「美術評論のこれまでとこれから」長谷川仁美

質問1これまでの美術評論でもっとも印象的なものについてお答えください。

Meiling Cheng, “Violent Capital: Zhu Yu on File,” The Drama Review 49, no. 3 (September 1, 2005): 58?77, https://doi.org/10.1162/1054204054742471.

1990年代に、北京、上海を中心として非常に短期間に起きた死体派と呼ばれるアーティストたち、そのリーダーのような存在であったZhu Yuについての評論。大きく考えれば、北京イーストビレッジの自傷的なパフォーマンスをおこなっていたアーティストたちも含め、彼らの活動は実際戦略的な部分がありつつ、必然であったとする。メインストリームの西洋のアートコミュニティに対し、アジアを含むグローバルサウスのアーティストたちがこの時代にどう生き残り、存在感を示してきたか、植民地主義や大航海時代のジョナサンスイフトの書物も参照しつつ、詩的に展開されている。私の研究分野であったので読み込んだが、暴力資本という考え方と支配、被支配、西洋と非西洋、西洋ネイティブである現代美術の持つ問題点を明らかにする、印象深いテキストです。

 

質問2これからの美術評論はどのようなものになりうるかをお答えください。

評論、そして評価はいつも公に読まれるものとして書くのは難しいです。ただ自分の中ではいつもなんらかの主観的な評価は無意識にでも下しているので、他者、とくにアートエキスパートの方々がある作品についてどう考えるかは知りたいですし、興味はあります。
ただ、需要という観点からはどれくらい一般の方が読みたいと思うのか?は、この世界の内側にいる者にとっては謎であります。
日本国内での美術評論のプラットフォームは、かなり少ないと思っていますが需要を考えると必然として少ないのか、もっと美術に興味のある人が増えたら自然に増えるのか?
”なりうるのか” はわかりませんが、もっと増えるべきなのではと思っています。つまり、美術に興味のある方が増え、アーティスト、マーケットも含めて大きくなればと思います。

 

 

著者: (HASEGAWA Hitomi)

長谷川仁美は香港在住の研究者でキュレーター。2009年より、文化庁の新進芸術家海外研修制度により香港のアジア・アート・アーカイブにて中国の草の根芸術団体を調査し、現在も香港在住。オーストリアのアカデミー・オブ・ファインアーツにて博士課程に在籍。EGSAメンバー。
主なキュレーションとしては“インヴィジブル・シティズ ?アジアの映像、”(ダラスコンテンポラリー、クロウ・ミュージアム・オブ・アジアン・アート)、“あなたが欲しかったものはすべて地球の裏側にあった、”(ウィーン応用美術大学イノベーションラボ、FJK3)、“ジェンダー、ジェニター、ジェニタリア” (ウーファータン、香港)、クンストハーレデユッセルドルフ、ウクライナ国立現代美術館ほか。MIACA 設立ディレクター。http://www.miaca.org/