今日の現代美術に先行する日本の前衛芸術の歴史には、「アナキズム」がずっと底流に流れていたという。
本書を再読する前の話だが、“The Avant-Garde in Georgia (1900–1936)”という、ジョージア(ロシア語の旧称グルジア)のアバンギャルド美術の展覧会が2023年10月から2024年1月の日程でベルギーで開催されているというe-fluxの記事に目が止まった。
ロシア帝国の崩壊と10月革命の余波を受けて、ジョージアは1918年にロシアから独立した。しかし独立は1921年のソビエト連邦赤軍の侵攻のために短命に終わった。だがこの展覧会タイトルが示すように、1900年から始まったアバンギャルド運動は、西洋と東洋の文化が交わるこの国で、西洋の美術諸潮流の他にツァウム (Zaumロシア未来派の影響がある言語実験表現)、エヴリシング主義(ナタリア・ゴンチャロワが率いたロシアのアバンギャルド美術運動)、キュボ・フューチャリスム(Cubo-Futurism=立体未来主義。ロシア、ウクライナのアバンギャルド潮流)を含めて豊かに開花した。しかしスターリンによる大粛清を受けて1936年に幕を閉じることとなった。
このジョージアの例に限らず、20世紀初頭は、世界各地でアバンギャルドが花開いてさまざまな芸術的ならびに社会的な実践が繰り広げられた。そしてさまざまな政治潮流とも交わることになる。
このジョージアのアバンギャルドの場合は、共産主義者による「労働者国家」として理想化されていたソビエト連邦に蹂躙(別視点からは「解放」)される状況下にあった。
この時期、日本の国内はというと、1918年(大正7年)の買い占めによる米価格の暴騰に対する抗議に軍隊が出動した米騒動を経て、1920年(大正9年)に大正デモクラシーの山場として普選運動が最高潮となった。一方で同年3月に株価が大暴落し、各地の銀行で取付け騒ぎがおこった。第一次大戦後の景気では、激しいインフレと投機ブームがおこり、その反動で恐慌となった。産業界は首切りと賃金カットを実施し、それに抗する労働争議が頻発し、労働組合が激増し、農村では小作争議が拡大した。この年、初めてのメーデーが開催され、1万人が参加した。社会主義によるロシア革命のインパクトも大きい。このような社会状況に対処するため、8月に労働運動、農民運動などの活動を監視するために、政府は内務省に社会局を設置した。
20世紀初頭の日本の前衛美術について、歴史的な研究や考察が多々ある中で、「アナキズム」の思想性と行動から解き明かしていった「前衛の遺伝子 アナキズムから戦後美術へ」(2012)が、本書に先行した著者の第一作になる。
政治的論点からすれば、日本での社会主義運動の黎明期の大正時代は、アナキズム(正確には労働組合を基礎としたアナルコサンディカリズム運動)が共産主義より優位だった。だが運動としては自由連合主義を唱えるアナキズムが、党が指導することを主張する共産党に連なるボルシェヴィズムに敗北していく過程は、美術では後に結果として多様な表現領域にまたがった先鋭な美術表現の後退であり、その後はスターリン以降のソビエト連邦が進めた「社会主義リアリズム」のような形式的な貧しい表現になっていく。
1910年(明治43年)幸徳秋水らアナキストを中心とした社会主義者が明治天皇の暗殺計画容疑で検挙された大逆事件が起きた。この時の事件での逮捕者は数百人にのぼり、検察は26名を「明治天皇暗殺計画容疑」で起訴し、幸徳秋水をはじめ12名が証拠不十分にも関わらず、死刑になり他は無期刑などで入獄した。発端は信州であった明治天皇暗殺計画が発覚し4名の社会主義者が逮捕された「信州明科爆裂弾事件」を元にしているが、「幸徳事件」はこの信州の事件を利用した政府による冤罪事件であり、社会的に影響を増している社会主義への大弾圧であった。この時期の美術と社会主義的なアプローチは、小川芋銭や竹久夢二らに見ることができる。
政治状況だけがアバンギャルド芸術を生んだわけではなく、むしろその背景にあるのは、近代化によって自由な個人という人間像が広く受け入れられて、文化を形成していったことにある。個人意識の台頭を危惧して国家的統制を強めようとする政府との、文化的な軋轢は、アバンギャルドだけでなく、白樺派などの文学も含めて広い分野で見ることができる。実際に、穏健で理想主義的なものから急進主義までの差はあるが、社会主義が提唱した自由のあり方は童謡の歌詞にも反映するなど広範な人々を心情的に魅了している。
1919年に大正アナキズムが芸術分野で結実した「黒耀会」が日本の前衛=アバンギャルドの先駆けの役割を担ったと明言したのは、この書物の重要なことだ。
原始石器に用いられた黒耀石を由来に名称を冠した黒耀会は、通念としては美術団体ではなく社会団体として受け止められてきたため、従来の美術史のなかではそれほど重要視されてこなかった。だがいまとなっては、美術史の方法が、絵画とか美術館などに拘泥しすぎたのが、黒耀会の軽視の原因のように考えられる。
望月桂が率先した黒耀会の活動は、アナキストの自由奔放さに支えられて、無審査展や演劇を中心に、美術家のみならず、思想家、著述家、音楽家、漫画家、労働活動家など多彩な顔ぶれが揃ったし、食堂経営や勉強会なども組織し、むしろ現在の社会的に多様なアート活動に見られるようなもので占められていた。(望月桂に関しては、新たな研究調査が足立らによって進められていて結果が期待される。)
村山知義らの「マヴォ」が1923年、「未来派美術協会」が1920年に開始された。それらが日本の前衛美術運動の開始の通例として認められるよりも、黒耀会はわずかに早く活動を開始していた。
そしてマヴォや旧未来派美術協会、旧アクションなども含めて、新興美術運動が集まって1924年に「三科」に結集した。三科は翌年9月には分裂し、短命に終わったが、三科の分裂に働いたパワーバランスは、日本のこの時期の前衛芸術の状況を象徴している。
アナキストたちの展覧会は、絵画、彫刻にとどまらず、演劇、パフォーマンス、音楽、漫画などの領域を越境した表現がみられる。その後の現代美術を形作るファウンド・オブジェ、インスタレーション、インダストリアルなイメージなどが自由に展示されていた。盛況だった三科による3回の展覧会とともに「劇場の三科」という演劇イベントもあった。
マヴォを見れば、村山知義がドイツから帰国して、アナキズム、マルクス主義、未来主義、表現主義、ダダイズム、構成主義の影響を受けて自説の「意識構成主義」を唱え、彼らの思想や行動の核のようになった。
ところで芸術のアナキスト(あるいはマヴォの研究で知られるジェニファー・ワイゼンフェルドの言葉を借りれば「アーティスト – アクティヴィスト」atist-activist)たちが文化状況をリードしていた活動は、時代を経て、その後の現代美術との連なりは見えにくいし、また左翼運動が背景にあるアバンギャルドを脱色して語る傾向は常にあるだろうし、美術館や画壇が中心の主な美術史理解とは別のフローにあったと言える。だが重要なのは、むしろ現在の先端的な表現の先駆けを見ることができることだ。
この時期は、我が国の映画・映像芸術の黎明期であり、当時は映画・映像と前衛美術とが展示で一緒になることは、現在のように映像表現が美術展の多くの部分を占めるというようにはならないようだが、その後の実験映画、アニメーションあるいはメディアアートの原点もこの時期にあったと言えるだろう。これは同じく足立元著「裏切られた美術―表現者たちの転向と挫折1910‐1960」(ブリュッケ、2019)で述べられている。
20世紀前半は、世界的にアバンギャルド芸術が開花した時期であり、それはアートと、アナキズム、共産主義の主流と反主流、イタリア未来派に見られるファシズムも含めて政治思想との交感がさまざまに存在した。日本の場合は、アナキストを中心に社会主義者たちがアバンギャルドをリードした。
冒頭にあげたジョージアのアバンギャルドが1936年に途絶えたのとは理由は異なるが、やはり同じ時期には日本のアバンギャルドも終了していった。それは権力による拷問や殺害も含めて取り調べが厳しくなったこと以外に、運動主体の側でもプロレタリア美術運動のような党的で支配的な活動傾向に絡めとられて、表現が狭まったことにも起因している。
ところでアナキズムと美術史の関係は、19世紀に「アナキズムの父」と言われるピエール・ジョゼフ・プルードンが、リアリスト画家ギュスターヴ・クールベの絵画に見られる労働する人々の真の姿を描くことがアートの原則であるべきだと述べたことあたりから始まっている。
アナキズムが伝統的に主張してきたミュータリズム、「共生」は、人間中心だけではなく他の生物までも含めた生物や環境の視点に立つものである。
大杉栄が翻訳し、日本のアナキストにも大きな影響を与えたロシアのアナキスト、地理学者でもあるピョートル・クロポトキンの「相互扶助論」が、現在の社会活動家、エコロジストなどの間で支持されているのも、資本主義、共産主義にしろ、進化論ベースの思考が限界にぶち当たっているからだ。
最近、オランダのアーティスト・グループと台湾のデジタル大臣オードリー・タンがオンラインで対談するのを傍聴する稀有な機会があった。他でもよく問われている彼女の思想的な原点をここでもアナキズムとタオイズムとして語っていた。10代の頃から傑出したハッカーであるタンは、デジタル直接民主制(Digital Direct Democracy)と台湾で開始されたユニバーサル・ベーシックインカムのようなデジタル技術による社会変革を追求する。デジタル技術が共生を推進する手段として捉えられていることにオランダのアーティストたちは強い関心を持っていた。
アナキズムは、過去とは異なるフェーズで、このように存在しているものだ。
足立元 著 「アナキズム美術史 日本の前衛芸術と社会思想」 平凡社 2023
https://www.heibonsha.co.jp/book/b628510.html