『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛かりに』第8章「近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に」秋丸知貴評

ガラス建築は、近代絵画にどのような影響を与えたのだろうか? この問題について、本章は引き続き近代技術による心性の変容という観点から、特にキュビズムについて考察する。

1 ガラス建築について(2)

前章で見た初期のガラス建築(図1)は、一八六七年のジョセフ・モニエによる鉄筋コンクリートの実用化により、さらに構造上の強度と自由度を増す。

そして、ガラス建築は、二〇世紀に入り、ガラス材を多用する近代建築家、例えばペーター・ベーレンス(図2)、ブルーノ・タウト(図3)、ベーレンス門下のヴァルター・グロピウス(図4・図5・図6・図7・図8)、ミース・ファン・デル・ローエ(図9)、ル・コルビュジエ(図10)等により一層洗練され、次第に公共建築から一般家屋にも普及することになる。

 

図1 ジョセフ・パクストン《クリスタル・パレス》1851年

 

図2 ペーター・ベーレンス《AEGタービン工場》1909年

 

図3 ブルーノ・タウト《ガラス・パヴィリオン》1914年

 

図4 ヴァルター・グロピウス《ファグス工場》1911年

 

図5 ヴァルター・グロピウス《ドイツ工作連盟展の事務所建築》1914年

 

図6 ヴァルター・グロピウス《デッサウのバウハウス校舎》1926年

 

図7 ヴァルター・グロピウス《デッサウのバウハウス校舎》1926年

 

図8 ヴァルター・グロピウス《デッサウのバウハウス校舎》1926年

 

図9 ミース・ファン・デル・ローエ《ガラスの摩天楼案》1922年

 

図10 ル・コルビュジエ《サヴォア邸》1931年

 

こうしたガラス建築の発達過程について、バウハウスの創設者で初代校長であるヴァルター・グロピウスは、『新建築とバウハウス』(一九三五年)で次のように言っている。

私達の新しい技術能力は、堅固で重厚な石造部分を細長い橋脚へ分解することを促進し、嵩張り、空間、重量、輸送において大幅な節約をもたらしている。新しい建築素材――鋼鉄、コンクリート、ガラス――は、伝統的な建築素材に精力的に取って代わっている。その強度と分子密度は、過去の技術では明らかに不可能であった、大径間とほぼ透明な構造を建てることを可能にした。この構造容積における莫大な節約は、それ自身一つの建築革命であった[1]。

また、グロピウスは同著で、ガラス建築の性格について次のように述べている。

新しい構造技術の傑出した達成の一つは、側壁の分断機能の撤廃である。煉瓦建築のように側壁を支持体として用いる代りに、今日の新しい空間節約構成は、構造の全荷重を鋼鉄やコンクリートの骨格に乗せる。従って、側壁の役割は、防雨、防寒、防音のために、その骨格の直立する柱と柱の間に広げられた単なるスクリーンに限定される。重量や嵩張りをより一層節約するために、今や支持体ではないこれらの単なる仕切壁は、軽量の軽石コンクリート、炭殻コンクリート、その他の信頼できる合成コンクリートから成り、空洞ブロックや薄板の形式でできている。鋼鉄とコンクリートの複合的な技術革新や、抗張力や耐圧力のより精密な計算は、支持体の占有面積を着実に減少させている。このことは当然、今度は壁面の開口部を徐々により大胆に(つまり幅広く)するように導き、それにより部屋はさらに一層明るくなる。それゆえ、古式の窓――分厚い支持側壁に穿たれねばならなかった一つの穴――が、「新建築」の特徴である細い鋼鉄の窓枠で区分された水平に連続する開き窓に次第に道を譲らねばならないのは理の当然である。そして、壁体に対する空所の優勢が増大することの直接的結果として、ガラスは非常に大きな構造的重要性を帯びることになる。その輝く非実体性と、壁と壁の間に漂う空気のように捉えどころのない外見は、今日の近代家屋に軽快な調子を付与する[2]。

これと同様に、グロピウスは『デッサウのバウハウス建築』(一九三〇年)でも、ガラス建築の発展過程について次のように語っている。

造形の仕事の世界では、工業的に加工された新しい建築素材が、昔の自然な建築素材と競争するようになり、それを追い越し始めている。この新しい建築素材――鉄、コンクリート、ガラス――は、その強度と分子密度により、構成のための量塊を大いに節約し、過去の建築素材や技術では構成できないような、外光の流れ込む広大な部屋と建物を建てることを初めて可能にした。この鉄とコンクリートにより益々大胆になり空間を節約するようになっている構成は、意識的な目的として、建築の支持体を物質強度の精密計算と品質向上を通じて空間的に益々限定し、側壁と屋根の開口部を絶えず拡大し続け、屋内は天候からは遮蔽的に保護されているけれども日光は遮断されずに流入する結果を招く。小さな開口部しかない重厚で堅固な側壁と閉鎖的な屋根による昔の建物の外壁は、今や出来るだけ少なくより細い支柱や支持体による骨格構造の間の幅広な窓面と開放的な屋根という逆の原理に道を譲っている[3]。

また、グロピウスは同著で、ガラス建築の特徴について次のように話している。

近代的な施工法の発展において、近代的な建築素材としてのガラスは、正に拡大し続ける開口部のために本質的な役割を演じるだろう。ガラスの利用は限界が無く、窓に限定もされないだろう。なぜなら、その上品な性質、透明な清明さ、軽く浮遊するような非実体的な物質性が、近代建築家に愛されているからである[4]。

さらに、グロピウスは同著で、自作のガラス建築《デッサウのバウハウス校舎》(一九二六年)の図版(図8)を次のように注している。ここでは、同じガラス建築の中でも、クリスタル・パレスのような旧式の支柱鉄骨間ガラス壁ではなく、新式のキャンティレバー(片持ち梁)構造によるガラス・カーテンウォールが説明されている点が重要である。

工房棟の隅角は、コンクリート柱と頑丈な天井の骨格構造をはっきり認識させる。ここで初めて側壁の解消という問題が、支持する骨格の前にガラス・スクリーンを張り渡すことを通じて徹底的に追求された[5]。

こうした新式のガラス建築について、CIAM(近代建築国際会議)におけるグロピウスの盟友である、建築史家ジークフリート・ギーディオンは『空間・時間・建築』(一九四一年)で、グロピウス設計の《ファグス工場》(一九一一年)の図版(図4)を次のように注釈している。

この工場では、平坦な表面が際立っている。ガラスと鉄による壁面同士が、支柱を介在させずに隅角ですっきり結合されている。ベーレンスの有名なタービン工場(図2)は、ガラス壁の左右を荘重な巨石積みで枠付けていた。この枠付けは、グロピウスでは姿を消している。グロピウスの壁面は、もはや建物の支持体ではなく、悪天候を防ぐ単なるカーテンであることを示している [6]。

そして、ギーディオンは同著で、同じ《ファグス工場》について次のように注解している。

鉄とガラスとコンクリートの新しい可能性、壁面のよりすっきりした処理、内部の組織的照明、これらが明らかに考え抜かれた調和の中に込められている。単に構成として見れば、この建物は一九世紀後半のエッフェルの鉄骨構造に遡る伝統に属している。しかしながら、その時代を特徴付けていた二元性は克服されて、建築的手段と構造的手段は同等に統一的表現に貢献している。側壁は、平面として発展させられ、内部空間と外部空間の間の透明なカーテンとして考えられている。〔…〕そのカーテンとしての性格が十分に実現されるように、支柱はその壁面の背後に置かれている。様々な建築の量感を自由に並置するその手法が、一九二五年のデッサウのバウハウス校舎の構想を予示していることは否定できない[7]。

元々、クリスタル・パレスに代表される支柱鉄骨間ガラス壁による旧式のガラス建築も、既に側壁を支持機能から解放し、支柱の鉄骨を細軸化しつつ壁面に透明ガラスを用いることで、壁面外観において重厚な側壁を持つ石造建築や木造建築とは比較にならない脱物質的な軽快感を発生させていた。

これに加えて、こうした《デッサウのバウハウス校舎》に結実されるキャンティレバー構造とガラス・カーテンウォールによる新式のガラス建築は、さらに隅角の支柱を建物内部に後退させ、ガラス壁面同士を連続して接合したり、結合部材をより細小化したりすることで(例えば、ル・コルビュジエ《サヴォア邸》(図10)の隅角はまだ僅かに結合部材を残しているが、もはや支持体としての役割は失っている)、壁面外観において旧式のガラス建築よりもさらに一層非実体的な浮遊感を現出させる。

そして、旧式・新式に関わらず、ガラス建築の普及は、壁面外観において、透明ガラスによる相互浸透的・同時性的な視覚現象を次第に日常風景化することになる。

2 ガラス建築による心性の変容(2)

それでは、そうしたガラス建築による心性の変容は具体的にはどのようなものであろうか?

まず、ガラス建築の壁面外観における非実体的浮遊感の問題から見てみよう。この問題について、ヴァルター・グロピウスのバウハウス時代の同僚であるラズロ・モホリ=ナギは、『運動における視覚』(一九四六年)で、「開口部の発展こそ――他のどの要素よりも――堅固な量塊から明るく軽やかな構成へという建築的変化の要因であった[8]」とし、ガラス建築について次のように書いている。ここでは、旧式・新式共にガラス建築が、そのガラス材の透明的脱物質性により薄く透き通る軽いシャボン玉に喩えられている点に注意したい。

堅固な建築から透明な建築への変容は、透明な板ガラス窓の発展によりさらに促進された。それが剥き出しの鉄骨と結合すると、透明な建物を建てられるようになる。その始まりが、温室や、世界的に有名なロンドンのクリスタル・パレス(一八五一年)(図1)であった。グロピウスによるドイツ工作連盟展の建物(ケルン・一九一四年)の透明な階段室(図5)は、そうした工業的使用原理の翻案であり、後にこれと同式の透明性が、ミース・ファン・デル・ローエの設計案(一九二二年)(図9)のように、摩天楼に提案される。もし彼の提案がいつか実現されるならば、パンテオンの重厚で堅固な量塊からの離脱をはっきりと示しながら、透明な構成が一つの巨大なシャボン玉として出現するだろう[9]。

また、ジークフリート・ギーディオンは『空間・時間・建築』で、グロピウスの《デッサウのバウハウス校舎》について次のように記している。ここではまず、ガラス材自体の透明的脱物質性による浮遊感が指摘されていることに留意したい。

バウハウスの建築複合体は、様々な立方体の配列、つまり寸法も材料も位置も異なる立方体を相互に並置した配列である。その意図は、それらの立方体を大地に縛り付けるのではなく、その場所の上に浮遊させることである。そのために、翼のような連絡橋が設けられ、ガラスが自由に用いられる。ガラスは、その脱物質的性質のために用いられたのである[10]。

さらに、ギーディオンは同著で、その《デッサウのバウハウス校舎》の図版(図8)について次のように綴っている。ここでは特に、支柱が壁面から後退して屋内に隠れるキャンティレバー構造と、ガラス面とガラス面が隅角で直接連続するガラス・カーテンウォールによる新式のガラス建築では、ガラス壁面の非実体的浮遊感が一層増加して見えることが強調されている点が大切である。

そのガラスのカーテンは、かつてエッフェルが一八七八年万博で用いた区切られ区画された透明領域ではなく、滑らかに建物の周囲を巡り、隅角では垂直な支柱や支持体を全く示していない。ファグス工場と同様に、ガラスを掛け下ろしている支柱はガラス面の背後に後退しており、このカーテンを純粋なキャンティレバー構造の実例にしている。ガラスのカーテンは、単に建物の隅角で折り返されているだけである。換言すれば、人間の目が建物の荷重を担う支柱に出会うことを期待する丁度その地点で、ガラス面は相互に融合しているのである[11]。

次に、ガラス建築の壁面外観における相互浸透的同時性の問題について見てみよう。この問題について、モホリ=ナギは『新しい視覚〔独語版「材料から建築へ」〕』(一九二九年)で、ガラス建築について次のように説いている。ここでは、壁面に透明ガラスを用いることによる、屋内と屋外の透視的な相互浸透が説明されている点に注目したい。

「空間の断片」が、細長い部材、細長い鉄、ガラスのネットワークにより、まるで空間が分割可能な固形物体であるかのように宇宙空間から切り取られる。新建築は、外部空間との完全な相互浸透の内にある[12]。

また、モホリ=ナギは同著で、ガラス建築について次のように論じている。ここでは、ガラス面に周囲の事物が映り込むことによる、建物と環境の鏡映的な相互浸透が解説されている点に着目したい。

樹木に囲まれた大きなガラス窓のある白い家は、太陽に照射されるとほとんど透明になる。白壁は、樹木の影を多様化する投影スクリーンとして作用し、ガラス面は樹木を反映する鏡になる。完全な擬態がもたらされる[13]。

さらに、モホリ=ナギは同著で、グロピウスの《デッサウのバウハウス校舎》の図版(図7)を次のように読み解いている。ここでは、壁面に透明ガラスを用いることによる屋内と屋外の透視的な相互浸透と、そのガラス面に周囲の事物が映り込むことによる建物と環境の鏡映的な相互浸透の両方が言及されている点が大事である。

内側と外側の浸透が、窓の鏡映において保証される。内部と外部を隔てておくことは、もはや不可能である。従来「外部」全てを遮断していた側壁の量塊は、今や解消され周囲を建物の内へ流入させている[14]。

これを受けて、バウハウスにおけるモホリ=ナギの同僚であるギオルギー・ケペッシュは、『視覚言語』(一九四四年)で、ガラス建築の特性を次のように読解している。ここでも、屋内と屋外の透視的な相互浸透と、建物と環境の鏡映的な相互浸透の両方が論及されている点が肝要である。

近代建築は、出来る限り最大の空間的見通しを総合するデザインを創造するために、合成素材、ガラス、プラスティック等の透明な性質を利用している。内側と外側が緊密に関係付けられ、建物内ではどの視点にも空間の最も広大な視覚的理解が与えられる。反射や鏡映、透明や半透明の建築素材が、拡散する空間的見通しを一つの視覚的把握に統合するために注意深く計算され構成されている[15]。

3 キュビズムとガラス建築

このように、ガラス建築は、古来の石造建築や木造建築における重厚的・実体的な物質概念・空間概念を変容し、壁面外観における脱物質的軽快感を招来する。また、ガラス建築の中でも、特に新式のガラス建築は、さらに支柱をガラス面から分離させて背後に隠すことで、ガラス面の非実体的浮遊感を一層推進する。そして、ガラス建築は、旧式・新式に関わらず、透明ガラスによる前面像と後面像や透過像と鏡映像の相互浸透的同時性を実現する。

ここで注目すべきは、そうした近代的なガラス建築による心性の変容が、近代絵画におけるキュビズム的造形表現の視覚効果と非常に類似している事実である。

まず、ギオルギー・ケペッシュは『視覚言語』で、近代絵画一般とガラス建築の呼応について次のように告げている。ここでは、旧式の鉄骨構造や新式のキャンティレバー構造による構造力学の意識化や、透明ガラスによる相互浸透的視覚現象の絵画表現への影響が示唆されている。なお、この場合の相互浸透的視覚現象には、既にケペッシュが「反射や鏡映」に言及している以上、前面像と後面像のみならず透過像と鏡映像も含まれる可能性がある。

建築における鉄骨やガラス壁等の近代的素材の一般的使用は、画家達により強く霊感を与えた。構成に軽快さを与え内部空間の流動性を高める大径間構造、建築の空間力学を明瞭に理解させる新しい荷重・支持の関係、これらが刺激剤として作用した。建築において、堅固な壁体の代りに、開放的な透明の表面が用いられると、絵画においても同様に、不透明な画面の代りに、面の透明な相互浸透や、線の疎らな構成が現れてくる。線の疎らなネットワークは、空間内の様々な方向を指示し、そして一種の視覚的キャンティレバー構造――動的空間構成が達成される[16]。

また、その交流関係の近さと出版年の前後関係から推察して、おそらくこのケペッシュの見解に影響を与えたであろう、ジークフリート・ギーディオンの『空間・時間・建築』は、グロピウスの《デッサウのバウハウス校舎》の図版(図8)を次のように分析している。ここでは、キャンティレバー構造とガラス・カーテンウォールによる新式のガラス建築では、ガラス壁面の非実体的浮遊感が一層増大して見えることに加え、ガラス壁面における前面像と後面像の相互浸透的同時性と、近代絵画における面表現の相互浸透的同時性(文脈上おそらくその非実体的浮遊性も含む)の対応が指摘されている。

この工房棟の隅角では、建物の内部と外部が同時的に提示されている。広大な透明領域は、隅角を脱物質化することにより、面と面の浮遊的な関係や、近代絵画に見られるある種の「オーヴァーラッピング」をもたらしている[17]。

その上で、ギーディオンは同著で、キュビズムとガラス建築の照応を次のように喝破している。ここでも、新式のガラス建築におけるガラス壁面の非実体的浮遊感と共に、前面像と後面像の相互浸透的同時性と、キュビズムにおける面表現の相互浸透的同時性(やはりおそらくその非実体的浮遊性も含む)の照応も力説されている(ただし、図版は別として、文章からは透過像と鏡映像の相互浸透的同時性についての問題意識はあまり窺われない)。

ここでは、工学上の無意識的な進歩の産物としてではなく、芸術家の意識的な目的の実現として、近代建築の二つの主要な試みが実行されている。それは、空間関係に対する私達の感情を満足させる、浮遊するような垂直面の集合と、内部と外部を、つまりピカソの《アルルの女》(一九一一-一二年)(図11)のように、正面と側面を、同時的に見ることを可能にする広大な透明性である。すなわち、提示される位相や位置の多様性と同時性――要するに、空間=時間の概念である[18]。

これらを受けて、建築史家コーリン・ロウは「透明性――虚と実」(一九六三年)で、キュビズムとガラス建築の相似を次のように考察している。

ギオルギー・ケペッシュは、私達がブラックやグリスやレジェの作品で注目した現象にほとんど古典的な説明を与えたが、その虚の透明性の建築的な類似物は、ガラスやプラスティックの物質的性質に見出されるに違いないと考え、キュビズムやキュビズム以後の注意深く計算された構成の等価物は、半透明な表面や磨かれた表面で演じられる光の偶然の反射により生まれる偶発的な二重写しに発見されるだろうと考えていたようである。また同様に、ジークフリート・ギーディオンも、「広大な透明領域」を持つバウハウス校舎の全面ガラス壁面の外観は、「面と面の浮遊的な関係や、近代絵画に見られるある種の『オーヴァーラッピング』」をもたらすと考えていたようである[19]。

そして、ロウは同著で、キュビズムとガラス建築の呼応を次のように洞察している。

ピカソの《アルルの女》(図11)は、こうしたギーディオンの推論に視覚的証拠を与える絵画であるが、そうした重なり合う(オーヴァーラッピングする)面と面の透明性が非常に明白に見出される。ここでピカソは、外見上セルロイドのような複数の面を提示し、それらの面を通じて鑑賞者は視覚的な感興を覚える。そして、その場合の彼の感興が、バウハウスの工房棟を見る場合の感興と幾分相通じることは疑いない。どちらの場合にも、素材の透明性が認められる[20]。

むろん、ロウが同著で補足するように、同じ透明性とはいえ、建築における三次元的空間を前提とする実的透明性と、三次元的奥行とは矛盾する絵画において表現可能な虚的透明性の差異は、考慮しなければならない。また、一言にキュビズムと言っても、そこで表現される透明性には、ロウの言う実的要素と虚的要素のどちらも観取できることも留保する必要がある。

それでもなお、ガラス建築は、旧式・新式を問わず、ガラス面の透光や反射を通じて、建物内外の境界を透視的にも鏡映的にも曖昧化すると共に、前面像と後面像や透過像と鏡映像の二重あるいは多重写しを普通化する。そして、そうした近代建築における相互浸透的・同時性的な視覚現象が、近代絵画におけるキュビズム等の相互浸透的・同時性的な造形表現と親和的であることは確かである。

例えば、パブロ・ピカソ《アルルの女》(一九一一-一二年)(図11)、パブロ・ピカソ《ダニエル=ヘンリー・カーンワイラーの肖像》(一九一〇年)(図12)、ジョルジュ・ブラック《グラス・ボトル・新聞》(一九一二年)(図13)、ホアン・グリス《静物》(一九一二年)(図14)、ロベール・ドローネー《都市の同時的な窓》(一九一二年)(図15)、エル・リシツキー《P. V. N. プロウン》(一九二三年)(図16)、ラズロ・モホリ=ナギ《K VII》(一九二二年)(図17)、ラズロ・モホリ=ナギ《コンポジションZVIII》(一九二四年)(図18)では、描かれた対象はそれぞれ抽象的・幾何学的に平板化すると共に、浮遊的に奥行を曖昧化したり相互貫入したりしている。特に、モホリ=ナギの透明的多重造形には、彼自身がガラス建築における透明ガラスによる相互浸透現象を解説している分だけ、その心性の変容が反映している蓋然性が高い。

 

図11 パブロ・ピカソ《アルルの女》1911-12年

 

図12 パブロ・ピカソ《ダニエル=ヘンリー・カーンワイラーの肖像》1910年

 

図13 ジョルジュ・ブラック《グラス・ボトル・新聞》1912年

 

図14 ホアン・グリス《静物》1912年

 

図15 ロベール・ドローネー《都市の同時的な窓》1912年

 

図16 エル・リシツキー《P. V. N. プロウン》1923年

 

図17 ラズロ・モホリ=ナギ《K VII》1922年

 

図18 ラズロ・モホリ=ナギ《コンポジションZVIII》1924年

 

さらに、ガラス建築では、そうした透明ガラスによる相互浸透的同時性ばかりではなく、旧式・新式を問わず、透明ガラスによる脱物質的軽快感が顕著である。特に、ギーディオンが論述している、新式ガラス建築における、隅角における支柱や支持体の不在により強調されるガラス壁面の透明物質的・無荷重的な非実体的浮遊感が、キュビズム等の自律的に浮遊する面表現と親縁性を持つことはもっと評価されて良い。そして、ケペッシュが考述している、ガラス建築において覚知される、旧式の鉄骨構造や新式のキャンティレバー構造の構造力学的・荷重集約的な抽象性が、キュビズム等の自立的に展開する線表現と類縁性を持つことももっと評述されて良い。

これに加えて、さらに本章は、これまでの先行研究では誰からも明確には詳述されなかったが、旧式ガラス建築における支柱鉄骨間ガラス壁による、細い支柱の規則的・軽快的な抽象性や、新式ガラス建築におけるキャンティレバー構造のガラス・カーテンウォールによる、細い窓枠の規則的・無荷重的な抽象性が、キュビスム等の自律的に漂揺する幾何学的な線表現と非常に相関的であることを指摘したい。

以上のように、ガラス建築は人間に様々な心性の変容を発生させる。そして、そうした近代的なガラス建築による心性の変容は、近代的なキュビスム的絵画表現と非常に近似的である。

もちろん、改めて強調するまでもなく、絵画表現の成立を唯一つの要因だけに機械的・決定論的に還元することはできない。しかし、それでもなお、他にも複数ある様々な要因の一つとして、例えば既に広く指摘されている要因である、一点透視遠近法に基づかないアフリカ彫刻の錯綜的抽象造形や、事物の外部と内部を同時的に可視化するⅩ線の透視現象や、事物の外観を相互浸透的に表出する写真の多重露光現象や、事象の時間と空間を自由に編集する映画の四次元的映像現象等と共に、キュビスム的絵画表現に、同時代に台頭した新しい視覚的現実であるガラス建築による心性の変容の反映を推定することは可能である。すなわち、キュビスム等の近代絵画における浮遊的多重抽象造形には、旧式ガラス建築における支柱鉄骨間ガラス壁や、新式ガラス建築におけるキャンティレバー構造のガラス・カーテンウォールによる、面と線の浮遊的抽象性や相互浸透的同時性の視覚表象が影響を与えた可能性を指摘できる。

これに加えて、ガラス建築が一般社会に浸透するにつれて、側壁の脱支持体化と壁面の透明ガラス化による軽快で脱物質的な建築概念が人々の日常生活に浸透し、より開放的で相互浸透的な生活空間を欲求する心性が幅広く涵養されたことは歴史的事実である。そうであれば、重厚で実体的な形態・色彩に固執する旧来の写実的なアカデミズム的絵画表現が時代遅れと敬遠される一方、キュビズムを始めとする浮遊的多重抽象造形が、広く人々に新しい環境適合的な造形表現として歓迎され、新たに普遍妥当的な芸術表現として奨励されうる時代が現実に到来したことも間違いない。そして、こうした新しい解放的で同時性的な空間概念の影響は、ガラス建築からキュビズム的絵画表現への一方通行的なものではなく、キュビズム的絵画表現からガラス建築への反映も含む相互作用的なものと推定される。

例えば、パウル・シェーアバルトは「ガラス建築」(一九一四年)で、「ガラス建築は、私達の生活全体を――私達が生きている環境を――改造してくれるに違いない 」とし、「新しいガラス環境は、人間をとことん変容せしめるであろう 」と述べている。

そうであれば、印象派の明るい外光表現や、キュビズムの浮遊的多重抽象造形は、当初はどれだけ否定されてもやがて必ず称賛されるだろう。その意味で、こうした直接的・間接的及び多様かつ複層的な様相においてこそ、ガラス建築は近代絵画における脱自然主義・抽象主義を推進した可能性が高いと主張できる。

なお、この文脈では、直接ガラスを作品媒体に取り込んだ、マルセル・デュシャンの《彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも(通称「大ガラス」)》(一九一五-二三年)(図19)に言及しないでいることは難しい。その巨大な板ガラスの冷ややかで光沢のある透明感と硬質感は、近代的な日常生活においてとても馴染み深いものである。そして、その三次元と二次元を往還するような図様もまた、ある種の近代性の表現であることは間違いないだろう。

 

図19 マルセル・デュシャン《彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも》1915ー23年

 


【註】引用は全て、既訳のあるものは参考にさせていただいた上で拙訳している。
[1] Walter Gropius, The New Architecture and the Bauhaus, London, 1935; MIT Press, 1965, p. 25.
[2] Ibid., pp. 25-26.
[3]Walter Gropius, Bauhausbauten Dessau, München, 1930, p. 37. 邦訳、ヴァルター・グロピウス『デッサウのバウハウス建築』利光功訳、中央公論美術出版、1995年、37頁。
[4] Ibid., p. 49. 邦訳、同前、49頁。
[5] Ibid., p. 47. 邦訳、同前、47頁。
[6] Sigfried Giedion, Space, Time and Architecture: The Growth of a New Tradition, Harvard University Press, 1941; 14th printing, 2002, p. 482. 邦訳、ジークフリート・ギーディオン『空間・時間・建築(2)』太田實訳、丸善、1995年、514頁。
[7] Ibid., pp. 483-484. 邦訳、同前、515頁。
[8] László Moholy-Nagy, Vision in Motion, Chicago, 1946; 7th printing, 1965, p. 102. 邦訳、L・モホイ=ナジ「ヴィジョン・イン・モーション(9)」『SD(第206号)』阿部公正訳、鹿島出版会、1981年11月号、88頁。
[9] Ibid., p. 103. 邦訳、同前、88-91頁。
[10] Giedion, op. cit., p. 496. 邦訳、ギーディオン、前掲書、525頁。
[11] Ibid., p. 493. 邦訳、同前、524頁。
[12] László Moholy-Nagy, The New Vision, New York, 1928; The Dover edition, The New Vision: Fundamentals of Bauhaus Design, Painting, Sculpture, and Architecture with Abstract of an Artist, New York, 2005, p. 190. 邦訳、L・モホリ=ナギ『ザ ニュー ヴィジョン』大森忠行訳、ダヴィッド社、1967年、128頁。
[13] Ibid., p. 198. 邦訳、同前、139頁。
[14] Ibid., p. 191. 邦訳、同前、136頁。
[15] Gyorgy Kepes, Language of Vision, Chicago, 1944; The Dover edition, New York, 1995, p. 79. 邦訳、ギオルギー・ケペッシュ『視覚言語』グラフィック社編集部訳、グラフィック社、1973年、71頁。
[16] Ibid., p. 117. 邦訳、同前、105頁。
[17] Giedion, op. cit., p. 495. 邦訳、ギーディオン、前掲書、527頁。
[18] Ibid., p. 493. 邦訳、同前、524頁。
[19] Colin Rowe, “Transparency: Literal and Phenomenal” (1963), in The Mathematics of the Ideal Villa and Other Essays, MIT Press, 1976, p. 166. 邦訳、コーリン・ロウ「透明性――虚と実」『マニエリスムと近代建築』伊藤豊雄・松永安光訳、彰国社、1981年、216頁。
[20] Ibid., pp. 166-167. 邦訳、同前、216-217頁。

 

【初出】本稿は、2011年6月18日に千葉市科学館で開催された形の科学会第71回シンポジウムで口頭発表し、『形の科学会誌』第26巻第1号(形の科学会、2011年、23‐32頁)で論文発表した、「キュビスムとガラス建築――近代技術による心性の変容」を加筆修正したものである。なお、本稿は、筆者が2010年度から2011年度にかけて連携研究員として研究代表を務めた、京都大学こころの未来研究センター連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究成果の一部である。

著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2020年4月から2023年3月まで上智大学グリーフケア研究所特別研究員。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。上智大学グリーフケア研究所、京都ノートルダム女子大学で、非常勤講師を務める。現在、鹿児島県霧島アートの森学芸員、滋賀医科大学非常勤講師、京都芸術大学非常勤講師。

【投稿予定】

■ 秋丸知貴『近代とは何か?――抽象絵画の思想史的研究』
序論 「象徴形式」の美学
第1章 「自然」概念の変遷
第2章 「象徴形式」としての一点透視遠近法
第3章 「芸術」概念の変遷
第4章 抽象絵画における純粋主義
第5章 抽象絵画における神秘主義
第6章 自然的環境から近代技術的環境へ
第7章 抽象絵画における機械主義
第8章 「象徴形式」としての抽象絵画

■ 秋丸知貴『美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学』
第1章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について
第2章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラの凋落」概念について
第3章 ヴァルター・ベンヤミンの「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の問題について
第4章 ヴァルター・ベンヤミンの芸術美学――「自然との関係における美」と「歴史との関係における美」
第5章 ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――「複製技術時代の芸術作品」再考
第6章 ヴァルター・ベンヤミンの鑑賞美学――「礼拝価値」から「展示価値」へ
第7章 ヴァルター・ベンヤミンの建築美学――アール・ヌーヴォー建築からガラス建築へ

■ 秋丸知貴『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに』
序論 近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究
第1章 近代絵画と近代技術
第2章 印象派と大都市群集
第3章 セザンヌと蒸気鉄道
第4章 フォーヴィズムと自動車
第5章 「象徴形式」としてのキュビズム
第6章 近代絵画と飛行機
第7章 近代絵画とガラス建築(1)――印象派を中心に
第8章 近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に
第9章 近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に
第10章 近代絵画と近代照明(2)――抽象絵画を中心に
第11章 近代絵画と写真(1)――象徴派を中心に
第12章 近代絵画と写真(2)――エドゥアール・マネ、印象派を中心に
第13章 近代絵画と写真(3)――後印象派、新印象派を中心に
第14章 近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム、キュビズムを中心に
第15章 抽象絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに

■ 秋丸知貴『ポール・セザンヌと蒸気鉄道 補遺』
第1章 ポール・セザンヌの生涯と作品――19世紀後半のフランス画壇の歩みを背景に
第2章 ポール・セザンヌの中心点(1)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第3章 ポール・セザンヌの中心点(2)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第4章 ポール・セザンヌと写真――近代絵画における写真の影響の一側面

■ 秋丸知貴『岸田劉生と東京――近代日本絵画におけるリアリズムの凋落』
序論 日本人と写実表現
第1章 岸田吟香と近代日本洋画――洋画家岸田劉生の誕生
第2章 岸田劉生の写実回帰 ――大正期の細密描写
第3章 岸田劉生の東洋回帰――反西洋的近代化
第4章 日本における近代化の精神構造
第5章 岸田劉生と東京

■ 秋丸知貴『〈もの派〉の根源――現代日本美術における伝統的感受性』
第1章 関根伸夫《位相-大地》論――日本概念派からもの派へ
第2章 現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相-大地》(1968年)から《空相-黒》(1978年)への展開を中心に
第3章 Qui sommes-nous? ――小清水漸の1966年から1970年の芸術活動の考察
第4章 現代日本美術における土着性――小清水漸の《垂線》(1969年)から《表面から表面へ-モニュメンタリティー》(1974年)への展開を中心に
第5章 現代日本彫刻における土着性――小清水漸の《a tetrahedron-鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に

■ 秋丸知貴『藤井湧泉論――知られざる現代京都の超絶水墨画家』
第1章 藤井湧泉(黄稚)――中国と日本の美的昇華
第2章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(前編)
第3章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(中編)
第4章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(後編)
第5章 藤井湧泉と京都の禅宗寺院――一休寺・相国寺・金閣寺・林光院・高台寺・圓徳院
第6章 藤井湧泉の《妖女赤夜行進図》――京都・高台寺で咲き誇る新時代の百鬼夜行図
第7章 藤井湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》――兵庫・大蔵院に鳴り響く新時代の龍虎図(前編)
第8章 藤井湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》――兵庫・大蔵院に鳴り響く新時代の龍虎図(後編)
第9章 藤井湧泉展――龍花春早・猫虎懶眠
第10章 藤井湧泉展――水墨雲龍・極彩猫虎
第11章 藤井湧泉展――龍虎花卉多吉祥
第12章 藤井湧泉展――ネコトラとアンパラレル・ワールド

■ 秋丸知貴『比較文化と比較芸術』
序論 比較の重要性
第1章 西洋と日本における自然観の比較
第2章 西洋と日本における宗教観の比較
第3章 西洋と日本における人間観の比較
第4章 西洋と日本における動物観の比較
第5章 西洋と日本における絵画観(画題)の比較
第6章 西洋と日本における絵画観(造形)の比較
第7章 西洋と日本における彫刻観の比較
第8章 西洋と日本における建築観の比較
第9章 西洋と日本における庭園観の比較
第10章 西洋と日本における料理観の比較
第11章 西洋と日本における文学観の比較
第12章 西洋と日本における演劇観の比較
第13章 西洋と日本における恋愛観の比較
第14章 西洋と日本における死生観の比較

■ 秋丸知貴『ケアとしての芸術』
第1章 グリーフケアとしての和歌――「辞世」を巡る考察を中心に
第2章 グリーフケアとしての芸道――オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』を手掛かりに
第3章 絵画制作におけるケアの基本構造――形式・内容・素材の観点から
第4章 絵画鑑賞におけるケアの基本構造――代弁と共感の観点から
第5章 フィンセント・ファン・ゴッホ論
第6章 エドヴァルト・ムンク論
第7章 草間彌生論
第8章 アウトサイダー・アート論

■ 秋丸知貴『芸術創造の死生学』
第1章 アンリ・エランベルジェの「創造の病い」概念について
第2章 ジークムント・フロイトの「昇華」概念について
第3章 カール・グスタフ・ユングの「個性化」概念について
第4章 エーリッヒ・ノイマンの「中心向性」概念について
第5章 エイブラハム・マズローの「至高体験」概念について
第6章 ミハイ・チクセントミハイの「フロー」概念について

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