「美術評論のこれまでとこれから」市原尚士

質問1これまでの美術評論でもっとも印象的なものについてお答えください。

M.B.ゴフスタイン(1940~2017)のLIVES OF THE ARTISTS (Farrar, Straus and Giroux、1981年、未訳)はまさに圧巻。
ゴフスタインの本のページをめくることーーそれは静謐な教会の中に足を踏み入れることと同義である。
ゴフスタインの書いた文字には、祈りが込められている。読み手は、その祈りを恩寵のように受け止めるのだ。
LIVES OF THE ARTISTSに取り上げられた偉大な芸術家は5人。
レンブラント(1606~69)、グアルディ(1712~93)、ゴッホ(1853~90)、ボナール(1867~1947)、ルイーズ・ネヴェルソン(1899~1988)。
1人のアーティストに費やされる文字の総量は、極めて少ない。
最初に登場するレンブラントの場合、使われている単語の数はたったの158に過ぎない。
一部分だけ原文を引用してみよう。
Every outside has an inside, and every inside has an outside.
これでもう、11の単語が使われている。158という総数がいかに小さいかお分かりだろう。
詩のように、箴言のように、一つ一つの単語や文章がきらきらっと光っている。
そして、文字を読んでいるはずが、いつしか、ゴフスタインの声に聞き入っている感覚に襲われる。
そんな心地よい状況に浸っていると、今度はゴフスタインの声がレンブラントやゴッホの肉声に変容していく。
今はもうこの世にいない芸術家が、読み手である私やあなたに話しかけてくるのだ。
この本は、いわゆる美術評論と呼ばれる一群の本とは質・量ともに明らかに異なっている。
しかし、私にとって、最良の“美術評論”であることは疑いようもない事実である。

 

質問2これからの美術評論はどのようなものになりうるかをお答えください。

生成AIがますます幅を利かせてくる世の中になることが容易に予想できる。
そのような時代に求められる美術評論は、ゴフスタインの書く言葉(≒肉声)のように濃厚な身体性を必要とするだろう。
時代が進むほど、人々はスマートフォンやパソコンの検索エンジンは万能であるとの錯覚を深めるだろう。
私たち美術評論家は、自らの心身に深く立脚し、いくら検索してもヒットしない考え方、文章を生み出さなければならない。

 

 

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。