連載「アートとジェンダー 病い、老い、死」 第3回  (小勝禮子)

岸かおる(1956年生まれ)は晩成の美術家である。広島に生まれ、京都の大学でデザインを学んだが、すぐに結婚して主婦となり3人の子どもを育て上げた。その後、50代になってから広島の美大の大学院に進んで博士までおさめ、その後もアートの制作を続けている。はた目には、恵まれた家庭の主婦として幸福な人生を送っているように見えた岸を、アートの道に駆り立てたものは何だったのだろうか。

岸自身の言葉によれば、それは女性に求められる社会的な性役割(ジェンダー)による圧迫であったという。専業主婦として社会で働く夫を下支えした最後の世代と言う自分の半生を通して、岸はその経験のなかで感じた不条理や抑圧を、アートとして世に問わずにはいられなかったのである。

心臓型のオブジェのシリーズ《spare-part》(2013-継続中)は、伝統的な木目込み細工の手法を学んで、着物の生地にビーズを縫い込んだ精緻なオブジェで、子どもから大人の心臓の大きさに合わせてある。日本ではかつて脳死判定が問題になり、近年まで長く心臓移植は行われず、再開後も例は少なく、海外での手術を余儀なくされ、医療費が極めて高額になった。それを募金運動の報道で知った岸が発想した作品である。特に子どもの心臓移植は例が少なく、親に大きな経済的負担がかかる。岸は晴れ着の生地でくるんだ小さな心臓をビーズで飾り、その命の対価の大きさを美しいオブジェとして視覚化している。

《spare-part》シリーズ中の1点 2019年 布、ビーズ、木粘土 10×10×6.6㎝ 撮影:田村政実

 

 

 

 

《連》という3点組の作品では、同じく着物の生地で作られた3つの心臓が七五三の三歳、七歳、そして成人式の二十歳という女性の人生の節目のお祝いを表わす。こちらの心臓からは紐が上下左右に出ていて体内の血管を表わすが、それは岸にとっては、女性が伝統に絡めとられて逃れられない呪縛の隠喩ともなっているようである。

《連》2018年 インスタレーション 着物、帯、志古貴、帯揚げ、帯締め、髪飾り、羊毛 サイズ可変 撮影:鹿田義彦  個展「連」、2018年、gallery交差611(広島)

《連》(部分) 2018年 インスタレーション 着物、帯、志古貴、帯揚げ、帯締め、髪飾り、羊毛 サイズ可変       撮影:菅実花

岸は現在、90代の母の介護をしている。数年前から認知症を発症した母とのやり取りに、岸は際限のない繰り返しの時間をとられ、精神的に追い詰められていく。しかし岸はアーティストとして、その母の脳内世界を作品化することに挑むのである。

その作品《in her midst−彼女の世界》は、まず「Women’s Lives 女たちは生きている」展(2023年)で発表されたが、その時は小さいケース内展示で、中央に母の脳のオブジェが置かれ、脳のひだには思い出の写真が貼り込まれていた。そして周囲の壁には、買い物の記録などの母の日記のコピーが貼り巡らされた。この作品は2024年に台湾で開催されたアジアの現代彫刻展に出品されてさらにヴァージョンアップされ、母の毎日の記録はコピーではなく映像で表現された。その映像では、娘の岸が母のメモを読み上げ、その膨大なメモやカレンダーに書かれた予定、それを読み上げる岸の後ろ姿などが映し出されている。

《in her midst −彼女の世界》2023年 プリント紙、布、編み物、桐塑 12×14×17cm、2024年 映像 32’40”のインスタレーション 朱銘美術館での展示 Photo credits: Juming Museum

《in her midst −彼女の世界》2023年 プリント紙、布、編み物、桐塑 12×14×17cm Photo credits: Juming Museum

岸かおるは一人の女性生活者として、夫や子どもの暮らしを快適に整え、主婦として家庭を守ってきた。そして今は認知症の母を支える娘として奮闘している。しかしそれらは岸にとってアートの制作の障害ではなく、表現することの動機ともなった。女性として生きることが、そのままアートをすることにつながる。岸の作品を見るわたしたちは、女性が人生で出会うさまざまな苦難にあらためて気づかされるだろう。

 

*本稿は、連載「アートとジェンダー 病い、老い、死」 第3回として、『しんぶん赤旗』(2024年12月17日)に掲載されたものです。編集部および作家の了承を得て再掲します。

*岸かおるの作品は、「方物 – 亞洲當代雕塑展」(2024年9月13日―2025年1月12日、朱銘美術館、台湾)に出品された。
*現在、以下の二人展に出品中。「Inside かのじょのすみか 岸かおる 中川晶子」(2025年4月5日―4月29日、加納実紀代記念室サゴリ)https://sagori.fem.jp/
https://artscouncil-hiroshima.jp/event/28289/

 

著者: (KOKATSU Reiko)

1955 年埼玉県生まれ。専門は近現代美術史、ジェンダー論。 1984 年より 2016 年まで栃木県立美術館学芸員。主な展覧会に、「揺れる女/揺らぐイメー ジ」展(1997 年)、「奔る女たち 女性画家の戦前・戦後」展(2001 年)、「前衛の女性 1950 -1975」展(2005 年)、「アジアをつなぐ―境界を生きる女たち 1984-2012」展(福岡ア ジア美術館ほか、2012-13 年)、「戦後 70 年:もうひとつの 1940 年代美術」展(2015 年) など。共著に、香川檀・小勝禮子『記憶の網目をたぐる―アートとジェンダーをめぐる対 話』(彩樹社、2007 年)、北原恵編『アジアの女性身体はいかに描かれたか』(青弓社、2013 年)など。2020 年よりアジアの女性アーティストをめぐるウェブサイト「アジアの女性ア ーティスト:ジェンダー、歴史、境界」を管理・運営。
「アジアの女性ア ーティスト:ジェンダー、歴史、境界」https://asianw-art.com/
researchmap https://researchmap.jp/laira0004701

KOKATSU Reiko is an art historian and an art critic, former chief curator at Tochigi Prefectural Museum of Fine Arts. Her specialties are modern and contemporary art history and gender studies. She lectures in the Jissen Women’s University, the Kyoto University of Art & Design. She was in charged of a number of exhibitions that discovered and re evaluated modern and contemporary women artists in Japan and other parts of Asia.
From 2020 she manages the website: Asian Women Artists: Gender/History/Border. https://asianw art.com/

https://asianw-art.com/