彩字記#10(採取者・市原尚士)

目くらましの大増量?

コメの価格が高騰しています。あまりにも高すぎます。備蓄米が放出されても、すぐに売り切れてしまう。日本人の主食なのに、いったいぜんたい政治家は何をしているのでしょうか? 政治が頼りないときは、国民が自衛するしかありません。

全国、津々浦々を回っている筆者が愛知県内の某博物館施設で見つけた、素晴らしい器具をご紹介しましょう。戦前、1942年に国民の間で使われていた「穀物増加器」(陶器)です。これはとんでもない発明品です。施設が掲示していたキャプションを全文引用しますね。

この代用品は米を炊くときに一緒に釜の中にいれると、上部の小さい穴から蒸気や湯が噴出して、少ない米でも多くなったようにみえるという道具です。わずかな米を少しでも増やしたいとの国民の心情をとらえた製品といえます。

愛知県内のミュージアムで出会った「穀物増加器」

少ない米しか入手できない国民でも「穀物増加器」をポンと炊飯器に入れるだけで、ぶわーっとあぶくが湧いてきて、大量のお米が炊けたように見えるわけですね。たくさんのお米を食べているイメージを持ちさえすれば、茶わんの中身が多少は少なくとも難なく乗り越えられるはずです。

「精神一到何事か成らざらん」です。「コメは多い、多い、実際は多い」とイメージトレーニングすれば、少ないお米でも満腹になります。「艱難辛苦汝を玉にす」です。コメ不足が人格陶冶につながるわけですから、むしろ、「ありがたい」という気持ちを持つべきです。飽食でたるんでいた人心を鍛える好機ととらえた方がよいのです。そして何よりも労せずして糖質制限ダイエットも実現できるのですから、まさにいいことずくめです。

2020年4月、コロナ禍の国内で配布されたアベノマスクも大変、ありがたかった思い出しかありません。石破政権も安倍晋三さん(故人)に負けてはいられません。穀物増加器を各家庭に1つずつ配布すれば、次の参院選で自民党が圧勝するのは確実でしょう。

博物館で展示されていた穀物増加器は戦前の製品でした。「温故知新」という言葉もあります。80数年前の大発明を現代に復刻・配布してみませんか、石破さん?

ところで、陶器が戦時下の国民に貢献したのと同様に、漆もお国の役に立っていたことは皆さん、ご存じでしょうか? 岩手県二戸市浄法寺の漆が、明治期から第二次大戦まで爆弾の塗装に使われていたのは有名です。詳述はあえて省きますが、漆が戦時中に果たした役割は決して無視できないほどの大きな意味があります。

陶器や漆が大活躍するわけですから、伝統芸能の詩吟だって負けていません。近代詩吟の祖・木村岳風(1899~1952年)の記念館(長野県諏訪市)を訪ねると陸軍大将・林銑十郎(1876~1943年)が揮毫した「吟道報國」の四文字が。

長野県諏訪市にある「木村岳風記念館」で鑑賞できる林銑十郎が揮毫した「吟道報國」

岳風の人生の軌跡をたどると、報國の熱い思いを抱きながら国内外を駆け回った姿がよみがえってきます。あまりにも真面目すぎたため、疲弊した彼は長く生きることができませんでした。彼の年譜をたどると詩吟でお国の役に立とうとして奮闘した生き方が分かります。

工芸、伝統芸能だけでなく、小説や絵画や音楽などなど文化芸術で戦争協力しなかったものはほとんど皆無です。どんなジャンルの人間も心の底から戦争に協力をしたのです。まったくもって立派な心掛けです。

さて、筆者は?
弱虫で卑怯者で、体力も気力も知力も皆無ゆえ、とてもお国のお役に立ちそうもありません。相済みません。

魔除けハウス

横浜市内を歩いていると、玄関前に奇妙な魔除け(?)を貼っているお宅に遭遇しました。銀色のシートを前方後円墳の形に切り抜き、貼っているのです。その下には、切りぬかれた「地」の部分となる長方形のシートも貼られています。つまり、切りぬいたものと切りぬかれたものが同一平面上に設置されている訳です。よく見ると、さらに長方形のシートには、小さめの前方後円墳の形が2つ切りぬかれています。

筆者が「前方後円墳ハウス」と名付けていたお宅の玄関付近

この、切りぬいたもの(≒図)と切りぬかれたもの(≒地)を並べて配置するというのは、プロの芸術家がよく行う手口の一つです。様々な作家がこの手法を用いて作品制作をしています。うまくはまると、非常に効果が高く、水際立った視覚的美感を鑑賞者に与えてくれるのです。ただ、このお宅のそれは、美しいというよりも、「魔除け」が目的の造形に見えました。前方後円墳の、あたかも“鍵穴”のような形状が見る者を威嚇しているような気がしたのです。

「外部の人よ、ようこそ、ようこそ」と歓待の精神でお出迎えするための鍵穴ではなく、内側に閉じこもり、小さな穴から血走った眼で外部を監視する人間のための鍵穴にしか見えなかったということです。鍵穴の向こうからこちらに黒い霧が妖気のごとく漂ってきています。非常に禍々しい雰囲気が滞留しており、筆者は背筋がゾクゾクッと寒くなり、その場を立ち去りました。

1か月ほど経過し、そのお宅を再訪したところ、前方後円墳シートはすべて撤去されていました。あの日、私が見たのは、もしかして幻だったのでしょうか?

まぁ、「幻」は大袈裟かもしれませんが、筆者のこの「彩字記」連載で取り上げている各物件は非常にはかないものが多いです。「美術評論+」で記事にしてから、「もう1回見に行こうか」と再訪すると、跡形もなく消え去っているケースが結構多いです。グラフィティにしても建造物にしても、ちょっと時間がたつとなくなっています。街と言うのは新陳代謝が意外と激しいのです。

セミの死骸を運ぶアリをあなたが観察しているとしましょうか。重たそうに引きずるアリの姿をしばらく見ていて、あまりにもゆっくりしているので飽きてしまい、ちょっと視線をそらして考え事をしたとしましょう。視線を再び地面に戻すと、セミの死骸もアリの姿も見当たらない。鈍重なヒキガエルがのそのそと歩いているのか、いないのか、分からないくらいの速度でたたずむ。これも少し目を離すと、いなくなっているのですからまったく驚きです。

あるいは、海に臨むお洒落なカフェで遠くの緩慢なタンカーをぼーっと見ているあなたがいるとしましょうか。見飽きて、手元の文庫本を2ページほど読んで、また視線を海に戻すとタンカーの姿が視界に入らない。これも狐につままれたようです。

街中の風景というのもこのアリやヒキガエルやタンカーとまったく同じです。だからこそ、筆者は「彩字記」でこつこつ記録して、皆さんにささいな発見をリポートしているわけです。

面白いけどためにならない。でも、消え去っていくものを記録することには、幾ばくかの意義はあろうかと思います。やがて、この世を去り、誰からも忘れ去られる存在であることを十分、自覚して、筆者は今日も街を歩き続けます。(2025年6月8日17時22分脱稿)

*「彩字記」は、街で出合う文字や色彩を市原尚士が採取し、描かれた形象、書かれた文字を記述しようとする試みです。不定期で掲載いたします。

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。