996)は、ヴァージョンアップを重ねつつ国内外を巡回後(本作は現在稼働しない)、2011年に山口情報芸術センター[YCAM]で《Eye-Tracking Informatics(ETI)》として再制作され、《ETI)》はYCAMに保管されている。本作や《R111》は、プログラムの占める部分が多く、インタラクションが重要な要素となっているが、以下の2作品は、メカニカルな要素が強いため、より長期にわたって安定な稼働が保たれうる。

アートラボ第4回企画展 古橋悌二《LOVERS―永遠の恋人たち》(1994、ヒルサイドプラザ)

一つは、ダムタイプのリーダー的存在であった古橋悌二の《LOVERS―永遠の恋人たち》(アートラボ第4回企画展、1994)(8) である。国内外10カ所以上を巡回後、国際バージョンにアップデートした上で、1998年にアートラボ特別展としてダムタイプの高谷史郎に委嘱した初のソロ作品《frost frames》(9) とともにスパイラルガーデンで展示した。同年、NY MoMAに収蔵され、その後、現地での修復を経ながら過去に2度展示されている。また2000年のせんだいメディアテーク開館記念時に再制作された《LOVERS―永遠の恋人たち》のセカンドバージョンは、国内外を巡回後、文化庁の助成を得て2016年に京都市立芸術大学の芸術資源研究センターにおいて修復(および同年京都芸術センターで作品および修復資料を展示)、(10)  2016年度に大阪の国立国際美物館に収蔵されている。

アートラボ第2回企画展「ARTLAB2」でのミッション インヴィジブル(石原友明、松井智惠) 《ミッション インヴィジブル》(1992、ニューピアホール)

二つめは、1992年のアートラボ第2回企画展「ARTLAB2」(11) での作品の一つ、ミッション インヴィジブル (12) の《ミッション インヴィジブル》である。デンマークのルイジアナ美術館をはじめ国内外数カ所を巡回し、1999年福島県立美術館の「コラボレーション・アート展」で展示後、同館に保管されていた。

ミッション インヴィジブル 《ミッション インヴィジブル》(1992)

2022年に同館からこれ以上の保管が難しいと連絡があり、石原が引き取り、現在京都府内の本人の倉庫に保管されている。2024年2月18日に石原からメールで受け取った現状は以下の通りである。(13)

2022年8月に石原が中心となり、2点のうち1点を組み立て稼働テストを行った。30年前の作品でありながら、インクジェットでプリントアウトした作品の平面部分の状態、機材の動作とも良好。今後、もう1点を含め稼働を確認した上で、現代の機材へのコンバート(PC98から今のPCへ、ビデオカメラをデジタルに)ができれば、展示が可能ではないか。その上で、収蔵先についても、検討できないか。分解マニュアルはすでにあり、組み立てマニュアルも作成可能だが、機材変更を含め、技術面での調整には予算が必要で、保管についても温度や湿度面で適切な場所への移動が望まれる。

《ミッション インヴィジブル》は、6mx4mの巨大な平面サイズの文字で構成された「宗教画」)が空間に向かい合わせに立てられ、それぞれの手前に体験者がトラックボールを操作するブースが設置されたインスタレーションで、巨大な空間を必要とする。絵画は、1枚がキリスト絵画(垂直性を持つ世界)、もう1枚が涅槃図(水平性を持つ世界)がモチーフとなっているが、その表面はテキストのみで構成されている。これら宗教画が、思想や哲学、美術からのテキストの引用のみで―大中小の文字サイズ、日英で縦横に渡り埋めつくされる形で―「描かれ」ている。

それぞれの絵画にはXYプロッターが取り付けられ、体験者はトラックボールを介して、プロッターに設置されたビデオカメラをX、Y軸に動かし、またズームイン、アウトすることで巨大な絵画空間をブラウズすることになる。ズームはインクジェットプリントのドットにまで至り、そこからはデジタルモードへと移行する。体験者はこれらさまざまなテキストの断片に出会うことで、それぞれが自身の「宗教画」を思いめぐらすことになる。物質的な平面ではあるものの、無限に広がるかのようなテキストスペースをブラウズする体験は、当時でいえばCD-ROM、そしてその後に訪れたインターネットを彷彿させた。石原と松井は初のコラボレーションとなった本作は、技術を介した視覚の延長や身体性の乖離、テキストスペースへのヴァーチャルな侵入、テキストから絵画を想起させることなどさまざまな体験や思考を喚起した。作品の根底には、技術と宗教や文化、技術と身体、技術と知識、テキストとビジュアルなどを接続し、一種の異化作用を生み出す2人の批評的かつラディカルなまなざしがあった。

それ以外のアートラボで制作した作品で、近年展示されたものとして把握しているのは、1991年のアートラボ第1回企画展(14) の3作家の1人、中原浩大によるインタラクティブ作品《デート・マシン》と、デジタル画像処理を出力した平面やキューブの形態をとる福田美蘭作品がある。前者は再制作され、2013年に「中原浩大─自己模倣」展(岡山県立美術館)で展示された。(15)  後者は福田によって保管していたもので、近年その一部が展示されたようであるが、両方とも私は見る機会を逸している。(16)

ゲストキュレーターとして関わった資生堂のサイバーアートギャラリー「CyGnet(シグネット)」(1998-2003)(17) では、CyGnet終了に沿って、キュレーションした5作品を含む全作品がアクセス不可能となった。インターネット上のアートを日本で初めて発表したのは、1995年のアートラボとNTT ICCだったが、1998年時点に資生堂がネットギャラリーを公開したことは注目に値する。

以下、私がキュレーションした5作品についてまず簡単に説明する。

EastEdge《Tyrell.Hungary》(1998):ハンガリーの若手プログラマーらEastEdgeによるもので、映画『ブレードランナー』(1982)のタイレル社ハンガリー支社という仮想のサイト。100近くのアンケートに答えてようやく会員になると、(現代の「デザインベイビー」にも通じる)希望通りのレプリカントの提供、遺伝子バンク、インターネットラジオなどのサービスを受けられる。個人情報の提供、ターゲットマーケティングの問題をいち早く提示していた。

エキソニモ《DISCODER》(1999):千房けん輔、赤岩やえが1996年に結成したエキソニモ初のアート作品。彼らによれば、「インターネットのコンテンツを成立させるHTMLのコード(CODE)そしてそのルール(CODE)を破壊し、矛盾を生じさせる装置」である。URLを手打ちしていた時代の作品で、任意のサイトを打ち込むと、弾丸のような音とともにその文字がHTMLタグに突き刺さり、ページが仮想的に攻撃・破壊されていく。音が攻撃性を増幅させ、ユーザーは打ち込む快感に気づくことになる。本作は、ウェブが背後にあるコードの整合性に依存すること、操作において無意識的に自らが規範(CODE)化されていることをユーザーに気づかせる。

ミリツァ・トミッチ《i am milica tomic》(資生堂CyGnet、2000)2019年度文化庁アーカイブ調査枠での再現画像

ミリツァ・トミッチ《i am milica tomic》(2000):90年代にNATOの経済制裁や空爆に晒されたセルビア・ベオグラードを拠点とするミリツァ・トミッチ初のインターネット作品。ユーザーは、本人が異なる言語で自身の名を名乗ることで生じる違和感や、彼女の身体(写真)をクリックすると、傷が走り血が流れることで、生々しい体験にさらされる。また彼女のシルエットに「私はフェミニストです」「私は難民です」など、様々な属性を持つ言葉が表示されるなど、身体やアイデンティティの戦場の最前線に、自らの名と身体で臨んだ作品。アラン・バディウら哲学者による6編の論考も掲載された。

JODI《Wrong Browser CO.JP》(資生堂CyGnet、2001)2019年度文化庁アーカイブ調査枠での再現画像

JODI《Wrong Browser CO.JP》(2001):オランダを拠点とするネットアートのパイオニアである2人による、2000年頃開始された「Wrong Browser」シリーズの「.jp」版。起動するとCO.JPのWebサイトにランダムに接続し、サイトのテキストやソースコードが表示されコラージュされていく。90年代前半には国境を超えた新たな可能性の場と彼らが見なしていたインターネットが、21世紀に入って実世界の論理で領土化されていく状況に対する抵抗といえる。日本語を意識した縦表示を採用、ディスプレイを横に向けて閲覧することが推奨された。当時可能になり始めたインターネットの常時接続を前提とした作品。

doubleNegatives《plaNet Former》(資生堂CyGnet、2002)2019年度文化庁アーカイブ調査枠での再現画像

doubleNegatives《plaNet Former》 (2002):アルゴリズムによる、極座標を基盤とした建築の新たな可能性を追求する市川創太率いるdoubleNegatives(後に:dNA (doubleNegatives Architecture))による、こちらも常時接続環境が前提の作品。ユーザーが手入力したウェブ・ページのリンク構造をオリジナルのプログラムがランダムに辿り、そこからリンクされている他のサイトへと辿り続ける様子がリアルタイムで線描され、やがてプラネット(惑星)状の球体を形成していく。ユーザーは球体のサイズや位置の設定や、リンク先のコンテンツ表示もできる。市川は本作について後年(2019)、以下のように述べている。「現在は自律的なソフトウェアが絶えずインターネットを探索しているが、そのような行為を同時発生させ、1回限りのデータベースを作る、というプロセスが作品と見なされていた」。

CyGnetは、先進的な取り組みであった。しかし開設当初、インターネットはまだ一般的に普及しておらず、アクセス数も多くなかった。2003年の終了後サイトの公開は停止され、CyGnetの存在はその後ほとんど知られていない。資生堂社内にも資料は残っていない。インターネット技術やデジタル化が急速に進んだ1990年代末から2000年代初頭には、世界的にもデータの保存やアーカイブのシステムが確立されていなかった。デジタルを介在させ、時代の技術環境に依存し、パフォーマンスに近いエフェメラルな性質をもつネットアートの保存や再現という問題に加え、残っているデータの掘り起こしや検証が極めて困難である。(18)

そのような中、2019年に「平成31年度文化庁メディア芸術アーカイブ推進事業 企業メセナによるメディア・アート展示資料アーカイブ事業」が愛知県立芸術大学の教授関口敦仁(19) を中心に行われ、CyGnetの作品の当時の稼働状況の「再現動画」を制作することになり、各アーティストと確認をしながら、事業枠で日本側の技術サポートを得ることで実現した。(20)

1990年代後半から2000年代初頭にかけて、上記以外でも数多くのメディア・アートのインスタレーションやプロジェクト、オンラインプロジェクトを手がけたが、いずれも基本的に、展覧会やプロジェクトの会期中に体験可能なものであり、現在稼働可能なものはほぼ残っていない。

IV. アートラボ、CyGnetの資料のアーカイブについて(2018年~)

キヤノン・アートラボは、「R111―仮想から物質へ」が終了した翌月に、会社から突然活動の終了が告げられ、2001年夏に11年の活動を終えた。オフィスは閉鎖、保管されていた活動資料や記録などを取り急ぎ、私の自宅へと移動した。WebサイトCAST(Canon Art Support & Traffic)(21) も閉鎖され、またアートラボでは、企画展のアーティストの作品(平面であれば作品の一部、もしくは作品のグラフィックをプリントした平面作品)を買い取り収蔵していたが、それらの行方は不明となり、結果的に廃棄されてしまったと思われる。(22)

1980年代以降、企業による文化支援が開始され、1990年代初頭には企業メセナ協議会が発足、多くの企業が活動を開始した。メディア・アートの分野においては、1991年にアートラボ、そしてNTTがインターコミュニケーション・センター[ICC]の活動を開始した(ICCは、1997年初台の東京オペラシティに開館し現在も継続)。しかし企業による文化支援は、公共の施設と異なり、その業績やトップの意向に左右されやすく、また活動の成果や記録などが保管されず廃棄される場合が多い。アートラボも例外ではなかった。そのためアートラボの活動は、突然たち消え、1990年代にメディア・アートに注目していた少数の人々の記憶や出版物(非売品)を除いて歴史の中に埋もれてしまった。実験的なメディア・アートを軸にしていたことから、現代美術シーンや美術史においても理解されにくい活動だったと言えるだろう。

キヤノン・アートラボは、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]と同年の1991年に活動を開始し、ICCと比べてごく小規模であったものの、1990年を通じて実験的なメディア・アートの新作を日本から世界に発信した前例のない活動であった。

1990年代、メディア・アート作品の保存やアーカイブについては、困難だと自覚していた。むしろパフォーミングアーツに近しいものとして、メディア・アートを捉えていたといえる。また1990年代に普及し始めたインターネットによって登場したネットアートについても同様である。「メディア・アート」という言葉は、この10年で社会に普及してきたが、現在一般的には、チームラボに代表される最新の機器を駆使したスペクタクルかつ没入的な世界や屋外で開催されるプロジェクションマッピングによるイベントとして認知されている場合が多い。21世紀以降のインターネット、そしてさまざまな科学技術の進展で、日常的にインターネット、AI技術などが普及した現在、それを導いた土台としての1990年代の技術や環境を知る人々が少なくなっている。と同時に、メディア・アートやネットアートの黎明期を知らない世代が増えている。2010年代後半以降、かつてあったファクトを伝え、過去を踏まえた上で未来を展望してもらうことの重要性を感じ、残された少ないもののを保存し掘り起こし、微力ながら自らが関わってきたメディア・アートの黎明期について伝えていこうとしてきた。

その端緒として、2015年の美術評論家連盟の『会報』に寄稿した原稿「メディア・アートのアーカイヴ:課題と展望」(aica JAPAN NEWS LETTER ウェブ版 第5号 特集「アーカイヴをめぐる課題-批評的視点から」、PDFの5ページ目に掲載) がある。(23)

2018年初頭より、アートラボの写真のデジタルスキャンや記録動画のデジタル変換、YouTubeへのアップ(非公開設定)などを行い、関係者に提供できるようにした。その後同年度と2019年度に文化庁の調査研究枠(愛知県立芸術大学)で、関口敦仁教授を中心に、阿部一直、明貫紘子らとともに研究員として調査を行い、私はアートラボおよびCyGnetを担当した。(24) この研究で、明貫を中心に、アートラボの出版および印刷物をはじめ各種書類がデジタル化され、資料リストが制作されている。2018、2019、2020年度の調査研究の成果として、2020年末から2021年初頭にアートラボに関する調査の成果展が開催(会場:アートラボあいち)され、会期中にアートラボについての講演を行った(CyGnetの再現動画は、2019年度の研究成果)。また2019年3月に情報科学芸術大学院大学大学院(IAMAS)の「メディア表現学研究プロジェクト」の一環として、伊村靖子によるキヤノン・アートラボについてのインタビューが2018年度紀要に掲載された。(25)

その後コロナ禍になり、2020年夏に自身のサイトを開設、そこにアートラボ、CyGnetを含む過去のキュレーションを中心に情報を掲載した。(26) これによって、過去の活動について、記録動画も含めて一部だが参照いただけるようになった。

2024年は、アートラボが終了して23年を迎える。自身の年齢的にも、アートラボの資料の行先を真剣に考えなければならないフェーズになったと自覚している。アートラボ資料は現在、主なものを愛知県立芸術大学内の関口敦仁教授が保管し、加えて私の自宅にもある。調査研究の成果として、デジタル化されたデータや資料のリストはまとめられている。(27) メディア・アートの、とりわけすでに存在しないプログラムの活動であるが、現在のメディア・アートに至る以前の歴史的背景をもつ記録として、日本そして世界のメディア・アートおよび美術史においても残される価値があると信じている。

V. 今後の見通し~未来のアーカイブ

最後にあらためて、メディア・アートのアーカイブに戻り、その未来について検討したい。ミヒャエル・サウプは、追って届いたメールにおいて、アーカイブの未来についての考えを以下のように述べている。

未来にリサーチが可能になるように高解像度のデータを内部データベースとして残すこと。エネルギー面で効果的でサステナブルな方法でオンラインのデータベースや資料を圧縮、最小化し公開すること。(28)

メディア・アートのアーカイブのヴァーチャルな形態やオンライン・プレゼンテーションについて、たとえばVRを介したディストリビューション(作品から3Dモデルと作成した上で)の可能性。

AIを使うアイデアとして、メディア・アートについて語ったり、表示させるよう学習させる。chatGPや類似したシステムではなされておらず、もしくは非常に強い北米的なバイアスがあるという。サウプは「AI」(彼によれば「アーカイブのインテリジェンス」)に、文化的なメディア・アートの知識―3Dデータ、サウンド、ビデオなどのデータ―を学習させることで、Unreal/Unity/VR/AR/Webにおけるインタラクティブかつヴァーチャルなプレゼンテーションを創造しうるのではと。そして末尾に、「Archival >>> ArchiValue」という言葉を記している。

「Archival >>> ArchiValue」つまり「アーカイブの/的な/可能な」から、それ自体が「Value(価値)」のあるものであることを表明することだろう。サウプにおいては、作品自体がその価値を伝えることを意味し、そうなってほしいという思いが託されているように思われる。

私はこの言葉について、アーカイブが、誰が、そのような意図や目的、想定で、何を、どのような方法や形態で選び、残し、保管するか、誰がその価値を決めるか、ということに加え、誰にとっての「価値」なのかが重要ではと思う。つまりたえず流れる時間、変化する時代の技術や価値観に作品は常にさらされ続ける。また未来の研究者らが、どのような視点でその作品に興味を持ち、いかなる意味そして価値を見出し、どのように解釈し使うかも未知数であり、そのような不確定な状況を前提にしなければならないだろう。またアーカイブを整備する上で、そのシステムや汎用性、未来に向けての存続性も検討する必要がある。そしていずれにせよ、すべての作品を保管することは不可能で、アーカイブされる作品は限られる。

サウプが書いたように、メディア・アートを、3Dデータ化して保存したり、AI(彼の場合、アーカイブに特化したAI)を介して記憶や解釈、発信をする試みは各地で開始されているだろう。ただそこで基盤になっているのが、彼の言うように北米中心の価値観や技術であることにも留意しなければならない。今やインフラ的に機能しているデジタルシステムのほとんどが、この地域から生み出されているのだから。

近年、バイオアートにおいてはデータの保存媒体として、紙やバクテリアなどが挙げられている。実際アーティストが自身の過去の作品をDNAデータとしてバクテリアに組み込むことも行われている。しかし紙やバクテリアに保存されたデータを整合的に再現することは、現状のデータ保存に加え、新たにもう一段階、データ変換と移行という層が加わることになる。また保存メディアの安定性など、より複雑な事態になるのではないか。またHDにせよインターネット上にせよ、紙やバクテリアにせよ、いずれもデータを呼び出す機器と表示装置が必須である。メディア・アート全般に加え、サウプが提案する作品(の記録)の3Dデータ化についても同様である。ならばむしろ複数の方法でアーカイブ化し、未来にはそれら全部でなくともその一つや複数の保管データから、その作品について知ることができるようにすることもありうるだろうか。

まとめると、メディア・アートのアーカイブにおいては、以下が考えられる。

継続的な修復、そのための資金、そのための継続的な評価/作品としての稼働が困難になった時の、ドキュメントへの移行/「アーカイブのためのアーカイブ」をオープンソースで共有できないか/アーティストは短・中・長期視点で作品のあり方と扱いを明示すること/新たな技術の導入可能性と不可能性の検討/複数の方法でのアーカイブ(物質的・非物質的な作品自体、稼働した際の履歴、作品に関する基本情報や記録、ドキュメント、3D化(VR)、その他の保存メディアの特性に沿ったデータの保管)

いずれにせよ、残るものや残されるされるものは、常にその価値もそれ自体も変化にさらされる。そして残っているものは、ごく一部でしかないことを私たちは念頭に置く必要がある。そして残されたものから、残されなかった膨大なものの存在を想像することが重要であるだろう。

すべてのものは(メディア・アートも含め)、それ単体で生まれ存在するのではなく、それが生み出された非常に多様な人やモノ、技術や情報や時代的なネットワークの中の、ノードの一つであり、その中でも突出したもの、時代を語るもしくは時代を問いかける存在なのだから。

保存が極めて困難なメディア・アート。しかし当時実現された作品やプロジェクトを可能な限りアーカイブし、残していくこと。それは過去から未来へ向けた大いなるリソースでありギフトである。そのことを胸に、微力ながら動いていきたい。

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(1) アートラボ第5回プロスペクト展「R111 ―仮想から物質へ」(2001年6月日1-17日、会場:スパイラルガーデン/東京)http://yukikoshikata.com/al-pros5-r111-%e4%bb%ae%e6%83%b3%e3%81%8b%e3%82%89%e7%89%a9%e8%b3%aa%e3%81%b8/

(2) 1992年にミヒャエル・サウプとアンナ・サウプにより設立された領域を超えたメディア・アーティストによるグループ。

(3) キヤノン株式会社が1990-2001年に運営していた文化支援プログラム。アーティストとキヤノンのコンピュータ・エンジニアとのコラボレーションによりメディア・アートの作品を制作し東京都内で発表、その後多くの作品が国内外を巡回、またヴァージョンアップも積極的に行われた。共同キュレーター:阿部一直、四方幸子。

(4) サウプは、2011年3月11日の東日本大震災で起きた福島第一原子力発電所の事故を機に、それまで行なっていた20世紀前半の原子爆弾の開発や実験のリサーチや広島・長崎への投下の歴史を踏まえ、自身の思考を結晶化したかのような映像作品『SHIMA』(2012)を制作。私は本作の福島での撮影に立ち会い、同年キュレーションした水をめぐる展覧会「Possible Water|コモンズとしての未来」(会場:東京ドイツ文化センター)で紹介した。

(5) http://yukikoshikata.com/artlab6-%e3%83%a2%e3%83%ac%e3%82%ad%e3%83%a5%e3%83%a9%e3%83%bc-%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%95%e3%82%a9%e3%83%9e%e3%83%86%e3%82%a3%e3%82%af%e3%82%b9/

(6) 『PHOTON+』No.9(2018)以降の展開として以下がある。三上の全活動期における資料は、多摩美術大学アートアーカイヴセンターに目録とともに収蔵されたhttps://aac.tamabi.ac.jp/ また2019年に馬定延と渡邉朋也 共編著『SEIKO MIKAMI ―三上晴子 記録と記憶』がNTT出版から刊行されている(四方は「キヤノン・アートラボと三上晴子」を寄稿)。

(7) 2023年12月12日多摩美術大学で私が担当する「社会創造論」のゲストとして招聘した渡邉朋也による講義「あらためてメディアテクノロジーを用いる」にて。冒頭で、学生の時に本人が師事した三上晴子そして三上作品とYCAMでの修復について語られ、「本人不在」の修復に関わった経験から、5年前から「搬入プロジェクト」(2008年に悪魔のしるしが発案し、現在パブリックドメインになっている演劇プロジェクト)の再演を連続的に実施、その後、山口市内の住宅をゆっくり解体しながら「メディアとしての空間」として活用するプロジェクトへと発展した流れが述べられた。渡邉が、三上作品修復の体験から得た知見を、人々が関わるよりフィジカルで社会的な活動へと展開した事実は興味深い。

(8) http://yukikoshikata.com/artlab4-lovers/

(9) http://yukikoshikata.com/artlab%e7%89%b9%e5%88%a5%e5%b1%95/

(10) 平成28年度メディア芸術連携促進事業 連携共同事業「タイムベースト・メディアを用いた美術作品の修復・保存・記録のためのガイド作成」 https://www.kcua.ac.jp/arc/9-24/

(11) http://yukikoshikata.com/artlab2/

(12) ミッション インヴィジブルは、石原友明と松井智惠による匿名のユニット。1992年のアートラボ第2回企画展「ARTLAB2」(会場:ニューピアホール)のために結成された。本展のアーティストは、ミッション インヴィジブルとヘラルド・ファン・ダー・カープの2組。

(13) 石原は、京都市立芸術大学教授として、上述した古橋悌二の《LOVERS―永遠の恋人たち》の大学内芸術資源研究センターでの修復に中心的に関わった。

(14) アートラボ第1回企画展「ARTLAB」。アーティスト:コンプレッソ・プラスティコ、中原浩大、福田美蘭。http://yukikoshikata.com/artlab/

(15)  [参考] キュレーターズノート「中原浩大──自己模倣」中井康之(artscape 2013年12月15日号)https://artscape.jp/report/curator/10094691_1634.html *記事で制作年が1992年となっているが、実際は1991年。

(16) 特別展「開館35周年記念 福田美蘭―美術って、なに?」~名画に学び、現在を見つめる~(名古屋市美術館)に出展?

(17) 資生堂サイバーアートギャラリー「CyGnet(Cyber Gallery Network)」。株式会社資生堂企業文化部+宣伝部コンピュータデザイングループにより1998年から2003年まで存在、企業文化部の樋口昌樹と四方がキュレーションを担当した。以下は四方のキューレーション作品。

http://yukikoshikata.com/%e8%b3%87%e7%94%9f%e5%a0%82cygnet/

(18) CyGnet5作品についての説明からここまでの記述は、研究員として関わり執筆した以下の資料から一部変更し再編成:四方幸子「総論 企業メセナによるメディア·アート活動とその歴史的展開」、平成30年度メディア芸術連携促進事業 連携共同事業『19852005年間の企業メセナによるメディア·アート展示資料の調査研究事業」実施報告書』(愛知県立芸術大学、平成31/20192月)第7章、および四方幸子「資生堂CyGnet1998-2003)概要およびキュレーション作品について」(20203月執筆)、『2019年文化庁メディア芸術アーカイブ推進事業「企業メセナによるメディア·アート展示資料アーカイブ事業』。https://mediag.bunka.go.jp/article/article-14882/

(19) 関口敦仁は、アートラボ第9回企画展のアーティストとして「分離する身体」を発表した。http://yukikoshikata.com/artlab9%ef%bc%9a%e5%88%86%e9%9b%a2%e3%81%99%e3%82%8b%e8%ba%ab%e4%bd%93/

(20) 筆者のサイトのCyGnetのページの最下部に各作品の再現動画へのリンクがある。

http://yukikoshikata.com/%e8%b3%87%e7%94%9f%e5%a0%82cygnet/

(21) アートラボと同年の1991年に開始されたプログラム「写真新世紀」とオフィスおよびWebサイトを共有していた。写真新世紀は、2021年までキヤノン本社において活動を継続。

(22)  作品は、近県の倉庫に入っていたと記憶している。当時急な状況であったものの、保管について動くことができなかったことが悔やまれる。

(23) 四方幸子「メディア·アートのアーカイヴ:課題と展望」、美術評論家連盟会報 ウェブ版 5 特集「アーカイヴをめぐる課題批評的視点から」(20151215日公開)https://www.aicajapan.com//newsletter_n/webnewsletter_5.pdf

(24) 平成30年度メディア芸術連携促進事業 連携共同事業 「19852005 年間の企業メセナによるメディア·アート展示資料の調査研究事業」(文化庁助成、愛知県立芸術大学)。以下よりダウンロード可能。 https://mediag.bunka.go.jp/article/article-14882/ *本リンクは、注13CyGnetの箇所でも紹介。

(25) 情報科学芸術大学院大学紀要 10 https://www.iamas.ac.jp/iamasbooks/wp-content/uploads/2019/05/Journal_of_IAMAS_Vol.10.pdf

(26) 四方幸子サイト:yukikoshikata.com

(27) 資料リストを確認し、追加すべきものを確認する作業が残っている。

(28) サウプが作成したプロトタイプとして、中サイズのブログを、機能とデザインは維持しながら変換し、95%のスペースやエネルギーを削減した例http://minimalcarbon.net/ 95% 削減したサイト https://karlsruhedigital.minimalcarbon.site/en/home/index.html

著者: (SHIKATA Yukiko)

キュレーター/批評家。「対話と創造の森」アーティスティックディレクター。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、武蔵野美術大学・情報科学芸術大学院大学(IAMAS)・國學院大学大学院非常勤講師。「情報フロー」というアプローチから諸領域を横断する活動を展開。1990年代よりキヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC](2004-10)と並行し、インディペンデントで先進的な展覧会やプロジェクトを多く実現。近年の仕事に札幌国際芸術祭2014(アソシエイトキュレーター)、茨城県北芸術祭2016(キュレーター)など。2020年の仕事に美術評論家連盟2020シンポジウム(実行委員長)、MMFS2020(ディレクター)、「ForkingPiraGene」(共同キュレーター、C-Lab台北)、2021年にフォーラム「想像力としての<資本>」(企画&モデレーション、京都府)、「EIR(エナジー・イン・ルーラル)」(共同キュレーター、国際芸術センター青森+Liminaria、継続中)、フォーラム「精神としてのエネルギー|石・水・森・人」(企画&モデレーション、一社ダイアローグプレイス)など。国内外の審査員を歴任。共著多数。2021年よりHILLS LIFE(Web)に「Ecosophic Future」を連載中。yukikoshikata.com