『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛かりに』第9章「近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に」秋丸知貴評

近代照明は、近代絵画にどのような影響を与えたのだろうか? この問題について、本章は近代技術による心性の変容という観点から、特に屋内照明について考察する。

1 近代照明について

一八世紀以後の急速な科学技術の発達は、照明技術においても「近代技術」の性格である「有機的自然の限界からの解放(1)」をもたらす。つまり、太陽光や天然燃料による単なる「自然照明」とは質的に異なる、脱自然的で画期的な「近代照明」が次々に発明される。

古来、西洋では、天然燃料による人工照明(ロウソク・松明・灯油ランプ等)は、光度が非常に微弱で不安定な上に燃焼時間も極めて短かった。また、建築は側壁で天井や壁面自体の荷重を支えるために窓の大型化には一定の限界があり、太陽光の採光はそれに応じて減少され不均等になる上に日照時間も非常に限定されていた。これらのため、日没後は世界全体が暗闇に沈むことになり、特に屋内は日中でも閉鎖的で不均斉な陰影空間として知覚されていた(図1)。

 

図1 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《悔い改めるマグダラのマリア》1625-33年

 

これに対し、まず屋内照明を革新したのがガラス建築である。一九世紀半ばに登場したガラス建築は、大量生産による鉄材を支柱に用いて天井や壁面に透明ガラスを張り巡らせることを可能にし、太陽光を全面的に射入させることで日中の屋内照明を改善する。つまり、旧来の建築構造以上に射入光を増量化・均一化することで、従来の屋内に巣食っていた暗い不均斉な陰影を追放する(2)。

しかし、ガラス建築は、その光源を主に未だ太陽に依存していた。そのため、ガラス建築では照明光の増加は開口部の拡大限界が上限となる上に、時間・天候・立地条件にも大きな制約を受けていた。

これに対し、やがて光源自体において「有機的自然の限界からの解放」を招く「近代技術」としての近代照明が開発される。すなわち、近代照明は、建築条件や日照条件の様々な制限からも徐々に自律し、人為的な技術革新のみで自然照明以上に照射光を増量化・均一化する。それにより、その明るく眩しい照明光は、屋内全体をさらに隈なく照らし出すことはもちろん、夜間の屋外にも展開する。その結果、近代照明は、先行するガラス建築と連携しつつより日常生活の隅々まで浸透し、次第に人々の形態と色彩や時間と空間に関する心性を大きく変えることになる。

例えば、レイナー・バナムは『快適環境の建築』(一九六九年)で、ガラス建築と近代照明について、「非常に豊富な光量は、大面積の透明または半透明の素材と結合して、それまでに確立されていた建築を見る際の全ての視覚的習慣を実際に覆した(3)」とし、「利用しうる光や、使用された光の総量は、それ自体人間の生活における主要な革命を構成するに違いない(4)」と告げている。

2 ガス灯と電灯について

それでは、近代照明とは一体何だろうか? ここで言う近代照明は、ガス灯と電灯である(5)。

ガス灯を編年的に辿ると、まず石炭を乾留して生じるガスを用いる裸火ガス灯は一七九二年にウィリアム・マードックが発明し、一八六〇年代に火口を平たくした魚尾ガス灯として普及している。また、装着したマントルを発光させる白熱ガス灯は、一八八六年にカール・ヴェルスバッハが開発している。

一方、電灯を編年的に辿ると、電池による炭素棒間の電気放電を利用するアーク電灯は一八〇八年にハンフリー・デーヴィが成功し、一八七六年にパーヴェル・ヤブロチコフが発電機を用いる「電気蝋燭」として改良している。さらに、発電機による電流で炭素フィラメントを発光させる白熱電灯は一八七九年にトーマス・エディソンが実用化し、タングステン・フィラメントを発光させる白熱電灯は一九一一年にジェネラル・エレクトリック社が商用化している。なお、水銀灯は一九〇一年にピーター・クーパー・ヒューイットが発表し、ネオン灯は一九一〇年にジョルジュ・クロードが公表し、蛍光灯は一九三八年にジョージ・インマンが実現している。

後にガス灯は電灯に駆逐されることになるが、実は二〇世紀初頭までは競合状況が続いていた。明るさを比較すれば、蝋燭が一燭光であるのに対し、一八六〇年代の魚尾ガス灯は約一六燭光であった。これに対し、一八八二年には一六燭光以上出せる上にガスを使うよりも安全な白熱電灯が優勢になるが、一八八六年に登場する白熱ガス灯は約四〇燭光出せるようになり盛り返している。

なお、アーク電灯は一〇〇〇燭光から三〇〇〇燭光の高輝度であり、光を分割して一五〇燭光から二〇〇燭光に抑えた電気蝋燭もやはり烈光であった。そのため、これらは日常の家庭照明には不向きであり、主に灯台・軍事用の投光機や広場・街路用の屋外灯や舞台用の特殊照明として利用されていた。

一般に、ガス灯も電灯も、まず屋外照明として登場した後、技術革新による改良を経て次第に屋内照明に適用されていく。ただし、二〇世紀初頭まで、電灯は高価なために事業施設以外では裕福な家庭にしか広まらず、一般家庭の近代照明はガス灯が主流であった。

照明技術の特徴として言えば、従来の天然燃料による灯明に対し、まずガス灯は照明の光度や安定性を強力に増す。そのため、ガス灯は脱自然的で抽象的な光源になり、屋内は旧来の石造建築や木造建築よりはもちろん、ガラス建築よりも一層明るくなる。ただし、ガス灯は、光源に未だ火炎を用いる点で相対的に自然的要素を残留させていた。そのため、その光には若干の揺らぎや騒音が残存すると共に、常に発熱引火や換気の問題があり、煤煙や悪臭等の弊害も伴っていた。

これに対し、電灯は照明の光度や安定性をより強力に増し、揺らぎを持たず静かな発光を達成する一方で、危険性や汚染性を減少させる。この傾向は、技術革新による改良が加えられるにつれて一層進展する。その結果、電灯はより脱自然的で抽象的な光源になり、屋内はガス灯と同程度かそれ以上に明快で快適になる。

例えば、ヴォルフガング・シヴェルブシュは『光明』(一九八三年)で、近代照明について次のように述べている。「往時のガス灯が達成したことを、電灯は一段と高度な技術で反復した。ガス灯はロウソクや灯油ランプに対し灯芯を廃止することで前進したが、電灯は火炎を廃止することでさらに一歩前進した(6)」。

事実、ジュール・ジャナンは一八三九年に、ガス灯について次のように喩えている。

ガス灯が、太陽に取って代わった(7)。

また、フランシス・アプトンは一八八〇年に、電灯について次のように形容している。

太陽光が、いずれ石炭の森と化す繁茂する植物に降り注ぎ、集められ、蓄えられ、幾世紀もの間、再び光へ転化されるのを待ち続けていた。今や、原始時代に蓄積され、炭層に貯蔵された潜在力は、蒸気機関における化学的、分子的、機械的な力の諸段階を経た後、電気に転換され、発明家の天才に助けられ、百万の家庭用太陽と化して、無数の家々を照明するのを待つばかりである(8)。

3 近代照明による形態・色彩感覚の変容

それでは、近代照明は人間の心性を一体どのように変容させたのだろうか? まず、近代照明による形態・色彩感覚の変容について見てみよう。

この問題について、アラン・コルバンは、アラン・ベルトランとパトリス・カレの共著『妖精と女召使』(一九九一年)の序文で、近代照明に関して次のように指摘している。「明らかに、照明の革命は視覚の優位をかつて以上に広範に展開させた。同時に、照明の革命はまなざしの仕組みを変えた(9)」。

まず、近代照明は、その強力で豊富な発光により、ガラス建築以上に、従来は陰翳に沈んでいた対象の形態を明白に呈示する。その一方で、その時間的にも空間的にも一様な照射は、対象の奥行を平板化する。また、近代照明は、その強烈で豊満な発光により、ガラス建築以上に、旧来は暗くくすんでいた対象の色彩を鮮明に露呈する。その一方で、その規則的で強制的な照射は、対象の色彩を多様に変調する。こうした近代照明による対象の形態や色彩の変容は、屋内はもちろん、夜間の屋外でも生じる。これらの結果、人々の形態・色彩感覚は文字通り一新される。

事実、アラン・コルバンは先述の序文で、近代照明による形態の明瞭化について次のように書いている。

電灯の眩しい光により、明瞭な輪郭が即座に現れる。電灯は、パストゥール革命を冷酷に補強する。電灯とパストゥール革命が、今や同一視される無秩序と不衛生を追い詰めるように働き、両者はその両方を強力に少しずつツルピカにしていく(10)。

また、ヴィルヘルム・ハウゼンシュタインは一九四四年九月一六日付の日記で、近代照明による形体の平板化について次のように記している。

最近、よく電灯が故障する。そこで、私達は予備の僅かなロウソクに頼ることになる。何しろ、あらゆる物の有難味が二倍にも三倍にも感じられる時局を迎えているので、私達はロウソクの「か弱い」光の中では、全ての対象が全く別物に、つまり遥かに彫り深く際立った起伏を帯びることに気付いた――これこそ正に真の対象性である。電灯では、それは失われていた。つまり、確かに電灯の下では対象は(一見)より明瞭なのだが、しかし実際には、電灯は対象を平板にする。電灯は明る過ぎるので、対象は厚味を、隈取を、質感を、すなわち本質を全く喪失してしまう。ロウソクの光の下では、陰影が遥かに大きな意味を孕み、対象に対する正当で適切な造形力を持っている。また明るさも、対象が――詩情を内に秘めたまま――(言わば最高度に)あるがままの姿で存在するのに必要な程度で照らすのである(11)。

さらに、一八七八年の『衛生(サニタリアン)』誌は、近代照明による色彩の鮮明化について次のように伝えている。

花々は生々しく、木々は鮮やかな緑色である……あらゆる衣服と帽子が、白昼のようにその本来の色彩で明瞭かつ明確に浮き出ている(12)。

そして、ギー・ド・モーパッサンは「悪夢の夜」(一八八七年)で、近代照明による色彩の変調について次のように綴っている。

私はシャンゼリゼに着いたが、そこではコンサート・カフェが樹葉の内の炉辺のように見えた。黄色い光を浴びたマロニエは、色を塗られたようで、燐光を発する木々のように見えた(13)。

4 近代照明による時間・空間意識の変容

さらに、近代照明は、形態・色彩感覚のみならず、時間意識も変容させる。つまり、近代照明は、光源を太陽から切り離し、照明光を自由に強力かつ安定的に供給することで、まるで夜を昼のように明るくする。こうした近代照明による夜と昼の曖昧化は、屋内はもちろん、屋外でも成立する。その結果、人々には夜間も昼間のように感じる新しい時間意識が現出する。

例えば、アラン・コルバンは前述の序文で、近代照明による時間意識の変容について次のように説いている。「夜を容易に追放しつつ、電灯は時間を再編する。〔…〕電灯により、昼夜のリズムと、時間生物学に属する全てが転覆される(14)」。

こうした夜間を昼間化する近代照明は、社会生活を慢性的に不夜城化する。そのため、人々にとって、もはや日出と共に起床し日没と共に就寝することは絶対的な約束事ではなくなる。また、こうした生活様式の脱自然化は、人間の自然な生理本能を大いに狂わせる。その一方で、その強烈な発光の増加は、夜の娯楽(ナイトライフ)に祝祭的な興奮状態を蔓延させる。

例えば、ヴォルフガング・シヴェルブシュは『光・輝き・眩惑』(一九九二年)で、近代照明による昂揚感について次のように論じている。「大都市特有の生活、文学や芸術において繰り返し主題化される大都市生活のほとんど麻薬じみた昂揚は、自然光が消え、近代照明がそれに取って代わった時に始まる(15)」。

事実、ゴットフリート・ゼンパーは『学問・産業・芸術』(一八五二年)で、近代照明による昂揚感について次のように賛している。

ガス灯は、何と素晴らしい発明だろう! 何という方法でこのガス灯は、(生活の必要上の限りない重要性はさておき)私達の祝祭を豊かにしてくれることか!(16)。

また、ドルフ・シュテルンベルガーは『パノラマ、あるいは一九世紀の風景』(一九三八年)で、近代照明による昂揚感について次のように評している。

都会の夜自体が、遍在する照明により一種の永続的な昂奮状態の祝祭になっている(17)。

これに加えて、近代照明は、時間意識のみならず空間意識も変容させる。すなわち、近代照明は、ガラス建築以上に照明光の質と量を向上させることで、光源からの隔たりにより生じる屋内の明暗の疎密性を一層均一化する。また、屋内を明光で充満させることにより、屋内と屋外の差異を一層曖昧化する。その結果、人々には屋内も日中の屋外のように感じる新しい空間意識が登場する。

これに関連して、谷崎潤一郎は「陰翳礼讃」(一九三三-三四年)で、「西洋人」は「部屋の中も成る可く隈を作らないやうに、天井や周圍の壁を白つぽく」するとし、近代照明による屋内の屋外化に関して次のように記述している。「蠟燭からラムプに、ランプから瓦斯燈に、瓦斯燈から電燈にと、絶えず明るさを求めて行き、僅かな蔭をも拂ひ除けようと苦心をする(18)」。

実際に、ジュール・ミシュレは『民衆』(一八四六年)で、ガス灯による屋内の屋外化に関して次のように叙述している。

光の氾濫するこれらの巨大な新築の工場は、薄暗い住居の陰影に慣れた目を痛めつける。そこには思索に浸れる薄暗さがなく、夢想に耽れる隅の暗がりもない。この照明は、いかなる幻想も許さない。絶えず冷酷に、現実を忘れるなと警告する(19)。

また、エミール・ゾラは『獲物の分け前』(一八七一年)で、ガス灯による屋内の屋外化に関して次のように描述している。

ガスランプの炎は、弱くされていた。〔…〕しかし、ボーイの親指の一押しでガスの炎は強くなった。天井の陰影は消え去り、部屋は強烈な光で満たされ、若い娘の頭の真上に降り注いだ(20)。

さらに、ポール・ヴィリリオは『不動の極』(一九九〇年)で、電灯による屋内の屋外化に関して次の証言を引用している。

スイッチを押した時、最も奇妙だったのは、光が私の背後で溢れ出したことでした(21)。

そして、ピエール=ジャケス・エリアスは『誇りの馬』(一九七五年)で、電灯による屋内の屋外化に関して次のように回想している。

母親が初めてスイッチを押した晩は、私達はほとんど食事どころではなかった。それほど、電灯は家の中を明るくした。家自体が非常に大きく見え、石油ランプを囲んで仕事をする習慣を持つ私達には大き過ぎるように見えた(22)。

5 近代照明による美意識の変容

こうした近代照明は、従来の自然照明に馴染んだ古い心性の持主には非常に不評である。彼等は、まず近代照明自体の発光の苛烈性や、旧来の素朴な火焔やそれが作り出す陰翳による情緒が失われることを批判する。その非難は、屋内はもちろん、屋外で近代照明が用いられる場合にも向けられる。

事実、エドガー・アラン・ポーは『家具の哲学』(一八四〇年)で、ガス灯について次のように嫌っている。

私達は、ガス灯やガラスに酷く狼狽する。ガス灯は、屋内では全く受け入れられない。ガス灯の震える強烈な光は、不快感を催させる。脳と目を持つ人なら誰でも、そんなものを使用することは拒絶するだろう(23)。

また、ロバート・ルイス・スティーヴンソンは「ガス灯の弁」(一八七八年)で、電灯について次のように嫌悪している。

今や、電気という言葉は危険な響きを持つ。今やパリでは、パサージュ・デ・プランスの入口、オペラ座の玄関前、フィガロ新聞社のあるドルオ通りに、人の目にとって不快で不気味で醜悪な新種の都会の星が夜毎に輝いている。悪夢の光だ! こんな光は、殺人犯や国賊の頭上、あるいは精神病院の廊下だけで輝くべきだ。これは、恐怖を高める恐怖の光だ(24)。

これに対し、こうした近代照明は、それに順応する新しい心性の持主には極めて好評である。彼等は、まず近代照明の強力で自由自在な照明能力や、清潔で中性的な明澄性を賞賛する。その賛美は、やはり屋外はもちろん、屋内で近代照明が用いられる場合にも向けられる。

実際に、ギー・ド・モーパッサンは「悪夢の夜」(一八八七年)で、ガス灯について次のように誉めている。

星々からガス灯に至るまで、軽やかな大気の中で全てが明るかった。上空でも街中でも多くの光が輝いていたので、暗闇さえも明るく見えた。煌めく夜は、太陽の真昼よりも楽し気である(25)。

また、エミール・ゾラは『ボヌール・デ・ダム百貨店』(一八八三年)で、電灯について次のように称えている。

六時になろうとしていた。屋外では日が傾き、回廊は既に暗く、ホールの奥は薄闇に染まり、次第に暗闇に包まれていく。そして、この夕暮の中に、一つずつ電灯が灯り、それらの不透明な白い電球は売場の遥か奥まで幾つもの強烈な月のように輝いた。それらは固定された眩しく白い光で、脱色した星の反射のように広がり夕闇を消し去った。やがて、全ての電球が白熱すると、この新しい照明の下で、群集は喜びに満ちてざわめき、白の大展示会はお伽噺のような輝きを放ち最高潮を迎えた(26)。

さらに、アーネスト・ヘミングウェイは「清潔な照明の良い場所」(一九二六年)で、電灯について次のように賞揚している。

ここは、清潔で快適なカフェだ。〔電気〕照明が十分だ。この照明が、とても良い〔括弧内引用者〕(27)。

ここで興味深いことは、こうした近代照明が現実に対象の外観を変調した事実である。

例えば、ヴォルフガング・シヴェルブシュは『光明』で、近代照明による対象外観の変調について次のように考察している。

電灯が解消したのは、家庭の団欒の場だけではない。電気の光の灯る、というより電気の光の溢れる部屋の見え方全体も変化させた。第一に、従来の明かりの強さに合わせた内装が変色して見えた(28)。

また、ラズロ・モホリ=ナギは『運動における視覚』(一九四六年)で、近代照明による対象外観の変調について次のように洞察している。

今日、私達の生活の大部分は電灯で営まれており、電気光線の組成とスペクトルは太陽光線のそれとは異なるので、良く知られている古典的な色彩調和の効果は様々な変容を被らねばならないだろう。色彩のあるもの、衣服、襞、その他のあらゆる陰影は、電灯の影響により変調させられた(29)。

6 近代絵画と近代照明(屋内)

このように、近代照明は、その光源の技術革新による発光の強力化・規則化により、屋内外の自然で不均斉な具象的陰影空間を追放し、光の充溢する脱自然的で均斉な抽象的照明空間を創出する。また、近代照明は、屋内外の対象の形体をより一層抽出し平坦化すると共に、その色彩をより一層単純化し変調する。こうした抽象的・脱自然的な近代照明による視覚の変容は、近代絵画における抽象的・脱自然主義的な形態・色彩表現と非常に呼応的である。

現に、近代絵画における素描や彩色の抽象化・脱自然主義化を促進した、印象派のエドゥアール・マネ(図2)、印象派のエドガー・ドガ(図3)、ポスト印象派のフィンセント・ファン・ゴッホ(図4)、新印象派のジョルジュ・スーラ(図4)、一九世紀末の画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(図5)、未来派のウンベルト・ボッチョーニ(図6)等は、近代照明により照出された屋内空間をいち早く描いている。

 

図2 エドゥアール・マネ《フォリー・ベルジェールの酒場》1882年

 

図3 エドガー・ドガ《カフェ・アンバサドゥールのベカ嬢》1885年

 

図4 フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルのダンスホール》1888年

 

図5 ジョルジュ・スーラ《シャユ踊り》1890年

 

図6 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ムーラン・ルージュ》1892年

 

図7 ウンベルト・ボッチョーニ《大笑い》1911年

 

ここで注目すべきは、これらの作品がいずれも、近代照明が演出する夜の歓楽的な盛り場の祝祭的昂揚感を表現している点である。このことから、これらの画家達は全て、既に近代照明による心性の変容を経験し、それを肯定的に受容・内面化していると推測できる。

さらに注目すべきは、これらの作品では、対象は全て、色彩が明瞭に強調されると共に多様に変調している事実である。特に、ドガの《カフェ・アンバサドゥールのベカ嬢》(一八八五年)(図3)と、トゥールーズ=ロートレックの《ムーラン・ルージュ》(一八九二年)(図4)では、どちらも画面右手前の女性の顔色が、近代照明の照明効果によりけばけばしい緑色に変色している。

これに関連して、ラズロ・モホリ=ナギは『運動における視覚』で、近代照明による視覚の変容について次のように分析している。「例えば、赤い光で(もし上手に使われれば白い光でも)照らされた対象は、緑色の影を落とす。〔…〕今日、私達の目は、蛍光灯やネオン管で照らされたミュージック・ホールや、ヴァラエティ・ショーや、サーカスや、バーや、ナイトクラブや、屋外広告の照明で、同様の効果に出会う(30)」。

なお、このモホリ=ナギの指摘に加えて、特に白熱ガス灯は、マントルに含まれるセリウムの青い光と炎の黄色い光の混色による緑がかった光で対象を染め上げる。これにはさらに、光を随意に着色する照明器具用色ガラスの普及も加味されることを付言しておこう(31)。

これらのことから、こうしたドガやトゥールーズ=ロートレックの一見非現実的な色彩表現は、正に現実の近代照明による視覚の変容の反映を推定できる。特に、ここではそうした一見異常で脱自然主義的な彩色が、画家の単なる空想の産物ではなく、同時代の日常的な客観世界に出現した新しい視覚現象の反映である点が非常に重要である。

さらに、こうした近代照明による視覚の変容に基づき、彩色や素描の反客観化・主観化を大きく発展させたのが、フォーヴィズムと考えられる。

例えば、ポール・ヴィリリオは『今起きていること』(二〇〇二年)で、フォーヴィズムと近代照明の影響関係について次のように示唆している。「同様に、明敏な美術愛好家ならば、ファン・ゴッホ(シニャックは「狂気の奇才」と呼ぶ)や、その後のフォーヴィズムの創始者達は、もしガス灯や電灯という工業照明の光――地中海の燦々たる陽光と競い合うような光――がなければ一体どのように絵を描いただろうか、と自問するだろう(32)」。

事実、フォーヴィズムのアンリ・マティスは、光に対する自らの感受性の鋭敏さとその自作への反映について、「常に私は光とその詩情に心惹かれている(33)」と証言し、「常に私は自分が熟視する画題に降り注ぐ光の性格に強く心惹かれている(34)」と公言している。

その上で、実際にマティスは近代照明に照らし出された屋内の対象や人物を、《読書する女》(一八九四年)(図8)や、《シルクハットのある室内》(一八九六年)(図9)等で描写している。そうであれば、その後に制作された《果実とコーヒーポット》(一八九九年)(図10)等における対象の脱自然主義的な原色的変調に、そうした近代照明による視覚の変容が影響している可能性は決して皆無ではない。

 

図8 アンリ・マティス《読書する女》1894年

 

図9 アンリ・マティス 《シルクハットのある室内》 1896年

 

図10 アンリ・マティス 《果実とコーヒーポット》 1899年

 

また、同じくフォーヴィズムのキース・ヴァン・ドンゲンについて、ギョーム・アポリネールは「ヴァン・ドンゲン」(一九一八年)で、「あの宝石のように貴重な電光の奇妙な輝きを、あの官能的詩情と自然主義の混合を、いかに定義すべきか?(35)」と問い、次のように讃美している。「この色彩画家は、初めて電灯から鋭い輝きを抽出し、それを色合いに加味した。ここから、陶酔や、眩惑や、震動が生まれ、色彩は異常な個性を保持しつつ、昂揚し、熱狂し、恍惚とし、蒼白になり、失神するが、陰影という観念だけは決して失わないのである(36)」。

現実に、ヴァン・ドンゲンは、近代照明に照出された煌びやかな夜のダンスホールやその参加者達を多数描出している(図11・図12・図13・図14・図15・図16)。そうである以上、これらの作品における対象の脱自然主義的な原色的変調に、やはりそうした近代照明による視覚の変容が反映している可能性は決して皆無ではない。また、同様の影響関係は、同時代のヤン・スライヤーズ(図17)やパブロ・ピカソ(図18)の作品にも指摘できる。

 

図11 キース・ヴァン・ドンゲン《シャンデリア、ムーラン・ド・ラ・ギャレット》1905-06年

 

図12 キース・ヴァン・ドンゲン《ムーラン・ド・ラ・ギャレットのチェロ奏者》1905年

 

図13 キース・ヴァン・ドンゲン《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》1904年

 

図14 キース・ヴァン・ドンゲン《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》1906年

 

図15 キース・ヴァン・ドンゲン《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》1904-06年

 

図16 キース・ヴァン・ドンゲン《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》1904年

 

図17 ヤン・スライヤーズ《バル・タバラン》1907年

 

図18 パブロ・ピカソ《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》1900年

 

さらに、ほぼ同時期に描かれた、マティスの《帽子を被った女》(一九〇五年)(図19)と、ヴァン・ドンゲンの《大きな帽子の女》(一九〇六年)(図20)等では、ドガやトゥールーズ=ロートレックの作例と同じく、描かれた女性の顔色が、人間本来の肌色ではなく毒々しい緑色に変色している。既に、マティスやヴァン・ドンゲンが近代照明に照射された対象や人物を描き、確かに近代照明による視覚の変容を経験していると判定される以上、ここでもやはり、そうした一見異常で脱自然主義的な彩色が、画家の単なる妄想の所産ではなく、同時代の一般的な客観世界に現出した新しい視覚現象の感化である可能性は決して皆無ではない。

そして、そうであれば、従来ほぼ全く指摘されてこなかったが、一九〇五年に台頭するフォーヴィズムは、その様々な成立要因の一つとして、こうした近代照明による対象の脱自然的な原色的変調を客観的に描写する中で、画面の表面上の反客観的・脱自然主義的な色彩効果に触発されて次第に彩色の主観化を促進し、それに伴い素描の主観化も推進した可能性を指摘できる。

 

図19 アンリ・マティス《マティス夫人(緑色の線)》1905年

 

図20 キース・ヴァン・ドンゲン《帽子の女》1906年

 

ちなみに、フォーヴィズムと同時代の画派である、未来派のウンベルト・ボッチョーニ(図7)、カルロ・カッラ、ルイジ・ルッソロ、ジャコモ・バッラ、ジーノ・セヴェリーニもまた「未来派絵画技術宣言」(一九一〇年)で、近代照明による人間の顔色の脱自然的な原色的変調を次のように称揚していることを付記しておこう。

私達には、一人の人間の苦痛は、電灯の苦痛と同じほど興味深い。電灯は、色彩の最も悲痛な表現で、苦悶し、煩悶し、叫喚する。〔…〕私達の生活は、紛れもなく夜間で二倍化されているのに、どうして未だに人間の顔を薔薇色に見ることができるだろうか? 人間の顔は、黄色であり、赤色であり、緑色であり、青色であり、紫色である(37)。

以上のように、「近代技術」としての近代照明は「有機的自然の限界からの解放」を発生させ、人間に様々な心性の変容を生起させる。そして、そうした脱自然的な近代照明よる心性の変容は、近代絵画における脱自然主義的な色彩表現や形態表現と極めて照応的である。

もちろん、改めて強調するまでもなく、絵画表現の成立背景を唯一つの要因だけに機械的・決定論的に還元することはできない。しかし、他にも複数ある様々な成立要因の一つとして、近代絵画における彩色や素描の脱自然主義化に、同時代に出現した新しい視覚的現実である脱自然的な近代照明による視覚の変容の反映を推論することは十分に可能である。そのことから、まず近代絵画における色彩の純粋化・恣意化や形態の抽象化・自由化には、現実に普及する強烈で規則的な近代照明が直接的・間接的に影響を与えた可能性を指摘できる。

少なくとも、近代照明が一般社会に広まるにつれて、自然状態よりも鮮明な照明空間が人々の日常生活に浸透し、全体的により明瞭な色彩を欲求する心性が幅広く涵養されたことは確かである。そうであれば、次第に固有色に固執する旧来の陰鬱なアカデミズム的色彩表現が不自然で時代遅れとして敬遠される一方、原色を多用する自由で明快な新しい前衛的色彩表現が、広く人々に新たな環境適合的絵画表現として支持される状況が現実に到来したことも疑いない。そうした多様かつ複層的な様相においてこそ、近代照明は近代絵画における抽象主義・脱自然主義に影響を与えた可能性が高いと主張できる。

 

【註】引用は全て、既訳のあるものは参考にさせていただいた上で拙訳している。
(1)ヴェルナー・ゾンバルトは、「近代技術」の性格を「有機的自然の限界からの解放」と定義する。これは、古来「科学」と「技術」は分離していたのに対し、いわゆる科学革命以後の「有機的自然の限界からの論理的解放」を特徴とする「近代科学」が技術と結合することで、従来の技術とは異質な「有機的自然の限界からの物理的解放」を特徴とする「近代技術」が成立したとする解釈である。Werner Sombart, Die Zähmung der Technik, Berlin, 1935, p. 10. 邦訳、W・ゾンバルト「技術の馴致」『技術論』阿閉吉男訳、科学主義工業社、一九四一年、一四頁。
(2)第7章「近代絵画とガラス建築(1)」及び第8章「近代絵画とガラス建築(2)」を参照。
(3)Reyner Banham, The Architecture of the Well-Tempered Environment, London, 1969, p. 70. 邦訳、レイナー・バンハム『環境としての建築――建築デザインと環境技術』堀江悟郎訳、鹿島出版会、一九八一年、七一頁。
(4)Ibid., p. 55. 邦訳、同前、五六頁。
(5)本章の主題は、ガス灯と電灯の光の性質の差異を論じることではなく、古来の自然照明と新式の近代照明の光の性質の画期的・革命的変化を明らかにすることである。その目的に限定するため、本稿ではガス灯と電灯を共に近代照明として範疇化している。
(6)Wolfgang Schivelbusch, Lichtblicke: Zur Geschichte der künstlichen Helligkeit im 19. Jahrhundert, München, 1983, p. 55. 邦訳、ヴォルフガング・シヴェルブシュ『闇をひらく光――一九世紀における照明の歴史』小川さくえ訳、法政大学出版局、一九八八年、五六頁。
(7)Quoted in Schivelbusch, Lichtblicke, p. 22. 邦訳、シヴェルブシュ『闇をひらく光』一四頁に引用。
(8)Quoted in Schivelbusch, Lichtblicke, p. 54. 邦訳、シヴェルブシュ『闇をひらく光』五四頁に引用。
(9)Alain Beltran/Patrice A. Carré, La Fée et la servant: la société française face à l’électricité, XIXe-XXe siècle, préface d’Alain Corbin, Paris, 1991, p. 9. 邦訳、A・ベルトラン/P・A・カレ『電気の精とパリ』アラン・コルバン序文、松本栄寿・小浜清子訳、玉川大学出版部、一九九九年、四頁。
(10)Ibid., p. 7. 邦訳、同前、二‐三頁。
(11)Quoted in Schivelbusch, Lichtblicke, p. 171. 邦訳、シヴェルブシュ『闇をひらく光』一八六頁に引用。
(12)Quoted in Schivelbusch, Lichtblicke, p. 113. 邦訳、シヴェルブシュ『闇をひらく光』一二一頁に引用。
(13)Quoted in Walter Benjamin, “Das Passagen-Werk,” in Gesammelte Schriften, V (2), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1982; Dritte Auflage, 1989, pp. 706-707. 邦訳、ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論(Ⅲ)』今村仁司・三島憲一訳者代表、岩波書店、一九九四年、二七六頁に引用。
(14)La Fée et la servant, préface d’Alain Corbin, p. 8. 邦訳、『電気の精とパリ』アラン・コルバン序文、四頁。
(15)Wolfgang Schivelbusch, Licht, Schein und Wahn: Auftritte der elektrischen Beleuchtung im 20. Jahrhundert, Berlin, 1992, p. 78. 邦訳、ヴォルフガング・シヴェルブシュ『光と影のドラマトゥルギー――二〇世紀における電気照明の登場』小川さくえ訳、法政大学出版局、一九九七年、一四〇頁。
(16)Quoted in Benjamin, “Das Passagen-Werk,” in Gesammelte Schriften, V (2), p. 706. 邦訳、ベンヤミン『パサージュ論(Ⅲ)』二七五頁に引用。
(17)Quoted in Benjamin, “Das Passagen-Werk,” in Gesammelte Schriften, V (2), p. 706. 邦訳、ベンヤミン『パサージュ論(Ⅲ)』二七五頁に引用。
(18)谷崎潤一郎「陰翳礼讃」『谷崎潤一郎全集(第二〇巻)』中央公論社、一九六八年、五四七頁。
(19)Jules Michelet, Le peuple, Paris, 1846, p. 85.
(20)Emile Zola, “La Curée” (1871), in Œuvres complètes, V, Paris: Nouveau monde, 2003, p. 120. 邦訳、エミール・ゾラ『獲物の分け前』伊藤桂子訳、論創社、二〇〇四年、一六〇頁。
(21)Paul Virilio, L’inertie polaire, Paris, 1990, p. 126. 邦訳、ポール・ヴィリリオ『瞬間の君臨――リアルタイム世界の構造と人間社会の行方』土屋進訳、新評論、二〇〇三年、一六九頁。
(22)Pierre-Jakez Hélias, Le cheval d’orgueil: mémoires d’un Breton du pays bigouden, Paris, 1975, p. 480.

(23)Quoted in Benjamin, “Das Passagen-Werk,” in Gesammelte Schriften, V (2), p. 707. 邦訳、ベンヤミン『パサージュ論(Ⅲ)』二七七頁に引用。
(24)Robert Louis Stevenson, “A Plea for Gas Lamps” (1878), in The Works of Robert Louis Stevenson, II, New York, 1974, p. 206. 邦訳、スティーヴンスン「瓦斯燈の辯」『若い人々のために』岩田良吉訳、岩波書店(岩波文庫)、一九三七年、二二四頁。
(25)Quoted in Benjamin, “Das Passagen-Werk,” in Gesammelte Schriften, V (2), p. 707. 邦訳、ベンヤミン『パサージュ論(Ⅲ)』二七六頁に引用。
(26)Emile Zola, “Au Bonheur des Dames” (1883), in Œuvres complètes, XI, Paris: Nouveau monde, 2005, pp. 559-560. 邦訳、エミール・ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』伊藤桂子訳、論創社、二〇〇二年、五五一‐五五二頁。

(27)Ernest Hemingway, “A Clean, Well-Lighted Place” (1926), in The Complete Short Stories of Ernest Hemingway, New York, 1987, p. 290. 邦訳、アーネスト・ヘミングウェイ「清潔な照明の好いところ」『ヘミングウェイ短篇集』谷口陸男訳、研究社出版、一九五七年、一一〇頁。
(28)Quoted in Schivelbusch, Lichtblicke, p. 171. 邦訳、シヴェルブシュ『闇をひらく光』一八六‐一八七頁に引用。
(29)László Moholy-Nagy, Vision in Motion, Chicago, 1946; 7th printing, 1965, p. 161. 邦訳、L・モホイ=ナジ「ヴィジョン・イン・モーション(13)」阿部公正訳、『SD』(第二一一号)、鹿島出版会、一九八二年四月号、六八頁。
(30)Ibid., p. 161. 邦訳、同前、六八頁。
(31)なお、裸火ガス灯では、燃焼時の化学反応により生じるCHラジカルが青色、C2ラジカルが青緑色の光を発し、ナトリウム、カリウム、リチウム、銅を混ぜる「花ガス」では、炎色反応によりそれぞれ黄色、紫色、赤色、緑色の光が生じる。また、炭素を用いる電灯では、高温の熱放射で青白い光が発生する。さらに、当初の水銀灯の発光は青緑色であり、ネオン灯は用いる封入ガスや蛍光塗料や着色ガラス等により多様な色光を発する。

(32)Paul Virilio, Ce qui arrive, Paris, 2002, p. 66. 邦訳、ポール・ヴィリリオ『自殺へ向かう世界』青山勝・多賀健太郎訳、NTT出版、二〇〇三年、九一‐九二頁。
(33)Henri Matisse, Écrits et propos sur l’art, Paris, 1972, p. 103. 邦訳、マティス『画家のノート』二見史郎訳、みすず書房、一九七八年、一二五頁。
(34)Ibid., pp. 102-103. 邦訳、同前、一二四頁。
(35)Guillaume Apollinaire, “Van Dongen” (1918), in Œuvres complètes de Guillaume Apollinaire, Paris: André Balland et Jacques Lecat, 1966, p. 450. 邦訳、ギョーム・アポリネール「ヴァン・ドンゲン」白井浩司訳、『アポリネール全集』鈴木信太郎・渡邊一民編、紀伊国屋書店、一九六四年、八八四頁。
(36)Ibid., p. 449. 邦訳、同前、八八三頁。
(37)Umberto Boccioni, Carlo Dalmazzo Carrà, Luigi Russolo, Giacomo Balla, Gino Severini, “La pittura futurista: Manifesto tecnico” (1910), 『未来派:1909‐1944』展図録、エンリコ・クリスポルティ/井関正昭構成・監修、諸川春樹翻訳監修、東京新聞、一九九二年、一一四頁(邦訳一一六頁)。

 

【初出】本稿は、2011年2月12日に京都精華大学で開催された意匠学会第205回研究例会で「抽象絵画と近代照明――S・ギーディオン、L・モホリ=ナギ、G・ケペッシュ、R・バンハム、W・シヴェルブシュを手掛りに」と題して口頭発表した内容の一部であり、2014年3月に『モノ学・感覚価値研究』第8号(京都大学こころの未来研究センター、2014年、31-38頁)で論文発表した「近代絵画と近代照明――近代技術による心性の変容」を加筆修正したものである。なお、本稿は、筆者が2010年度から2011年度にかけて連携研究員として研究代表を務めた、京都大学こころの未来研究センター連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究成果の一部である。

著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2020年4月から2023年3月まで上智大学グリーフケア研究所特別研究員。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。上智大学グリーフケア研究所、京都ノートルダム女子大学で、非常勤講師を務める。現在、鹿児島県霧島アートの森学芸員、滋賀医科大学非常勤講師、京都芸術大学非常勤講師。

【投稿予定】

■ 秋丸知貴『近代とは何か?――抽象絵画の思想史的研究』
序論 「象徴形式」の美学
第1章 「自然」概念の変遷
第2章 「象徴形式」としての一点透視遠近法
第3章 「芸術」概念の変遷
第4章 抽象絵画における純粋主義
第5章 抽象絵画における神秘主義
第6章 自然的環境から近代技術的環境へ
第7章 抽象絵画における機械主義
第8章 「象徴形式」としての抽象絵画

■ 秋丸知貴『美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学』
第1章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について
第2章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラの凋落」概念について
第3章 ヴァルター・ベンヤミンの「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の問題について
第4章 ヴァルター・ベンヤミンの芸術美学――「自然との関係における美」と「歴史との関係における美」
第5章 ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――「複製技術時代の芸術作品」再考
第6章 ヴァルター・ベンヤミンの鑑賞美学――「礼拝価値」から「展示価値」へ
第7章 ヴァルター・ベンヤミンの建築美学――アール・ヌーヴォー建築からガラス建築へ

■ 秋丸知貴『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに』
序論 近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究
第1章 近代絵画と近代技術
第2章 印象派と大都市群集
第3章 セザンヌと蒸気鉄道
第4章 フォーヴィズムと自動車
第5章 「象徴形式」としてのキュビズム
第6章 近代絵画と飛行機
第7章 近代絵画とガラス建築(1)――印象派を中心に
第8章 近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に
第9章 近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に
第10章 近代絵画と近代照明(2)――抽象絵画を中心に
第11章 近代絵画と写真(1)――象徴派を中心に
第12章 近代絵画と写真(2)――エドゥアール・マネ、印象派を中心に
第13章 近代絵画と写真(3)――後印象派、新印象派を中心に
第14章 近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム、キュビズムを中心に
第15章 抽象絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに

■ 秋丸知貴『ポール・セザンヌと蒸気鉄道 補遺』
第1章 ポール・セザンヌの生涯と作品――19世紀後半のフランス画壇の歩みを背景に
第2章 ポール・セザンヌの中心点(1)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第3章 ポール・セザンヌの中心点(2)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第4章 ポール・セザンヌと写真――近代絵画における写真の影響の一側面

■ 秋丸知貴『岸田劉生と東京――近代日本絵画におけるリアリズムの凋落』
序論 日本人と写実表現
第1章 岸田吟香と近代日本洋画――洋画家岸田劉生の誕生
第2章 岸田劉生の写実回帰 ――大正期の細密描写
第3章 岸田劉生の東洋回帰――反西洋的近代化
第4章 日本における近代化の精神構造
第5章 岸田劉生と東京

■ 秋丸知貴『〈もの派〉の根源――現代日本美術における伝統的感受性』
第1章 関根伸夫《位相-大地》論――日本概念派からもの派へ
第2章 現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相-大地》(1968年)から《空相-黒》(1978年)への展開を中心に
第3章 Qui sommes-nous? ――小清水漸の1966年から1970年の芸術活動の考察
第4章 現代日本美術における土着性――小清水漸の《垂線》(1969年)から《表面から表面へ-モニュメンタリティー》(1974年)への展開を中心に
第5章 現代日本彫刻における土着性――小清水漸の《a tetrahedron-鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に

● 秋丸知貴『比較文化と比較芸術』
序論 比較の重要性
第1章 西洋と日本における自然観の比較
第2章 西洋と日本における宗教観の比較
第3章 西洋と日本における人間観の比較
第4章 西洋と日本における動物観の比較
第5章 西洋と日本における絵画観(画題)の比較
第6章 西洋と日本における絵画観(造形)の比較
第7章 西洋と日本における彫刻観の比較
第8章 西洋と日本における建築観の比較
第9章 西洋と日本における庭園観の比較
第10章 西洋と日本における料理観の比較
第11章 西洋と日本における文学観の比較
第12章 西洋と日本における演劇観の比較
第13章 西洋と日本における恋愛観の比較
第14章 西洋と日本における死生観の比較

■ 秋丸知貴『ケアとしての芸術』
第1章 グリーフケアとしての和歌――「辞世」を巡る考察を中心に
第2章 グリーフケアとしての芸道――オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』を手掛かりに
第3章 絵画制作におけるケアの基本構造――形式・内容・素材の観点から
第4章 絵画鑑賞におけるケアの基本構造――代弁と共感の観点から
第5章 フィンセント・ファン・ゴッホ論
第6章 エドヴァルト・ムンク論
第7章 草間彌生論
第8章 アウトサイダー・アート論

■ 秋丸知貴『芸術創造の死生学』
第1章 アンリ・エランベルジェの「創造の病い」概念について
第2章 ジークムント・フロイトの「昇華」概念について
第3章 カール・グスタフ・ユングの「個性化」概念について
第4章 エーリッヒ・ノイマンの「中心向性」概念について
第5章 エイブラハム・マズローの「至高体験」概念について
第6章 ミハイ・チクセントミハイの「フロー」概念について

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