美術評論家連盟(美評連)は、2024年に70周年を迎えた。パリに本部を置くユネスコ傘下の国際美術評論家連盟(AICA)[1]の日本支部(AICA Japan)として1954年に設立[2]、直接的にはAICAの呼びかけに応えたかたちだが[3]、当時評論家が国際展への参加に対応する組織が必要とされていた状況もあった。すでに「美術に関する自主的な組織が母体として存在していた」ことも、結成の推進力になっただろう[4]。
美評連は個人の集合体による自立的な組織であり、美術批評を活発に行うことで美術界および社会に貢献することをめざし、以下のような活動を行い現在に至っている:国際関係の取り組み[5]、「共同意見」の発出[6]、『美術評論家連盟会報』の発行[7]、『美術評論+』の運営[8]、トークやシンポジウムの開催など。
2004 年には連盟結成50周年記念シンポジウム「日本の美術批評のあり方」を開催[9]、発言の記録と関連テキストを収めた書籍『美術批評と戦後美術』が刊行されている[10]。ここでは当時の会長針生一郎[11]による基調講演[12]の後、第一部ではとりわけ〈もの派〉をめぐって、1970年代以降批評や論争を繰り広げた峯村敏明や中原佑介ら[13]による闊達な議論が交わされた[14]。第二部は若手評論家が加わり、各自の立場表明とともに同時代の批評や美術、美術館について討議されている。本シンポジウムは、インターネットによって世界が大きく転換し始めた21世紀初頭において、過去半世紀の総決算となったといえよう。
今世紀以降、デジタル化によるメディアの変容に加え、国立美術・博物館の独立行政法人化や義務教育での美術の授業の削減、芸術祭やアートマーケットの隆盛など、美術界は大きく変容した。創立60周年記念シンポジウム2014「いま変容と対峙する:情報と批評/教育と批評」は、そのような状況を踏まえたものである。私は第一部の「情報と美術批評をめぐって」に新会員として登壇したが、とりわけシステムや社会的文脈が議論されたと記憶している[15]。
それから10年。新自由主義の加速化、ポピュリズムの台頭、社会のさまざまな不均衡への声上げなどの世界的な動向は、美術にも大きな変動をもたらした。加えて気候変動の激烈化、生成AIに代表される科学・技術の進展は、私たち人間に非人間と共存していく世界観――多様なものが相互に関係し合う――の重要性をあらゆる領域で問いかけている。美術においても例外ではない。メディア、手法、アイデンティティなどにおける多様性の追求、人間と非人間が関わることで創発を生み出す実践などが各地で試みられている。
美術は、社会の動向や潜在的可能性(危機も含む)を感知し、時に未分化であっても作品やプロジェクトを通して社会に投企する自由な場である。美術評論家は、そのような動きに寄り添いながら複数の層からその事象や本質に切り込み、作家に応答し社会に問いかけていく存在といえる。いわば美術の批評であり、同時に美術批評の批評としてもあるが、何よりも重要なのは「Responsibility(応答可能性、責任)」に根差した応答の連鎖であるだろう。
70周年に際しては、初の試みとして「美術評論のこれまでとこれから」というテーマで広く会員から意見を募り、『美術評論+』で公開した[16]。全体の約1/5強(42名)という回答数を多いと見るか少ないと見るかは意見が分かれるところだが、専門領域、立場、世代、美術批評へのアプローチにおける会員の多様性とともに、通底する美術批評への意思および問いを読み込んでいただければと思う。
2024年はまた、秋にWebサイトのリニューアル、2022年に設定した「ハラスメント防止ガイドライン」以降の取り組みとして「ハラスメント防止・意識啓発のためのeラーニング講座」のアーカイブを公開した。またAICA台湾(国際美術評論家連盟台湾支部)との連携で、10月末に台北でシンポジウムが開催された[17]。
最後に、現時点で美術や美術批評において思うことを私見ではあるが二つ挙げておく。まず多様性の推進である。美術、美術批評そしてAICAは西洋近代を基盤としている。美術においてこれまで非西洋的な要素は西洋のフィルター越しに取り込まれる図式をたどってきた。現在もそれは継続しているが、世界各地でその地の人々によって近代以前の美術や文化が見直されつつある。加えて近年のセンシングそしてデータ解析技術が地球史や人類史を塗り替え始めたことで、さまざまな地域と時期に多様でダイナミックな人と自然、文化の絡まり合いが起きていたことが可視化され始めている。それはマルチスピーシーズ民族誌におけるモア・ザン・ヒューマン的な世界観とも接続する。近年文化人類学から美術への接近が顕著なのは、非人間と関わる多様な実験や実践がなされているからだろう。美術は、人間が人間や社会に向けて制作するものとされてきたが、そのようなフレームをはみ出る事例がアナログに加えデジタルおいても生まれている。美術評論家はそのような事態だけでなく、美術批評が人間を超えて生み出される可能性にも遠からず直面することになるだろう。
二つめに、明治時代以降の近代化により西洋美術および美術批評を受容した日本の存在基盤を問い直し、新たな提言を海外に向けて発信していく必要性である。この国では先史以来、さまざまな地域で多様な文化や芸術が日常も含め息づいてきた。外からもたらされたものは折衷され、創造が更新されてきた。科学や技術が新たな展開を迎えた現在において、西洋美術や美術批評がもたらした視座とともに、そのような近代以前の叡智をリジェネレイトし提示するのが日本のもつ可能性ではないだろうか。それは世界に類をみない速度で近代化を遂げたこの国の歪みに向き合い、批評によって挑発やケアに開くことでもある。背景に、近代の延長としてのグローバル化された現代の美術、そして科学や技術の自明性への問いがあることは言うまでもない。
美術評論家は、美術の批評に加え、美術の未来に向けた批評的実践を生み出していく先鋒でもある。
[1]AICAは、Association Internationale des Critiques d’Artの略称。
[2]1954年に5月15日に、東京の京橋にあった国立近代美術館(現・東京国立近代美術館)で創立総会が開かれている。
[3]1952年7月に国際美術評論家連盟が日本支部を承認。
[4]1940 年に組織された「美術問題研究会」が戦後の1950 年に「美術評論家組合」として再出発、翌年「美術評論家クラブ」に改称(峯村敏明「美術評論家連盟結成50周年にあたって」、『美術評論家連盟会報』 ウェブ版 第4号 特集「美術評論家連盟60周年:美術批評の現在と展望」、2014年11月21日公開)。https://www.aicajapan.com/ja/no15/
[5]初期には国際展への参加作家の選考を、1998年には国際美術評論家連盟日本大会「トランジション――変貌する社会と美術」を東京で開催。近年はアジア、パシフィック地域の支部との交流など。
[6]1957年の「国際美術問題処理機関」に関する陳情書に始まり、さまざまな声明や要望を表明してきた。国や美術館に対してあるべき方向を示し、ときにはシンポジウムを開いて議論を深めてきた(加治屋健司「美術評論家連盟設立の経緯」、『美術評論家連盟会報』 20号、特集「美術評論家連盟は何をしてきたのか」、2019年11月23日公開)。https://www.aicajapan.com/ja/no20kajiya02/
[7]2001年に『美術評論家連盟会報』を創刊。当初は日英の冊子として年2回、現在は年に1回オンラインで刊行。
[8]2023年7月に開始した会員が評論を自主的に投稿するサイト。
[9]連盟結成50周年記念シンポジウム「日本の美術批評のあり方 美術評論家連盟五〇周年記念シンポジウム」挨拶:草薙奈津子、基調講演:針生一郎、第一部「日本美術を批評する」針生一郎、中原祐介、峯村敏明、司会:千葉成夫、第二部「現在そして未来」針生一郎、中原祐介、峯村敏明、岡崎乾二郎、南嶌宏、椹木野衣、光田由里、司会:千葉成夫。2004年11月20日 東京国立近代美術館 講堂
[10]美術評論家連盟[編]『美術批評と戦後美術』([発行]ブリュッケ、[発売]星雲社、2007年)
[11]1999-2008年に会長を務めた。
[12]美術批評の社会的地位を真に高めるため、国内外で相互批評や論争が起きる必要性と、ミュージアム・ピープルと1970年代以降の「芸術の自立性」を尊重する批評世代に論争を挑発する、という内容。
[13]峯村敏明は2012-2017年に、中原祐介は2009-2011年に会長を務めた。
[14]現場で聴講していないが、書籍からも現場の熱気が伝わってくる。
[15]創立60周年記念シンポジウム2014「いま変容と対峙する:情報と批評/教育と批評」。第一部「情報と美術批評をめぐって」池田修、小川敦生、四方幸子、司会:勅使河原純、第二部「教育と美術批評をめぐって」青木正弘、加須屋明子、宮島達男、司会:松本透、2014年11月30日 東京国立近代美術館 講堂
[16]『美術評論+』にて11月10日より公開。https://critique.aicajapan.com/7213
2024 International Academic Conference “Exploring Art in the Emerging Convergence Zone”(2024年10月31日–31日 会場:国立台湾芸術大学 主催:国立台湾芸術大学美術学系、AICA台湾)四方が基調講演者として登壇。