「展覧会備忘録 2024年10月~12月」三木学評

時間ができたときに展覧会を見ているが、1つだけを取り上げ、長い論考を書くには時間も労力もかかる。しかし書かない限りは自分も人も忘れてしまう。もう少し簡易的に、備忘録的にすることで、紹介できなかった展覧会を取り上げていきたい。

一定の期間で開催された展覧会を取り上げるが、その期間中、記事を少しずつ増やしたり、加筆していくこともあるのでご理解いただきたい。

「春望 -shunbou-」
2024年12月7日(土)〜2024年12月22日(日)
The Terminal KYOTO

現代美術キュレーターの金澤韻と、空間デザイナー・プロジェクト・マネージャーの増井辰一郎によるアートコンサルティングユニット、コダマシーンによる自主企画、主催による展覧会。公私のパートナーである金澤と増井は、「新型コロナ」による未曾有のパンデミックが始まった当時、上海を拠点にしていた。ゼロコロナ政策を推し進めていた中国は、2022年4月から5月にかけて、ロックダウンという、隔離政策を実施するようになり、行動の自由が剥奪されていく。その生々しい状況は、金澤のSNSでリアルタイムで発信されていた。二人は2023年の春に上海を離れ、京都に移住した。

日本では、2023年5月に「新型コロナ」が五類指定され、それから1年以上が過ぎ、すでにその時の状況は忘却され始めている。そして、その反動もあってか、大いに出会い、大いに旅をしている。100年前のスペイン風邪のパンデミックがなぜここまで忘れられていたか。「新型コロナ」が流行し始めた際話題になったが今になればわかる。早く忘れたかったのだ。1920年代、狂騒の20年代と言われ、どんちゃん騒ぎをしていたのも、スペイン風邪の流行と無関係ではあるまい。

しかし、それによって確実に人生が変わった人達がいる。金澤の企画した展覧会はそれを思い出させてくれるものだ。「春望」とは、ご存知の方もいると思うが、「安史の乱」という北方を守っていた、ソグド人と突厥系の混血である安禄山が始めた反乱の際、唐の詩人、杜甫が長安で春に読んだ五言律詩である。「国破れて山河あり」という最初の一文は誰もが知っているだろう。

「春望」の状況になぞらえて、そのような人間の取り決めによって荒廃する都市と、変わらぬ自然を対比的に扱っている。それが京都の町屋を改修した、小宇宙的なThe Terminal KYOTOで開催されていることも興味深い。図式的に言えば、谷川美音(漆芸)、山口遼太郎(陶芸)が人間社会から少し離れた山水的な世界観を表し、金澤と増井と同時期に子供を連れて奈良に移住したという、方巍(絵画)、UMA(パフォーマンス)は人間の葛藤を表している。さらに、宙宙(インスタレーション)のさまざまな日常生活の小さな物を繊細に配置するインスタレーションは、すべてのちょっとした動きが相互に絡み合い、荒廃していく社会を表しているといっていいかもしれない。

会場の所どころに、金澤がロックダウンの渦中にSNSで発信した日記が展示され、一冊にまとめて装丁された『春望日記』が2階の奥の廊下に置いている。あのパンデミックとロックダウンを忘れたように、中国人を含めた大量の観光客が京都に押し寄せるなか、京町屋の様式と、防空壕を残した、The Terminal KYOTOは絶好の会場であったといえるだろう。忘れないことは、人間として一つの抵抗と継承の形でもある。

 

「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」
2024年10月12日(土)~ 2025年1月5日(日)
あべのハルカス美術館

ウスター美術館所蔵のモネと印象派の影響を受けた画家たちの展覧会。印象派という一つの絵画の革新がドイツ、北欧、アメリカ、そして日本へという新興国へと普及し、そして気候風土や文化的背景に合わせて変容していく様子は興味深い。アールデコ建築やモダニズム建築も、世界へと普及する過程で、地域によって変容していくが、絵画における最初の国際様式が印象派といってもいいかもしれない。

しかしながらそのスタイルの変遷は早く、特に日本においては、印象派を受容したときにはすでにポスト印象派やフォーヴィスムが主流になっていたため、常に時差があるのも特徴だろう。黒田清輝や久米桂一郎といった、アカデミーにおいて印象派技法を取り入れた折衷派といわれるラファエル・コランから学んだ画家たちの作品も展示されており、アメリカでの展開と比較して見れるのはとても面白いと思った。

ジョセフ・H・グリーンウッド、チャイルド・ハッサム、ジョン・ヘンリー・トワックマン、ウィラード・リロイ・メトカーフなどなど、フランスに留学し、印象派の技法を持ち帰って、アメリカの風景を描いた画家たちのことをほどんど知らないが、古典技法はすでに浸透しており、人物や風景も西洋式であるため、日本の画家たちの絵画ほど違和感は感じない。このようなフランス詣でをした東海岸の画家たちの中に、マンセル表色系をつくったアルバート・マンセルもいたのだろう。

次第にアメリカの気候、精神風土に合った形で、淡い色彩と情緒深い風景を描く、トーナリズム(色調主義)が生まれるのも興味深い変容である。帰国後、日本の田舎の風景を描いた久米桂一郎にも近いテイストが感じられる。そのような地域性の比較ができるのも、印象派の技法が、風景を描いた戸外制作であり、チューブ絵具などの画材も含めて、ある種の標準化がされている証拠ともいえる。その後、印象派が日差しの強い南仏に移動し、ポスト印象派の大胆ない色彩に変容したように、アメリカの画家が、同じく日差しが強く乾燥している西海岸の風景を描くことで、輝くような色彩に反映されていくのは、同じような変遷だといってよいだろう。

第二次世界大戦後、ヨーロッパで活躍していた画家たちが大量にアメリカに移動し、一躍アメリカが美術の主役に躍り出るが、抽象絵画の発展においても、アメリカの精神性や風土が関係していることが、この展覧会を見るとよくわかる。第二次世界大戦がなかったらどのようにアメリカ美術が発展していたのか、というもう一つの歴史にも思いを巡らさせられる展覧会だった。

 

著者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究、美術評論、ソフトウェアプランナー他。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行っている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹-色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。

https://etoki.art/

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