2022年の夏頃だったか、さいたま国際芸術祭2023の一環である市民プロジェクト「創発」のキュレーター、松永康さんから、前回のさいたま国際芸術祭2020でもパフォーマンスの企画を担当した山岡さ希子さんを介して、私に女性アーティストの展覧会をキュレーションする依頼が来た。テーマはすぐに頭に浮かんだ。私は栃木県立美術館の学芸員時代に、死をテーマに15世紀の西洋版画から20世紀の美術までを概観した「メメント・モリ 死にいたる美術」展[i](1994年)と、見過ごされた過去から現在に至る女性画家の展覧会を2001年以来3回企画開催[ii]したが、その両者を結びつけるというものだ。テーマを「女性の生活」に絞り、人間が生まれてから人生を営み、その生を終えるまでを、女性の視点や立場から表現する作家たちの作品からたどってみることとした。
出品作家はすぐに何人も頭に浮かび、その中から8人に絞るのに苦労した。30歳代から60歳以上まで年齢層も幅広く、その手法も多岐にわたる作家たちを選ぶことができた。そのうち60代以上の3人は、3年前に企画した都美セレクション2019「彼女たちは叫ぶ、ささやく-ヴァルネラブルな集合体が世界を変える」展(東京都美術館、2019年)[iii]の出品作家、松下誠子、一条美由紀、岸かおるであり、その真摯で批評精神に富んだ表現には信頼が置けた。それに30~40歳代の若手世代の作家を加えることで、病、老い、介護や死に加えて、出産や子育てという女性のライフコースが広がった。菅実花、本間メイ、地主麻衣子、須惠朋子の4人である。さらにこの企画自体の運営担当者として山岡さ希子が中心にいて、パフォーマンス・アーティストの山岡がこのテーマについてどのような形の展示をするのかも未知数であった。結果として、彼女たち8人の多様な手法による生命と死をめぐる表現を見ることで、幅広い世代にわたる観客の女性や男性たちに対して、自分自身の人生や生活をふりかえる機会を提供できたと思う。

山岡さ希子 YAMAOKA Sakiko ヴィデオ:右から《アドヴァイザーとしての死》2023 年、《パブリックダブルA〈個人とその社会〉》 2012 年、2023 年、《パブリック・ダブルB <社会に関わる個人>》 2012 年、2023 年、《ボディメンテナンス》2018 年、2023 年、 壁面:《会ったことのない人々》2023 年
展示順に個々の作品について振り返ってみよう。まず入ってすぐ右のスペースには、山岡さ希子によるヴィデオ作品《アドヴァイザーとしての死》、《パブリック・ダブルA》、《パブリック・ダブルB》、《ザ・ボディ・メインテナンス》がモニター4台で並んでいる。個人と社会との関係、死、健康についてのインタビュー映像だが、《パブリック・ダブルA,B》は2012年に行われた3人のインタビューに、2023年に5人のインタビューを加え、前半と後半の2本に分けたものだという。前半のAでは、「現在のあなたについて、仕事、家族、親友、コミュニティ、社会に対する責任」が問われ、後半のBでは、「公共空間、外国人、国家と社会の役割」から、「芸術はこれからの社会に何ができるか」まで、社会に対する個人の関わりが問われる。いずれもシンプルな問いだが、20代から60代のインタビュイーたちは、驚くほど深く自分の内面を語り、どのように社会と関わっているのか、それぞれの場合を真摯に語ってくれる。ひとりひとりの答えがずっと流れるのではなく、ひとつの問い毎に全員が答え、また次の問いに移るので、内容が多様で飽きさせない。順番もいつも同じではなく、巧みに編集されているようだ。モニターは低い台に設置され、観客はヘッドフォンをして座布団に座って見るので、インタビュイーたちと同じ目の高さで向き合い、1本40分前後という長い時間を彼ら、彼女らと過ごすことになる。そもそも山岡が2012年にこのインタビューを始めたきっかけは東日本大震災であり、山岡自身がはじめて社会の中の自分ということを考えてみたことによる。4本の映像を合わせると、インタビューした相手は女性6人、男性7人という男女比であった。
山岡のこの長い鑑賞時間を要するヴィデオと、壁に貼られた1992年に行われた《アートに関するアンケート》300枚とドローイング《会ったことのない人びと》200枚(2023年)から、山岡とインタビュイーのこれまでのつきあいの時間と鑑賞者がヴィデオを見る時間まで含めて、空間と時間のインスタレーションとなっている。さらに鑑賞者はインタビュイーと同じ質問に答えられるようにアンケート用紙が置かれていて、提出した人の回答は、了解を得て会期中次々と壁に貼られていった。パフォーマンス・アーティストである山岡らしい、観客を巻き込んだパフォーマティヴな展示とも言えるだろう。

松下誠子 MATSUSHITA Seiko《落下する玩具》2020-23年、《機関銃とアナクライズの笑い》2022-23年、《不可侵のパラフィンドレス》2023年、《すべての私たちの女たちの枕》2023年、《セキュリティ・ブランケット》2018-23年
続いてその隣のスペースは、松下誠子のオブジェによるインスタレーションの空間である。松下は「家、舌、ボクシングのグローブ、羽根、枕」など、松下独自の意味を込めたオブジェを使って、象徴的な物語の世界を創り出す作家である。今展ではまず「落下する玩具」と名付けられた天井から吊り下げられた一連のオブジェが観客をいざなう。そのうち《家の舌》4点があるが、「家」の象徴的な意味はルイーズ・ブルジョワの作品とも共通する、人の心身の拠り所でありながら密室となってDVや虐待が秘密裏に行われるような両義性をもつ。松下の独創性はその家を敢えてミンクなどの動物の毛皮で覆い、そこから長い舌を垂らして見せるところにある。家庭内の秘密を敢えて長々と外に開陳して見せ、他者を招き入れ、関わりを誘うのである。その他、クチバシとグローブは一見、暴力の象徴のようにも見えるが、松下の辞書ではその真逆で、クチバシは雛鳥に餌をやる母鳥の慈愛を表わし、またグローブとともに自己防衛の象徴なのである。

松下誠子 MATSUSHITA Seiko《セキュリティ・ブランケット》2018-2023年
そして床に置かれた、ピンクに染めた水鳥の羽毛で覆われたセキュリティ・ブランケットと、パラフィンで作られたおびただしい数の《すべての私たちの女たちの枕》、その枕の堆積から半ば起きあがるようにも見えながら、完全に立ってはいない[iv]《不可侵のパラフィンドレス》は、いずれも女性たちが安心して安全に眠り、身体を癒すものたちである。特に今展ではパラフィンの枕の中に、歴史上の女性ばかりではなく松下に近しい女性たちが漏らした短い言葉が、和紙に刷られて封入されているのだ。「女には好きに使えるお金と部屋が必要。ヴァージニア・ウルフ」「子供は私物ではないのよ。社会の子なのよ。松下久子」「あなたは少し合理主義者になってるから、優雅さを覚えなさい。松下久子」「年をとったからこんなことはできない、そう思ったら今すぐやったほうがいいわ。 マーガレット・デランド」「私は食器を洗って一生を送りたくない。マーガレット・サッチャー」「ひとりになりなさい。なるべくひとりでいなさい。松下久子」…この圧倒的に数が多い松下久子とは、作者の母だという。この母のおかげで、誠子はアーティストになれたとも思えるほど、昭和の時代から突き抜けて個の意識の高い女性の姿がうかがえる。枕の中のこれらの言葉は和綴の本に刷られて、観客がめくって読めるように置かれていた。女性自身の言葉により、女性の人生の痛みやそれに立ち向かう叡智を浮き上がらせてくれる。
次のスペースの一条美由紀は、版画や水彩に加えて、手書きの文字のインスタレーションにより、言葉と絵によって中高年女性の日常の本音や不安を掬い上げるという、今展で初めて試みるインスタレーションを展開して見せた。

一条美由紀 ICHIJO Miyuki《ページの最後はプリンがいい》インスタレーション、ミクストメディア 2022-23年
一条の空間の中央には、天上から床まで届く長さのオーガンジーの透ける布に、「彼女は正義の味方だった。鉄腕アトムは彼女の仮の姿だった。」で始まる文章が、檄文のような書体で書かれている。威勢の良いアジテーションかと思うと、この文は「…今彼女は少し背中が丸くなり、膝は歩くたびに痛む。アトムだった女は、もう正義の味方ではなく、自分自身の味方となった。」と結ばれる。他にも、普段着で太めの体型の中年女性たちが日常の仕事、買い物、アイロンかけ…をする小さい版画と同じ壁に、「ウツクシイコトバノウラニヒソムジコマンゾクノアザトサニ ムシロミニクイママノホウガマシダトオモウ」、「ジョウキャクハスクナイ何処カヘイカネバ モクテキハヒツヨウナノダ タトエウソデモ」など、漢字とカタカナで手書きされた文字が貼り付けられている。カタカナなので読みにくいのだが、読んでみるとその皮肉で辛辣な内容にハッと突き放される。一条によれば、見てすぐに意味が解らないように敢えてカタカナにしたのだという。絵は言葉の絵解きではない。この言葉は、壁に貼られた、ちょっと人生に疲れた女性たちのつぶやきそのものでもないのだろう。でも、誰でも口にしたい真実も含まれている気がする。

一条美由紀 ICHIJO Miyuki《ページの最後はプリンがいい》インスタレーション、ミクストメディア 2022-23年
左手の壁には、やや大きめの水彩が3点直接壁に貼られ、他にアトムの頭のかたちのキャップをかぶった女性の顔の水彩だけ額装されている。他の2点の女性はアトム・キャップをかぶって向こうを向いて立っていて、身支度の途中なのか、スカートの腰に手をやったり、顔の見えない頭に手をやったりしている。彼女たちはこれからどこかへ出かけるのか?正義感に富んだ少女が大人になり、世間と折り合いを付けながら、子どもに愛情を注ぎ、「その中でも彼女は正義の味方だった 時にまちがいも犯したが、いつも正しいと思うことを目指した。」アトムだった少女はオバさんになり、自分の身体を労わらなければならなくなった。「自分自身の味方となった。」誰も彼女の味方はいないのだろうか?やるせない現実でもある。しかし一条のインスタレーション全体につけられたタイトルは、《ページの最後はプリンがいい》である。人生の最後は、プリンという甘く美味しい味覚で締めくくりたいという一条の希望が籠められている。

岸かおる KISHI Kaoru《spare-part》2013-23年
そして、松下誠子と一条美由紀の手前の空間に並ぶのは、岸かおるの作品である。着物の生地にビーズが縫いこまれた《spare-part》は、伝統的な木目込み細工の技法を学んだ岸により丹念に手作りされている。この手間暇かけた心臓のオブジェは、日本では脳死判定が問題になり長く行われず、きわめて高額になった心臓移植に対して、生命の対価を批判的に示している。入り口すぐ左手に並んだ3点の心臓のオブジェ《連》は、七五三の三歳、七歳、そして二〇歳の成人式という女の子の年齢の節目の伝統行事を示し、そうした「伝統」から逃れられない女性の人生を象徴する。3点の心臓のそれぞれの高さは、その年齢の女子の身長に合わせてあり、心臓から周囲に延びる紐は、血管を表わす。それはちょうど女性を絡めとるしがらみのようにも見えるが、岸自身や親族の女性の着物の生地を切って作られているという。
さらに、これも岸がテグス糸を編んで作ったという、天上から吊り下げられた網で覆われたベビーカーのインスタレーション《Barrier》は、東日本大震災後の放射能汚染に対する恐怖から発想して地震の翌年に制作された。そして、展示室の表の廊下にあるショーケースには、今展のための新作《in her midst ―彼女の世界》が披露された。認知症の母の脳をモティーフにしたというこの作品では、脳の襞には思い出の写真が貼り付けられ、脳を囲む壁には、買い物の記録も含む母の日記の頁のコピーが貼り巡らされている。さながら母の脳内にこれまで認知され、記憶されて来た人生の出来事のアナログな復元でもあるようだが、この作品については、今後も修正を加えながら制作を続けていく予定だという。

岸かおる KISHI Kaoru《Barrier》2012年
岸は子育てを終えるまで主婦として暮らした後で、50代で美大の大学院に入り博士まで進みながらアーティスト活動を始めたという。一人の女性生活者であり、3人の子育てをした経験から女性に厳しい社会の現実に対する批評として、アートの手法を使っている。
岸の《Barrier》が置かれた奥の三面の壁による空間には、菅実花の作品のインスタレーションが展開されている。左の壁には「もしもラブドールが妊娠したら」という衝撃的なテーマで菅が構想した作品《The Future Ⅿother》が3点高い位置に掛けられた。ラブドール・メーカーであるオリエント工業の協力を得て、切開した腹部にボールを入れて膨らませることによって妊婦の姿に造型したラブドールを制作し、それを写真に撮るという、人形制作と写真という二つのメディアを使って作られた作品である。菅はこの作品の意図について論文で詳しく語っているが[v]、最後の問いとして、もし将来、アンドロイド(人造人間)が妊娠し、出産することが可能になったとしたら、それは生殖の苦難の歴史から女性を、人間を解放することになるのか、それとも人間のアイデンティティを崩壊させる存在として、破壊されることになるのかと問いを投げかけている。

菅実花 KAN Mika《The Future Mother 09, 06, 07 》 2016 年 インクジェットプリント 、《The Making of Do Lovedolls Dream of Babies? 》 2016 年 映像 、《Pre-alive Photography 10, 12 》 2019 年 ファブリックプリント、 《The Making of Pre-alive Photography》 2019 年 映像、アクリルケース 内《Pre-alive Photography 02, 07, 09, 14》 2019 年 アンブロタイプ
そして対面する右の壁には、《Pre-alive Photography》2点が、こちらは布にプリントされて天井から斜めに吊るされた。この作品では菅は生まれてすぐに亡くなった赤ん坊を偲ぶために作られたという等身大の精巧な乳児人形を、故人の姿を記録する19世紀西洋の湿板写真の手法で撮影した。ここでもまた、人形が作られ[vi]、それを敢えて過去の写真技法で撮影し[vii]、それを大きく引き伸ばすという、歴史的時間と二重のメディアが使用されている。さらに奥の壁の前に置かれたモニターで、この2つのシリーズのメイキング映像が交互に上映され、手前の展示ケースには、《Pre-alive Photography》のアンブロタイプ(湿板)の原板が展示された。その全体を含めて、菅実花の複数のメディア作品によるインスタレーションと言えるが、ここで問われているのは、人間と非人間、自然生殖と人工生殖、生と死、過去と未来などの対立する概念自体を攪乱し、硬直した価値観への疑問かも知れない。

菅実花 KAN Mika《Pre-alive Photography 10, 12 》 2019 年 ファブリックプリント 、《The Making of Pre-alive Photography》 2019 年 映像
続いて次の空間は、これまで作家一人ずつに区切られていたパーテーションを取り払って、2人分のスペースの手前半分が本間メイ、奥の半分が地主麻衣子の展示スペースとして使われた。本間メイの作品は、妊娠と分娩、子育てを扱い、地主麻衣子は人間の死のかたちである墓と遺骨を扱うという、対照的なテーマの作品が対峙することになった。

本間メイ HOMMA Mei《Bodies in Overlooked Pain》 2020 年 ヴィデオ・インスタレーション、《Size of the Cervix》 2020 年 フォトアクリル、《Weight of the Fetus》 2020 年 フォトアクリル
インドネシアに拠点を置く本間メイは、自身の妊娠と出産の経験のなかで、女性の身体の変化やそれを取り巻くインドネシアの伝統的な産婆と、西洋医学の過大な影響について調査し、女性固有の痛みについて問う映像作品《Bodies in Overlooked Pain》(2020年)を制作した。さらに母乳や母乳育児について、インドネシアの研究者やアーティストとのコラボレーションにより母乳由来幹細胞培養の実験を行って考察した映像作品《Mother’s Milk -Floating Cells into Offspring-》(2022 年)を日本で初めて公開した。この二つの映像を核として、妊娠と出産に関しては、西洋医学の歴史資料である版画や分娩器具、産前産後体操の写真、かつて中絶薬として使われた植物オウコチョウの写真、作家の自宅付近で見かけた家族計画を呼び掛ける壁画などの資料をパネルにして掲示し、妊娠の経過により漸増する子宮の大きさや胎児の重さをフルーツに置き換えて並べた写真作品も展示、母乳に関しては、母乳の顕微鏡写真や母乳を遠心分離させたチューブの写真、年齢や妊娠による女性の乳房の形状の変化を示した解剖断面図を大きく拡大して、垂れ幕状の布に刺繍した作品などを含めて、周囲の壁面ではなく展示室中央に簡易な木枠の展示装置を設置して、効果的に立体的なインスタレーションを展開した。
本間メイがこれらの作品で基調としているのは、女性の身体にまつわることがらを女性が主体的に選択することを提唱するリプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)という思想だが、それを自身の身体で経験したことと歴史や地域を越えたさまざまな人間の知識や偏見と交錯させて考察、批評している。特に乳房の刺繍の作品は、フェミニズムの書籍から見つけたという医学的図版を元にして、授乳の痛みが針で刺すチクッとした痛みを連想させるので選んだという刺繍という手法により、誇らかなフェミニズムの宣言のような見ごたえのある作品となった。

本間メイ HOMMA Mei《Changes in the mammary glands》 2022 年 布に刺繍
対面する空間のL字型の壁に沿ってモニター5台を設置した地主麻衣子は、「わたしたちは(死んだら)どこへ行くのか」という根源的な問題に向き合うものである。現代日本における死後のかたちを、日本人だけではなく、日本の中のマイノリティの人々にまで視野を広げて、5つの異なる墓と埋葬、死後のありかたをめぐるビデオ・インスタレーションから提起した。

地主麻衣子 JINUSHI Maiko《わたしたちは(死んだら)どこへ行くのか》2019 年 右より《第1 章 東京の墓地》、《第2 章 うちの墓参り》、《第3 章 モスクと前衛芸術家》、《第4 章 名前のない骨》、《第5 章 彼岸花》
モニターは大小まちまちで、高さも敢えて不ぞろいにしてあり、観客はそれぞれのモニターの前のやはり高さが不ぞろいの椅子や床に座ってヘッドフォンで鑑賞する。床にはモニターの並びに合わせて筵が敷いてあり、普通のホワイトキューブの展示室ではない親密な雰囲気が作られている。順番に見ると、まず「第1章 東京の墓地」では、東京の谷中霊園で近年増えているという、無縁になって取り壊される墓の様子などが映し出され、「第2章 うちの墓参り」では、福島にある母方の家族の墓へのお参りの様子と、その墓もまた無縁になることへの母の危惧が描かれる。「第3章 モスクと前衛芸術家」では、イスラム教では火葬が禁止されているために土葬ができる土地をムスリムのコミュニティの人々が探すために苦労した話が語られ、「第4章 名前のない骨」では、第二次世界大戦中に当時日本の植民地だった朝鮮半島から長崎に渡り、炭鉱労働や原爆により亡くなった方々の遺骨が未だ埋葬されず、故国にも帰れず、慰霊塔に保管されている現状を、長崎の在日朝鮮人の方々に同行して撮影した映像などで見せる。最後に「第5章 彼岸花」では、地主が子供の頃、彼岸花を摘んで持ち帰って母に叱られた思い出から、彼岸花の写真が中世の地獄絵図の炎と重ね合わされて、写真が燃えていくさまが写される心象風景のような映像で締めくくられる。

地主麻衣子 JINUSHI Maiko 右より《第4 章 名前のない骨》、《第5 章 彼岸花》
筆者は以前、「表現の生態系」という展覧会[viii]でこの作品の展示を見て、非常に深い感銘を受けた記憶がある。ここまで即物的にまっすぐに、死について歴史的視野を持って民族や宗教による死後のかたちの差異まで突き詰めた作品は稀であろう。作者、地主の人間の生命に対する誠実な視線がにじむ作品である。
そして最後のスペースは、須惠朋子の日本画の技法による青い絵画の部屋となっている。須惠朋子は2013年、母を亡くした後で訪れた沖縄、久高島の海に心を癒された体験から、それ以来ずっと、「ニライカナイ」、神のいる島と呼ばれる、久高島の海と空を描き続けて来た。初めは海の底に沈潜しているようなイメージを、砂と泥絵の具を樹脂膠で混ぜて手でこね、画面に乗せるという須惠独特の手法を使って作り出し、やがて海の上から見た水平線のイメージや、さらに上空に昇って雲海の中にいるようなイメージまで、その視点は自由自在に上昇、移動した。そして今展では地上に降りて、大作では初めての海岸の風景の新作を発表し、新境地を示している。須惠自身、母の死の哀しみが身内に深く浸み込んでいた頃には、自分の描く海の絵のブルーに癒されたとも語るが、その青い色彩の豊かなヴァリエーションにも驚かされる。青、碧、蒼、藍、緑青、薄い水色、…、その色彩の濃淡や諧調により、それが海の底であるのか、海の表面なのか、空なのか、雲なのかが描き分けられ、見る者にも伝わって来る。久高島の海と空というひとつの対象を10年以上にわたって描き続けながら、少しも停滞したマンネリズムに陥らないのは、やはり描くことへの真摯さと喜びが、常に須惠の身内に滾っているからだろう。

須惠朋子 SUE Tomoko《ニライカナイを想う》 2023 年

須惠朋子 SUE Tomoko 右より《碧のゆくへ》 2021 年、《神の島より》 2022 年、《ニライカナイを想う》 2023 年
今まで見て来た、生と死をめぐる8人の作家の表現を実際に会場で巡って観た人たちは、須惠の青い絵画のスペースに至って、ほっと心を落ち着かせることだろう。生命が生まれてまた帰ってくる場所、ニライカナイの空間に、須惠の絵画を通して観客たちもたどり着くことができたのではないだろうか。
さらにまた山岡さ希子の電気ペンによるドローイング《板の上》7点が、山岡自身のスペースから始まって、松下〜須惠まで、各スペースの壁面に1点ずつ展示され、あたかも出品作家それぞれの空間を訪ね歩いているように見えた。しかも《板の上》に描かれたテーマは、地獄から蘇って身体障害で車に乗せられ多くの人の手により車を引かれて熊野詣をして復活する小栗判官の物語に触発されて、身体が不自由な母と山岡の関係をテーマにしたものだとわかると、展覧会場をめぐる観客の伴走者としてこれらの絵があったとも感じられるだろう。

山岡さ希子 YAMAOKA Sakiko《 板の上7 》2022年
このように展示の順路に沿って各作品を見てみると、「Women’s Lives わたしたちは生きている―病、老い、死、そして再生」というテーマが、それぞれの作品の織りなすストーリーから立ち上がり、相互に響き合っているように見える。実際に、アーティストもその人生の中で、ケアを担うことを余儀なくされることもあるだろう。妊娠と出産、子育ての時期は今まで女性アーティストのキャリアの中断、もしくは終わりを意味した。さらに中高年期までアートを続けたとしても、老いた両親や親族など家族の介護を担うことを求められ、それもまた精神的、身体的に大きな時間を必要とされ、アートの制作を阻害する要因ともなった。
だが、今展ではそうしたネガティブに考えられがちだったケア労働を、個々のアーティストの視点から前向きにとらえ直し、他者へのケア自体を新たなアートのテーマにすることが可能であることを見せてくれたと思う。ケア労働を女性の仕事とする固定概念から解放し、病気や死は誰にでも降りかかり、また誰でもケアを担い得ること[ix]をアートによって共有することができたのではないだろうか。ウクライナやガザなど戦争による犠牲が続く、今も変わらぬ世界の中で、生命の再生への希望をアートの力で推し進めることを願ってやまない。
註
[i] 「死にいたる美術 メメント・モリ」1994年、町田市立国際版画美術館、栃木県立美術館。
[ii] 「奔る女たち―女性画家の戦前・戦後1930-1950年代」、栃木県立美術館、2001年。「前衛の女性1950-1975」、栃木県立美術館、2005年。「アジアをつなぐ―境界を生きる女たち1984-2012」福岡アジア美術館、沖縄県立博物館・美術館、栃木県立美術館、三重県立美術館。
[iii] 同題の記録冊子を出版。公式ウェブサイトhttps://egoeimaicollective.tumblr.com/
[iv] 半ば起き上がるようにも見えながら、完全に立ってはいないパラフィンドレスの意味は、自分の立ち位置を固定していない、自由に移動することのできる女性の可動性を表わしているように筆者には見えた。
[v] 菅実花「未来の母としての『妊娠するアンドロイド』をめぐって」、山崎明子、藤木直実編『〈妊婦〉アート論 孕む身体を奪取する』青弓社、2018年、pp.16-42。
[vi] 1990年代のアメリカで作られ始めたリアルな赤ちゃんの姿を再現するように造られたリボーンドールを、輸入代理店から菅がレンタルして使用したという。
[vii] 日暮里にある湿板写真専門の写真館「ライトアンドプレイス」で撮影。この写真館店主の和田高広氏に撮影を依頼し、菅はその場に立ち会って人形や小道具のセッティングと照明などの微調整を行ったという。
[viii] 「表現の生態系 世界との関係をつくりかえる」展、アーツ前橋、2019-2020年。
[ix] 岡野八代『ケアの倫理-フェミニズムの政治思想』岩波新書、2024年を参照。
*写真撮影:菅実花。著作権は各作家。無断転載禁止。
*Photos by KAN Mika. Copyright the respective artists. All rights reserved.
本稿は、さいたま国際芸術祭2023 市民プロジェクト「創発in さいたま」の一環として開催された「Women’s Lives 女たちは生きている-病い、老い、死、そして再生」展(2023年10月9日~22日)の記録集に掲載されたものである(2024年9月1日刊)。
出品作家たちの了解を得て、再録します。
「Women’s Lives 女たちは生きている」展公式ウェブサイトhttps://womenslives.mystrikingly.com/
Exhibition,“Women’s Lives―Disease, Aging, Death and Rebirth”, Hope for the rebirth of life
(Summary)
KOKATSU Reiko, Curator
It was around the summer of 2022 when I was asked to organize an exhibition of female artists within the framework of the citizen project, “Sohatsu (Emergence)”, part of the Saitama Triennale 2023. The theme immediately came to my mind. The idea was to tie together the “Memento Mori: Visions of Death c.1500-1994” exhibition (1994) and three exhibitions of women painters from the past to the present that had been organized since 2001, both of which were held by me while I was curator at the Tochigi Prefectural Museum of Fine Arts. Focusing the theme to “Women’s Lives,” the exhibition traces the process of human life from birth to the end of life through the works of women artists who express themselves from a woman’s point of view and standpoint.
A number of artists immediately came to my mind, but it was difficult to narrow the list down to eight, chosen for their wide range of ages, from their 30s to over 60, and the variety of their genres. Three of the artists, MATSUSHITA Seiko, ICHIJO Miyuki and KISHI Kaoru in their 60s or older were artists who participated in the exhibition, “The Shouts and Murmurs of Women—The Vulnerable Collective Will Change the World ” (Tokyo Metropolitan Art Museum, 2019), which I organized as a curator three years ago. I was familiar with their sincere and critical expressions.
The addition of younger generation artists in their 30s and 40s has expanded the life course of women to include childbirth and child rearing, in addition to illness, aging, nursing care, and death. The four artists are KAN Mika, HOMMA Mei, JINUSHI Maiko, and SUE Tomoko. The project itself was managed by YAMAOKA Sakiko, who is a performance artist, and how she would present this theme was also a new element in the exhibition. As a result, I believe that the audience of all ages had an opportunity to reflect on their own lives and livelihoods through the diverse ways in which the eight women artists expressed their thoughts on life and death.
YAMAOKA Sakiko shared the voices of various people with the audience through video interviews about the relationship between the individual and society, death, and health, and also incorporated the audience’s own voices through questionnaires to create a performative exhibition that, together with drawings, served as an introduction to the exhibition space. MATSUSHITA Seiko used symbolic objects such as “house, tongue, boxing glove, feather, and pillow,” as well as women’s own words to bring to life the pain of women’s lives and the wisdom of confronting it. ICHIJO Miyuki’s installation of handwritten letters, in addition to prints and watercolors, scooped up the true feelings and anxieties of middle-aged women in their daily lives through words and pictures. KISHI Kaoru critically demonstrated the high cost of regenerative medicine and the price of life with her finely crafted beaded heart and showed a stroller covered with nets, inspired by her fear of radioactive contamination after the Great East Japan Earthquake, and a new work using the brain of a mother with dementia as a motif. KAN Mika reexamined life from multiple perspectives with doll photographs on the shocking theme of “If a Love Doll Became Pregnant” and doll photographs in memory of a deceased child.
HOMMA May, based in Indonesia, researched the changes in women’s bodies in her own experience of pregnancy and childbirth, the traditional Indonesian birth attendants and the excessive influence of Western medicine surrounding them, and expressed the unique pain of women, breast milk and breastfeeding through video, historical documents and embroidery. JINUSHI Maiko faced the fundamental question, “Where do we go (when we die)?” and raised the shape of the afterlife in contemporary Japan, starting with the graves of her mother’s family in Fukushima and expanding to minorities in Japan, such as Muslims in Japan and the remains of Korean people during the war, in five different stories. The story raised from the five different burial. SUE Tomoko has been painting the sea and sky of Kudaka Island, called Niraikanai, or the island where God resides, since she was healed by the sea of Kudaka Island, Okinawa, which she visited after the death of her mother. In this exhibition, she presented a new large-scale work, a coastal landscape, which broke a new ground.
Looking back on the exhibition, the works of the artists responded to the theme “Women’s Lives: Disease, Aging, Death, and Rebirth” more deeply than expected, and presented a variety of contemporary perspectives. In fact, artists are often forced to take on the responsibility of care in the course of their lives. Pregnancy, childbirth, and the period of child rearing have until now meant the interruption or end of women artist’s career. Furthermore, even if they continued their artistic careers into middle age and older, they were required to take on the responsibility of caring for aging parents, parents-in-law, and other family members, which also took up a great deal of their mental and physical time and inhibited their artistic production.
However, this exhibition showed that care work, which tends to be thought of negatively, can be viewed positively from the perspective of individual artists, and that it is possible to make care for others a new theme of art. I believe that the artists were able to free themselves from the stereotype of care work as women’s work and share through art that illness and death can befall anyone, and that anyone can take on the responsibility of caring for others. In a world where war continues to claim victims in Ukraine, Gaza, and elsewhere, we can only hope that the power of art will promote hope for the rebirth of life.
English translation native check by Catherine Harrington