セザンヌと蒸気鉄道(5)――絵画造形の様式分析 秋丸知貴評

図1 ポール・セザンヌ《アヌシー湖》1896年

 

図1 部分拡大図

 

ポール・セザンヌの造形表現は、蒸気鉄道にどのように影響を受けているのだろうか。ここでは、セザンヌの絵画造形を様式分析しよう。

まず、《アヌシー湖》(1896年)(図1)では、画面中央の遠景の建物の手前の屋根の頂点に一つの小さな赤い点が描かれている。この構図の中心点から前景に近づくにつれて筆致は粗くなり、最も近い画面左側の樹木は筆遣いが大振りになっている。また、前景の足元は曖昧で、鑑賞者は空中からこの風景を眺めているように見える。

こうした、遠景から近景に近づくにつれて対象が横向きの動きを感じさせ、前景が消失して足が地面から浮いているような感覚は、汽車の車窓風景とよく似ている。

 

図2 ポール・セザンヌ《サント・ヴィクトワール山と大松》1887年頃

 

図2 部分拡大図

 

また、《サント・ヴィクトワール山と大松》(1887年頃)(図2)では、画面中央の遠景のサント・ヴィクトワール山の中腹に一つの小さな黒い点が描かれている。この作品でも、この構図の中心点から前景に近づくにつれて筆致が粗くなり、最も近い画面左側の樹木や画面右上の枝葉は筆遣いが大振りになっている。また、前景の足元は不明瞭で、鑑賞者は宙に浮いてこの風景を眺めているように見える。さらに、画面左側の樹幹と枝葉は横から見られているようにも下から見上げられているようにも見える。

こうした、遠景から近景に近づくにつれて対象が左右への動きを感じさせ、前景が消失して足が地面から離れているような感覚や、視角が上下に揺れ動くような感覚は、やはり汽車の車窓風景とよく似ている。

 

図3 ポール・セザンヌ《ヴァルクロ街道から眺めたサント・ヴィクトワール山》1878-79年

 

図3 図解

 

図4 図3の現場写真
(2006年8月24日筆者撮影)

 

さらに、《ヴァルクロ街道から眺めたサント・ヴィクトワール山》(1878-79年)(図3)でも、画面中央の地平線上の遠景に一つの小さな赤い点が描かれている。この作品では、この構図の中心点から前景に近づくにつれて、筆触は水平方向への反復が強調され、特に画面右側の中景の小屋は右側に筆触が反復されることで左側に動いているように見える。また、より前景に近づくにつれて、水平に反復される筆触は画面の左右を結ぶ水平な稜線に転じている。そのため、前景の足元は不明確で、鑑賞者は浮き上がりながらこの風景を眺めているように見える。

こうした、画面全体で水平な稜線が目立ち、遠景から近景に近づくにつれて対象が水平方向への動きを感じさせ、前景が消失して足が地面から浮遊しているような感覚も、やはり汽車の車窓風景とよく似ている。

なお、乗車時にサント・ヴィクトワール山を眺められるエクス・アン・プロヴァンス=マルセイユ路線は、1877年10月15日に開通した(図5)。その約半年後、セザンヌは1878年4月14日付のエミール・ベルナール宛の手紙で、この路線を疾走する汽車の車窓から眺めたこの山を次のように賛美している。

蒸気鉄道でアレクシ邸の傍を通過する時、東の方角に目の眩むようなモティーフが展開する。サント・ヴィクトワール山と、ボールクイユに聳える岩山だ。僕は、「何と美しいモティーフだろう」と言った(1)。

セザンヌが、初めて主題としてサント・ヴィクトワール山の連作に取り組んだのは正にこの1878年以降であり、《ヴァルクロ街道から眺めたサント・ヴィクトワール山》(1878-79年)(図3)はその最初期の作品の一つである。この時、実にセザンヌは39歳であった。つまり、セザンヌのサント・ヴィクトワール山連作は蒸気鉄道の車窓風景に触発されて開始された蓋然性が極めて高い。

 

図5 エクス=マルセイユ路線の車窓から見えるサント・ヴィクトワール山
(2006年8月26日筆者撮影)

 

図6 エクス=マルセイユ路線の車窓風景
(2006年8月26日筆者撮影)

 

このように、セザンヌの絵画造形の様式的特徴は、鉄道乗車中の視覚の特徴と類似している。

現に、走行する汽車の車窓では、風景が左右に流れると共に、対象は遠景から近景に近づくにつれて横向きの動きが早くなり、歪曲化し、点描化し、消散する。その結果、一番手前の前景は消失し、空中を滑走するような浮遊感を覚える。そして、土地の高低により視角も上下する(図5・図6)(2)。

こうした蒸気鉄道による視覚の変容は、19世紀後半に近代技術の発達が人類にもたらした新しい現実である。そうした画期的でありながら日常的であるために誰もが見過ごしがちな変化に、セザンヌは視覚的感受性が人一倍鋭かったからこそ敏感に反応できたと考えられる。

 

図7 ポール・セザンヌ《ベルヴュの平原の中で》1885-88年

 

図8 ポール・セザンヌ《オーヴェール・シュル・オワーズ近郊の小さな家並》1873-74年

 

事実、セザンヌの絵画では、筆触が左右に反復されたり水平な稜線が重ねられることで画面に横向きの動きが感じられることが多い。また、前景の足元がおぼつかず、鑑賞者が宙に浮いているように感じられることも多い。

例えば、《ベルヴュの平原の中で》(1885-88年)(図7)では、画面全体で水平方向の稜線が強調されている。また、前景は横長の大きな余白が空くことで足元が曖昧になり、鑑賞者は空中からこの風景を眺めているように見える。

また、《オーヴェール・シュル・オワーズ近郊の小さな家並》(1873-74年)(図8)でも、画面全体で水平方向に稜線が強調され筆触が反復されている。特に、前景の家並は右側に筆触が反復されることで横方向に移動しているように感受され、木立も歪曲化し、点描化し、消散しようとしているように見える。また、前景は水平な稜線により断ち切られることで足元が不分明になり、鑑賞者は身体を持たずにこの風景を眺めているように見える。

おそらく、セザンヌの絵画の中でも特にこの二つの作品は、鉄道乗車中の車窓から眺めた通過風景を想起させずにはおかないだろう。

 

図9 ポール・セザンヌ《オスニーの姉妹池、ポントワーズ近郊》1877年

 

図10 ポール・セザンヌ《ジャ・ド・ブッファンの家屋と納屋》1887年

 

さらに、セザンヌの絵画では、対象が横向きに傾いたり歪んだりすることも多い。

実際に、《オスニーの姉妹池、ポントワーズ近郊》(1877年)(図9)では、画面右側の近景の樹木は輪郭がブレつつ左右に大きく湾曲しているように見える。また、画面下側の池水や土手で水平方向の稜線が強調され、前景が不明瞭なので鑑賞者の足元は不安定に感じられる。

さらに、《ジャ・ド・ブッファンの家と納屋》(1887年)(図10)でも、画面左右の近景の家屋と納屋は大きく左側に傾斜しているように見える。そして、遠景や近景で水平方向の稜線が強調され、前景が不明確なので鑑賞者の足元も揺らいでいるように感じられる。

これらは通常の視覚としては異常であるが、鉄道から降車後に世界がこのように揺らいで見える経験をしたことはきっと誰にでもあるはずである。

 

図11 ポール・セザンヌ《カードで遊ぶ男達》1896年

 

図12 ポール・セザンヌ《リンゴとオレンジ》1899年頃

 

これに加えて、鉄道乗車中は、車体が揺れ動くために乗客の視点も揺れ動く。また、列車が高速で直線運動をしているために乗客の視覚も抽象化され、対象は量塊として把握される。そうした世界が揺れ動き、対象が抽象化される傾向は、セザンヌの室内画にも見出せる。

例えば、《カードで遊ぶ男達》(1896年)(図11)では、画面右側が浮き上がり、カード遊びをする男達やテーブルは左側に傾いているように見える。また、ここでは男性二人の帽子と中央の瓶が、それぞれ左から円筒体、円錐体、球体を暗示している。実際に、セザンヌは1904年4月15日付のエミール・ベルナール宛の手紙で、対象の抽象化について次のように説いている。

自然を、円筒体、球体、円錐体によって扱い、全てを遠近法の中に置きなさい(3)。

そして、《リンゴとオレンジ》(1899年頃)(図12)でも、テーヴルが左側に傾いているためにその上の果物や器物は今にもこぼれ落ちそうに見える。ここでは、テーヴルの上の果物や器物は横から見られているのに対し、テーブルは上から見下ろされているように見える。

こうした、世界が揺れ動いたり、形体が抽象化や歪曲化をされたり、視角が複数化したりする感覚は、やはり疾走中の汽車の車内風景とよく似ている。

なお、《カードで遊ぶ男達》(図11)にも《リンゴとオレンジ》(図12)にも構図の中心点が描かれている。つまり、《カードで遊ぶ男達》(図11)では、画面中央の瓶の光の反射の下に小さな白い点がある。また、《リンゴとオレンジ》(図12)でも、画面中央のリンゴの蔕に小さな赤い点がある。風景画の場合と同様に、セザンヌは室内画でもこうした構図の中心点に意識の焦点を合わせ、鉄道乗車中の世界が揺動する感覚を想起していたと推定できる。

もちろん、セザンヌはただ単に鉄道乗車中の風景や室内をそのまま描いたのではない。この場合、むしろ鉄道列車から降りた後に、自らが経験した蒸気鉄道による視覚の変容を自然風景に適用して描き出しているところが重要である。なぜならば、それだけ蒸気鉄道により変容された視覚が内面化されて絵画として表現されているからである。19世紀後半にセザンヌが生み出した新しい造形表現は、こうした同時期に発達した蒸気鉄道によりもたらされた新しい視覚的現実の影響という観点から一つの光を当てることができるだろう。

 

(1)Paul Cézanne, Correspondance, recueillie, annotée et préfacée par John Rewald, Paris, 1937; nouvelle édition révisée et augmentée, Paris, 1978, p. 165. 邦訳『セザンヌの手紙』ジョン・リウォルド編、池上忠治訳、美術公論社、1982年、122頁。

(2)Wolfgang Schivelbusch, Geschichte der Eisenbahnreise: Zur Industrialisierung von Raum und Zeit im 19. Jahrhundert, München, 1977; Frankfurt am Main, 2004. 邦訳、ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史――19世紀における空間と時間の工業化』加藤二郎訳、法政大学出版局、1982年。

(3)Cézanne, op. cit., p. 300. 邦訳、前掲書、236頁。

 

 

著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美術史家・美学者・キュレーター。
1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。
2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。
主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日-2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日-2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日-2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:高台寺掌美術館、会期:2022年3月3日-2022年5月6日)、「水津達大展 蹤跡」(会場:圓徳院〔高台寺塔頭〕、会期:2025年3月14日-2025年5月6日)等。

2010年4月-2012年3月: 京都大学こころの未来研究センター連携研究員
2011年4月-2013年3月: 京都大学地域研究統合情報センター共同研究員
2011年4月-2016年3月: 京都大学こころの未来研究センター共同研究員
2016年4月-: 滋賀医科大学非常勤講師
2017年4月-2024年3月: 上智大学グリーフケア研究所非常勤講師
2020年4月-2023年3月: 上智大学グリーフケア研究所特別研究員
2021年4月-2024年3月: 京都ノートルダム女子大学非常勤講師
2022年4月-: 京都芸術大学非常勤講師

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