新たな気候美術へ向けて―岩泉慧の「データ山水」の試み「岩泉慧展 What it is I know not…」三木学評

岩泉慧個展「What it is I know not… -なにごとの おはしますかは知らなねども-」
会期:2021年4月21日(水)~5月2日(日)
会場:kumagusuku  https://kumagusuku.info/

岩泉慧は、日本画材を使用した美術家であり、画材の研究者でもある。膠の研究で博士論文をとり、寺田倉庫の画材ラボ、PIGMENT TOKYOの館長として勤めた後、母校である京都芸術大学で教鞭をとる。岩泉と私の交友は、2017年に岩泉と友人の画家、中村ケンゴ氏に誘われ、PIGMENT TOKYOでトークイベントをしたことがきっかけである。私は2014年末、写真家・著述家の港千尋氏と共編著で、港が撮影したフランスの写真40枚を色彩分析した『フランスの色景』[1]を刊行しており、それを読んだ岩泉と中村が、私を呼んで日本の色彩と地理、画材の関係をテーマにトークイベントを開催したいと依頼してきたのだった。

「日本画」と言うジャンルは、明治以降、「洋画」と対峙する概念として、狩野派や土佐派、円山派、浮世絵など、日本に伝わる様々な流派の絵を一つにカテゴライズして創出されたものだ。「洋画」はすでに近代化しており、移動可能なタブローとして教会や特定空間から切り離されていた。日本の絵画は、それまで寺社仏閣や武家の家屋の床の間や応接間などに飾られ、建物の機能「建具」として属していたが、「日本画」となり芸術表現として純化され、掛け軸や襖、屏風などから額へと置き換えられていった。設置される空間も、ホワイトキューブとまではいかないまでも、家屋に組み込まれるものではなくなった。その時点で、「日本画」は相当に近代化しているといえる。

その後、フェノロサや岡倉天心が指導し、顔料が改良されたり、西洋の補色を利用した色彩調和論が取り入れられたり、ついには、輪郭線を引かない、いわゆる「朦朧体」のような印象派風の空気を描く描法が開発されたりするなど、西洋的な手法をどんどん取り入れるようになる。次第にはモチーフもどんどん「洋画」を追いかけるようになり、「洋画」との違いは、残るは「画材」のみとなってしまう。そのわずかに残された「画材」という「日本画」のアイデンティティから、日本の絵画の失われた特性を見出そうという試みであった。

展覧会風景

トークイベントは、私が紹介したフランスのカラリスト、ジャン・フィリップ・ランクロの提唱した「色彩の地理学」というコンセプトに着想を得て、日本の地理的な視点から日本の絵画を捉えなおそうということになった。ランクロはかつてフランス全土の土を拾い、その色の違いが地域のカラーデザインに反映されていることを指摘したのだった。[2]ただし、それだけでは不足である。

私は、『フランスの色景』でフランスの風景写真を色彩分析する中で、多色色相と補色を上手く利用した配色の法則を見出していた。しかし、日本で同じような配色をすればくすんだものとなり、映えないだろうということは予測できた。また、フランスの美術教育を受けてない人々が自然に実践していることでも、日本人の感覚ではアーティストやデザイナーでも難しいと考えられた。逆に、素材や質感を重視する日本の美術について、色彩という尺度でだけ分析することは難しいと考えていた。それらの要因は何か。おそらく気候が大きく影響しているのではないか。様々な色彩分析を行ったり文献を読んだりする中でそう考えるようになっていた。そこで気候と質感の問題を足して、「色彩と質感の地理学」と銘打ったトークイベントにしたのだった。だから、ここで言う地理学の中には気候学(地理学的気候学)も含まれている。

西洋絵画の発祥地であるイタリアなどの地中海性気候は、日差しが強く、大気が乾燥しているため(指向性の強い照明)、ハイライトとキャストシャドウが明確に出ることに対し、東アジアや日本などのモンスーン気候では、雨や曇りが多く光が散乱するため(拡散照明)、陰影が明確に出ない。それはそのまま立体的、平面的といったそれぞれの絵画様式に反映されている。近年、気候による照明環境が人間の認知モデルを形成し、それが絵画様式に影響を与えていることが指摘されているのだ[3]

特に脳の認知では、色覚は「質感或いは材質認知の機能の一部」[4]とされており、質感を把握しにくい大気を持つ日本のような場所では、質感の認知を遮るような色使いは生理的に好まれないのではないか。逆に、素材に敏感でそれを全面に出すアーティストや建築家が多かったり、画材に執着したりするのも日本の気候に起因するものだと思われた。

トークイベントの中で私は、近代以降、気候が絵画に与えた影響として、印象派からポスト印象派、新印象派、フォーヴィスムにかけて色彩が鮮やかになる変遷が、北フランスから南仏、北アフリカ、南島などへの照度が高い場所への移動と比例していることを色彩分析によって紹介した。

いっぽう、岩泉は、北宋と南宋の山水画を比較し、その濃い画面と淡い画面の違いは、硬水と軟水という水質の違いとも関係していることを顕微鏡写真での調査結果を見せながら紹介した。墨を硬水で磨ると、中間の濃さから濃い黒がはっきりと強く出るが、淡い色は綺麗に出ない。逆に墨を軟水で磨ると、淡い透明感のある黒が出るという。つまり、山水画は硬水圏と軟水圏によって画法が異なるのだ。日本は軟水圏であり、太平洋側に位置し雨量の多い南宋の山水画の影響を受けている。牧谿のような画家を好み、究極的には長谷川等伯の《松林図屏風》(1592)のようになる。

墨だけではなく、和紙のような薄く柔軟な支持体ができるのも、軟水の影響があるという。季節によって寒暖や湿度の差が激しい日本では、湿気をメディウム自体が適度に調整できる能力がなければ状態を維持するのが難しい。和紙と膠は湿度の変化に水分の吸収と排出で調整しているといえるだろう。岩泉が大気と大地、絵画を媒介するものとして水の存在を挙げたのは慧眼だったといえる。気候は、認知モデルを形成し、絵画様式に反映されるだけではなく、特に水を介して画材や画法に影響を与えることがトークイベントで明らかになったのだ。

その後、これらの議論を引き続き継続し、創作に反映すべく、岩泉と中村と私、ミヤケマイを加えて、芸術色彩研究会を発足した。一連の対話の中で、「気候美術」「気象美術」というコンセプトが浮かび上がってきた。特に日本の美術は、変動の多い気候と建築の関係の中で成立しており、「気候美術」と考えてよいのではないか。それは気候との関係を失って、自律するべく今日まで続いてきた日本の絵画を再編する試みになると考えられた。

《新約:日月山水図 2019‐立冬》

《新約:日月山水図 2019‐立冬》部分

岩泉は、そのコンセプトを受けて、模索を続けた。岩泉は、京都に拠点を移して以来、その土地の気候の特徴を知るために、温度・湿度・気圧・太陽の運行・月の運行などの気候データを計測していき、「バイオリズム」を可視化していった。そして、重ねられた複数のデータからなるグラフを、「山水」として見立て、墨で描いていく。それが今回、岩泉が発明した画法である。それはある種のデータビジュアライゼーションともいえるが、人の手でグラフを「模写」することで、データから漏れ落ちている「気配」も含めて再現することを試みている。それは山水画で最も重視される「気韻生動」、つまりその土地と自身の気のエネルギーを描写していると言ってよいだろう。

《新約:日月山水図屏2020‐立春ー》

支持体には、グラスオーガンジーという、極めて薄いポリエステル生地を使っている。透明性があるため2枚のグラスオーガンジーの裏表に異なるデータを描写し、4層を重ねている。ただし、1日など長時間の気象データの変遷を記録しているため、瞬間ではない。その空間の時間的な流れ、気の流れが描かれているのだ。

その後、現実の風景を組み合わせて、理想郷を描く山水画に倣い、奈良県十津川村にある玉置山にまで「写生」に行く。この場合の写生は、スケッチをしたり、写真を撮ったりすることではない。気象データの計測と身体的を通して気配を感じることである。山水画は元を辿れば中国の神仙思想や山岳信仰に由来しており、日本でそれに通じるのは修験道であろう。玉置山とその山頂にある玉置神社は、大峰山系の最南端にあり吉野と熊野を結ぶ大峯奥駈道の拠点であり、今も修験道が息づいている。熊野から入り吉野へ向かう「順峯」と、吉野から入り熊野へ向かう「逆峯」があるが、道程には75の靡(なびき)と呼ばれる行場(霊場)がある。玉置山は熊野本宮大社の本宮証誠殿から数えて10番目の靡(なびき)がある霊山である。それが「神域」シリーズのはじまりとなった。

《神域山水‐玉置神社‐2020/11/17》

さらに新たな「神域」を求めて、伊勢の二見浦、伊勢神宮の内宮・外宮に行き、「写生」を続けた。今回、展覧会のタイトルとして掲げた「なにごとの おはしますかは知らねども」とは、平安時代後期の歌人、西行が伊勢に参拝した時に詠んだとされる有名な句「何事の おはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」からとられている。伊勢のような神域に入ると、近代化が進行し、科学的な思考に染まった現代人にとっても、全体の気配から「神威」を感じることがある。それをもっと具体的な存在として感じる人もいるだろうが、多くは気配のみであろう。

《神域山水‐内宮‐2020/12/20》

西行はそこに神の威光を感じたわけであるが、それを具体的なデータに分解すれば温度・湿度・気圧・太陽の運行などになる。もちろん当時の技術ではそのような科学的測定をできないし、分析的観点から見ているわけではないが、我々は神域で取られたデータを通して、その環境を想像することはできる。描かれた絵画は、そのような客観的なデータに加えて、岩泉の感じた「なにものか」が描写されているといえよう。

そもそも絵画の近代化は、カメラなどの光学機器の発達とともにあった。デイヴィット・ホックニーが『秘密の知識』で指摘するように、凸面鏡のような原始的な光学機器の登場が正確な描写、遠近法を生んでいる[5]。日本で言えば、写生を重視した円山応挙は、「覗き眼鏡」という凸レンズをはめた装置を通して見ることで、立体感を出すための一点透視図法による「眼鏡絵」を描いていたことが知られている[6]。人間の感覚の中で視覚の情報は多く、特に視覚芸術である絵画となると光学機器による影響は大きい。しかし、それによって本来、瞬間を描くことを重視していなかった、東洋の絵画も一つの時間、空間、角度によるものへと変質していったといえる。近年ではデジタルカメラやスマートフォンの影響は図りしれない。

岩泉は、カメラとは違う客観的に計測できる機器を駆使しながら、視覚ではない様々なデータを取り入れ、東洋的な理想郷を描くために発達した山水画の現代的な画法を開拓したといえるだろう。特に元になったグラフは、線によって形成されているので、墨による線描に向いているということもあっただろう。岩泉の絵画を見た人は、何か具体的な風景を描いているように感じる。それは人々が新たな見立てを行い、想像をめぐらすことを誘発している。山水画が、「臥遊」と言われる床に伏しながら絵の中で遊ぶことを目的としていることに通じているともいえる。「臥遊」は現代で言えば、ロールプレイングゲームやヴァーチャル・リアリティなどと比較できるだろう。岩泉は実際、かつてゲームをやっていた感覚につながっているという。

岩泉は、特に絵画の中で参照した例として大阪府河内長野市にある天野山金剛寺の国宝《日月四季山水図屏風》と、中国の北宋の画家、范寛の《臨流独坐図》を挙げる。《日月四季山水図屏風》には異なる季節・時間が6曲1双の画面に描かれている。中国北宋初期の山水画家、范寛の《臨流独坐図》は一つの空間に様々な場所が組み込まれている。それを見る人は一つの画面の中で様々な箇所に視線を動かしながら場所や季節の移り変わりを「臥遊」する。そういう意味では、同じ平面に、様々な時間、空間を配置し、鑑賞者が回遊しながら楽しめるようにする手法は、山水画の中では伝統的に行われていたといえるだろう。特に范寛の墨を重ねる画法にはデジタル性を感じるという。

さらに、金泥や銀泥に加え、蓄光顔料、エフェクト顔料が使用されており、光の変化で気配に動きが生じるようにされている。そもそも日本の絵画は、照明がない部屋に置かれており、必然的に外光の影響を受け、畳にバウンドする形で照らされている。それが夜においては蝋燭となる。その微量な光を補うために、金箔や銀箔のような光沢性のある画材が使用されている。そのような天候の変化とのインタラクションが日本の絵画には予め組み込まれているのだ。

《かわだれそ、だれそかれ》(2021)近景

《かはだれそ、だれそかれ》(2021)

今回、展覧会が行われた京都の町屋を改装したkumagusukuは、吹き抜けの中庭があり、奥のギャラリー部分の開口部には壁面がないため、外光や大気がそのまま入ってくる。描かれたものだけではなく、天候の変化と照応する日本の絵画の再解釈になっているところもポイントだろう。なかでも《かはだれそ、だれそかれ》(2021)と銘打たれたアクリル板に組み込んだ作品は、誰そ彼時の太陽も人工照明も映えない、最も対象を見分けにくい時間帯をテーマにしており、より環境とのインタラクションを意識したものになっている。

気候・天候とのインタラクションは、日本の絵画にとって決定的に重要な要素であったが、近代化の過程で失われてきた。現在、温暖化などによる気候変動が大きな課題になり、人々は気候の影響を身近に感じている。平均気温は年々上がり、そのグラフは急激に高い山を築くようになっている。その山に脅威を感じるのもある種の「臥遊」かもしれない。当然ながらそれは岩泉の作品に反映されていく。そういう意味でも、岩泉の作品は、「人新世(アントロポセン)」[7]と言われる時代の自然に向き合い、山水画の系譜をつなぐアクチュアルな表現になっているといえるのではないか。

※本稿は、岩泉慧展の記録集のために寄稿した。

[1] 港千尋、三木学編著『フランスの色景:写真と色彩を巡る旅』青幻舎、2014年。

[2] ジャン・フィリップ・ランクロは、フランス全土の土や建物の素材を集めたり、測色やスケッチ、写真などを使って色彩分析を行い、ポンピドゥー・センターで「色彩の地理学( La Géographie de la Couleur)」展を開催したり、書籍『フランスの色(Couleurs de la France)』(Moniteur、1982年)を刊行している。その後、『ヨーロッパの色(Couleurs de l’Europe)』(Moniteur、1995年)や『世界の色(Couleurs du Monde)』(Moniteur、1999年)を刊行した。2004年、『世界の色』の英語版、Colors of the World, W.W.Norton & co, New York, London, 2004.が刊行された。

[3] 本吉勇「芸術における質感」、小松英彦編『質感の科学:知覚・認知メカニズムと分析・表現の技術』朝倉書店、2011年、pp.191-193。

[4] 小松英彦「色と質感を認識する脳と心の動き」、近藤寿人編『芸術と脳:絵画と文学、時間と空間の脳科学』大阪大学出版会、2013年、p.212。

[5] デイヴィッド・ホックニー『秘密の知識 普及版』木下哲夫訳、青幻舎、2010年。

[6] 吉田亮『日本画とは何だったのか:近代日本画史論』角川選書、2018年、p.26。

[7] 「完新世(ホロシーン)」に続く新しい地質年代として提唱されている。人類の活動が地球環境や地質に大きな影響と痕跡を残す時代を差す。

初出『eTOKI』2021年8月15日公開。

著者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究、美術評論、ソフトウェアプランナー他。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行っている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹-色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。

https://etoki.art/

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