【追悼】「追悼 高階秀爾」太田泰人

美術評論家、美術史家の高階秀爾が10月17日に心不全で亡くなった。享年92歳。今春、ピカソ芸術研究会という小さな集まりで講演をお願いしたことがあったが、作品と身近に接し自由に議論を交わすことのできる人文研究センター創設への期待を雄弁に語られて、その若々しい意欲に感動させられた。それだけにとつぜんの訃報は衝撃で、いまも茫然としている。

わたしが高階先生と初めて出会ったのは50年も昔のことになる。大学紛争の余燼くすぶる暗い本郷の教室に若いフランス帰りの先生は颯爽と現れ、両肩のトートバックに詰めた文献を次から次へと取り出して、最新のヨーロッパ美術研究の動向を紹介してくださった。それは世界に向かって開かれた窓のように、ほんとうに新鮮だった。

高階秀爾は1932年東京の生まれ。旧制一高から新制の東京大学に進み、教養学部教養学科を卒業。西洋美術史研究を志し、1954年フランス政府招聘留学生としてパリに渡り、パリ大学附属美術研究所、ルーヴル学院に学んだ。フランスでは後にコレージュ・ド・フランス教授となるアンドレ・シャステルに師事。シャステルが専門としたイタリア・ルネサンス美術と近現代美術への関心を継承した。1959年、松方コレクションの返還にともない東京・上野に開設された国立西洋美術館の研究員となるため帰国。美術館員としての職務にくわえて美術評論家として旺盛な活動を始めた。

高階の仕事は、西洋近代美術史を中心に幅広い分野に及んでいる。初期の『ピカソ 剽窃の論理』、『世紀末芸術』、『ルネサンスの光と闇 芸術と精神風土』は、西洋美術史の名著として名高い。『名画を見る眼 油彩画誕生からマネまで』、『近代絵画史』は、美術史を日本の一般読者に広めるのに大きく貢献したロングセラーである。高階の眼差しは、日本の近代美術の創生と展開にも向けられ『日本近代美術史論』、『日本美術を見る眼 東と西の出会い』などを生んだ。また美術文化における国際交流にも大きな力をそそぎ、東京とパリでのジャポニスム展開催、国際美術史学会の日本開催を実現したほか、海外での研究活動を通じて世界の美術史家と幅広い交流を行ったことも忘れてはならない。英仏独伊、複数の言語を自在に操りみごとに会議を仕切っていくその姿は、今も記憶に鮮やかである。

高階が批評活動を始めたのはまだパリの留学生だった頃である。アメリカ美術が世界を席巻しアンフォルメルや「熱い抽象」の議論が燃え上がった激動の時代にあって、高階の批評は「芸術とは人間にとってどのような意味を持つのか」という根本的な問いに貫かれていた。高階の評論は、豊かな文化的素養に基づき、それをわかりやすく論理的に語るバランス感覚に溢れたものであったが、他方で晩年に至るまで画廊巡りを怠らず、若い作家たちの作品に喜びを見出す開かれた眼差しを持ち続けた。

1971年から1992年まで東大文学部美術史学科教授として多くの後進を育て、1992年〜2000年国立西洋美術館館長。2002年〜2023年倉敷の大原美術館館長を務めた。この間、2015年には日本芸術院会員となり、2020年〜2023年まで日本芸術院院長。1995年より西洋美術振興財団理事長。芸術文化勲章シュヴァリエ章(1981)、 芸術文化勲章オフィシエ章(1989)、紫綬褒章(2000)、日本芸術院賞・恩賜賞(2002)、フランスレジオンドヌール勲章シュヴァリエ章(2001)、文化功労者(2005)、文化勲章(2012)などを受賞・受章している。