上海AAEFアートセンター・シンポジウム『アジア・ライヴ:実験芸術の現状と未来』「現代東アジアの前衛芸術における伝統の問題」秋丸知貴評

 

ハロー! ニーハオ! アンニョンハセヨ! こんにちは!

私は、日本の美術評論家でキュレーターの秋丸知貴です。

私は、本日の皆さんの講演をとても興味深く拝聴しました。基本的に、私は皆さんのそれぞれの意見に共感を覚えます。それは、私達は国や立場が異なっても、西洋と対比した場合には東アジア諸国として一つの運命共同体であり、何よりもまず芸術には人類全体にとって普遍性があるからだと思います。最初に申し上げておきたいことは、私の関心は文化の多様性と共に共通性にあるということです。

私は、日本から来ました。日本は、「極東」と呼ばれています。地理上、「極東」とは世界の一番東側にある国という意味です。文化史上、日本は西洋と東洋を結ぶシルクロードの一番東側の終着点でした。ちょうど今、私も皆さんの一番東側の席、つまり一番右側の席に座っています。だから、私は芸術を通じた文化交流の話をしたいと思います。特に、現代東アジアの前衛芸術における伝統の問題を取り上げたいと思います。

基本的に、一つの国における文化には二つの方向性があります。一つは自国の文化に基づく方向性であり、もう一つは外国の文化の影響を受ける方向性です。私は、その両方が必要だと思います。なぜなら、もし私達がより良く生きようとするならば、自分の長所を生かすと共に、他者の長所を取り入れることはとても大切だからです。これは、文化の一分野である芸術でも同様であると私は考えます。

古来、日本は自国の文化に外国の文化を取り入れてきました。19世紀半ばまでは、基本的に日本は中国と韓国の文化を学んできました。19世紀半ばからは、主に日本は西洋の文化を学んでいます。興味深いのは、外国の文化の影響を受けた場合でもそこには自国の文化の特徴が現れることです。やはり、これは文化の一分野である芸術でも同様であると私は考えます。

実際に、現代日本を代表する芸術運動である具体美術協会ともの派には、西洋志向と伝統志向の両方が現れています。

 

図1 白髪一雄《天富星撲天雕》1963年

 

図2 吉原治亮《No.T0281》1965-1970年

 

まず、1950年代から1970年代まで活動した具体美術協会には、同時代の西洋の抽象表現主義やアンフォルメルの影響があります。実際に、身体を使って荒々しく絵の具をキャンバスに塗り広げる、ジャクソン・ポロックと具体美術協会の画家・白髪一雄の作品はとてもよく似ています(図1)。それと同時に、白髪は自分の制作には仏教寺院の「血天井」の影響があると述べています。「血天井」とは、戦争で斬り合って死んだ戦士の供養のために、その血痕の付いた板を仏教寺院の天井に使用する慣習です。また、具体美術協会のリーダーである吉原治良の絵画には、仏教の宗派の一つである禅宗の「円相」が反映しています(図2)。「円相」とは、禅宗における人間の理想的な心理状態を絵画化したものです。つまり、具体美術協会には、同時代の西洋の影響だけではなく、仏教に培われた日本の伝統的な心性も現れています。そして、538年以来、日本はインド発祥の仏教を中国と韓国を通じて公式に学びました。

 

図3 関根伸夫《位相‐大地》1968年

 

図4 小清水漸《雪のひま》2010年
現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ」展(2021年)の両足院での展示風景

 

また、1970年前後に活躍したもの派には、同時代の西洋のミニマルアートやランドアートの影響があります。できるだけシンプルな素材を使って抽象的なインスタレーションを行う、ドナルド・ジャッドやリチャード・ロングと、もの派の代表的作家である関根伸夫や小清水漸が類似性を持っていることは誰もが気付くでしょう(図3)。それと同時に、関根や小清水は仏教寺院や神社の庭園から示唆された作品も制作しています。つまり、もの派には、同時代の西洋の影響だけではなく、自然に聖性を感受する日本の伝統的な大自然信仰も現れています。これを確かめるために、私は日本の由緒ある大きな仏教寺院でもの派に関する展覧会を行いました(図4)。そして、この大自然信仰は、日本のみならず中国・韓国を含む東アジア全体に共通する伝統的な心性ではないでしょうか。私達は、自然環境危機の今こそ芸術を通じてそうした共通性に目を向けるべきだと思います。

 

図5 藤井湧泉《蓮》2007年

 

もう一つ、例を出しましょう。現在、日本で活躍している藤井湧泉という画家がいます。彼は、中国名を黄稚と言い、1964年に中華人民共和国江蘇省で生まれ、蘇州大学藝術学院を卒業し、北京服装学院の講師を務めました。1992年に来日して日本人女性と結婚した後は、約30年間京都で活動しています。湧泉は、金閣寺を始めとする日本の代表的な禅宗寺院に数多くの水墨画を描いています。当初、湧泉は画面全体をモティーフで埋め尽くす描き方をしていました。それは、中国的な足し算の美意識だったと言えます。これに対し、次第に湧泉は日本の伝統的な絵画を学び、画面の半分は従来通り濃密に描きつつ、もう半分は新たに大胆に余白にしたりするようになりました(図5)。これは、日本的な引き算の美意識だと言えます。湧泉は、中国人でも日本の伝統的な美意識は理解できると言います。なぜなら、中国人も日本人も同じ人間であり、中国と日本は別の方向に美意識を発達させたけれども、本来人間は両方の美意識を持っているので、お互いを提示し合えばお互いに理解できるからです。だから、湧泉は画家として、世界に新しい美を生み出すと共に、中国の足し算の美意識を日本に伝え、日本の引き算の美意識を中国に伝えたいと語っています。この湧泉の思想や作品は、国際的な文化交流や芸術活動を考える際にはとても参考になると思います。

私は、芸術を通じてお互いの文化を尊重することで、お互いを人間として尊敬し合うことができると信じています。そして、私達は芸術における前衛の中に伝統を探り、そこに私達の差異性と共通性を見出すことができると考えています。今、世界は様々な脅威や問題を抱えており、それらを協力して乗り越えるためには、私達は芸術を通じて特にその共通性にこそ注目すべきであると提案したいと思います。

なお、最後に芸術に関する概念を整理しておきます。古代ギリシャでは、何らかの目的を達成する「術」一般を「テクネー(techne)」と言いました。これがラテン語訳されてヨーロッパに引き継がれると「アルス(ars)」になります。西洋では、17世紀に科学革命が生じて数理的に正確な「科学(Science)」が成立すると、「術(techne/ars)」の内、科学に結び付くものだけが抜き出されて「技術(technique)」と呼ばれます。また、そうして結合した科学技術は、一語で「テクノロジー(technology)」と呼ばれます。これに対し、「術」の内、残ったものが「芸術(art)」と呼ばれることになった訳です。従って、「芸術」は「科学技術」の補完概念であり、端的に言えば、芸術の定義は「合理的再現が不可能な術」です。その究極は、個性に基づくアイディアでしょう。それこそ、私達が「創造性」と呼ぶものです。この点で、「芸術」は西洋由来の概念ですが、人類全体にとって普遍性があると言うことができます。そして、こうした芸術の内、触覚性の強いものが「工芸(craft)」つまり「実用芸術(practical art)」と呼ばれ、視覚性の強いものが「美術(fine art)」つまり「純粋鑑賞芸術(pure appreciation art)」と呼称されることになったのだと指摘しておきたいと思います。

 

■シンポジウム「亞洲現場:實驗藝術的現狀與未來(ASIA LIVE: THE CURRENT SITUATION AND FUTURE OF EXPERIMENTAL ART)」
会期:2023年11月11日
会場:上海AAEFアートセンター

【登壇者】
SHUN(モデレーター)
冯博一 Feng Boyi(四川美術学院元学長)
崔灿灿 Cui Cancan(キュレーター)
赵力 Zhao Li(中央美術学院・芸術管理教育学院・副学長・教授)
尹在甲 Yun Chea Gab(How美術館館長)
康在英 Kang Jae Young(2023清州工芸ビエンナーレディレクター)
崔孝俊 Choi Hyo Joon(ソウル市立美術館館長)
南條史生 Fumio Nanjo(森美術館特別顧問)
沓名美和 Miwa Kutsuna(キュレーター)
秋丸知貴 Tomoki Akimaru(美術評論家・鹿児島県霧島アートの森学芸員)

 

著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto(虚白院 内)、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2020年4月から2023年3月まで上智大学グリーフケア研究所特別研究員。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。上智大学、滋賀医科大学、京都芸術大学、京都ノートルダム女子大学で、非常勤講師を務める。現在、鹿児島県霧島アートの森学芸員。

【投稿予定】

■ 秋丸知貴『近代とは何か?――抽象絵画の思想史的研究』
序論 「象徴形式」の美学
第1章 「自然」概念の変遷
第2章 「象徴形式」としての一点透視遠近法
第3章 「芸術」概念の変遷
第4章 抽象絵画における純粋主義
第5章 抽象絵画における神秘主義
第6章 自然的環境から近代技術的環境へ
第7章 抽象絵画における機械主義
第8章 「象徴形式」としての抽象絵画

■ 秋丸知貴『美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学』
第1章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について
第2章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラの凋落」概念について
第3章 ヴァルター・ベンヤミンの「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の問題について
第4章 ヴァルター・ベンヤミンの芸術美学――「自然との関係における美」と「歴史との関係における美」
第5章 ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――「複製技術時代の芸術作品」再考
第6章 ヴァルター・ベンヤミンの鑑賞美学――「礼拝価値」から「展示価値」へ
第7章 ヴァルター・ベンヤミンの建築美学――アール・ヌーヴォー建築からガラス建築へ

■ 秋丸知貴『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛かりに』
序論 近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究
第1章 近代絵画と近代技術
第2章 印象派と大都市群集
第3章 セザンヌと蒸気鉄道
第4章 フォーヴィズムと自動車
第5章 「象徴形式」としてのキュビズム
第6章 近代絵画と飛行機
第7章 近代絵画とガラス建築(1)――印象派を中心に
第8章 近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に
第9章 近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に
第10章 近代絵画と近代照明(2)――抽象絵画を中心に
第11章 近代絵画と写真(1)――象徴派を中心に
第12章 近代絵画と写真(2)――印象派を中心に
第13章 近代絵画と写真(3)――ポスト印象派・新印象派を中心に
第14章 近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム・キュビズムを中心に
第15章 抽象絵画と近代技術

■ 秋丸知貴『ポール・セザンヌと蒸気鉄道 補遺』
第1章 ポール・セザンヌの生涯と作品――19世紀後半のフランス画壇の歩みを背景に
第2章 ポール・セザンヌの中心点(1)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第3章 ポール・セザンヌの中心点(2)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第4章 ポール・セザンヌと写真――近代絵画における写真の影響の一側面

■『岸田劉生と東京――なぜ近代日本美術において写実表現は凋落したのか?』
序論 日本人と写実表現
第1章 岸田吟香と近代日本洋画――洋画家岸田劉生の誕生
第2章 岸田劉生の写実回帰 ――大正期の細密描写
第3章 岸田劉生の東洋回帰――反西洋的近代化
第4章 日本における近代化の精神構造
第5章 岸田劉生と東京

■ 秋丸知貴『もの派の根源――現代日本美術における伝統的感受性』
第1章 具体美術協会ともの派のミッシングリンク1
第2章 具体美術協会ともの派のミッシングリンク2
第3章 具体美術協会ともの派のミッシングリンク3
第4章 関根伸夫《位相-大地》論――日本概念派からもの派へ
第5章 現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相-大地》(1968年)から《空相-黒》(1978年)への展開を中心に
第6章 関根伸夫《空相-皮膚》論――位相幾何学的小宇宙
第7章 Qui sommes-nous? ――小清水漸の1966年から1970年の芸術活動の考察
第8章 現代日本美術における土着性――小清水漸の《垂線》(1969年)から《表面から表面へ-モニュメンタリティー》(1974年)への展開を中心に
第9章 現代日本彫刻における土着性――小清水漸の《a tetrahedron-鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に

■ 秋丸知貴『比較文化と比較芸術』
序論 比較の重要性
第1章 西洋と日本における自然観の比較
第2章 西洋と日本における宗教観の比較
第3章 西洋と日本における人間観の比較
第4章 西洋と日本における動物観の比較
第5章 西洋と日本における絵画観(画題)の比較
第6章 西洋と日本における絵画観(造形)の比較
第7章 西洋と日本における彫刻観の比較
第8章 西洋と日本における建築観の比較
第9章 西洋と日本における庭園観の比較
第10章 西洋と日本における料理観の比較
第11章 西洋と日本における文学観の比較
第12章 西洋と日本における演劇観の比較
第13章 西洋と日本における恋愛観の比較
第14章 西洋と日本における死生観の比較

■ 秋丸知貴『ケアとしての芸術』
第1章 グリーフケアとしての和歌――『辞世』を巡る考察を中心に
第2章 グリーフケアとしての芸道――オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』を手掛かりに
第3章 絵画制作におけるケアの基本構造――形式・内容・素材の観点から
第4章 絵画鑑賞におけるケアの基本構造――代弁と共感の観点から
第5章 フィンセント・ファン・ゴッホ論
第6章 エドヴァルト・ムンク論
第7章 草間彌生論
第8章 アウトサイダー・アート論

■ 秋丸知貴『芸術創造の死生学』
第1章 アンリ・エランベルジェの「創造の病い」概念について
第2章 ジークムント・フロイトの「昇華」概念について
第3章 カール・グスタフ・ユングの「個性化」概念について
第4章 エーリッヒ・ノイマンの「中心向性」概念について
第5章 エイブラハム・マズローの「至高体験」概念について
第6章 ミハイ・チクセントミハイの「フロー」概念について

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