「転石苔むさず」。
良く言えば自由の追求だが、悪く言えば蓄積や収穫が少ない。学会のたびに全く異なるテーマで口頭発表し、先生方から「あなたは一体何を専攻されている方ですか?」と訝しがられてきた私には少々耳の痛い言葉である。
「ローリング・ストーンな人生を歩んでいます」と嘯いてはみても、時に全く異なる研究者人生があったかもと反省しないではない。
「大学院生に必要なのは、語学と暖簾だよ」と教えてくれた先生がいた。何か一つのテーマの専門家になれば、仕事が回ってくるという意味だろう。
「一つのテーマについて世界中の文献に精通していることが、学者の学者たる所以です」と諭してくれる先生もいた。確かに、それがアマチュアとプロの違いである。
「一つの事を極めてから、横に広げていきなさい」と忠告してくれる先生もいた。それが学者として最も実力を高め世の中に貢献できる王道だと、馬齢を重ねた今ならよく分かる。
美術史において、そうしたプロの学者としての王道を極めた一人が、著者の森洋子氏である。おそらく、その名を見て「ブリューゲル」を連想しない美術史研究者は一人もいないだろう。それほど、ブリューゲルに関する論文や著作を数多く発表し、日本のブリューゲル研究を国際水準に高め、半世紀以上にわたりエレガントに牽引し続けてきた専門家であり第一人者である。
本書は、森氏の近年のブリューゲル研究の新たな集大成である。テーマが周辺領域に広がっても、核にブリューゲル研究があるので軸がぶれずに雅味が増している。約三〇〇点の図版がフルカラーであることからも分かるように、ブリューゲルへの愛情に、そして美術史という学問そのものへの愛情に満ち溢れている。
本来、常に関心が揺れ動く人間にとって、長年一つのテーマに自らを限定することはある種の苦行である。しかし、それを乗り越えた先に豊潤な「三昧」の境地が広がっていることは、本書からよく伺える。
いやいや、ブリューゲルのような近世西洋美術史のテーマなんて既に世界中で研究され尽くされたのではないですか、と思う人がいるかもしれない。そういう人にこそ、本書の一読を勧めよう。学問には、研究され尽くすことなどないと、知的快感を伴って実感できるはずである。
例えば、ブリューゲルと言えば、二つの《バベルの塔》を思い出す人も多いだろう。あの薄闇の中で暗雲を貫いて屹立する、雄大で不穏な螺旋状の巨塔の独特の印象深さは、一体どのような精神史的背景から生まれたのであろうか。

ピーテル・ブリューゲル《バベルの塔》1563年

ピーテル・ブリューゲル《バベルの塔》1568年以前
「バベルの塔」は、言うまでもなく『旧約聖書』の「創世記」11章に由来する。天まで届く巨大な塔を建設しようとした傲慢な人類に神罰が下り、巨塔は崩壊すると共にお互いに言語が通じ合わなくなってしまったという物語である。一般的には、分不相応な野望を持つことへの戒めとされる。
第Ⅱ部第二章「ブリューゲルの二つの《バベルの塔》の表象性」によれば、この画題はブリューゲル以前にも先行例が数多くある。中世からルネサンスにかけては、この塔は神に対する人間の限界を示す教訓として小さく描かれたり崩落して描かれたりしていた。
ところが、次第に塔は、建設する人間の勇気と技術を誇示するかのようにむしろ巨大かつ天高く描出されていく。その一つのピークが、ブリューゲルの二つの《バベルの塔》である。その背景には、当時大航海時代が開幕したことで、人間の限界を超えて不可能を可能にしようとする危険な挑戦こそが称揚された時代精神があったことが示唆される。この説明を聞けば、私にはもうこの二点はそうとしか見えなくなるほど説得力のある洞察である。
それでも、近世西洋の美術を研究することは現代日本人にとってどんな意味があるのですか、と尋ねる人もいるかもしれない。そういう人には、第Ⅱ部第四章「ブリューゲルの《ネーデルラントの諺》と古い日本の諺画像」の一読を勧めたい。
まず、「最小限の表現で人間の日常の知恵、教訓、警鐘、諷刺を伝える諺」自体は、「地域や時代の推移を超越し、普遍的な真理として東西で共通している」。その一方で、それを描き出す諺画については、「ブリューゲルの作品や十六世紀のネーデルラントの美術では、図像表現によっていかに道徳教訓的なメッセージを与え、民衆を教化するかに主眼が置かれた」が、「江戸時代の諺画はどこかユーモラスであり、見る者を楽しませ、強烈な教訓を避けながらも、自省を促している」という差異がある。
つまり、諺画が、西洋と日本では共に教訓的でありつつもその厳格さに差異が生じることには、西洋がユダヤ教=キリスト教の厳格な道徳教義に貫かれているのに対し、いわゆる無宗教の日本はそこまで厳格な道徳教義に貫かれていないという精神風土の差異が反映している。そうした差異を読み解く本書は、現代の私達に相互理解を深めさせてくれる知的に有益な東西比較文化論の書とも言えるだろう。
*『週刊読書人』2025年6月20日号より転載。