遺された色/ささやかな3時の散華(キャラバン隊美術部第7回展覧会「かなもりゆうこ 徴/幻」展評)

本原稿は、東京 銀座のGallery CamelliaGallery Nayutaを会場としたキャラバン隊美術部第7回展覧会「かなもりゆうこ 徴/幻」の報告書に寄稿した展評です。筆者撮影の画像とあわせ『美術評論⁺』への掲載についてご許可いただきましたキャラバン隊の御殿谷教子氏に、心よりお礼を申し上げます。

なお、同報告書には筆者のほか梅津元氏、神山亮子氏、中島智氏、そして山田志麻子氏による展評が所収され、柳場大氏と草本利枝氏による記録写真が掲載されています。お取り寄せをご希望の場合は、この投稿の最後に記載しましたお問合せ先をご覧ください。

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室町時代。花を飾る文化においてふたつの大きな出来事があった。ひとつは「たて花」の確立、そしてもうひとつは「なげ入れ」の登場だ。

「たて花」は元々信仰との縁が深く、仏前の供花や神の依代などがルーツとされる。その響きのとおり、造形としては「立てた」状態を基本とする。特に重んじられた素材は松のような長寿や永遠を連想させる常緑樹だ。やがて「たて花」はその後、京の池坊専慶により宗教色が薄められ、近世の「立花(りっか)」、 そして現代の「いけばな」へとつながっていく。

この「たて花」を真行草の「真」とするならば、一方の「なげ入れ」は「草」にあたるといえよう。この対比は、あるいは「公と私」といってもよいかもしれない。「なげ入れ」は室町時代の成立とされる『仙伝抄』に「なげ入れというのは舟などに入れた花である」とあるように、舟型の釣花入、あるいは掛花入を用いることが多かったようだ。つまり「なげ入れ」の花の多くは宙に浮いたような状態となっており、ゆえに、軽やかで自由で、そして時に遊び心を感じさせるものとなる。

そしてこの「なげ入れ」は茶の湯、とりわけ侘び茶の世界で愛された。その侘び茶をめぐる挿話に登場する花として最も有名なのは、なんといっても「朝顔」だろう。千利休の屋敷に咲く朝顔が美しいと聞いた豊臣秀吉があらかじめ日時を伝えて訪問したところ、庭にはひとつの花もなく、茶室に入ると見事に咲いた1輪が飾られていたという、あの話である。とはいえこの植物の名にも反映されたその生態を思えば、その1輪とてまもなくしぼみ、ぽとりと散るだろう。その命の短さは「たて花」における常緑の松とまさに対照的だ。

 

Gallery Nayutaにて(筆者撮影)

 

キャラバン隊美術部第7回展覧会「かなもりゆうこ 徴/幻」は銀座の奥野ビルにあるふたつの画廊―Gallery NayutaとGallery Camelliaを会場とした。「キャラバン隊美術部」の展覧会は2008年の第1回以降、不定期で、そのつど会場を選びながら開催されてきたが、かなもりはそのうち第2回(2009)と第3回(2010)にも参加している。

今回の展示は一見したところ「なげ入れ」の花のようにふわりと軽やかな印象だったが、単純な行為の無数の繰り返しから生み出される造形、そしてその微細さからは、かすかな執着心のようなものも感じられた。主な材料は古紙、古布、古糸。加えて、それらが色を帯びるための素材としてインク、サフラン、そして知人からもらった種から育てた朝顔が用いられている。ちなみに本展では、額と箱の作り手として、それぞれ向井理依子と都築晶絵の名が明示されている。彼女たちは、さしずめ「なげ入れ」の花における器の作り手のような存在になるだろうか。

 

Gallery Camelliaにて(筆者撮影)

 

文章を書く前提で3度訪問した結果、唯一はっきりしたことは「言語化を拒んでいるような展示だなあ」という実感だった。言葉にされることは囚われること、と言わんばかりの、静かな圧さえ感じた。言語的な情報が少ないわけでは決してない。例えば、作品には様々な文化圏の言語に由来する名前が付けられており、どの響きも美しい。けれども、それはまるで捕えることが出来ない、気高い蝶たちのようであった。

私はこの展示を説明的に語ることを諦めた。そして読者の方々に、その空気感をお察しいただけるような文章を残すことにした。まず考えたのは、展覧会名にある「徴/幻」をどう捉えるかということ。そこで別の言葉での言い換えを試みたが、「出現/非在」あるいは「見える/見えるけれど無い」などが浮かんでくるも、いまいちしっくりこない。特に手ごわかったのは、より多義的な「徴」のほうだった。だが、この漢字が元来有する「内側に包含されている要素が露出させられ、あるいは抜き出される」ような意味合いが、現代美術でおなじみの言葉「abstraction(抽象)」の語源であるラテン語の「abstractus(抽出する)」 にも近いと気付いた時、糸口が見えた気がした。

その瞬間、不意に思い出したのはロラン・バルトの『表徴の帝国』。 その原題は「L’Empire des signes」なので、ここでいう表徴とは概ね「記号」あるいは「象徴」のような意味といってよい。私はこの著作の趣旨を「説明的ではないことや捨象することを日本らしい美徳と捉えたもの」と理解しており、利休による1輪の朝顔もまた、そぎ落としという行為の先に顕れた、ある種のsigneと見なしうる。そして私はこのフランスの思想家にたすけられ、かなもりの作品における、朝顔から「抜き出され」「遺された」色に、「徴」のよすがを見いだすに至った。とはいえ「染められた色」のさだめゆえ、その色もまた永遠のものではなく、長い目で見ればその儚さは利休の朝顔とさほど変わらない。

 

Gallery Nayutaにて(筆者撮影)

 

2023年12月にかなもりのアトリエを訪れた際、素材について話を聞いた。作りたいものに合わせて調達するというよりも、むしろその逆で、縁あって手元にやってきた素材に喚起されるような印象を受けた。

 

作家アトリエにて(筆者撮影)

 

かなもりの仕事を文学に例えるなら、起承転結を求められる小説でも、文字数が定められた和歌や短歌でもなく、随筆しかないと思う。

過去の記憶を持つささやかなものが誘因となるさまは、枕草子の第27段「過ぎにし方恋しきもの」の一文「二藍、葡萄染などのさいでの、押しへされて、草紙の中にありける、見つけたる」を連想させる。二藍、葡萄染はともに紫系の染物のこと。つまり清少納言は紫色の布の切れ端が書物の間に挟まっているのを見つけた時、かつての時を恋しく思い出すと言っているのだ。

そしておそらく、私がつらつらと書いてきたこの文章が、結果的に過去の人々の言説にちなんだ断章的な言葉のつらなりとなってしまったことも、かなもりの作品が随想的であることの影響を受けているのだろう。

 

Gallery Nayutaにて(筆者撮影)

 

ところで、私はここまで、個別の作品について直接的に触れることを意図的に避けていた。理由はいくつかある。端的に言えば自分自身の解釈の精度や言語化能力に自信がないからだが、軽い恨み節を含めてさらに率直に言えば―今回展評を依頼された私以外の執筆者がことごとく碩学なる方々であるのを見て、どうやら理知的な分析は私の仕事ではなさそうだと身勝手に察したというのが本当のところだ。

それでも、最後にひとつだけ触れておきたい作品がある。それはGallery Camelliaの窓辺、天井が間近という位置に据え付けられた《kṣaṇa》だ。これは午後3時になると、見えるか見えないかくらいの小さな紙片を散らしはじめる。それはまるでキャラバン隊美術部のための「ささやかな散華」のように、私には見えた。

 

 

第7回展覧会をもってその活動を終える「キャラバン隊美術部」。その第1回のフライヤーにはラクダが描かれていた。数年前、サハラ砂漠でラクダに乗ることがあったが、その案内人はこう言った―「この先は同じ風景が1000km続きます」と。砂漠のラクダというのは飄々としたあの顔立ちからは信じられないほど強靱な生き物なのだと思った。

「はなむけ」という言葉は、元々は「旅の安全を願い、馬の鼻を目的地の方角に向ける慣習」に由来するそうだ。このたびたづなを解かれた「キャラバン隊美術部」のラクダはその鼻をどこに向けるのだろう。そう考えたときふと気づいた。「 キャラバン隊美術部」のラクダというのは雇われの身ではなく、もしかして彼(彼女)こそがキャラバン隊のあるじだったのでないかと。荷を下ろして自由になったラクダに、またどこかで出会えたらいいなと思う。

山内舞子(あなたの街のキュレーター)

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[キャラバン隊 これまでの展覧会]

キャラバン隊美術部第1回展覧会
「ルナ・パーク」
会場 art space kimura ASK?(東京)
会期 2008年2月4日–2月9日
出品作家 冨田淳 根本寛子 毛内やすはる 森栄二 山浦恵梨子 山本豊子 吉川かおり

キャラバン隊美術部第2回展覧会
「陣をたため!出発だ! 愛と希望とカオスのもとへ!」
会場 なびす画廊(東京)
会期 2009年4月6日–4月11日
出品作家 O JUN JIROX 井川淳子 岩永忠すけ 遠藤一郎 小野寺綾 かなもりゆうこ 熊谷直人 しみづ賛 玉野早苗 冨田淳 登山博文 中村一美 根本寛子 長谷川繁 福田尚代 向井三郎

キャラバン隊美術部第3回展覧会
「JIROX かなもりゆうこ二人展 BANG A GONG! とーきょー/きょーと」
会場 art space kimura ASK?(東京)MATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/w(京都)
会期 東京 2010年9月14日–9月24日 京都 2010年10月1日–10月10日
出品作家 JIROX かなもりゆうこ

キャラバン隊美術部第4回展覧会
二人展
タイトル・会場・会期未決

キャラバン隊美術部第5回展覧会
「岩永忠すけ 中村正義 吉川民仁」
会場 なびす画廊(東京)
会期 2016年10月4日–10月22日
出品作家 岩永忠すけ 中村正義 吉川民仁

キャラバン隊美術部第6回展覧会
「よるひかるこけよりもささやかに」
会場 GALLERY b.TOKYO(東京) Gallery Camellia(東京)
会期 GALLERY b.TOKYO 2018年3月12日–3月24日 Gallery Camellia 3 月13日–3 月25日
出品作家 O JUN JIROX 倉本麻弓 坂正治 冨田淳 長沢裕

キャラバン隊美術部第7回展覧会
「かなもりゆうこ 徴/幻」
会場 Gallery Camellia(東京)Gallery Nayuta(東京)
会期 2024年2月5日–2月27日
出品作家 かなもりゆうこ

[キャラバン隊 お問い合わせ先]
caravan☆abox3.so-net.ne.jp(☆を@に)
キャラバン隊美術部第7回展覧会「かなもりゆうこ 徴/幻」の報告書をご希望の場合は切手代(180円)が必要となります

著者: (YAMAUCHI Maiko)

あなたの街のキュレーター。1979 年埼玉県生まれ。京都大学大学院文学研究科美学美術史学専修修士課程修了(仏教美術史)。神奈川県立近代美術館等の勤務を経て、現在はフリーランスで国内外の現代美術、工芸、および美術教育に関する執筆・企画・講演・モデレーターなどをてがける。近年の主な文章に「日本の酒器と工芸―その概況と展望」(『炎芸術』152号 阿部出版 2022年)、『愛しの茶器』(19名の陶芸家について 阿部出版 2023年)、「めでたいと おめでたい」(『版画芸術』159号「版画アートコレクションの作家 西平幸太」 阿部出版 2023年)、監修に『教養として知っておきたい 名画BEST100』(永岡書店 2021年)、WEB連載「痛風美術館」(持田製薬株式会社 2022-23年)、美術関係のツアー企画に「ふらっと入りにくいギャラリーがある街」(美術アカデミー&スクール 2022年~/年10回)などがある。千葉商科大学・福井大学非常勤講師。所有する資格は博物館学芸員(国家資格・文部科学省)および国内旅行業務取扱管理者(国家資格・国土交通省)。

メールアドレス ymaiko2020@gmail.com

https://ymaiko20.jimdofree.com/