その虎はやはり猫だった! 特別展「長沢芦雪」@大阪中之島美術館レビュー

江戸時代中期の画家、長沢芦雪(1754〜99年)が描いた虎は、実に魅力的である。大阪中之島美術館で開かれている「特別展 生誕270年 長沢芦雪 ー奇想の旅、天才絵師の全貌ー」を訪れて、芦雪が数多描いた「奇想」を見た。そのレビューを記しておきたい。

応挙ゆずりの動物愛

和歌山・無量寺蔵の《虎図襖》が、11月5日までの前期展示で出品されている(※)。襖の上下いっぱいを使って大きく描かれた虎の、画面から飛び出さんばかりの躍動的な表現が特徴的な作品だ。

※本記事に写真を掲載した作品はすべて【前期展示】です。

長沢芦雪《虎図襖》 江戸時代 天明6(1786)年 和歌山・無量寺蔵 重要文化財 【前期展示】

ただし、動物園で見ることができるような実物の虎を思い浮かべると、少々違和感がある。ずいぶんかわいいのだ。まるで、漫画のキャラクターのようでもある。そして、それが独自の魅力を生んでいる。長沢芦雪は、なぜこんな絵を描いたのだろうか。

虎は、江戸時代の襖絵でよく描かれた画題の一つである。中国絵画の画題が日本にもたらされただけではない。京都・二条城などの城で描かれたのは、虎の勇猛さが武士の館(やかた)にふさわしいという判断があったからと推察される。

一方、生きた虎は江戸時代の日本にはいなかった。つまり、ほぼ空想上の動物だったのだ。その点では、しばしば虎と対で描かれる龍と同じ存在感を持っていたはずだ。空想上の動物だからこそ、自由に表現できるということもあったのではないだろうか。

芦雪は、写生に長けた京都の名絵師、円山応挙の弟子だった。応挙もやはり虎を描いている。ただし、いかに写生に長けていても、実物の生きた虎を見て描くことは、当時の日本ではできなかった。

当時の絵師たちは、虎のイメージを中国伝来の絵画で認識していたとみられる。しかし、応挙はそれらを模倣するだけでは、おそらく不十分と感じていたのだろう。代わりになるものとして、写生の対象にしたのは、猫だった。弟子の芦雪もまた、猫を参考にして虎を描いた。目が点ではなくスリット状になっているのが、その証拠だ。

ちなみに、応挙の絵には動物愛が見られる。この展覧会に出品されている応挙の《仔犬図》に描かれた子犬の絵のかわいらしさが、それを物語っている。応挙はほかにも子犬をたくさん描き、芦雪も追随するかのように子犬を描いている。愛着のある動物の姿を描いたのは、応挙ゆずりと言ってもいい側面ではないかと思う。

円山応挙《仔犬図》 江戸時代 天明7(1787)年 【前期展示】 展示風景

和歌山で画家の本質が開花

それにしても芦雪の虎はユーモラスだ。芦雪がこれほどまでに弾けた表現をした理由は、描いた状況から推察できる。描く場となった和歌山・無量寺は、紀伊半島のほぼ最南端にある。

無量寺は応挙に襖絵を依頼したのだが多忙だったため、弟子の芦雪に委ねた。よほど信頼できる弟子だったのだろう。技術をしっかり継承していたことは、応挙が得意とした孔雀の画題を細密に描いた作品からもわかる。

長沢芦雪《孔雀図》 江戸時代 18世紀 静岡県立美術館蔵 【前期展示】 展示風景

環境は人を変える。旅をして襖絵を描くために和歌山に逗留した芦雪はおそらく、心が解き放たれたのである。筆者は数十年前、芦雪の作品を見るために無量寺を訪ねたことがある。奇岩がそびえる海岸などがあり、風光明媚な土地だったことが、脳裏に焼き付いている。

伝統文化の存在感が大きな京都を出て和歌山に移動し、師の応挙もいなくなった中で芦雪の画家の本質が開花したと見るのは、極めて面白く、しかし妥当な推測なのではないだろうか。無量寺に《虎図襖》を描いた8年後の1794年に描いた《蹲(うずくま)る虎図》はさらにデフォルメされた姿をあらわにしており、相当にチャーミングである。

長沢芦雪《蹲(うずくま)る虎図》 江戸時代 寛政6(1794)年 【前期展示】 展示風景

応挙は江戸時代の美術を代表する正統派の絵師として、日本美術史では扱われてきた。一方、芦雪は、1970年刊行の書籍『奇想の系譜』(辻惟雄著)で取り上げられ、伊藤若冲や曾我蕭白とともに徐々に注目を高めてきた絵師だ。この展覧会でも、「奇想」というキーワードで眺めることのできる作品が多数展示されていた。

長沢芦雪《方寸五百羅漢図》 江戸時代 寛政10(1798)年 【前期展示】 展示風景

長沢芦雪《方寸五百羅漢図》を拡大した写真を掲載したパネル

《方寸五百羅漢図》は「奇想」の最たるものである。画面はわずか3.1cm四方。小さな画面の中に白象とそれに乗っていると思われる釈迦、多くの羅漢と虎、龍がぎっしりと描かれており、彩色も施されているのである。《虎図襖》とは対極の表現にして、技術の粋を見せている。これほどの「奇想」は、ほかになかなか見られない。

長沢芦雪《蕗図》 江戸時代 18世紀 【前期展示】 展示風景

長沢芦雪《蕗図》(部分)

この展覧会で初公開という《蕗図》も印象に残る「奇想」の作品だった。太い茎と大きな葉を持つ秋田蕗に絵の具を塗り、紙に押し付けて、その葉脈など細部まで写し取ったものという。この作品における「奇想」は、多くの蟻(あり)を芦雪が加筆したことだ。近寄って見て初めて、それがわかる。

この展覧会は、芦雪の全貌を見渡すことで「奇想」はやはり芦雪の本質であることがよくわかる貴重な機会となった。

【展覧会情報】
展覧会名:特別展 生誕270年 長沢芦雪 ー奇想の旅、天才絵師の全貌ー
会場:大阪中之島美術館
会期:2023年10月7日〜12月3日
(前期:10月7日〜11月5日、後期:11月7日〜12月3日)
公式ウェブサイト:https://nakka-art.jp/exhibition-post/rosetsu-2023/

著者: (OGAWA Atsuo)

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩美術大学芸術学科教授。「芸術と経済」「音楽と美術」などの授業を担当。一般社団法人Music Dialogue理事。
日本経済新聞本紙、NIKKEI Financial、ONTOMO-mag、東洋経済、Tokyo Art Beatなど多くの媒体に記事を執筆。多摩美術大学で発行しているアート誌「Whooops!」の編集長を務めている。これまでの主な執筆記事は「パウル・クレー 色彩と線の交響楽」(日本経済新聞)、「絵になった音楽」(同)、「ヴァイオリンの神秘」(同)、「神坂雪佳の風流」(同)「画鬼、河鍋暁斎」(同)、「藤田嗣治の技法解明 乳白色の美生んだタルク」(同)、「名画に隠されたミステリー!尾形光琳の描いた風神雷神、屏風の裏でも飛んでいた!」(和楽web)など。著書に『美術の経済』(インプレス)