セザンヌと蒸気鉄道(4)――メダン、ポントワーズ、ガルダンヌ、エスタックの鉄道画題 秋丸知貴評

図1 ポール・セザンヌ《メダンの城》1879年頃

 

前節までに見たように、ポール・セザンヌ(1839-1906)は《ボニエールの船着場》(1866年)で鉄道駅を描き、フランス印象派の画家達の中で最も早く鉄道画題に取り組んでいる。

また、セザンヌは、故郷エクス・アン・プロヴァンスで、少年時代から日常的に蒸気鉄道を利用し、晩年には電気鉄道にさえ乗車している。それを反映するように、セザンヌは、画業の初期から晩年まで、エクス・アン・プロヴァンスで、切通し、信号機、鉄道線路、鉄道橋、蒸気機関車といった様々な鉄道画題を大量に描いている。

さらに、セザンヌは、ボニエールやエクス・アン・プロヴァンス以外の地域でも蒸気鉄道を利用し、鉄道画題を描いている。ここでは、セザンヌが、メダン、ポントワーズ、ガルダンヌ、エスタックで描いた鉄道絵画を見ていこう。

 

図2 ポール・セザンヌ《メダンの城》1879年頃

 

図3 エミール・ゾラ撮影 図1・図2の現場写真 19世紀後半

 

図4 エミール・ゾラ撮影 自宅前のパリ=ル・アーヴル線の鉄道線路 19世紀後半

 

図5 エミール・ゾラ撮影 自宅から撮影した蒸気機関車 19世紀後半

 

図6 エミール・ゾラの自撮写真 19世紀後半

 

まず、セザンヌは、パリから約25キロの農村メダンで蒸気鉄道の沿線風景を描いている。現に、油彩の《メダンの城》(1879年頃)(図1)と水彩の《メダンの城》(1879年頃)(図2)には、鉄道路線が隠れている。

この2枚の絵画は、1879年にセザンヌが、親友エミール・ゾラがメダンで購入した城のような豪邸を訪れた時に制作されたと考えられている。興味深いことに、鉄道ファンとして知られるゾラは、パリ=ル・アーヴル線の鉄道線路に面したこの自宅から、趣味のカメラで疾走する蒸気機関車を撮っている(図3-図6)。

この訪問の後、セザンヌは1879年6月23日にゾラに手紙を書き、走行中の汽車から邸宅内のゾラに手を振ったと記している。ちょうど、ゾラからその汽車は図5のように見えただろう。

僕は、大過なくトリエルの鉄道駅(la gare)に着いた。君のお城の前を通過する時に、車窓越しに手を振っていたので、僕が乗り遅れずに汽車(le train)に乗ったことが君にも分かったはずだ(1)。

これらのことから分かるように、この2枚の絵画は、一見素朴な自然風景であるけれども、実際は画面中央を蒸気機関車が水平に通行する人工風景を描いている。つまり、木々や土手や河川で表象される自然と、不在ながら近代を体現する汽車が対比されている。

 

図7 ポール・セザンヌ《ポントワーズの堰と橋》1881年

 

図8 図7の現場写真(撮影者・撮影時不詳)

 

また、セザンヌは、パリから約30キロの田舎町ポントワーズで鉄道橋を描いている。事実、《ポントワーズの堰と橋》(1881年)(図7)には、パリ=リール線の鉄道橋が見え隠れしている。

ここでセザンヌは、ポントワーズを流れるオワーズ川の堰と橋を画面中央に並行するように描いている。この作品の主眼がこうした並行線の造形的面白さであることは、確かである。

ここで注目すべきは、現場写真で確認できるように(図8)、セザンヌが歩道橋と鉄道橋を重ねて描いている事実である。つまり、ここでもセザンヌは、歩道橋と鉄道橋で、また木々や道路や河川や堰と不在の汽車で、自然と近代を対比している。

なお、1872年12月11日付のカミーユ・ピサロ宛の手紙から、セザンヌはポントワーズと当時住んでいたオーヴェール=シュル・オワーズの往来に汽車を利用していたことが分かる。

リュシアン君のペンで、一筆差し上げます。蒸気鉄道(le chemin de fer)が、私を自宅に運んでくれたはずの時間に。回りくどい言い方をしましたが、私は汽車(le train)に乗り遅れたのです(2)。

 

図9 ポール・セザンヌ《ガルダンヌ、古い橋》1885-86年

 

図10 アール・ローラン撮影 図9の現場写真 1920年代後半

 

さらに、セザンヌは、エクス・アン・プロヴァンスから約25キロの隣町ガルダンヌでも鉄道橋を描いている。実際に、《ガルダンヌ、古い橋》(1885-86年)(図9)は、「古い橋」という副題にもかかわらず、現場写真から分かるように描かれているのはエクス=マルセイユ線の鉄道橋である。

このように、セザンヌの鉄道絵画は、画面のみならず題名でも一見してそれが鉄道絵画だと分かりにくい。ここでも画面は、鉄道橋を中心に描くというよりも、周囲の木々の中に鉄道橋を対置させることで自然と近代を対比している。

なお、この作品が描かれた時期に、セザンヌはガルダンヌを頻繁に訪れている。例えば、1885年8月20日付のエミール・ゾラ宛書簡では「僕はエクスにいて、毎日ガルダンヌへ行く(3)」と書き、1885年8月25日付のエミール・ゾラ宛書簡では「僕は毎日ガルダンヌへ行き、夕方エクスの自宅へ帰る(4)」と記している。時間と移動距離から考えて、セザンヌがエクスからガルダンヌへの移動にこのエクス=マルセイユ線を利用していたことは間違いないだろう。

 

図11 ポール・セザンヌ《エスタックから眺めたマルセイユ湾》1878-79年

 

図12 熊切圭介氏撮影 図11の現場写真 撮影時不詳

 

そして、セザンヌはエスタックでも鉄道風景を描いている。事実、《エスタックから眺めたマルセイユ湾》(1878-79年)(図11)の画面右下で並行している複数の黒線の内2本がエスタックを走る鉄道線路であることは、現場写真から判明する(図12)。

これに加えて、マルセイユ湾では海岸に沿って鉄道線路が走っており、エスタック周辺には鉄道橋も多い(図13)。セザンヌは、このエスタックの鉄道橋も《エスタックの陸橋》(1879-82年)(図14)と《エスタックの陸橋》(1882年)(図15)で描いている。

これらの作品でも、鉄道画題は明示的ではなく暗示的に描かれており、豊かな自然と秘められた近代が対比されている。

なお、セザンヌの日常生活に蒸気鉄道が深く根差していたことは、1883年5月24日付のエミール・ゾラ宛の書簡で、エスタック駅のすぐ傍に借家したと報告していることから明らかである。

僕は、エスタックの鉄道駅(la gare)のすぐ上方に庭付きの小さな家を借りた(5)。

 

図13 Ignis撮影 エスタックの鉄道橋 2006年

 

図14 ポール・セザンヌ《エスタックの陸橋》1879-82年

 

図15 ポール・セザンヌ《エスタックの陸橋》1882年

 

以上のように、セザンヌの鉄道絵画の特徴は、一見しただけではその風景に蒸気鉄道が描かれていることが不分明なことである。その上で、蒸気鉄道だけを中心的に描くのではなく、牧歌的な自然と蒸気鉄道に代表される近代を対比するという複雑な性格を示している。

造形面で言えば、これまで誰からも指摘されてこなかったが、例えば《メダンの城》(図1)や《メダンの城》(図2)の画面左右を水平に結ぶ河川や土手の稜線や、水平方向に反復される筆触――いわゆるセザンヌ独特の「構築的ストローク」――は、蒸気鉄道の水平方向の運動の影響を指摘できるだろう。

 

(1)Paul Cézanne, Correspondance, recueillie, annotée et préfacée par John Rewald, Paris, 1937; nouvelle édition révisée et augmentée, Paris, 1978, p. 184. 邦訳『セザンヌの手紙』ジョン・リウォルド編、池上忠治訳、美術公論社、1982年、140頁。

(2)Ibid., p. 142. 邦訳、同前、101頁。

(3)Ibid., p. 223. 邦訳、同前、174頁。

(4)Ibid., p. 223. 邦訳、同前、174頁。

(5)Ibid., p. 211. 邦訳、同前、165頁。

 

Fig. 3-Fig. 6 were quated from Emile Zola, Photograph, Eine Autobiographie in 480 Bildern, herausgegeben und zusammengestellt von François-Emile Zola und Massin, München: Schirmer/Mosel, 1979.

Fig. 8 was quated from Joachim Pissarro et Claire Durand-Ruel Snollaerts, Pissarro: catalogue critique des peintures, critical catalogue of paintings, tome II, Paris: Skira, 2005.

Fig. 10 was quated from John Rewald, Paul Cézanne: The Watercolors, A Catalogue Raisonné, Boston: Little, Brown and Company, 1983.

図12は、渡辺康子編集・解説『ヴィヴァン 新装版・25人の画家(10)セザンヌ』講談社、1995年から引用。

Fig. 13 was quated from Wikipedia (BB-67400 Estaque Marseille FRA 001 – Marseille – Wikipedia)

著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美術史家・美学者・キュレーター。
1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。
2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。
主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日-2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日-2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日-2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:高台寺掌美術館、会期:2022年3月3日-2022年5月6日)、「水津達大展 蹤跡」(会場:圓徳院〔高台寺塔頭〕、会期:2025年3月14日-2025年5月6日)等。

2010年4月-2012年3月: 京都大学こころの未来研究センター連携研究員
2011年4月-2013年3月: 京都大学地域研究統合情報センター共同研究員
2011年4月-2016年3月: 京都大学こころの未来研究センター共同研究員
2016年4月-: 滋賀医科大学非常勤講師
2017年4月-2024年3月: 上智大学グリーフケア研究所非常勤講師
2020年4月-2023年3月: 上智大学グリーフケア研究所特別研究員
2021年4月-2024年3月: 京都ノートルダム女子大学非常勤講師
2022年4月-: 京都芸術大学非常勤講師

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