移動と色彩から見る画家の足跡「デイヴィッド・ホックニー展」東京都現代美術館 三木学評

展示風景

 「デイヴィッド・ホックニー展」
会期:2023年7月15日(土)~11月5日(日)
会場:東京都現代美術館

7月から東京都現代美術館で始まった「デイヴィッド・ホックニー展」ももう終わろうとしている。残念ながら国内での巡回はない。昨年、展覧会が開催された、ゲルハルト・リヒターと並び、存命している画家の中で最高峰と言われるホックニーの大規模個展が日本で開催されることはしばらくないだろう。日本では、1996年以来、実に27年ぶりとなる大規模個展となる。時間がなく深い考察はできないが、展覧会終了前にメモ程度に幾つか記しておきたい。

2018年には、《芸術家の肖像画―プールと2人の人物》(1972)が、クリスティーズで約9030万ドル(約102億円)という、現存画家の最高額で落札されて大きなニュースとなった。2017年には、生誕80年を記念した回顧展がテート・ブリテン(ロンドン)、ポンピドゥー・センター(パリ)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)を巡回し、テート・ブリテンでは50万人を動員して同館の記録を打ち立て、ポンピドゥー・センターでも60万人以上の来場者数を記録した。欧米においても大衆的な人気を持つ稀有なアーティストだ。

1996年、日本で開催された展覧会を見ていないが、現在とはまったく違うものだろう。ホックニーほど新しいメディアを使いこなしている画家も少ないため、表現媒体も著しく変化しているからだ。それと同時に、3次元の空間を2次元に描写するということにおいては変わることはなく、画家の内面を描く表現主義的やシュールレアリスム、あるいは抽象画を描くことはない。その点は一貫しており、その意味では、太古の壁画も、写真も、映画も同じ「Picture」であるというのがホックニーの主張だ。洞窟壁画からiPadまで、東西の地域の表現を美術史家、マーティン・ゲイフォードと縦横無尽に語った書籍『絵画の歴史』(木下哲夫訳、青幻舎、2017年、原題は「A History of Pictures」)も大きな注目を浴びた。

ホックニーの大衆人気も、何を描いているかわからない、という抽象画がないことが大きいだろう。多くの人々は印象派と同じような態度で鑑賞することができる。むしろ、印象派やゴッホのようなポスト印象派から、なぜよくわからない絵画に変容したのか、ということの方が多くの人々には謎かもしれない。

今回、初期作品から1960年代にアメリカの西海岸で描いた代表作、近年のiPadによるドローイング、ヨークシャーで描いた巨大絵画、さらにパノラマと絵巻物を融合させたような巨大絵画の新作に至るまで、100点以上を紹介する展覧会となった。その詳細は、すでに多くのレビューや解説が書かれているので、そちらを参考にしていただきたい。特に、ピカソを敬愛し、キュビスムの可能性を延伸していることは間違いない。キュビスムを含めて、遠近法ではないさまざまな描写の方法を試しているし、描写だけではなく、絵画の大きさや展示方法など、視覚体験の追求は尽きることがない。

ただし、私の場合は、色彩研究をしていることもあり、ホックニーの色彩に絞って興味深い点を挙げていきたい。

一つは、ホックニーの移動と色使いの関係である。戦後、アメリカに絵画やアートの主流が移る中で、印象派から新・印象派、ポスト印象派、フォーヴィスムの系譜にように、北ヨーロッパから南仏、北アフリカ、さらに南島への画家の移動が絵画の色彩に影響を与えるという要素が少なくなった(もちろん、抽象表現主義やカラーフィールドペインティングにも移動の足跡はある)。その中で、ホックニーは1964年、西海岸のロサンゼルスに移動することで、明らかに色面的で彩度の高い色使いへと変わる。西海外は気候区分で言えば、夏に乾燥する温暖な地中海性気候だ。強い日差しと感想した空気による、鮮やかな空とプール、書割のようなレイアウトの作品はホックニーの出世作である。

その点でも、ポスト印象派やフォーヴィスムの画家の移動をなぞっているともいえる。そのような画家の移動による色使いの顕著な変化というのは、より観念的になる戦後の画家にはあまり見られない。それも3次元を2次元に描写するという、ホックニーのスタイルが大きく影響しているだろう。

もう一つは、共感覚。ホックニーは、1981年、共感覚の研究をリードした、リチャード・E・サイトウィック自身に共感覚者として、非常に早い時期に認定されている(リチャード・E・サイトウィック、デイヴィッド・M・イーグルマン『脳の中の万華鏡』山下篤子訳、河出書房新社、2010年、p.237-244)。1974年、ストラヴィンスキーの『放蕩者のなりゆき』から舞台美術を手がけるようになり、その際、音楽から得られる共感覚を元にデザインをするようになった。ホックニーの共感覚は、音から色を知覚するいわゆる色聴共感覚だが、それ以外にも線や形といったものを感じるようである。サイトウィックは、ホックニーの舞台美術に関するコメントを読んで、共感覚者とうたがい、実際に実験をしてその事実を確かめた。

今回、共感覚を元にした、ステージデザインが展示されてなかったので、その側面はあまり強調されていなかったが、ピカソの最晩年の版画を手がけた刷師とコラボレーションした版画集《ブルー・ギター》(1976-1977)には、楽器と色による共感覚を思わせる描写が幾つも見られた。これはキュビスムの制作プロセスを解釈した版画としても知られているが、同時期から手がけたステージデザインと共感覚の影響が見られるといってよい。1970年代後半から、キュビスムや、遠近法ではないさまざまな見方を取り入れるようになるが、その背後で、抽象画を牽引したカンディンスキーのように、共感覚が重要な働きをしていたことも興味深い。

そして、ホックニーの故郷でもある、ヨークシャーの作品は、ある程度、写実的に見えるが、色彩に関してはかなり違う。イギリスの風景は、北フランスに比べてもかなり、抑制された色彩であるが、そうは見えない。フォーヴィスムとまではいかないまでも、相当色鮮やかに変えている。西海岸に移動して以降、身に着けた鮮やかな色彩を描く感覚が継承されており、その変化も面白い。

さらに、iPadペインティングとモニターによる表現である。実は、これこそ印象派、もっと言えば、モネを正当に継承した表現といっていい。まだ正式に発表してないが、モネの描いたいわゆる筆触分割の白は、紫外線が当たると発光する成分が入っている。そのことは、私たちの研究で明らかになっている。だから、屋外で見ると、モネの作品は現在のモニターのように発光していたはずである。戦後、絵画が痛まないように、美術館内では紫外線がカットされているが、モネの作品は自然光の下で見ないとその意味がわからないのだ。だから、モネは『睡蓮』を寄付した際、自然光下で見るように、と指示したのだ。

研究的側面でもホックニーは優れているが、そのことをホックニーがわかっているかどうかはからない。しかし、モネが絵画自体を発光させようとしていたことをなんとなく気付いている感じはする。そして、朝や夕方といった暗く微妙な天候においても、窓の外の変化を描き、それ自体を発光させることに成功している。

近代絵画や古今東西の絵画のあらゆる手法を貪欲に取り組み、全体をバージョンアップさせていることには舌を巻くしかない。色彩という側面だけ取り上げても、多くの表現を拡張していることは強調しておきたい。

著者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究、美術評論、ソフトウェアプランナー他。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行っている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹-色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。

https://etoki.art/

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