華やかな前衛の記憶「関西の80年代 今ふりかえる関西ニューウェーブ」兵庫県立美術館 三木学評

「関西の80年代 今ふりかえる関西ニューウェーブ」
会期:2022年6月18日(土)~8月21日(日)
会場:兵庫県立美術館 

近年、日本の80年代の現代アートの再評価の動きが続いている。2018年には、国立国際美術館で「ニュー・ウェイブ 現代美術の80年代」、金沢21世紀美術館では「起点としての80年代」が開催された。また、2019年には、吉竹美香のキュレーションにより、ロサンゼルスのブラム&ポーで、「パレルゴン: 1980年代、90年代の日本の美術」が開催されている。

2017年から2018年にかけて、長谷川祐子のキュレーションにより、ポンピドゥー・センター・メッスで開催された、「ジャパノラマ:1970年以降の新しい日本のアート」は、1970年から現在までの日本のアートを取り上げたものだが、80年代の作品のウェイトは大きかった。つまり、世界的な潮流といってよいだろう。その原因として、60年代の具体、70年代のもの派の世界的な評価が定まってきたということはあるだろう。歴史としても、マーケットとしても、新しい商品が求められているのは間違いない。

今回、兵庫県立美術館で開催された「関西の80年代:今ふりかえる関西ニューウェーブ」は、その流れの中にあるものといえるが、その名のとおり関西エリアの表現に絞っていることが一つの特徴になっている。その理由として80年代は、「西高東低」と言われるくらい、関西の現代美術が活況を呈していたこと。その重要な発表の場が、兵庫県立近代美術館であったことが大きい。現在の兵庫県立美術館の前身となるもので、現在一部、横尾忠則現代美術館となっている建物を舞台に、「アート・ナウ」という若手アーティストの選抜展が開催されていた。1973年から始まり、1988年までは毎年開催、1992年から2000年までは隔年開催されており、若手アーティストの登竜門的な場であった。

作品の大きな傾向として、もの派に代表される70年代までの抑制的で還元的、観念的な傾向から、個人主義、表現主義的な自由な表現が、一気に広がったということが挙げられる。それは、ニュー・ペインティングのような海外の動向とも同期しているともいえるが、同時に、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と喧伝され、バブル景気に至る好景気、日本経済の黄金期の社会的状況を色濃く反映している。有機的で、色鮮やか、柔らかく、軽い素材が多用され、新しい表現スタイルとして、空間全体をメディウムとするインスタレーションが展開された。

今回に注目すべきは、「アート・ナウ」の出品作品をはじめとして、当時の関西のシーンを牽引していた展覧会の出品作品その空間構成まで一部再現されていることだろう。

朝比奈逸人《無題》(1982)、飯田光代《SURIVIVE》(1982)、中谷昭雄《Pass age》(1982)は、「アート・ナウ‘82」出品作品、濱田弘明《a piece of room3》(1985)、 《a piece of room4》松井紫朗《Flower Vase》(1985)は、「アート・ナウ‘85」出品作品、中西學《THE SUPER PALACE》(1986)は、「アート・ナウ‘86」出品作品、川島慶樹《Yellow Vacation I》(1986)、《The Mercury Stork I》は、「アート・ナウ‘87」出品作品である。

その他に、80年代に大量に開廊された貸画廊で出品された作品も多い。特に大阪では、ギャラリー白や番画廊、オンギャラリー、信濃橋画廊、京都ではアートスペース虹、ギャラリーすずき、ギャラリー16などの出品作品が続き、発表の拠点となっていたことがわかる。今でこそ、アート市場が活性化し、アートフェアやコマーシャル・ギャラリーの展覧会の機会は多いが、80年年代には、ほとんど存在しなかった。それらは貸画廊に出品されても、ほとんど売れることはない。にもかかわらず、今では考えられなくらいの大きさや、手の込んだ作品が多く、当時がいかに好景気だったかうかがいしれる。アルバイトやディスプレイなどで稼いだお金が注ぎ込まれたと思われるが、構造としては読売アンデパンダン展と変わりはなく、洗練され、豪華になった前衛といってもいいかもしれない。

特に、ギャラリー白で展示された石原友明の《約束Ⅱ》(1984)や、1989年に村松画廊、1990年に「アート・ナウ 関西の80年代」で展示された中原浩大の《ビリジアンアダプタープ+コウダイノモルフォⅡ》(1989)は、画廊の展示空間が再現されている。インスタレーションとして発表された作品は、その空間も表現の一部になっているからだ。

圧倒的な存在感を放っていたのは、KOSUGI+ANDOが、1987年に京都アンデパンダン展に出品した《芳一―物語と研究》の再展示だろう。耳なし芳一の世界観を、鏡と文字の迷宮によってインスタレーションとして表現されており、メディアアートのようなインタラクションはないが、それ以上の効果を発揮している。80年代は、デジタル以前の世界だったことが、改めて確認できる。

さらに、プロジェクト的作品を発表していた藤浩志のドキュメント、綿密なインスタレーションを発表していた松井智恵の膨大な資料など、形として消えているものは、記録物として構成されている。藤が1985年の修了制作展で制作し、京都市立芸術大学の池に沈めて伝説的になっていた「はにわ」を、約40年ぶりに潜って探し出したことは話題になっていた。森村泰昌が、美術史の名画に成りきる端緒となったシリーズについても、おさえられている。きわめて綿密な調査によって、企画された展覧会であり、兵庫県立美術館の中心のコレクションと言ってもよい「具体」に並ぶ関西のムーブメントとして捉えていることがわかる。

「アート・ナウ」や「京都アンデパンダン展」、「シガ・アニュアル」といったアニュアルが公立美術館を中心に活発に開催され、貸画廊もそれに並ぶ存在感があり、そこからヴェネチア・ビエンナーレのアペルトなど世界のアートシーンにつながっていった流れを追うことができる。

「80年代は過去じゃない」というコピーがつけられているが、現実問題として過去=歴史となったから、このような展覧会が開かれているといえる。90年代以降、冷戦終結、グローバリズム、デジタル革命と世界が開かれ、緊密なネットワークで結ばれ、さらに、バブル経済の崩壊、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、9.11、リーマンショック、東日本大震災、そして長引く平成不況と、世界の枠組みは大きく変わり、日本の国際的地位も急激に下がった。80年代のような楽観的な雰囲気はもう戻ってこないだろう。

ヴェネチア・ビエンナーレ以外のルートで世界に出る作家も増え、アート・シーンも多極化していった。この30年間をサバイバルして今日まで活躍しているアーティストは多くはない。しかし、それを超えて活動しているアーティストには、確実にその萌芽が出品作品に含まれているように思える。今日、現代アートの大きなテーマである、気候変動、地域間格差、南北問題、レイシズム、ジェンダーのような社会的、政治的課題を扱っている作品はほとんど見られないが、藤浩志、森村泰昌などが自分の関心から徐々に、社会に接続していった変遷は興味深い。

現在との共通点でいえば、アート市場が活性化していることで、さまざまな個人的な表現が試みられていることだろう。しかし、色彩や造形、素材との戯れだけでは、いかに華やかでも続けていくのは難しい。「関西の80年代」は、そのことを雄弁に物語っている。

個人的には、この時代、大阪芸術大学の作家が重要な位置を示していることも特筆すべきだろうと思う。庵野秀明らサブカルチャーだけではなく、現代アートにおいても、存在感を発揮していたことは事実として記憶されるべきだろう。

初出:『eTOKI』2022年8月21日公開。

著者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究、美術評論、ソフトウェアプランナー他。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行っている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹-色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。

https://etoki.art/

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