2017.06.12.L.bw.#07

迷路に彷徨えば、イメージの行きつく先はわからない  作品《2017.06.12.L.bw.#07》を起点とする      鷹野隆大「カスババ - この日常を生き延びるために-」

 写真、映像の作品群を通り過ぎているうちに「迷路」にはまり込み、観客たちにイメージのわからなさに遭遇させるのが、鷹野の意図であるらしい。
 作品の前で立ち止まって、読み取りは完結しても、そこを離れて歩きだす途端に、周囲の作品とのつながりを見つけるのにまた一抹の不安を感じる。
 そもそも展示空間からして制度への批判であり、鷹野が仕組んだ迷路は彼独特の社会地図に基づいている。

 展示会場構成プランの段階では個人的に「祭壇」と鷹野が名づけていた場所は、迷路のなかでさらに壁で囲まれている特殊な空間(ゾーニング)である。
 そこには作者ともう一人の男性がお互いの陰茎を握りあって微笑みながらこちらを見ている作品《2017.06.12.L.bw.#07》がある。この写真の撮影者は、鷹野であるはずだが、シャッターにつながるレリーズは男性の左手にある。カメラのシャッターを押したのは彼だ。だがレリーズは、彼の左手から身体を通して彼の陰茎につながり、その先を掴んでいるのは鷹野なのだ。鷹野から男性、そしてカメラへと、肉体レリーズは写真機とつながっている。鷹野が相手の陰茎を握る手に力が入る時、シャッターが落ちた(・・かもしれない)。

シャッターを押すことで写真が成立するのなら、誰がこの写真を撮影し、誰を被写体とすべきなのだろうか。これは鷹野の作品だと誰もが思い込んでいるが、実はこの男性の作品だと言えないものだろうか。
 こういうズレは至るところに仕組まれている。

2017.06.12.L.bw.#07

作品「2017.06.12.L.bw.#07」部分


《2017.06.12.L.bw.#07》を起点として

この《2017.06.12.1.bw.#07》は、展示空間に身体とセクシュアリティのテーマをいささか不穏なかたちで持ち込んだ作品であり、鷹野はこれをこの展覧会の起点としたという。

 「おれと」シリーズで、鷹野はモデルの男性と二人が全裸で並んだ写真を撮っている。この写真シリーズの始まりは、もともと公開するために撮影されたものではなく、鷹野が別シリーズの撮影の時にカラーチャートを持っていなかったので、自分の肌の色 を基準に色を合わせることを思いつき、モデルの横に並んで撮影したものだ。その始まりゆえに、ヌード撮影に凝った陰影を際立たす照明はなく、ただ全面に光がまわるように撮影されている。それが男性二人をわかりやすい明快さで映し出している。セルフポートレートは、本来、自分自身のジェンダー、身体、欲望、アイデンティティ、自己を表出するものとして、とりわけクィアの写真家にとって効果的な表現方法である。

 ナン・ゴールディンの代表作 “Nan one month after being battered”(1984)は、パートナーから凄まじいドメスティック・ヴァイオレンスを受けてあざだらけになった彼女の顔が捉えられている。そこには痛々しい内出血が目につく。しかし気がつくと彼女の髪はきれいに整えられていて、鮮やかに口紅をさしたセルフポートレートである。

 キャサリン・オピーの”Self-Portrait/Cutting”(1993)とSelf-Portrait/Pervert” (1994)は、約10年後に撮影された”Self-Portrait/Nursing”(2004)と時間を隔てつながったセルフポートレートのシリーズ作品である。90年代の作品は、彼女が属するレズビアンのコミュニティとのつながりが強く、またどちらも自身の身体を自ら刃物で傷つけている。Cuttingでは、家、女性、子供、犬、猫のような図像が刻まれ、Pervertは、変態を意味するPervertの文字が胸に刻まれている。一転してNursingでは子供を抱えて授乳している母子像になっている。

 鷹野のポートレートは、ゴールディンやオピーの写真のように、自己を取り巻く周囲の中の自分の主張を強調して見せているわけではない。鷹野の作品を「過激」と見るむきもあるかもしれないが、それは同性愛的な表現への文化的かつ心理的なバイアスがあるからのように思える。むしろ彼の表現は、彼自身が自然に馴染んできた周囲との対話の延長にあると思う。
 しかし鷹野、ゴールディン、オピーに共通しているのは、彼らそれぞれが持つ人間関係が背景にある。鷹野がそれを何度も繰り返し反芻しているように思えるのは、彼が作品のシリーズやタイトルを編集しなおしていることから察せられる。

 《おれとwith KJ#2(2007)》の2014年の愛知県立美術館での展示が、男性性器が露出しているとの匿名通報によって、警察が介入し撤去を求める事態になり、12点の作品の性器露出部分を布やトレーシングペーパーで覆うことになった。
 この件は、よく言われるように美術史としては、裸婦を描いた黒田清輝の絵画を布で隠す「腰巻き事件」(1901)を想起させるし、2008年の最高裁判決でロバート・メープルソープの写真集での男性性器の扱いは適法であると判断されたことなどを踏まえて、法的機関の検閲による表現の自由の規制として扱われるのが大勢であるだろう。しかしこの件の考察を、厳重に警備されていた会場にもかかわらず匿名者が警察に通報したという状況(つまり制度的な検閲が先行したのではない)から捉えると、ホモフォビア、性嫌悪、ホモソーシャル、ヘテロノーマティブなどの観点から捉える方が、現在のジェンダーと写真を巡る言説としては核心に迫るのではないだろうか。
 そしてクィア批評とそれを巡る論調は、決まりきった定義を拒否し、二項対立的な設定を避ける傾向にある。この事件が、もしも海外で起きたなら、「表現の自由」論議だけでは片付かないだろう。

今回の展覧会で鷹野は、《2017.06.12.L.bw.#07》を起点にして展覧会をイメージしたが、この写真を取り巻いているのは、彼の表現史となる多様な表現のシリーズである「毎日写真」、「ヒューマンボディ 1/1」、「スナップ動画」、「Photo-Graph」、「CVD19」、「立ち上がれキクオ」、「In My Room」、「おれと」、「日々の影」、「Red Room Project」、「Sun Light Project」、「カスババ2」、「東京タワー」であり、そして展覧会のタイトルは、、作品シリーズのタイトルでもある「カスババ」。
すでによく知られたことだが「カスババ」は、滓(カス)のような場(バ)の複数形という鷹野の造語である。
 このタイトルは、展示の場こそが、究極のカスババであることを示しているかもしれない。そしてここは時空間表現の場であり、同時に性的に放縦なる表現の場であるのだ。

鷹野隆大の東京都写真美術館での展示


それにしても鷹野の作品シリーズは、多様だ。ここでは批評的位置の変遷から、鷹野が起点とした作品《2017.06.12.
L.bw.#07》の批評につながる話を進めよう。
 20世紀後半には、文学や美術などの批評から、映画、テレビ番組、コミックス、雑誌、など広汎なマスカルチャー、社会制度、そして夥しい種類で流通する写真へと批評対象が広がっていく。
 映画批評では、ローラ・マルヴィが”Visual Pleasure and Narrative Cinema”(1975)で、ハリウッド映画が「男の視線(Male Gaze)」によって男性中心の異性愛による物語構造をつくり出していることを指摘し、フェミニズム映画批評が生まれ出た。フェミニズム批評の深化によって、批評はさらに内容を充実させ、フェミニズムはクィア批評へも発展的な道を拓いていく。
 ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、フェミニストの映画理論家であるアレクサンダー・ドウティーが、”Making things perfectly queer : Interpreting Mass Culture “(1993)で取り上げたのは、多くの視覚文化(映画、TV、音楽)を中心としたマス・カルチャーにおける聴衆と受容の構造にクィアな読み方「クィアリーディング(Queer Reading)」が可能であることだ。性的境界領域のみならず、社会現象や、権力や様々な社会構造への批評の深度が増していく。現在の視覚芸術批評として、クイア批評は大きな影響力を持っている。
 写真誌Aperture (Spring 2015)の特集「Queer Photography?」では、クィアな写真表現について写真批評家、写真家のヴィンス・アレッティは、次のように語っている。
 「ゲイという言葉は、更新されるまでは、より弱い言葉のままであった:繊細で、優柔不断で、弱々しい。叫ぶのではなく、声を上げるだけ。クィアはより挑戦的で、大胆で、強靭で、危険で、謝罪しない。そして、私から見れば、より開かれており、より包括的だ。クィアは飢えており、飽くことのない欲望を持っている。見た目、サイズ、性別はない。」だからクィアはゲイの写真家たちを吸収、評価し、さらにナン・ゴールディンらも取り込んだと言う。
 クィア理論は、性的マイノリティに限ったものではなく、既存の制度や基準を問うものとして、現在の視覚表現全般に大きな影響を与えている。それは例えば美術史が、いかに男性中心であるかをフェミニズム批評が指摘したことに端を発している。
 その後に様々な可視化が進むようになったのは、ジェンダーの多声化やポスト・アイデンティティとも言うべき状況になったからだ。

 クィア批評はそれらの包括的、発展的な展開となるとともに、広範に様々な表現に問いかけるようになった。海外の大学の授業、美術館のプログラムにも、クィア理論をベースにしたカリキュラムが頻繁に採用されるようになっている。またさらにクィア研究は、固定した定義を拒絶する動的なものであり、常に更新されている分野である。

鷹野隆大の東京都写真美術館での展示

 

写真とカメラの技術と概念

 鷹野の表現は、アレッティがクィアについて述べることのすべてに当てはまるが、しかしそれは彼の表現の一面を示しているにすぎない。
 ここでは彼の技術観にも注目したい。
 鷹野は、写真撮影には光学式フィルムカメラを使い、デジタルカメラは使わない。展覧会場で見られる映像作品は、スマホカメラで撮影されている。

 制作は、通常のカメラ撮影だけに止まらず、次の4つの独特な手法も用いて成果を出している。

 「ヒューマンボディ1/1」は、題名が示すように、身体を4×5インチ・フィルムでモデルの身体を原寸で撮影し、それを繋ぎ合わせると被写体と等寸の身体イメージを持った原板が出来上がる。それを印画紙にコンタクト・プリントしたものだ。この方法の特異さにも関わらず、自然に醸成されていて興味深い。

 「Red Room Project」。フォトグラムは、19世紀に開始され、モホリ=ナジ・ラースローやマン・レイも使ったものであるが、「”影の写真”ではなく、”影そのもの”を残すことはできないか」という考えのもとで制作されたという。印画紙を壁に貼り込み、映った影を採取。床にも印画紙を貼り込むと、三次元の立体的な関係になり、鷹野は「影の彫刻」と呼んでいる。この三次元感覚は、錯視によるステレオグラムのような立体視写真ではなく、むしろ直交座標上で変化する時間と距離である。この技法を用いた作品《2019.12.31.P.#02(距離)》は、展覧会のポスターにも使用されたもので、二人の人間の影を写したものであるが、印画紙に対して立っている距離が、影の濃淡と大きさを変えて見せる。これが二人の人間関係の微妙な性的なあり方を想像させる。

 「Sun Light Project」は、太陽光を使って影を、ソルトプリント(塩化銀プリント)で感光させるものである。太陽光によってできる影を採集しようとして写真の黎明期の技術に行き着く。感度が低く、30秒ほどの露光が必要になり、影の輪郭がぼやけてしまうが、それが独特の風合いを出している。
 この技術はウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットによって開発されたものだが、彼は光学研究の物理学者以外に政治家、考古学者、語源学者の顔を持つ。この古典技法が醸し出す魅力はそのようなところにも隠れているかもしれない。

 「CVD19」は、スキャナーを使って手の動きを「撮影」したものである。ゴム手袋をはめた手の動きが連続してスキャンされていて、インクジェット・プリント出力されたものが貼られた三角柱が並列されて波状の様になった立体物として壁にかけられている。タイトルは、COVID19を意味していて、この時期の閉鎖的な状況を表している。
 こういうスキャノグラフィーの使用も、鷹野の志向性の広さを表している。先端のスキャニングでは、テクスチャーのスキャニングデータをデジタル三次元化して、対象の受光の変化や、材料の質などを可視化できる。写真とはまた別の撮影技術として発展している。

これらの作品シリーズは、通常の写真の範疇に位置づけるよりも、むしろ写真を手段とした概念芸術的な表現である。また鷹野には、常に写真に対するシステム批評があることも銘記すべきことだ。

鷹野隆大の東京都写真美術館での展示

鷹野隆大の東京都写真美術館での展示

 動画についての考えにも端的に現れていて、動画作品は、iPhoneで撮影されている。 《2021.10.02.mov.#02》は、窓にかかるカーテンが揺れていて、隙間から外の景色がわずかに見え、風とともに屋外の音が聞こえる5分10秒間の映像作品である。ほとんど静止している映像の様だが、左側にある鏡が映像の左際の境界を突き抜けたりするので、手持ちで撮影しているのに気づく。

 また鷹野は、デジタル写真は「動画の亜種」だと言う。デジタルカメラは使わないが、動画となるとスマホを使う。
 この理由は簡便さからかもしれないが、今やスマホでも4K、さらに8Kの映像も可能になって、その1コマは静止画として拡大可能である。さらに言えば、スマホは正式に写真、映像の撮影手段でもある(アオリ撮影を活かす大判カメラが使用されてきた商用建築写真でも多くの建築物がスマホで撮影されている)。

 「毎日写真」シリーズは、1998年から欠かさず毎日一枚は写真を撮影することを自分に課しているものである。東京タワーは2001年から撮り始め、2007年からカラーポジフィルムで毎日撮影している。同様に自分の顔や日常的に身近なモチーフを撮影している。
 「東京タワー」の場合、自分のスタジオから定点で毎日撮影したものが、7105コマぶんになって、それを1コマ1秒で連続させてスライドショーにすると1時間58分25秒の長さになる。写真は時間を通して一つの映像メディアになる。
 写真による連続イメージは、映像のみならず、製本化された「ぱらぱら ソフトクリーム・歯磨き」、「ぱらぱら まりあ/としひさ」のシリーズにも見られる。

 写真やカメラのシステムやメカニズムそのものを対象とした作品を制作するのには、英国のコンセプチュアルアーティストのジョン・ヒリアードがいる。
 《Camera Recording Its Own Condition (7 Apertures, 10 Speeds, 2 Mirrors)》(1971)は、カメラ自体を被写体とし、「7つの絞り、10段階のシャッター速度、2つのミラー」の異なる絞り値とシャッタースピードの組み合わせによる70枚の写真をグリッド状に配置している。これにより、写真の技術的条件が画像に与える影響を視覚的に示している。
 《Sixty Seconds of Light》(1970)では、暗室用タイマーを被写体とし、秒針の動きを1秒ごとに撮影した12枚の写真を並べることで、時間と光の関係を捉えている。
 これらはカメラの構造から捉えた視覚が、異なる時間概念をもたらすことを扱ったものだ。
 さらにメディアとしての写真として、《Cause of Death》(1974)では、一つの死体の写真をトリミングを変えて4枚の写真にして並べ、それぞれに“Crushed”(圧死), “Drowned”(溺死), “Burned”(焼死),  “Fell”(転落死)という法医学的な分類のキャプションをつけている。。トリミングが異なり、キャプションが異なると、それぞれの写真が違って見え、法医学的な意味さえも変えてしまう。フレーミングは写真の読み方に影響を与える。つまりカメラは嘘をつかないが、写真は異なる”真実”を伝える。

 ヒリアードのようなコンセプチュアル・アートの写真作品の構造は、鷹野の表現にも見ることができる。
 日本では、コンセプチュアル・アートとしての写真の制作数は限られているが、70年代の同時期に、「写真批評 第1号(1973)」は、「特集=コンセプト・フォト」を組んでいる。「コンセプト・フォト」は、ここでの命名だが、欧米のコンセプチュアル・アートの影響を受けたものだ。
 1983年に東京都国立近代美術館、京都国立近代美術館で開催された「現代美術における写真:1970年代の美術を中心として」展は、ポップアートとその後のコンセプチュアル・アートや他の傾向の国内外のアーティストの写真作品が展示されている。これは展覧会名が示すように、現代美術家の写真である。
 ただこの展覧会には、高松次郎はなぜか含まれていない。太宰府天満宮での『高松次郎|鷹野隆大「“写真の写真”と写真」』(2009)で鷹野が相見える高松次郎の写真は入っていない。展覧会名にある“写真の写真”は、高松次郎の唯一の写真シリーズ作品である。
 この度の展覧会で、鷹野と高松次郎を結ぶ線は、ライブ・ビデオ・インスタレーション「左と右(Live)」で見ることができる。大型モニターに映し出されるのは、まさに高松次郎の「影」のシリーズに描かれている人物の影のように見える観客の影である。高松の作品に描かれた影は不在を表しているが、鷹野作品で映し出される観客の影は、自分の動きをフォローする実在である。

 

鷹野隆大の東京都写真美術館での展示 

 鷹野の作品は、セクシャリティを巡る表現があり、他方で概念美術的なアプローチを見ることができる。後者は、さらに時間性、場を含め多岐に枝分かれしている。この多様さこそが鷹野の表現である。今回の展覧会は、1988年からの37年間の鷹野の表現の蓄積であり、考察すべきことは多々ある。これだけ多様な表現の課題を抱えている写真家は他にいない。これからどのように展開していくのだろうか。

 あらためて最後に一つ気になるのは、この展覧会の副題「この日常を生き延びるために」である。日常を生きのびるという副題をつけた理由は何だろうか?
 これには鷹野自身が答えるしかない。しかし勝手ながらクィア批評の文脈から日本社会についての追加情報を付け加えるなら、日本の「ジェンダー・ギャップ指数(世界経済フォーラム2024)では、日本は146か国中118位と驚異的に後進なのだ。

 

 

 

鷹野隆大 カスババ―この日常を生きのびるために―展
東京都写真美術館 2025年2月2日ー6月8日開催


文中で取り上げた作品例:

ナン・ゴールディン
Nan Goldin
 “Nan one month after being battered”(1984)
https://www.tate.org.uk/art/artworks/goldin-nan-one-month-after-being-battered-p78045

キャサリン・オピー
Catherine Opie
Self-Portrait/Cutting”(1993)
https://www.guggenheim.org/artwork/30354

Self-Portrait/Pervert” (1994)
https://www.guggenheim.org/artwork/12201

”Self-Portrait/Nursing”(2004)
https://www.guggenheim.org/artwork/14666

ジョン・ヒリアード
John Hilliard
“Camera Recording Its Own Condition (7 Apertures, 10 Speeds, 2 Mirrors)”(1971)https://www.tate.org.uk/art/artworks/hilliard-camera-recording-its-own-condition-7-apertures-10-speeds-2-mirrors-t03116

“Sixty Seconds of Light”(1970)
https://www.wikiart.org/en/john-hilliard/sixty-seconds-of-light-1970

“Cause of Death” (1974)
https://artscouncilcollection.org.uk/artwork/cause-death

 

文中の参考文献:

ローラ・マルヴィ Laura Mulvey ”Visual Pleasure and Narrative Cinema”(1975)
https://www.amherst.edu/system/files/media/1021/Laura%20Mulvey%2C%20Visual%20Pleasure.pdf

アレクサンダー・ドウティー Alexander Doty ”Making things perfectly queer : Interpreting Mass Culture “(1993)
https://www.upress.umn.edu/9780816622450/making-things-perfectly-queer/

Aperture (Spring 2015)
https://archive.aperture.org/issue/20150101

著者: (OKI Keisuke)

アーティスト/クリエイティブ・コーダー/ライター、多摩美術大学卒業(1978)李禹煥ゼミ。カーネギーメロン大学SfCI研究員(97-99)。ポスト・ミニマル作品を発表する一方、ビデオギャラリーSCANの活動に関わり公募審査などを担当。今日の作家展、第一回横浜トリエンナーレ、Transmedialeなどに出展。第16回「美術手帖」芸術評論佳作入選、Leonardo Vol. 28, No. 4 (MIT Press)、インターコミュニケーション(NTT出版)などに執筆、訳書に「ジェネラティブ・アート Processingによる実践ガイド」