図1 ポール・セザンヌ《サント・ヴィクトワール山と大松》1887年頃
ポール・セザンヌ(1839-1906)は、一体何を絵画で「実現」しようとしたのだろうか?
実は、セザンヌは蒸気鉄道による視覚の変容を絵画で表現しようとしていた。これは、世界初の学術的指摘である(図1・図2)。
これまで誰もが見逃していたが、セザンヌ芸術は蒸気鉄道と縁が深い。事実、セザンヌの人生はフランスの蒸気鉄道の発達期と重なっている。
まず、フランスで旅客用の蒸気鉄道が最初に運行されたのは、セザンヌが生まれる2年前の1837年である。蒸気鉄道は急速に発達し、第二帝政期(1852-70年)にはパリと主要な地方都市を結ぶ幹線路線が整備されている。
一方、セザンヌの最初の鉄道旅行は、1861年の故郷エクス・アン・プロヴァンスからパリへの初上京である。この時、セザンヌは22歳であった。以来67歳で亡くなるまで、セザンヌは蒸気鉄道を利用してしばしばフランス各地に転住している。
つまり、一般には自然愛好の画家として知られるセザンヌは、実際には近代生活の画家でもあったのである。
図2 図1の現場写真
(2006年8月24日筆者撮影)
従来、馬車の速度は平均時速16キロメートルであった。これに対し、1845年の蒸気機関車の最高速度は時速64キロメートルである。実に、汽車は馬車の4倍の速度である。
こうした高速度は、車窓から眺める風景を飛び散らせるので古い世代から嫌悪された。例えば、フランシス・リーバー(1798-1872)は『アメリカの異邦人』(1834年)で、車窓風景を次のように嫌っている。
私が思うに、断然あらゆる旅行の中で最も面白くないのは蒸気鉄道で運ばれることである。〔…〕狭い空間に閉じ込められて、興味を引く対象など滅多に提供しない平原を突っ走る。もし何かが興味を引いたとしても、非常に高速で通過するため注意を留めておくことは決してできない[1]。
また、アルフレッド・ド・ヴィニー(1797-1863)は「牧人の家」(1840-44年)で、車窓風景を次のように嫌がっている。
この道は避けよう――鉄道旅行は味気無い
なぜなら、弓から的へ放たれた矢が
唸り音を立てて飛ぶように
線路の上を疾駆するだけだから[2]。
さらに、ギュスターヴ・フローベール(1821-1880)は1864年に友人宛の手紙で、車窓風景を次のように嫌悪している。
私は蒸気鉄道に乗ると退屈してしまい、5分も経つとばかばかしさのあまり吠え始める[3]。
これに対し、ヴォルフガング・シヴェルブシュは『鉄道旅行の歴史』(1977年)で、「伝統的な旅行にこだわる意識が次第に凋落する一方で、新しい旅行技術の影響を逆らわず完全に受け入れる知覚も発達する。その場合、車窓風景では、昔の旅行にこだわる意識には喪失と映った全てが豊穣となる[4]」と指摘している。
例えば、ヴィクトル・ユゴー(1802-1885)は1837年8月22日付の妻宛の手紙で、車窓風景を次のように好んでいる。
蒸気鉄道は、断然とても美しい……。素晴らしい動きだ。それを分かるためには、体感する必要があった。速度は、前代未聞だ。沿線の花々は、もはや花ではなく、赤や白の斑点、あるいはむしろ横縞だ。もはや、どんな斑点も存在せず、全てが横縞と化している[5]。
また、バンジャマン・ガスティノウ(1823-1904)は『鉄道人生』(1861年)で、車窓風景を次のように愛している。
蒸気鉄道が創造される前は、自然はピクリとも動かず、まるで眠れる森の美女だった。天空も、不変であるように見えた。蒸気鉄道が、全てに生気を与えた。天空は揺れる無限となり、自然は動く美となった[6]。
さらに、ジュール・クラルティー(1840-1913)は『パリ人達の旅行』(1865年)で、車窓風景を次のように楽しんでいる。
数時間の内に、蒸気鉄道はフランス全土を提示し、目の前に無限のパノラマ、つまり新奇な驚異という魅力的な画像の厖大な連続を繰り広げる。風景について言えば、蒸気鉄道は大まかな量塊しか提示しない。これは、巨匠級の芸術家こそが用いる手法である。蒸気鉄道には、細部を求めずに生き生きとした全体を求めよう[7]。
年代的に、セザンヌはこうした汽車の車窓風景に美を感じる新世代の一人である。実際に、汽車の車窓風景と同様に、セザンヌの造形表現では、筆触が横に反復され、稜線が水平方向に強調される。また、対象は大まかに捉えられると共に、視点の複数化が顕著である。
なお、セザンヌの造形表現の詳しい分析は、第5節「セザンヌと蒸気鉄道(5)――造形表現の様式分析」で行っている。
図3 アルク渓谷の鉄道橋の通過時に眺めたサント・ヴィクトワール山
(2006年8月26日筆者撮影)
何よりも興味深いのは、セザンヌ自身が1878年4月14日付の親友エミール・ゾラ宛の手紙で、疾走する汽車の車窓風景を賛美している事実である。
マルセイユへ行く時、ジベール氏と一緒だった。この手の人達は見ることに長けているが、その眼は教師的だ。蒸気鉄道(le chemin de fer)でアレクシ邸の傍を通過する時、東の方角に目の眩むようなモティーフが展開する。サント・ヴィクトワール山と、ボールクイユにそびえる岩山だ。僕は、「何と美しいモティーフだろう(quel beau motif)」と言った。すると、彼は「線が揺れ動き過ぎている」と答えた。――そのくせ、『居酒屋』については、それについて最初に僕に話したのは彼なのだが、彼は非常に物分かりの良い褒め言葉を並べていた。しかし、いつも技量の観点からなのだ[8]!
ここでセザンヌが描写しているのは、エクス・アン・プロヴァンス駅からマルセイユ行きの汽車に乗って数分後の光景である(図3)。より正確に言えば、ここでセザンヌが「何と美しいモティーフだろう」と賛美しているのは、正に図1の画面右中央に描かれた鉄道橋(図4-図10)を通過する時に汽車の車窓から見渡せるサント・ヴィクトワール山なのである。
図4 アルク渓谷の鉄道橋の通過時に眺めたサント・ヴィクトワール山
(2006年8月26日筆者撮影)
図5 アルク渓谷の鉄道橋
(2006年8月22日筆者撮影)
図6 アルク渓谷の鉄道橋
(2006年8月22日筆者撮影)
図7 アルク渓谷の鉄道橋
(2006年8月22日筆者撮影)
図8 アルク渓谷の鉄道橋
(2006年8月22日筆者撮影)
図9 アルク渓谷の鉄道橋とサント・ヴィクトワール山
(2006年8月22日筆者撮影)
図10 アルク渓谷の鉄道橋とサント・ヴィクトワール山
(2006年8月25日筆者撮影)
図11 19世紀後半のフランスの蒸気鉄道
(エミール・ゾラ撮影)
図12 32歳頃のポール・セザンヌ 1871年
(撮影者不詳)
ここで注目すべきは、このセザンヌの手紙が書かれたのが、この鉄道橋を含むエクス=マルセイユ線の開通(1877年10月15日)からわずか半年後である事実である。また、セザンヌがサント・ヴィクトワール山の連作を描き始めたのもちょうどこの1878年以後である。
つまり、39歳になって初めて取り組まれたセザンヌのサント・ヴィクトワール山連作は、このアルク渓谷の鉄道橋を汽車で通過する時の視覚体験に触発されて開始されている。少なくとも、セザンヌ自身が疾走する汽車の車窓風景を「美しい」と証言している以上、そうした美的体験がセザンヌの造形表現に反映している可能性を否定することは誰にもできない。
もちろん、セザンヌは蒸気鉄道に乗車しているときの車窓風景をそのまま描いたのではない。そうではなく、降車後に眺めた自然風景に蒸気鉄道による視覚の変容を適用している点こそが、近代的視覚の内面化とその創造的昇華において芸術的重要性を持つのである。
19世紀に普及した蒸気鉄道は、人々の日常生活に普遍的な視覚の変容をもたらした。そして、そうした視覚の変容に対する評価が否定から肯定へ変わったことは歴史的事実である。そうした人類史において画期的な視覚革命に鋭敏に反応し、それを絵画上にある種の新しい感覚として創造的に「実現」した点で、セザンヌは世界美術史において極めて重要な役割を果たすことになったのである(図11・図12)。
註
[1] Francis Lieber, The Stranger in America: or Letters to a Gentleman in Germany, Philadelphia, 1834, p. 181.
[2] Alfred de Vigny, “La Maison du berger” (1840-1844), in Poésies complètes, Paris: Garnier Frères, 1962, p. 145.
[3] ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史――19世紀における空間と時間の工業化』加藤二郎訳、法政大学出版局、1982年、76頁より引用。
[4] Schivelbusch, Geschichte der Eisenbahnreise, pp. 57-58.
[5] Victor Hugo, Correspondance familiale et écrits intimes, tome II (1828-1839), Paris: Robert Laffont, 1991, p. 421.
[6] Benjamin Gastineau, La Vie en chemin de fer, Paris, 1861, p. 31.
[7] Jules Claretie, Voyages d’un Parisien, Paris, 1865, p. 4.
[8] Paul Cézanne, Correspondance, recueillie, annotée et préfacée par John Rewald, Paris: Bernard Grasset, 1937; nouvelle édition révisée et augmentée, Paris: Bernard Grasset, 1978, p. 165.
【関連論考】
■ 秋丸知貴『セザンヌと蒸気鉄道』
セザンヌと蒸気鉄道(1)――19世紀における視覚の変容
セザンヌと蒸気鉄道(2)――フランス印象派の最初の鉄道絵画
セザンヌと蒸気鉄道(3)――エクス・アン・プロヴァンスの鉄道画題
セザンヌと蒸気鉄道(4)――メダン、ポントワーズ、ガルダンヌ、エスタックの鉄道画題
セザンヌと蒸気鉄道(5)――造形表現の様式分析
セザンヌと蒸気鉄道(6)――画題から造形への影響
セザンヌと蒸気鉄道(7)――感覚の実現とは何か?
■ Tomoki Akimaru Cézanne and the Railway
Cézanne and the Railway (1): A Transformation of Visual Perception in the 19th Century
Cézanne and the Railway (2): The Earliest Railway Painting Among the French Impressionists
Cézanne and the Railway (3): His Railway Subject in Aix-en-Provence
Cézanne and the Railway (4): His Railway Subject in Médan, Pontoise, Gardanne, and L’Estaque
Cézanne and the Railway (5): A Style Anlysis of His Form
Cézanne and the Railway (6): The Influence from Subject to Form
Cézanne and the Railway (7): What is the Realization of Sensations?