マリー・ロージー
偉大な先祖を持つと、人は誰でも苦労する。なぜなら、いつも「偉大な先祖の子孫」としてしか見られない上に、「偉大な先祖」と比較ばかりされるからである。
しかし、逆に子孫を通して「偉大な先祖」の知られざる本質が明らかになることもあるのではないだろうか。正に、ポール・セザンヌを高祖父に持つマリー・ロージーこそはその好例である。
マリー・ロージー(Marie Rauzy)は、1961年にフランスのマルセイユに生まれた。幼少期より絵画を描くことを好み、18歳の時に画家になることを決意する。1988年に、名門のパリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)を卒業。その前年から画家としての活動を開始し、これまでフランス、ベルギー、ドイツ、中国、日本等で個展を開催している。現在は、フォンテーヌブローの森の近郊に在住して制作を続けている。
マリーは、画家としての創作活動と並行して、1989年から30年以上パリの小学校で美術教員として子供達に絵画も教えている。2019年には、子供向けに絵画の手ほどきをした『切る、貼る、描く』を出版した美術教育の専門家でもある。
マリーは、画家ポール・セザンヌの玄孫、つまり孫の孫に当たる。ポール・セザンヌの息子が同名のポール・セザンヌであり、その娘がアリーヌ・セザンヌ、その娘がモニク・ゴベール、そしてその娘がマリー・ロージーという関係である。しかし、マリーは長年自分が巨匠セザンヌの血を引いていることを明らかにしなかった。それは、実力とは関係ないところで注目されるような売名行為を疑われたくなかったからであろう。マリーがその血筋を公言したのは、既に画家・美術教育家としてのキャリアを確立した後、セザンヌの没後100年を記念する大回顧展が故郷エクス・アン・プロヴァンスで開催された2006年のことである。
図1 マリー・ロージー《静的な生垣》2012年
図2 マリー・ロージー《正確な瞬間1》2017年
図3 マリー・ロージー《瞬間の風景#1》2018年
図4 マリー・ロージー《小さな空間の中の隔たり8》2020年
マリーの画風の一つに、背景が高速で過ぎ去っていくような描き方がある。「風景の速度」と題されたシリーズがその典型で、水平方向にブレてかすんでいくような描写は私達に高速で水平移動する鉄道・自動車・飛行機の車窓風景を想起させずにはおかない(図1-図4)。
これらは屋外の風景画であるが、屋内の静物画で同様の描き方がなされることもある(図5-図8)。そこでは、中心モティーフに焦点が当たりつつその周囲が高速で飛び去っていくように描かれている。これらの描写もやはり、私達に高速で水平移動する鉄道・自動車・飛行機の通過風景を彷彿させずにはおかない。特に、飛行機で旅行するときは誰でも、機内と機外の速度感の違いがこのように感じられるのではないだろうか?
図5 マリー・ロージー《ゴールデン・ポット》2017年
図6 マリー・ロージー《ダイジェスチョン》2017年
図7 マリー・ロージー《花束》2019年
図8 マリー・ロージー《林檎とポット2》2020年
これらは、そうした高速移動機械が登場する前の世界ではありえない表現である。例えば、実体験がない以上、イタリア・ルネッサンス期の絵画においてこうしたスピード感の描写が登場することはありえない。もちろん、全力疾走する馬に乗った場合に一瞬だけこのように見えることはあったかもしれない。しかし、それはあくまで異常で例外的な体験であり、ここまで極端に対象と周囲がはっきりと分離された視覚は日常意識には定着しないと言うべきである。
その意味で、ここで表象されているのは「近代」の感覚である。言わば、マリーはボードレールのいう「近代生活の画家」なのである。
図9 ポール・セザンヌ《オーヴェール・シュル・オワーズ近郊の小さな家並》1873-74年
図10 エミール・ゾラ撮影 19世紀後半のフランスの蒸気鉄道 撮影時不詳
注目すべきは、セザンヌにも背景が高速で過ぎ去っていくような描き方をした作品がある事実である(図9)。この作品を典型として、セザンヌの造形的特徴としては、画面を縦に貫く線が少ないのに対し、稜線が水平に重ねられたり筆触が水平方向に反復されたりすることが多いことが挙げられる。それにより、風景あるいは観者自身が横方向に高速移動しているような運動感が感受される。つまり、セザンヌは同時代に登場した鉄道乗車視覚を絵画上に表し出そうとした蓋然性が高い(図10)。
実際に、セザンヌは1878年4月14日付のエミール・ゾラ宛の手紙で、開通から半年後のエクス・アン・プロヴァンス=マルセイユ路線を疾走する汽車の車窓から眺めたサント・ヴィクトワール山を「何と美しいモティーフだろう」と賛美している。そして、それ以来39歳まで描かなかったサント・ヴィクトワール山を突然連作し始める。そうした極端な画題の選択には何かそれをもたらす心境の変化があったはずであり、そのきっかけは本人の言う通り汽車の車窓風景の美的体験だったと考えるのが自然だろう。
マルセイユへ行く時、ジベール氏と一緒だった。この手の人達は見ることに長けているが、その眼は教師的だ。蒸気鉄道でアレクシ邸の傍を通過する時、東の方角に目の眩むようなモティーフが展開する。サント・ヴィクトワール山と、ボールクイユに聳える岩山だ。僕は、「何と美しいモティーフだろう」と言った(1)。
興味深いことに、実際にその鉄道路線の車窓風景では、遠景のサント・ヴィクトワール山がゆっくり動くのに対し、近景の枝葉は素早く飛び去っていく(図11)。そうした視覚現象も、セザンヌの絵画作品の数多くで認められる特徴である(図12)。また、セザンヌが「何と美しいモティーフだろう」と称賛するのは、正にサント・ヴィクトワール山連作に描き込まれた鉄道橋を汽車が通過する時である(図13)。さらに、セザンヌはその鉄道橋の上を走る汽車も描き込んでいる(図14)。これはもう、セザンヌは自覚的だったと言うべきではないだろうか。
図11 筆者撮影 アルク渓谷の鉄道橋の通過時のサント・ヴィクトワール山 2006年8月26日
図12 ポール・セザンヌ《サント・ヴィクトワール山と大松》1887年頃
図13 筆者撮影 アルク渓谷の鉄道橋とサント・ヴィクトワール山 2006年8月25日
図14 ポール・セザンヌ《ベルヴュから見たサント・ヴィクトワール山》1882-85年
それでも、セザンヌが鉄道乗車視覚を表現したとは信じられないかもしれない。今まで、世界中の誰も指摘してこなかったからだ。
しかし、自ら鉄道の車窓風景に触発されて風景画を描いたと証言しているエドガー・ドガについては信じなければならないだろう(図15・図16)。実際に、ドガは1892年に疾走する汽車から眺めた風景に触発されて21枚の風景画を描いたと言っている。興味深いことに、ドガが風景画を描いたのも58歳になったこの時が初めてである。言うまでもなく、セザンヌとドガは旧知の仲であり、共に蒸気機関車をフランスで初めて本格的に主題化した印象派のメンバーである。
〔その21枚の風景画は〕今年の夏の旅行の成果です。私は列車の扉口に立ち、不明瞭に眺めていました。それが、私に風景画を描く着想を与えたのです(2)。
図15 エドガー・ドガ《風景》1892年
図16 エドガー・ドガ《風景》1892年
さらに、フォーヴィズムのアンリ・マティスは、自動車の運転席から眺めた風景を描いている。また、疾走する自動車の運転席から眺めたような風景も描写している(図17-図20)。
図17 アンリ・マティス《フロント・ガラス》1917年
図18 アンリ・マティス《セーヴル橋とプラタナスの木々》1917年
図19 アンリ・マティス《アンティーブ、自動車の中から見た風景》1925年
図20 アンリ・マティス《アンティーブ岬の街道(大松)》1926年
そして、実際に自動車運転を愛好していたフォーヴィズムのアンドレ・ドランやモーリス・ド・ヴラマンクもまた、疾走する自動車の運転席から描いたような風景を描出している(図21-図24)。のみならず、ヴラマンクは自伝的小説『危ない曲がり角』(1929年)で、そうした自動車の高速運転中の視覚を描述さえしている。
ヘッドライトが道路を探っていた。その2本の長く明るい絵筆は、滑らかに動き回り、地面の蛇行や起伏をなぞっていた。8気筒の鼓動は、震動はほとんど余り気にならず、一律で、甘やかで、静かであった。木々は、自動車の前に身投げせんばかりに見え、通過の際には風の流れで軽い摩擦音を立てていた。レーシングカーは、時速110キロメートルで突進していた。ヘッドライトに照射されたウサギ達の目は、闇を漕ぐ旧式自転車の灯火のようだった。道路は、今や1本の長大な白帯に、今や1匹の黒蛇と化し、無限に続いていく。それは自動車のボンネットに貪り喰われたかと思うと、突然背後に出現する(3)。
図21 マン・レイ撮影 アンドレ・ドランと自動車 1927年
図22 アンドレ・ドラン《ル・ペックのセーヌ河》1904年
図23 撮影者不詳 モーリス・ド・ヴラマンクと自動車 撮影年不詳
図24 モーリス・ド・ブラマンク《モルターニュの道》1953年
もちろん、セザンヌも、ドガも、マティスも、ドランも、ヴラマンクも、そしてマリーも皆、鉄道や自動車に乗車中の風景をそのまま描いたのではない。そうではなく、そうした高速移動機械を降車した後に思い出される日常経験としての視覚の変容を表現しようとした点が重要である。つまり、彼等は自らを取り巻く新しい近代技術的環境に順応し、それに象徴的に適応しようとしたのだ。だからこそ、彼等の絵画は同時代を生きる私達自身にとっても確かな芸術的価値があるのである。
そして、そうであるならば、マリーは、印象派やフォーヴィズムに影響を与えた19世紀後半から20世紀初頭の鉄道や自動車がはるかに高度に発達し、さらに飛行機までも日常化した21世紀の高速生活環境全般を描き出しているといえる。その意味で、マリーこそは、正に高祖父セザンヌを筆頭とする、高速移動機械による視覚の変容を表象した「近代生活の画家」の直系かつ最新の継承者と形容できるだろう。
〔引用〕
(1)Paul Cézanne, Correspondance, recueillie, annotée et préfacée par John Rewald, Paris, 1937; Nouvelle édition révisée et augmentée, Paris, 1978, p. 165. 邦訳、ジョン・リウォルド編『セザンヌの手紙』池上忠治訳、美術公論社、1982年、122‐123頁。
(2)Edgar Degas, Lettres de Degas, recueillies et annotées par Marcel Guérin, Paris, 1931; nouvelle édition, Paris, 1945, pp. 277-278.
(3)Maurice de Vlaminck, Tournant dangereux: Souvenirs de ma vie, Paris, 1929, p. 262. 邦訳、ヴラマンク『危ない曲り角』税所篤二訳、東京建設社、1931年、278頁。
※本稿は、THE OBSESSION GALLERYの依頼により、2025年2月に開催予定の「マリー・ロージー個展」の公式解説のために執筆された。