『美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学』第5章「ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――『複製技術時代の芸術作品』再考」秋丸知貴評

 

前章までに、筆者はヴァルター・ベンヤミン (Walter Benjamin: 1892-1940) の概念に関して、「アウラ」を物が被る変化及びその時間的全蓄積、「アウラ的知覚」を主体が客体のアウラを注意(=意識の持続的集中)して知覚すること、「アウラ的関係」を同一の時空間上の主体と客体が相互作用により相互にアウラを更新し続ける関係と読解した(1)。

これらに基づき、本章ではベンヤミンの複製美学を考察する。具体的には「複製技術時代の芸術作品」(一九三五年‐一九三六年)等を基に、ベンヤミンが提出した「写真の発明により芸術の性格全体が変化しなかったかどうか(2)」という問題の内、絵画の写真複製を巡る問題を中心に分析する。

1 芸術作品の写真複製におけるアウラの凋落

ベンヤミンによれば、「アウラ」は「美」と密接に関係している。

現に、ベンヤミンは「仮象の喪失とアウラの凋落は同一の現象である(3)」と言っている。これにより、「仮象」と「アウラ」はほぼ同義と分かる。

また、ベンヤミンは「仮象は被いとして美に属しており、従って、美は被われているものにおいてのみ美として現れることが美の根本原則であると判明する(4)」とし、「被いも被われる対象も美ではなく、美は被いの内にある対象である(5)」と述べている。これらにより、「美」は「対象」が「仮象」としての「アウラ」を伴っている状態であると解せる。

さらに、ベンヤミンは芸術作品の美を「自然との関係における美」と「歴史との関係における美」の二種類に分けている。「美は、自然との関係と歴史との関係という二通りで定義可能である。どちらの関連においても、仮象、すなわち美に含まれるアポリア的要素が重要となるであろう(6)」。

その上で、ベンヤミンは、芸術作品の写真複製ではこの両方の美が失われるとする。「技術的複製において美はいかなる居場所も有していない(7)」。なぜならば、写真複製ではこれらの美を構成する仮象としてのアウラが衰退するからである。「芸術作品が技術的に複製可能な時代に衰退するもの、それは芸術作品のアウラである(8)」。

これに関連して、ベンヤミンは「もし今日における芸術と写真の関係を特徴付けるならば、それは芸術作品を撮影した写真により芸術と写真の間に生じた緊張が未解決なことである(9)」と書いている。また、ベンヤミンは「写真と絵画の闘争の一段階としての芸術作品の写真複製(10)」と記している。これらのことから、ベンヤミンは写真複製によりアウラが衰退する芸術作品の一つとして絵画を考えていると特定できる。

ベンヤミンによれば、芸術作品の写真複製においてはアウラが凋落するために、それが構成する美も失われるが、その代わりに様々な自由が増すことになる。「仮象の衰退、芸術作品におけるアウラの凋落が伴うもの、それは自由活動空間上の莫大な利益である(11)」。

2 芸術作品の写真複製における「自然との関係における美」の凋落

まず、芸術作品の写真複製では「アウラの凋落」により「自然との関係における美」が凋落する。この場合の「自然との関係における美」を構成する「アウラ」は、制作者の主観的解釈である。

初めに、本来の「自然との関係における美」を見ておこう。自然に存在する物は、それが存在し始めた原初からその存在する場所で、同一の時空間上に存在する他の物と絶えず相互作用を行う。そして、その相互作用による変化は時間的蓄積としてそれぞれの物に堆積していく。その全体がその物のアウラであり、物がそうしたアウラを伴っている状態は自然美と感受される。

絵画について言えば、こうした物を画家が手で描く場合、画家はその物をアウラ的知覚で見つめ、その物とアウラ的関係に入る。つまり、画家は物に注意(=意識の持続的集中)し、無意識的に没入する。そこで、画家は物とそれが蓄積してきたアウラの総体を悠久の自然美として感受する。

そして、その自然美に感動した画家は無意識的な連想(=主観的解釈の連続)の流れに身をゆだねる。この場合、絵画において画家が描くことができるのは物に対する自分の心象(=主観的解釈の総体)であり、客観的な物自体は永遠に到達不可能な一つの目標に留まる。つまり、画家が物を写生する場合、そこには常に必ず画家の主観的解釈(=アウラ)が含まれる。これが、絵画において描かれる物の自然美に付加される画家の個性的な芸術美、すなわち「自然との関係における美」を構成する。

こうした事情により、物自体とそれを描いた絵画は似てはいるけれども決して同一にはならない。これが、ベンヤミンのいう自然との関係における「美に含まれるアポリア的要素」の含意である。これらを、ベンヤミンは次のように説明している(12)。

つまり、直接的で自然な経験の概念は、認識連関の経験の概念とは区別されねばならない。換言すれば、この混同は、経験の認識という概念と、経験という概念の混同であった。すなわち、認識という概念にとって、経験は認識の外に存在する何か新しいものではなく、別の形式における認識自体に過ぎず、認識の対象としての経験は、認識の一貫的かつ連続的な多様性に他ならない。逆説的に聞こえるが、経験自体が経験の認識の内に現れることは全くない。なぜならば、正にこの経験の認識は一つの認識連関だからである。これに対し、経験はこの認識連関の象徴であり、従って認識連関自体とは全く別の秩序の内にある。象徴という用語を選ぶのは非常に不適切かもしれないが、この用語はただ両秩序の相違を示すものに過ぎず、多分この相違は次のような比喩でも説明できるだろう。もし一人の画家がある風景の前に座り、その風景をいわゆる写生する場合、この風景自体が彼の絵画の上に現れることはない。つまり、この風景自体はせいぜいこの絵画の芸術的連関の象徴と呼びうるだけだろう。そしてもちろん、そう呼ぶことによりこの風景自体は絵画よりも高次の尊厳を認められるだろうし、また正にそのように認められることも正当化されるだろう(13)。

こうした絵画を鑑賞者が直接鑑賞する場合、鑑賞者はその絵画をアウラ的知覚で見つめ、その絵画とアウラ的関係に入る。つまり、鑑賞者は絵画に注意(=意識の持続的集中)し、無意識的に没入する。そこで、鑑賞者は絵画に表象されている、画家が物の自然美に感動した主観的解釈(=アウラ)を個性的な芸術美の要素として感受することになる(14)。

これに対し、写真は被写体の外観の客観的な光学的転写に過ぎず、撮影者の手描写が介在しないので、写像には撮影者の主観的解釈が直接的には反映しない。その意味で、写像には、撮影者が物の自然美に感動した主観的解釈に基づく個性的な芸術美は生まれない(15)。「写真と共に、初めて手がイメージの複製過程における最も重要な芸術上の責務から解放され、その責務はただ目だけに課せられることになった(16)」。

この文脈では、写像が示すのはただ被写体の外観の表層的な視覚効果だけであり、そこからは絵画において画家の主観的解釈が喚起するような空想の展開は生まれない。このことを、ベンヤミンは次のように解説している。「空想は、ある特殊な種類の願望、つまりその満たされとして『何か美しいもの』がもたらされうる願望を抱く能力と定義できるかもしれない。〔…〕この観点によれば、一枚の絵画はある眼差しにおいて目がいくら見ても見飽きないものを表現する。絵画がその根源に向けられる願望をどのように満たすかと言えば、この願望を絶えず養うことによってである。何が絵画と写真を隔てるか、そしてなぜ両者に共通する『構成』原理が一つもありえないかは、従って明らかである。絵画をいくら見ても見飽きない眼差しにとって、写真は空腹にとっての食物や口渇にとっての飲物にずっと近い意味を持つのである(17)」。

このことが特に問題になるのは、絵画を写真で複製した場合である。

まず、写真以前の絵画の摸写複製の場合から考えてみよう。画家が物を手で描く際に生じる作用連関は、複製画家が絵画を手で写す場合にも同様に生じる。つまり、複製画家が絵画を摸写する場合、そこには常に必ず複製画家の主観的解釈(=アウラ)が含まれる。これが絵画の摸写複製における個性的な芸術美の要素であり、その意味で絵画の摸写複製も一つの芸術作品である。しかし、それは芸術作品としてはあくまでも本物に対する偽物に過ぎないので、必然的に価値の低いものと見なされざるをえない。

これに対し、写真を始めとする技術的複製については単純に本物よりも価値の低いものと見なすことはできない。なぜならば、それらは芸術作品ではなく別の機能と価値を持つものだからである。「真正なものは、手製複製に対してはその権威を完全に保持し、手製複製に贋作という烙印を押してきたのだが、技術的複製に対してはそうはいかない(18)」。

まず、先に見たように、写真は被写体の外観の客観的な光学的転写に過ぎず、撮影者の手描写が介在しないので、写像には撮影者の主観的解釈が直接的には反映しない。その意味で、絵画の写真複製には個性的な芸術美は生まれず、ただ元の絵画の表層的な視覚効果が現れるだけである。「絵画の写真複製の場合、複製される対象は芸術作品であり、複製の産物はそうではない。なぜなら、レンズ上のカメラマンの振る舞いは、交響楽団における指揮者と同様に、一つの芸術作品を創造する訳ではないからである。それは、精々一つの芸術的効果を創造するに過ぎない(19)」。

ベンヤミンは、こうした芸術作品の写真複製における「自然との関係における美」の凋落の代わりに生まれる自由について次のように示唆している。

第一に、被写体の外観の客観的な光学的転写である写真は、本来絶えず移り変わる被写体の外観を忠実かつ固定的に再現する。これは、一つのショックである。その一方で、次第に写真により本来一度きりであるいかなる瞬間も視覚的に記録して後で確認できるという感受性が生まれる。「スイッチを切り換える、何かを差し込む、何かを押す等の無数の動作の内、『パチリ』と写真を撮る動作は特に大きな影響を及ぼすことになった。一つの出来事を永久に定着させるのに、指の一押しで事足りるようになった。写真機は、瞬間にいわば死後のショックを付与した(20)」。

第二に、被写体の外観の客観的な光学的転写である写真では、全ての部分に焦点が合うため、本来人間の視覚では意識から外れてしまう部分も鮮明に表象される。これも、一つのショックである。その一方で、次第に写真により生来的な人間の視覚以上に鮮明な映像世界を当然と見なす感受性が生まれる。写真では、「細部の鮮明さのためにあらゆる親密さが欠落する(21)」。

第三に、被写体の外観の客観的な光学的転写である写真では、全てが純粋な平面映像に還元されるため、原物(オリジナル)の物質的な質感や立体感は捨象される。これも、一つのショックである。その一方で、写像における表層化作用により被写体の造形的様式性は明らかになり(22)、次第にそうした平面的・抽象的視覚に慣れる感受性が発達する(23)。「誰でも気付くだろうが、絵画や、特に彫刻や、さらに建築は、実物よりも写真の方がよく理解できる(24)」。

第四に、視点や焦点を自由に調節できる写真では、生身の肉眼では捉えられない本物の芸術作品の様々な様相を観察できるため、原物の外観は変貌しうる。これも、一つのショックである。その一方で、拡縮映像や変速映像における抽象化作用によりさらに被写体の造形的様式性は明確になり、次第にそうした異貌的・異次元的視覚に親しむ感受性が発達する。「例えば、写真による技術的複製は、位置を調節でき視点を自由に選べるレンズだけが迫れるが、人間の目では近付けない原物の諸様相を強調できる。あるいは、拡大やスローモーション等の方法を利用して、自然な視覚の全く範囲外の映像を撮影できる(25)」。

こうした事情から、芸術作品の写真複製では、鑑賞における注意(=意識の持続的集中)を伴うアウラ的知覚が弱まる一方で、その視覚上の効果については自然状態以上に受容できることになる。「写真機及びそれ以後の類似の機械を用いた諸技術は、意志的記憶の範囲を拡大する。出来事を、機械により映像と音声で記録することが常に可能になる。従って、それらは熟練が衰微する社会における重要な収穫となる(26)」。

こうした写真の異常的視覚を(27)、ベンヤミンは視覚における無意識の意識化と見なしている。「従って、写真機に語りかける自然が、肉眼に語りかける自然と異なることは明白である。何よりも異なるのは、人間によって意識を織り込まれた空間の代りに無意識が織り込まれた空間が立ち現われることである。〔…〕視覚的な無意識が写真によってのみ私達に知られるのは、衝動的な無意識が精神分析によってのみ私達に知られるのと同様である(28)」。

一般に、無意識の領域は客観的に意識化されないままであれば不断に主観的解釈(=アウラ)が働き、無限に連想(=主観的解釈の連続)を生み出し続ける。これに対し、無意識の領域が客観的に意識化されると主観的解釈が働く余地はなくなり、連想は止まる。「意識的な実証的記憶の不断の待機は――これは複製技術により助長されている――空想の活動範囲を狭める(29)」

この現象には、正負両面がある。つまり、主体が客体に注意(=意識の持続的集中)し、無意識的に没入していると、連想(=主観的解釈の連続)は休むことがなく、客体に対する心象(=主観的解釈の総体)は豊かになるが、主体は客体に囚われていることになり自由ではない。これに対し、主体の客体に対する無意識的な没入が意識化され、注意(=意識の持続的集中)が途切れると、連想は停止して客体に対する心象の豊かさは失われるが、主体は客体から解放されて自由になる。「写真機は増々小型になり、刹那の秘められた映像を捉える能力は増々向上している。そうした映像がもたらすショックは、見る人の連想メカニズムを停止させる(30)」

このことは、写真においては、視覚的に無意識が意識化されることにより、主体が客体に対する無意識の闇から解放され、止めどない主観的迷妄から自由になることを意味する。言い換えれば、これは技術的疎外によるアウラの凋落がもたらす自由の増大である。「もし無意志的記憶から浮上する心象の特徴がアウラを持っていることであると見れば、写真は『アウラの凋落』という現象に決定的に関与している(31)」。

これらのことから、ベンヤミンは芸術作品の写真複製について、技術の馴致と知覚の順応という政治的目的のために役立つと考えていると解釈できる。「正にこうした働きにおいて、シュルレアリストの写真は環境と人間の健全な疎外を普及させる。こうした疎外により、政治的に訓練された目にはある視野が開かれる(32)」。

4 芸術作品の写真複製における「歴史との関係における美」の凋落

次に、芸術作品の写真複製では、「アウラの凋落」により「歴史との関係における美」も凋落する。この場合の「歴史との関係における美」を構成する「アウラ」は、芸術作品の歴史的証言性である。

まず、本来の芸術作品における「歴史との関係における美」を見ておこう。先に見た「自然との関係における美」を備えた芸術作品は、その後それが存在する場所で同一の時空間上に存在する他の物と絶えず相互作用を行う。この場合、特に重要なのは鑑賞者との相互作用である。鑑賞者が芸術作品をアウラ的知覚で見つめると、鑑賞者と芸術作品はアウラ的関係に入る。つまり、鑑賞者は芸術作品に注意(=意識の持続的集中)し、無意識的に没入する。「芸術作品の前で意識集中する人は、芸術作品の中に自らを沈潜させる(33)」

それにより、芸術作品は鑑賞者に鑑賞されたという歴史的証言性(=アウラ)を帯びる。そして、そうした相互作用による変化である歴史的証言性は時間的蓄積としてその芸術作品に堆積していく。「高名で賞賛を博した芸術作品を享受することは、より多くの人々がいるところへ行くことである(34)」。

その歴史的証言性の総体が、その芸術作品に新たに付加されるアウラであり、芸術作品がこうしたアウラを伴っている状態は、後世の鑑賞者には「歴史との関係における美」と感受されることになる。「偉大な芸術作品の歴史は、源泉からのその由来と、作者の時代におけるその形成と、それに続く諸世代の下での原則的には永遠の死後生の時期を知っている。この死後生が世に現れた姿こそ、名声である(35)」。

こうした事情により、既に有名な芸術作品の場合、不可避的に先入観が介在するので、無垢にありのままの芸術作品自体を鑑賞することはできない。これが、ベンヤミンの言う歴史との関係における「美に含まれるアポリア的要素」の含意である。

元々、ある物が被る変化及びその時間的全蓄積としてのアウラは、可視的な物質的構造の変化と、不可視的な歴史的証言性の変化の両方が考えられ、後者は前者に基づくと想定される。従って、芸術作品の「歴史との関係における美」を構成する歴史的証言性もまた、その芸術作品の物質性に備わると推定される。「物質的構造の変化の痕跡は、化学的あるいは物理学的分析によってのみ明らかになるが、これは複製には適用できない。所有関係の変遷の痕跡は、一つの伝統の問題であるが、この伝統を追跡するためには原物が存在している場所から出発せざるをえない(36)」。

これに対し、芸術作品の写真複製では、鑑賞者が見るのは本物の芸術作品ではなくただその表層的な写像に過ぎない。従って、被写体の物質性が欠落している写像には原物の物質性に備わるアウラの時間的蓄積も脱落している(37)。「アウラの写像はありえない(38)」。その結果、芸術作品の写真複製においては、本物の芸術作品の「自然との関係における美」のみならず「歴史との関係における美」も凋落することになる。

こうした状況の変化は、他の面では芸術作品の存立を侵害しないかもしれないが――芸術作品の「いま・ここ」性だけは必ず無価値にする。このことは決して芸術作品にだけ当てはまるのではなく、例えば映画で観客の前を通過する風景にもそれなりに当てはまるが、芸術の対象においてはこの過程はある極めて繊細な核に触れるのであり、自然物はこれほど脆い核を持ってはいない。その核とは、芸術作品の真正さである。ある物の真正さは、その物質的存続から歴史的証言性まで、根源から伝達されうるもの全てである。物の歴史的証言性はその物の物質的存続に基づいているので、原物の物質的存続が人から隔たっている複製においては、原物の歴史的証言性も揺らぎ出す。もちろん、揺らぎ出すのは歴史的証言性だけである。しかし、そのように揺らぎ出すもの、それは原物の権威、伝統的な重みである(39)。

ベンヤミンは、こうした芸術作品の写真複製における「歴史との関係における美」の凋落の代わりに生まれる自由について次のように言及している。「結果として機械的な複製方法は縮小技術であり、その助けを借りて人は作品を十分に使いこなせるほど支配できる(40)」。

この現象にも、功罪両面がある。つまり、本物の芸術作品は、「歴史との関係における美」を豊かに享受できる点では心理的に自由であるが、そのためにその本物の芸術作品と同一の時空間上に存在しなければならない点では物理的に不自由である。これに対し、芸術作品の写真複製では、「歴史との関係における美」を豊かに享受できない点では心理的に不自由であるが、本物の芸術作品が存在する同一の時空間以外でも、いつでもどこでもその視覚上(あるいはレコードであれば聴覚上)の効果だけは享受できる点では物理的に自由である。「技術的複製により、原物の写像は原物自体が到達できないような状況の中へ運ばれることができる。とりわけ、技術的複製により原物は受容者に近付けるようになる――写真という形であれ、レコードという形であれ。大聖堂はその場所を離れ、芸術愛好家のアトリエで受容される。ホールあるいは野外で歌われた合唱曲は、室内で聴かれる(41)」。

このように、技術的複製がいつでもどこでも身近なものになると、本物の芸術作品の有難味(=アウラ)に対する注意(=意識の持続的集中)を伴うアウラ的知覚は弱まる一方で、その表層的効果だけは多くの人々が受容できる可能性が増す。これに加えて、技術的複製が大量化によりさらにいつでもどこでも身近なものになると、本物の芸術作品の有難味に対する注意(=意識の持続的集中)を伴うアウラ的知覚はさらに弱まる一方で、その表層的効果だけは一層多くの人々が受容できる可能性が増す。「ちょうど、物を自らに『より近付けること』が現在の大衆の熱烈な関心事であるのと同様に、大衆はあらゆる所与の一回性をその複製の受容により克服しようとする傾向を示している(42)」。

これらのことから、ベンヤミンは芸術作品の写真複製について、芸術の寡占受容ではなく大衆受容という政治的目的のために役立つと考えていると理解できる。「芸術作品の技術的な複製可能性が、芸術作品を世界史上初めて儀式への寄生状態から解放する。〔…〕芸術の生産において真正さという基準が無効になる瞬間には、芸術の社会的機能全体も転換する。芸術は儀式に基づく代りに、別の実践に、すなわち政治に基づくことになる(43)」。

おわりに

こうした芸術作品の写真複製における様々な「アウラの凋落」をベンヤミンが鋭敏に意識化しえたことは、逆説的に実際には彼が強い親アウラ的心性の持主であったことを推測させる(44)。

実際に、ベンヤミンは「複製技術時代の芸術作品」の直前の「経験の貧困」(一九三三年)では、複製技術による「アウラの凋落」を「経験の貧困」と慨嘆している。

私達は、貧困になってしまった。私達は人類の遺産を一つずつ手放し、しばしば百分の一の価値で質に入れ、その代りに「当座的(アクチュアル)なもの」という小銭を受け取らねばならなかった(45)。

これに対し、ベンヤミンは「複製技術時代の芸術作品」では、複製技術を肯定的に評価するようになる。

複製技術は、複製を増加させることで複製対象を一回的に出現させる代りに大量に出現させる。そして、複製技術は複製にその都度の状況における受容に応じることを許可することで複製対象を当座化する。この二つの過程が、伝えられてきたものを激しい動揺へと――現代の人類の危機と再生が表裏一体をなす伝統の動揺へと導く。この二つの過程は、今日の大衆運動と密接に関連している(46)。

この背景には、ドイツ国内において、ナチス党を率いるアドルフ・ヒトラーが一九三二年の選挙で大勝し、一九三三年に首相に、一九三四年に総統になって反ユダヤ的政策を推進する脅威に対し、ユダヤ人ベンヤミンが理論的対抗手段としてマルクス主義を選択した事情があったことを推定できる。つまり、その転向の様々な理由の一つとして、技術的発展及び物的自由の増大による大衆の政治的解放がマルクス主義の思想的大前提であるために、次第にベンヤミンは芸術作品の技術的複製を通じた大衆受容、すなわち「芸術の政治化」を積極的に肯定する立場に移行したのだと推定できる。

人類の自己疎外は、人類が自分自身の殲滅を第一級の美的享楽として体験する程にまで至っている。こうしたものが、ファシズムの推進している政治の耽美化である。これに対し、コミュニズムは芸術の政治化で応えるのである(47)。

 

註 

引用は全て、邦訳を参考にさせていただいた上で拙訳している。

(1) なお、ベンヤミンは、「アウラ的関係」という用語自体は用いていないが、同じ意味で「万物照応(correspondances)」という用語を用いている。

(2) Walter Benjamin, »Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit [Zweite Fassung]« (1935/36), in Gesammelte Schriften, VII (1), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1989, S. 362. 邦訳、ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」『ベンヤミン・コレクション(1)』浅井健二郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、一九九五年、六〇三頁。(本稿におけるこの著作からの引用は、全てこの第二版を用いる。)

(3) Walter Benjamin, »Zentralpark« (1939), in Gesammelte Schriften, I (2), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1974; Dritte Auflage, 1990, S. 670. 邦訳、ヴァルター・ベンヤミン「セントラルパーク」 『ベンヤミン・コレクション(1)』 浅井健二郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、一九九五年、三八一頁。

(4) Walter Benjamin, »Goethes Wahlverwandtschaften« (1921-22), in Gesammelte Schriften, I (1), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1974; Dritte Auflage, 1990, S. 194. 邦訳、ヴァルター・ベンヤミン「ゲーテの『親和力』」『ベンヤミン・コレクション(1)』浅井健二郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、一九九五年、一七一頁。

(5) Ebd., S. 195. 邦訳、同前、一七二頁。

(6) Walter Benjamin, »Über einige Motive bei Baudelaire« (1939), in Gesammelte Schriften, I (2), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1974; Dritte Auflage, 1990, S. 638. 邦訳、ヴァルター・ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」『ベンヤミン・コレクション(1)』 浅井健二郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、一九九五年、四八六頁。

(7) Ebd., S. 646. 邦訳、同前、四七〇頁。

(8) Benjamin, »Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit«, S. 353. 邦訳、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」五九〇頁。

(9) Walter Benjamin, »Kleine Geschichte der Photographie« (1931), in Gesammelte Schriften, II (1), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1977; Zweite Auflage, 1989, S. 382. 邦訳、ヴァルター・ベンヤミン「写真小史」『ベンヤミン・コレクション(1)』浅井健二郎編訳、久保哲司訳、ちくま学芸文庫、一九九五年、五七五頁。

(10)Walter Benjamin, Das Passagen-Werk, in Gesammelte Schriften, V (2), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1982; Dritte Auflage, 1989, S. 826. 邦訳、ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論(V)』 今村仁司・大貫敦子・高橋順一・塚原史・吉村和明・三島憲一・村岡晋一・山本尤・横張誠・與謝野文子・細見和之訳、岩波書店、一九九五年、二四六頁。

(11) Benjamin, »Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit«, S. 369. 邦訳、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」六三四頁。

(12) ベンヤミンは、「経験(Erfahrung)」においては意識よりも無意識が大きく関係していると見ている。「経験は、記憶において厳格に固定される個々の事実よりも、堆積され記憶の中で合流するしばしば意識されないデータから形成される」(Benjamin, »Über einige Motive bei Baudelaire«, S. 608. 邦訳、ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」四二一頁)。

(13) Walter Benjamin, »Über die Wahrnehmung« (1917), in Gesammelte Schriften, VI, Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1985; Zweite Auflage, 1986, S. 36-37. 邦訳、ヴァルター・ベンヤミン「知覚について」『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』浅井健二郎訳、ちくま学芸文庫、二〇〇一年、三四四‐三四五頁。

(14) ベンヤミンは、対象に対するアウラ的知覚が正常に働くためには適切な距離が必要であると見ている。「画家がその仕事において対象との自然な距離を観察するのに対し、写真家は事象の組成に深く侵入する。両者が獲得するイメージは、甚だ異なっている。画家によるイメージが全体的なものであるのに対し、写真家によるイメージはその諸部分が後にある新たな法則に従ってまとまるような多様な断片である」(Benjamin, »Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit«, S. 374. 邦訳、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」六一六頁)。芸術作品の鑑賞においては、こうしたアウラ的知覚、つまり注意(=意識の持続的集中)による無意識的没入は鑑賞者に主観的解釈(=アウラ)を休みなく生み出させ、見解(主観的解釈の総体)としてまとめさせる。しかし、このアウラ的知覚が何らかの理由で撹乱されると、鑑賞者はそうした見解を十分にまとめることができなくなる。ベンヤミンは、こうした事例の一つとしてダダイズムの絵画を挙げている。「ダダイズムは、今日の観衆が映画に求めている効果を絵画(あるいは文学)の手段で作ろうとした。〔…〕ダダイスト達は、芸術作品を商業的に利用可能にすることよりも、観想的沈潜の対象としては利用不可能にすることに遥かに重きを置いた。彼等は取分け、その素材を原理的に貶めることによってこの利用不可能性を達成しようとした。彼等の詩は『言葉のごた混ぜ』であり、卑猥な語句や考えられる限りの言葉の屑を含んでいる。彼らの絵画も同様で、ボタンや切符が貼り付けられていた。彼等がそうした手段で達成するのは、彼等の作品のアウラの容赦なき粉砕であり、彼等の作品に制作の手段で複製の烙印を押すということである。ハンス・アルプの絵画やアウグスト・シュトラムの詩の前では、アンドレ・ドランの絵画やライナー・マリア・リルケの詩を前にした時とは異なり、意識を集中し見解をまとめるために時間をかけることは不可能である。中産階級の退廃において反社会的態度の学校になっていた沈潜に対し、社会的態度の一変種としての注意散逸が登場する。事実、ダダイスト達の示威行動は、芸術作品を一つのスキャンダルの中心にすることにより実に激しい注意散逸をもたらした。芸術作品は、何よりもまず一つの要求を満たさねばならなかった。つまり、公的な不快さの喚起である。ダダイスト達の芸術作品は、魅力的な形象や説得力のある音韻ではなく、一発の銃弾になった」(Benjamin, »Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit«, S. 378-379. 邦訳、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」六二二‐六二三頁)。ただし、ここでアウラ的知覚による絵画の鑑賞事例として挙げられているドランについては、フォーヴィズムが一九〇五年に登場した当初は大衆に激しい非難を掻き立てたことから考えれば、後代のベンヤミン自身に感受性の変容が働いていたことを指摘できる。

(15) もちろん、本当に写像に撮影者の主観的解釈が直接的に反映しないかどうかは留保する必要がある。なぜなら、例えばどのような機材を選択するかや、どのような照明効果を選択するか等によって、撮影者の主観的解釈は直接的に表現されうるからである。

(16) Benjamin, »Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit«, S. 351. 邦訳、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」五八七頁。

(17) Benjamin, »Über einige Motive bei Baudelaire«, S. 645. 邦訳、ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」四六八‐四六九頁。

(18) Benjamin, »Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit«, S. 352. 邦訳、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」五八八頁。

(19) Ebd., S. 364. 邦訳、同前、六〇四‐六〇五頁。なお、ここにおいてそうした「芸術的効果」に「美」は本当に存在しないのかという疑問が生じる。小林秀雄が『近代絵画』(一九五八年)でゴッホの写真複製絵画について言及しているような「創造的誤解」の問題も含めて、ベンヤミンの議論には様々な留保が必要だろう。小林秀雄『小林秀雄全集 第一一巻 近代絵画』新潮社、二〇〇二年。木下長宏『思想史としてのゴッホ――複製受容と想像力』学藝書林、一九九二年も参照。

(20) Benjamin, »Über einige Motive bei Baudelaire«, S. 630. 邦訳、ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」四四九頁。

(21) Benjamin, »Kleine Geschichte der Photographie«, S. 379. 邦訳、ベンヤミン「写真小史」五七一頁。

(22) この問題については、次の文献も参照。André Malraux, Le musée imaginaire: psychologie de l’art, Paris: Albert Skira, 1947. 邦訳、アンドレ・マルロー『東西美術論(1)空想の美術館』小松清訳、新潮社、一九五七年。

(23) この問題については、拙稿「近代絵画と写真(1)――象徴派を中心に」「近代絵画と写真(2)――エドゥアール・マネ、印象派を中心に」「近代絵画と写真(3)――後印象派、新印象派を中心に」「近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム、キュビズムを中心に」も参照。

(24) Benjamin, »Kleine Geschichte der Photographie«, S. 381-382. 邦訳、ベンヤミン「写真小史」五七五頁。

(25) Benjamin, »Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit«, S. 352-353. 邦訳、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」五八九頁。

(26) Benjamin, »Über einige Motive bei Baudelaire«, S. 644. 邦訳、ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」四六七頁。

(27) この他にも写真の異常的視覚としては、ブレ、ピンボケ、ハレーション、多重露光、画質の劣化による変形・変色等がある。これらも、それぞれショックによるアウラの凋落をもたらすと考えられる。

(28) Benjamin, »Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit«, S. 376. 邦訳、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」六一九‐六二〇頁。

(29) Benjamin, »Über einige Motive bei Baudelaire«, S. 645. 邦訳、ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」四六八頁。

(30) Benjamin, »Kleine Geschichte der Photographie«, S. 385. 邦訳、ベンヤミン「写真小史」五八〇頁。

(31) Benjamin, »Über einige Motive bei Baudelaire«, S. 646. 邦訳、ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」四七〇頁。

(32) Benjamin, »Kleine Geschichte der Photographie«, S. 379. 邦訳、ベンヤミン「写真小史」五七一頁。

(33) Benjamin, »Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit«, S. 380. 邦訳、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」六二四頁。

(34) Walter Benjamin, Das Passagen-Werk, in Gesammelte Schriften, V (1), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1982; Dritte Auflage, 1989, S. 588. 邦訳、ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論(Ⅳ)』 今村仁司・大貫敦子・高橋順一・塚原史・三島憲一・村岡晋一・山本尤・横張誠・與謝野文子訳、岩波書店、一九九三年、三七頁。

(35) Walter Benjamin, »Die Aufgabe des Übersetzers« (1923), in Gesammelte Schriften, IV (1), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1972; Sechstes Tausend, 1981, S. 11. 邦訳、ヴァルター・ベンヤミン「翻訳者の使命」『ベンヤミン・コレクション(2)』浅井健二郎編訳、三宅晶子・久保哲司・内村博信・西村龍一訳、ちくま学芸文庫、一九九六年、三九二頁。

(36) Benjamin, »Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit«, S. 352. 邦訳、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」五八八頁。

(37) もちろん、写像の支持体の物質性にはアウラの時間的蓄積が宿るが、それは被写体の物質性に宿るアウラの時間的蓄積とは別物である。

(38) Ebd., S. 366. 邦訳、同前、六〇八頁。

(39) Ebd., S. 353. 邦訳、同前、五八九‐五九〇頁。

(40) Benjamin, »Kleine Geschichte der Photographie«, S. 382. 邦訳、ベンヤミン「写真小史」五七五頁。

(41) Benjamin, »Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit«, S. 353. 邦訳、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」五八九頁。

(42) Ebd., S. 355. 邦訳、同前、五九二‐五九三頁。

(43) Ebd., S. 356-357. 邦訳、同前、五九五頁。

(44) これに関連して、ベンヤミンは対象に対する注意(=意識の持続的集中)を伴うアウラ的知覚による無意識的没入を中断させる、写真を始めとする近代技術がもたらすショックが、逆説的にアンリ・ベルクソンに「持続(durée)」概念を構築させたと見ている。「もちろん、記憶を歴史的に定義することは決してベルクソンの意図ではない。むしろ、彼は経験のいかなる歴史的な規定も拒絶する。こうして、彼は全般的かつ本質的にある経験に接近するのを避けるが、彼自身の哲学はこの経験から生じたのであり、あるいはむしろこの経験に対抗するために要請されたのである。その経験とは、大工業時代の心地悪い眩惑的な経験である。この経験に対して目を塞ぐと、この経験の言わば自然発生的な残像としてある補色的性質の経験が現れる。ベルクソンの哲学は、この残像を詳述し留め置こうとする試みである」(Benjamin, »Über einige Motive bei Baudelaire«, S. 608-609. 邦訳、ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」四二一‐四二二頁)。また、ベンヤミンはアウラ的知覚における注意(=意識の持続的集中)の度合いは時代により強弱があると見ており、その弱まりを示す一つの現れがアレゴリーであり、それを決定的に弱めたのが写真であると考えている。「記憶に万物照応を捧げるのが空想であるとすれば、記憶にアレゴリーを捧げるのは思考である。記憶は、空想と思考を相互に交流させる」(Benjamin, »Zentralpark«, S. 669. 邦訳、ベンヤミン「セントラルパーク」三七九頁)。さらに、ベンヤミンはこうしたショックに対する順応の心理機制を、ポール・ヴァレリーの「残肴集」やジグムント・フロイトの「快感原則の彼岸」等を引用して論じている。「ヴァレリーは言う。『人間の印象や感覚的知覚は、それ自体として見れば……不意打ちに属する。つまり、それは人間のある欠陥を証明している。……記憶は……一つの基本現象であり、生来私達に欠けている(刺激受容の)組織化のための時間を私達に与える』。ショックの受容は、刺激克服の訓練により容易になる。刺激克服のためには、必要ならば夢も記憶も利用されうる。しかし、フロイトが推定しているように、概してこの訓練は大脳皮質に存する目覚めた意識の務めである。『大脳皮質は……刺激作用により焼き付き、その結果、刺激受容に最適な状態を』もたらす。ショックがそのように迎えられ、そのように意識により防がれると、そのショックを引き起こした出来事は、厳密な意味で体験(Erlebnisses)の性格を与えられる」(Benjamin, »Über einige Motive bei Baudelaire«, S. 614. 邦訳、ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」四二八‐四二九頁)。なお、こうした近代技術がもたらすショックに対する順応の心理機制と、近代絵画における抽象化へのその反映については、筆者が研究代表を務めた二〇一〇年度~二〇一一年度京都大学こころの未来研究センター連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」に基づく、拙著『近代絵画と近代技術ーーヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手がかりに』を参照。

(45) Walter Benjamin, »Erfahrung und Armut« (1933), in Gesammelte Schriften, II (1), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1977; Zweite Auflage, 1989, S. 219. 邦訳、ヴァルター・ベンヤミン「経験と貧困」『ベンヤミン・コレクション(2)』浅井健二郎編訳、三宅晶子・久保哲司・内村博信・西村龍一訳、ちくま学芸文庫、一九九六年、三八三頁。

(46) Benjamin, »Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit«, S. 353. 邦訳、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」五九〇頁。

(47) Ebd., S. 384. 邦訳、同前、六二九頁。なお、ベンヤミンは複製芸術について、従来の芸術作品の複製の問題とは別に、それ自体複製可能な芸術作品である映画(及びその対比項としての彫刻)の問題を論じているが、本稿では紙数の都合上触れることができなかった。「一九〇〇年頃に、技術的複製はある水準に達した。ここに至って、技術的複製は伝統的な芸術作品全てをその対象とし、それらの芸術作品の作用に深甚な変化を与え始めただけではなく、芸術の技法において独自の位置を獲得したのである。この水準を研究する上では、その二つの異なる発現態――芸術作品の複製と映画芸術――が芸術の従来の形態にどのような逆影響を及ぼしているかということ以上に教示に富むものはない」(Ebd., S. 351-352. 邦訳、同前、五八七頁)。また、ベンヤミン自身は明確には論じていないが、複製美学としては工作機械における正確な同一規格の大量生産という問題も考えられる。これらの問題については、稿を改めて論じる予定である。

 

【初出】秋丸知貴「ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――絵画の写真複製を巡る問題を中心に」『モノ学・感覚価値研究』第10号、京都大学こころの未来研究センター、2016年、15‐22頁。ただし、本書再録に当たり加筆修正している。なお、初出は、筆者が連携研究員として研究代表を務めた 2010 年度~ 2011 年度京都大学こころの未来研究センター連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究成果と連動する。

 

【関連論考】

■ 秋丸知貴『近代とは何か?――抽象絵画の思想史的研究』
序論 「象徴形式」の美学
第1章 「自然」概念の変遷
第2章 「象徴形式」としての一点透視遠近法
第3章 「芸術」概念の変遷
第4章 抽象絵画における形式主義と神秘主義
第5章 自然的環境から近代技術的環境へ
第6章 抽象絵画における機械主義
第7章 スーパーフラットとヤオヨロイズム

■ 秋丸知貴『美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学』
第1章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について
第2章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラの凋落」概念について
第3章 ヴァルター・ベンヤミンの「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の問題について
第4章 ヴァルター・ベンヤミンの芸術美学――「自然との関係における美」と「歴史との関係における美」
第5章 ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――「複製技術時代の芸術作品」再考

■ 秋丸知貴『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに』
序論 近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究
第1章 近代絵画と近代技術
第2章 印象派と大都市群集
第3章 セザンヌと蒸気鉄道
第4章 フォーヴィズムと自動車
第5章 「象徴形式」としてのキュビズム
第6章 近代絵画と飛行機
第7章 近代絵画とガラス建築(1)――印象派を中心に
第8章 近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に
第9章 近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に
第10章 近代絵画と近代照明(2)――抽象絵画を中心に
第11章 近代絵画と写真(1)――象徴派を中心に
第12章 近代絵画と写真(2)――エドゥアール・マネ、印象派を中心に
第13章 近代絵画と写真(3)――後印象派、新印象派を中心に
第14章 近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム、キュビズムを中心に
第15章 抽象絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに

著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。

2010年4月-2012年3月: 京都大学こころの未来研究センター連携研究員
2011年4月-2013年3月: 京都大学地域研究統合情報センター共同研究員
2011年4月-2016年3月: 京都大学こころの未来研究センター共同研究員
2016年4月-: 滋賀医科大学非常勤講師
2017年4月-2024年3月: 上智大学グリーフケア研究所非常勤講師
2020年4月-2023年3月: 上智大学グリーフケア研究所特別研究員
2021年4月-2024年3月: 京都ノートルダム女子大学非常勤講師
2022年4月-: 京都芸術大学非常勤講師

【投稿予定】

■ 秋丸知貴『近代とは何か?――抽象絵画の思想史的研究』
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第6章 近代絵画と飛行機
第7章 近代絵画とガラス建築(1)――印象派を中心に
第8章 近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に
第9章 近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に
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第13章 近代絵画と写真(3)――後印象派、新印象派を中心に
第14章 近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム、キュビズムを中心に
第15章 抽象絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに

■ 秋丸知貴『ポール・セザンヌと蒸気鉄道 補遺』
第1章 ポール・セザンヌの生涯と作品――19世紀後半のフランス画壇の歩みを背景に
第2章 ポール・セザンヌの中心点(1)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第3章 ポール・セザンヌの中心点(2)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第4章 ポール・セザンヌと写真――近代絵画における写真の影響の一側面

■ Tomoki Akimaru Cézanne and the Railway
Cézanne and the Railway (1): A Transformation of Visual Perception in the 19th Century
Cézanne and the Railway (2): The Earliest Railway Painting Among the French Impressionists
Cézanne and the Railway (3): His Railway Subjects in Aix-en-Provence

■ 秋丸知貴『岸田劉生と東京――近代日本絵画におけるリアリズムの凋落』
序論 日本人と写実表現
第1章 岸田吟香と近代日本洋画――洋画家岸田劉生の誕生
第2章 岸田劉生の写実回帰 ――大正期の細密描写
第3章 岸田劉生の東洋回帰――反西洋的近代化
第4章 日本における近代化の精神構造
第5章 岸田劉生と東京

■ 秋丸知貴『〈もの派〉の根源――現代日本美術における伝統的感受性』
第1章 関根伸夫《位相-大地》論――観念性から実在性へ
第2章 現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相-大地》(1968年)から《空相-黒》(1978年)への展開を中心に
第3章 Qui sommes-nous? ――小清水漸の1966年から1970年の芸術活動の考察
第4章 現代日本美術における土着性――小清水漸の《垂線》(1969年)から《表面から表面へ-モニュメンタリティー》(1974年)への展開を中心に
第5章 現代日本彫刻における土着性――小清水漸の《a tetrahedron-鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に

■ 秋丸知貴『藤井湧泉論――知られざる現代京都の超絶水墨画家』
第1章 藤井湧泉(黄稚)――中国と日本の美的昇華
第2章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(前編)
第3章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(中編)
第4章 藤井湧泉と伊藤若冲――京都・相国寺で花開いた中国と日本の美意識(後編)
第5章 藤井湧泉と京都の禅宗寺院――一休寺・相国寺・金閣寺・林光院・高台寺・圓徳院
第6章 藤井湧泉の《妖女赤夜行進図》――京都・高台寺で咲き誇る新時代の百鬼夜行図
第7章 藤井湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》――兵庫・大蔵院に鳴り響く新時代の龍虎図(前編)
第8章 藤井湧泉の《雲龍嘯虎襖絵》――兵庫・大蔵院に鳴り響く新時代の龍虎図(後編)
第9章 藤井湧泉展――龍花春早・猫虎懶眠
第10章 藤井湧泉展――水墨雲龍・極彩猫虎
第11章 藤井湧泉展――龍虎花卉多吉祥
第12章 藤井湧泉展――ネコトラとアンパラレル・ワールド

■ 秋丸知貴『比較文化と比較芸術』
序論 比較の重要性
第1章 西洋と日本における自然観の比較
第2章 西洋と日本における宗教観の比較
第3章 西洋と日本における人間観の比較
第4章 西洋と日本における動物観の比較
第5章 西洋と日本における絵画観(画題)の比較
第6章 西洋と日本における絵画観(造形)の比較
第7章 西洋と日本における彫刻観の比較
第8章 西洋と日本における建築観の比較
第9章 西洋と日本における庭園観の比較
第10章 西洋と日本における料理観の比較
第11章 西洋と日本における文学観の比較
第12章 西洋と日本における演劇観の比較
第13章 西洋と日本における恋愛観の比較
第14章 西洋と日本における死生観の比較

■ 秋丸知貴『ケアとしての芸術』
第1章 グリーフケアとしての和歌――「辞世」を巡る考察を中心に
第2章 グリーフケアとしての芸道――オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』を手掛かりに
第3章 絵画制作におけるケアの基本構造――形式・内容・素材の観点から
第4章 絵画鑑賞におけるケアの基本構造――代弁と共感の観点から
第5章 フィンセント・ファン・ゴッホ論
第6章 エドヴァルト・ムンク論
第7章 草間彌生論
第8章 アウトサイダー・アート論

■ 秋丸知貴『芸術創造の死生学』
第1章 アンリ・エランベルジェの「創造の病い」概念について
第2章 ジークムント・フロイトの「昇華」概念について
第3章 カール・グスタフ・ユングの「個性化」概念について
第4章 エーリッヒ・ノイマンの「中心向性」概念について
第5章 エイブラハム・マズローの「至高体験」概念について
第6章 ミハイ・チクセントミハイの「フロー」概念について

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