ピンクの両義性 市原尚士評

ピンクという色を頭の中で思い浮かべたとしよう。何をあなたは連想しますか?

シェイクスピア「ロミオとジュリエット」第2幕第4場の中にこんなセリフがあります。ロミオの親友である貴族マキューシオとロミオの掛け合いです。

マキューシオNay, I am the very pink of courtesy.
(いや、むしろこの俺は礼節の権化さ)
ロミオPink for flower?
(権化様へのご褒美は、ピンクの花かい?)

ロミオのセリフの花は、おそらくはバラを指していると思われます。問題は、「ピンク」の比喩的な用法です。権化だけでなく、典型、精華などの意味を持っています。桃色を指す単語がなぜ、権化や典型などを表すことになったのか、語源ははっきりしないようですが、言語の意外性を示す用例として筆者は興味深く感じています。

OTA FINE ARTSで開催されているグループ展「Pink」も鑑賞していて、「このピンクは桃色と典型との両方の意味合いを兼ねたタイトルだな」と思いました。従来、女らしさや肉感性と結びつけられることが多かったのは、あくまでも男性優位な時代のこと。男性の決めつけ、押しつけに対して抗し続けてきた女性たちは現在、ピンクを主体性、連帯、抵抗、アイロニーの典型的事例・象徴として活用しています。とはいえ、いまだに女らしさと結びつけられることも多いピンクを巡る両義性に焦点を当てた展示に仕上がっており、大変、面白かったのです。

嶋田美子が中ピ連をテーマに据えた作品

嶋田美子(1959年生まれ)の「Right of Self-determination Red knots」(2023年)が注視するのは、ピンクの♀マーク付きヘルメットで知られた1970年代の女性活動家グループ「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合(中ピ連)」でした。中ピ連の活動を表現した絵が描かれ、その上部に赤い糸で「自己決定権」と縫われているのが読めます。布を貫通する針は痛みを伴いますが、あえてその痛みを引き受けてまで、自己決定権を訴える姿勢には、嶋田の闘魂が遺憾なく発揮されています。

ヨアダの作品群は、柔らかい対象に小さな金属製の鋲のようなものが刺さっている

1987年福建省生まれの中国人作家・¥ouada(ヨアダ)の作品群では、柔らかそうなラバーダック、風船、さらには身体の中でも一番柔らかい舌や唇などに金属製の鋲が撃ち込まれます。甘やかな雰囲気にアクセントとして冷たく硬い金属が加わるわけです。鍼灸において痛み(コリ)の根源となる身体部位に鍼が刺さったときのことを思い出してしまいます。実際はほんのちょっとしか鍼は身体に入り込んでいないのに、身体の奥深く10数センチくらいにまでぶっすりと入り込んだ感じがしませんか? ヨアダ作品における金属鋲も男性的な視線でがちがちに強張った身体に刺さった鍼のように機能しているように思えました。

朱鷺の色彩をブブ・ド・ラ・マドレーヌは注目した

ブブ・ド・ラ・マドレーヌ(1961年生まれ)の作品「 Pink is the color of the Japanese crested ibis_001」(2025年)は、言葉そのものへの疑問に根ざしています。日本には「桜色」「桃色」「朱鷺(とき)色」といった固有の色名があるにもかかわらず、なぜか外来語である「ピンク」という言葉が頻繁に使われることに対して疑問を抱いたブブは、「朱鷺」を作品のテーマに選んだのです。かつて絶滅の危機に瀕していた朱鷺の美しい色彩に焦点を当てるという点に一瞬、虚を突かれました。ロミオのセリフをもじれば、「Pink for crested ibis?」(ご褒美は朱鷺かい?)とでもなりそうです。

マリア・ファーラの作品。最上部のやや左側に男の瞳が存在している

マリア・ファーラ(1988年生まれ)の「“LOVE.MAGIC.JOY.FEMINISM”」(2025年)は画面の細部を見ると、とても面白いです。身体の線もあらわな格好でトレーニング中の女性4人を奥にコーチと思われる女性1人の計5人が室内。ガラス窓の向こうにヒールの高い靴を履いたビジネスウーマンが右方向に歩いています。なんの変哲もない光景、と言いたいところですが、ガラス窓の最上部に注目すると、カッと見開かれた目のような形象が描かれています。監視カメラのメタファー? いえいえ、これは男の粘っこい視線でしょう。

女性を物体化する癖があるように思えるルネ・マグリット(1898~1967年)の絵に出てくる目のようです。この目に気が付いたとき、筆者の頭に最初に浮かんだのは、バーバラ・クルーガー(1945年生まれ)の白黒の女性の石膏像(横顔)の画像に“Your gaze hits the side of my face”(オマエの視線が私の顔の横側にぶつかっている)という文字が左側に配置された有名な作品でした。いやらしい視線は確かに存在しています。しかし、その瞳はあまりにも小さい。男の視線を跳ね返すように、いきいきとトレーニングに励む女性たちの姿が目に焼き付きます。「男の視線なんて気にしないよ」と高らかに主張しているようで、一層すがすがしいほどでした。

本展には、草間彌生(1929年生まれ)、チェン・ウェイ(1980年生まれ)、ミン・ウォン(1971年生まれ)、半田真規(1979年生まれ)の力作も並んでいます。アジア圏、フェミニズムといった現在、重要視されているワードを重視する展示活動を長く続けてきたOTA FINE ARTSの面目躍如といっていい充実の内容です。(2026年12月30日13時13分脱稿)

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。