『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛かりに』序論「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」秋丸知貴評

1 図像解釈学とは何か?

一般に、動物は、それぞれ種に固有の感受器官と反応器官が構成する固定的な「環境世界」(ヤーコプ・ フォン・ユクスキュル)に閉じ込められている。これに対し、本能が壊れた「欠陥動物」(アーノルト・ゲー レン)である人間は、環境「世界内存在」(マルティン・ハイデッガー)であると共に、環境「世界開放性」(マックス・シェーラー)も有している。

エルンスト・カッシーラーは、この世界開放性の鍵を「象徴形式」と見る。つまり、人間は、感受系と反応系の間に象徴系を介在させ、「対象の似姿」ではなく「対象についての概念の乗物」(スザンヌ・ランガー)として、抽象的・精神的内容を具体的・感性的形式で表現する象徴形式を能動的に形成することにより、自然から自由になると同時に自然を制御する。

そして、この象徴形式の中でも、言語的「イデア」に先行する、図像的「イコン」(ハーバート・リード)としての造形芸術、特に絵画こそは、 最初に外界と内面を調整し、認識と行為を調和させ、環境への適応を実現させる、人間文化の最も基礎的で根源的な象徴形式である。

これを受けて、同一の文化圏における様々な文化事象との照合を通じて、可視的な具現的・感性的図像の造形と画題に、それを創出した時代・社会に通底する不可視的な心性的・精神的意味内容を解読する美術史学方法論が、エルヴィン・パノフスキーが開拓した「図像解釈学(イコノロジー)」である。

 

2 近代技術的環境における心性の変容

本書は、この図像解釈学を近代西洋絵画に適用し、その本質的特性である抽象化傾向に近代技術的環境における心性の変容の反映を考察する。その手掛かりは、ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念である(注1)。

まず、ベンヤミンの「アウラ」は、原著に即して分析すれば、「同一の時空間上に存在する主体と客体の相互作用により相互に生じる変化、及び相互に宿るその時間的全蓄積」と読解できる。また、同一の時空間上の主体と客体が相互作用により相互にアウラを更新し続ける関係を「アウラ的関係」、その際に主体が客体を注意(=意識の持続的集中)して知覚することを「アウラ的知覚」と定義できる。

基本的に、本来的自然と生来的肉体に基づく「自然的環境」(ジョルジュ・フリードマン)では、技術は肉体の連続的延長であり、動力は天然自然力に依存しているため、人間は環境に物理的に内包され織り込まれていた。従って、自然的環境では、一般に人間と外界の関係は密接で濃密なアウラ的関係であり、その知覚は具体的で充実的なアウラ的知覚であった。 そして、このアウラ的知覚を必須的前提として発達したのが、ルネサンス以後の伝統西洋絵画の主流である自然主義的なリアリズムである。なぜならば、その特徴である緻密で具象的な再現描写には、対象との親密で没入的な「感情移入」(ヴィルヘルム・ヴォリンガー)的相互関与が経験上不可欠だからである。

これに対し、日常生活の様々な場面で、主体と客体の間に「有機的自然の限界からの解放」(ヴェルナー・ゾンバルト)を招く各種の「近代技術」が介入すると、そうした主客の自然な心身的相互交流は現実的に阻害され、主体の「感覚比率」(マーシャル・マクルーハン)は捨象的に変更され始める。その結果、「近代技術的環境」では、主体には客体とのアウラ的関係が十全に成立していない「脱アウラ的関係」による「脱アウラ的知覚」が発生することになる。

そして、そうしたアウラ的知覚の衰退につれて、徐々に絵画においては、従来の主流であった自然主義的リアリズムは妥当性を喪失し、動態的・間接的・二次元的・抽象的な近代技術的環境に象徴的に適応する新しい抽象造形が興隆することになる。すなわち、「アウラの凋落」(ヴァルター・ベンヤミン)と近代西洋絵画における抽象化傾向は、軌を一にする現象である。

 

3 「アウラの凋落」と近代絵画における抽象化

これらの過程は、「印象派と大都市群集」「セザンヌと蒸気鉄道」「フォーヴィズムと自動車」「近代絵画と飛行機」「『象徴形式』としてのキュビズム」「近代絵画とガラス建築」「近代絵画と近代照明」「近代絵画と写真」等として主題化できる。

まず、蒸気機関による商工業・運輸交通の加速的大量化を背景に台頭する大都市群集では、大勢が足早かつ無関心に行き交うので、次第に個々の通行人は実体を欠く単なる刹那的な視覚印象に過ぎなくなり、やがてそれら全体は絶え間なく変化し続ける万華鏡的パノラマと化す。この大都市群集による、静態的具象性の希薄な流動的・疎外的な脱アウラ的知覚を造形化したのが、印象派の斑点描法である(図1)。

 

図1 クロード・モネ《カピュシーヌ大通り》1873年

 

次に、蒸気機関と線路の結合による蒸気鉄道の車窓風景では、その脱自然的な速力と運動により、瞬間的視覚刺激が加速的に大量化し、大都市群集と類似する知覚の変容が生起すると共に、さらに様々な視覚的歪曲が加味される。この蒸気鉄道による脱アウラ的知覚を、一種の「感覚」として「実現」しようとしたのが、ポスト印象派のポール・セザンヌと考えられる(図2)。

 

図2 ポール・セザンヌ《サント・ヴィクトワール山と大 松》1887年頃

 

また、蒸気鉄道では乗客の視覚はまだ外界に対して並行的・受動的であるのに対し、自動車では運転手の視覚は外界に対してより突進的・能動的であり、その脱自然的な速力と移動により、 フロントガラスに映る対象は、触覚の減退と視覚の突出と共に、色も形も強烈に激動化する。この自動車による脱アウラ的知覚を絵画化したのが、フォーヴィズムと解釈できる(図3)。

 

図3 アンリ・マティス《フロントガラス》1917年

 

さらに、これらの脱自然的な地上の水平運動に、文字通り離陸的な空中の垂直運動を追加する飛行機は、飛翔の心身解放によりさらに視覚を純粋化すると共に、高度上昇による地表の抽象化をもたらす。この飛行機による脱アウラ的知覚も、抽象絵画の先駆者達に大きく影響している(図4)。

 

図4 ロベール・ドローネー《エッフェル塔とシャン・ド・マルス》1922年

 

その上で、こうした蒸気鉄道・自動車・飛行機等の移動機械は、その脱自然的な高速直線移動により、観念的にあらゆる空間的遠隔地を時間的近接地と意識させ、旧来の自然で固定的な時空間概念を崩壊させる。また、電話、無線、X線、蓄音機、ラジオ、写真、映画等の伝達機械も、その脱自然的な高速情報伝達により、観念的にあらゆる個別的事象を身近に臨在化させ、古来の自然で不変的な時空間概念を瓦解させる。こうした近代技術による、観念上の平面的・一覧的・モザイク的・相互貫入的な脱アウラ的知覚を象徴化したのが、キュビズムと理解できる(図5)。

 

図5 パブロ・ピカソ《アヴィニョンの娘達》1907年

 

これに加えて、ガラス建築や近代照明は、その一様で強力な照射光により屋内から陰翳を駆逐し、観賞者の天然的に自然な形態感覚、立体感覚、空間感覚、時間感覚を撹乱すると共に、視覚的な感覚刺激を増強する。こうしたガラス建築や近代照明による脱アウラ的知覚も、抽象絵画の開拓者達に様々に影響を与えている(図6)。

 

図6 パブロ・ピカソ《ダニエル=ヘンリー・カーンワイラーの肖像》1910年

 

そして、写真は、被写体の外見のみを感光的に転写することで写像から原物的要素を脱落させると共に、観賞者と被写体を決して同一の時空間上で相互交流させないことで情動的感情移入も減衰させる。これにより、写真は、観賞者に傍観者的感受性を涵養すると共に、あらゆる対象を単なる形と色という自律的・非対象的な抽象模様に変貌させる。こうした写真による脱アウラ的知覚もまた、抽象絵画の推進者達に様々に感化を及ぼしている(図7・図8)。

 

(左)図7 パブロ・ピカソ撮影《オルタ・デ・エブロの貯水池(Ⅱ)》1909年

(右)図8 パブロ・ピカソ《オルタ・デ・エブロの貯水池》1909年

 

4 本書の目的

以上のように、近代絵画における抽象化傾向を促進した最大の要因の一つは、近代技術による「アウラの凋落」であると指摘できる。

本書は、こうした近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究を通じて、「近代」――人類の活動の有機的限界からの解放――とは何かを明らかにし(注2)、技術的近代こそが芸術的近代を推進した現実的な感性的基盤であることを論証する。

 

【注】

注1 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念については、次の拙稿を参照。秋丸知貴「ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について」美術評論+、2023年。

注2 近年、この「近代」という時代区分は「人新世」という概念の下に注目を集めている。

 

【初出】秋丸知貴「研究紹介 近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」『こころの未来』第5号、京都大学こころの未来研究センター、2010年、14-15頁。ただし、本書所収にあたり加筆修正している。なお、本稿は、筆者が2010年度から2011年度にかけて連携研究員として研究代表を務めた、京都大学こころの未来研究センター連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の梗概である。

著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2020年4月から2023年3月まで上智大学グリーフケア研究所特別研究員。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。上智大学グリーフケア研究所、京都ノートルダム女子大学で、非常勤講師を務める。現在、鹿児島県霧島アートの森学芸員、滋賀医科大学非常勤講師、京都芸術大学非常勤講師。

【投稿予定】

■ 秋丸知貴『近代とは何か?――抽象絵画の思想史的研究』
序論 「象徴形式」の美学
第1章 「自然」概念の変遷
第2章 「象徴形式」としての一点透視遠近法
第3章 「芸術」概念の変遷
第4章 抽象絵画における純粋主義
第5章 抽象絵画における神秘主義
第6章 自然的環境から近代技術的環境へ
第7章 抽象絵画における機械主義
第8章 「象徴形式」としての抽象絵画

■ 秋丸知貴『美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学』
第1章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について
第2章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラの凋落」概念について
第3章 ヴァルター・ベンヤミンの「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の問題について
第4章 ヴァルター・ベンヤミンの芸術美学――「自然との関係における美」と「歴史との関係における美」
第5章 ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――「複製技術時代の芸術作品」再考
第6章 ヴァルター・ベンヤミンの鑑賞美学――「礼拝価値」から「展示価値」へ
第7章 ヴァルター・ベンヤミンの建築美学――アール・ヌーヴォー建築からガラス建築へ

■ 秋丸知貴『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに』
序論 近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究
第1章 近代絵画と近代技術
第2章 印象派と大都市群集
第3章 セザンヌと蒸気鉄道
第4章 フォーヴィズムと自動車
第5章 「象徴形式」としてのキュビズム
第6章 近代絵画と飛行機
第7章 近代絵画とガラス建築(1)――印象派を中心に
第8章 近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に
第9章 近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に
第10章 近代絵画と近代照明(2)――抽象絵画を中心に
第11章 近代絵画と写真(1)――象徴派を中心に
第12章 近代絵画と写真(2)――エドゥアール・マネ、印象派を中心に
第13章 近代絵画と写真(3)――後印象派、新印象派を中心に
第14章 近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム、キュビズムを中心に
第15章 抽象絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに

■ 秋丸知貴『ポール・セザンヌと蒸気鉄道 補遺』
第1章 ポール・セザンヌの生涯と作品――19世紀後半のフランス画壇の歩みを背景に
第2章 ポール・セザンヌの中心点(1)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第3章 ポール・セザンヌの中心点(2)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第4章 ポール・セザンヌと写真――近代絵画における写真の影響の一側面

■ 秋丸知貴『岸田劉生と東京――近代日本絵画におけるリアリズムの凋落』
序論 日本人と写実表現
第1章 岸田吟香と近代日本洋画――洋画家岸田劉生の誕生
第2章 岸田劉生の写実回帰 ――大正期の細密描写
第3章 岸田劉生の東洋回帰――反西洋的近代化
第4章 日本における近代化の精神構造
第5章 岸田劉生と東京

■ 秋丸知貴『〈もの派〉の根源――現代日本美術における伝統的感受性』
第1章 関根伸夫《位相-大地》論――日本概念派からもの派へ
第2章 現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相-大地》(1968年)から《空相-黒》(1978年)への展開を中心に
第3章 Qui sommes-nous? ――小清水漸の1966年から1970年の芸術活動の考察
第4章 現代日本美術における土着性――小清水漸の《垂線》(1969年)から《表面から表面へ-モニュメンタリティー》(1974年)への展開を中心に
第5章 現代日本彫刻における土着性――小清水漸の《a tetrahedron-鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に

● 秋丸知貴『比較文化と比較芸術』
序論 比較の重要性
第1章 西洋と日本における自然観の比較
第2章 西洋と日本における宗教観の比較
第3章 西洋と日本における人間観の比較
第4章 西洋と日本における動物観の比較
第5章 西洋と日本における絵画観(画題)の比較
第6章 西洋と日本における絵画観(造形)の比較
第7章 西洋と日本における彫刻観の比較
第8章 西洋と日本における建築観の比較
第9章 西洋と日本における庭園観の比較
第10章 西洋と日本における料理観の比較
第11章 西洋と日本における文学観の比較
第12章 西洋と日本における演劇観の比較
第13章 西洋と日本における恋愛観の比較
第14章 西洋と日本における死生観の比較

■ 秋丸知貴『ケアとしての芸術』
第1章 グリーフケアとしての和歌――「辞世」を巡る考察を中心に
第2章 グリーフケアとしての芸道――オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』を手掛かりに
第3章 絵画制作におけるケアの基本構造――形式・内容・素材の観点から
第4章 絵画鑑賞におけるケアの基本構造――代弁と共感の観点から
第5章 フィンセント・ファン・ゴッホ論
第6章 エドヴァルト・ムンク論
第7章 草間彌生論
第8章 アウトサイダー・アート論

■ 秋丸知貴『芸術創造の死生学』
第1章 アンリ・エランベルジェの「創造の病い」概念について
第2章 ジークムント・フロイトの「昇華」概念について
第3章 カール・グスタフ・ユングの「個性化」概念について
第4章 エーリッヒ・ノイマンの「中心向性」概念について
第5章 エイブラハム・マズローの「至高体験」概念について
第6章 ミハイ・チクセントミハイの「フロー」概念について

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