解説「西村大樹――光の中の静寂な祈祷者:『Record』『Foresight dream』シリーズ」秋丸知貴評

図1 西村大樹《墓石の上に、はじまりの雨》2023年

 

図2 西村大樹《雨を降りつくした雲のように》2023年

 

西村大樹の作品は、光に満ちた清浄で静謐な祈りである。

「Record」と題された小品のシリーズを見てみよう(図1・図2・図3・図4・図5・図6)。一見、抽象絵画である。近づくと、松林を描いた水墨画に見える。よく見ると、写真を用いたミクストメディアの作品である。その風景を切り取るフレーミングは、客観的外界と主観的内面の境目を映し出している。だから、その画面に人物はいないけれども、その瞬間その現場に確かに撮影者がいた気配だけは感じられる。

西村によれば、制作は写真撮影から始まる。実際に自分が歩き、光や風を感じた自然の風景をシャッターで写し取る。その印画紙に定着させた写像を、溶剤を使って少し浮き上がらせて霞ませ、その表面に燃える線香でいくつか小さな穴を穿つ。それをツヤ消ししたアルミ板に貼り付けて、改めて表面を結晶質の粉末を用いて仕上げる。

すると、画面は、暖かみのある青系と緑系の淡い光に包まれ、見る角度により繊細に点々と発光し、半透明で半抽象の図様がたゆたうように見える。こうした実写的でありながら曖昧でもある画面は、イメージを固定せずに柔らかく賦活し、自らに近しく親しいものと感じさせる効果がある。同じように、何か個人的に囁きかけるような漠然とした長い題名も、イメージを限定せず鑑賞者に親密な印象をもたらすのに一役買っている。

西村が10年以上試行錯誤を重ねて完成させたこのスタイルは、彼の勁い個性に基づいている。だから、一見誰にでもできそうであるが、もし他人が同じことをしても作品がこのように美しく光り輝くことはないだろう。なぜなら、その創意には彼自身の詩と真実があるからである。

 

図3 西村大樹《余白から初めて風景をのぞいたらしい》2023年

 

図4 西村大樹《音楽と月光がひとつであるどこか》2023年

 

西村は、環境問題に意識的な現代画家の一人である。彼の場合は、特に父親が鳥類学者であり、開発が環境に及ぼす影響を調査する環境アセスメントの仕事に携わっていたことが大きく影響している。

西村が3歳の時、不幸な事故により父親は約20年間半身不随で過ごすことになった。そうした父親の傍に長く寄り添うことで、西村は父親の自然への愛好心を強く受け継ぐと共に、日々の安心や平和のかけがえのなさを深く学んだ。彼が制作において環境問題と本格的に取り組むようになったのは、父親の他界が一つの大きなきっかけだったという。

そうした背景から、西村は、現在地球上の雨水には全て化学物質が含まれており、もはや飲料には適さないことなどをしばしば嘆く。彼には、世界は既に汚染されているという認識があり、その中で人類はどう生き抜けば良いのかを常に模索する志向がある。しかし、今なお一般に抵抗感の強い環境問題を扱う時には、学者・実務家としての父親の志を継承しつつも、画家・芸術家として何か自分にこそできる受け入れられやすい形があるのではないかと彼は確信している。それは、人々に憧憬を抱かせる美しい原自然のイメージを届けることであり、その一つの実践が正にこの「Record」シリーズである。

 

図5 西村大樹《私に見えるのは鴨を探す詐欺師たちの姿だけ》2023年

 

図6 西村大樹《蜘蛛の糸から朝がはじまる》2023年

 

当初、西村は身の回りの景色を題材にしていた。しかし、やがて彼はそうした自らの理想をより良く実現する風景を探し求める内に、伝統的に日本人が「日本三景」――日本の最も美しい三大景勝地――の一つとして称揚してきた京都の天橋立に辿り着く。天橋立は、湾口を塞ぐように細長く伸びる全長3.6キロメートルの巨大砂州である。そこには5,000本以上の松林が続き、古来日本の美しい海岸風景をたとえる「白砂青松」が具現されている。西村の「Record」シリーズは全て、自分の足で歩いて撮影したこの天橋立の松並木をモティーフにしている。

天橋立は、その大自然の神秘を感じさせる地形の珍しさにより神話に登場する。日本の最も古い神話書である『古事記』(712年)では、天橋立は日本列島を天上から創造した夫婦神の足場と書かれている。また古い伝承では、神が天上から地上へ通う際の梯子が倒れたものと記されている。つまり、古くからこの砂州は、単なる観光地ではなく、「彼岸(常世)」と「此岸(現世)」を結ぶ聖地と目されてきたのである。

また、天橋立は、その風光明媚な絶景により古来絵画にも描かれてきた。最も有名なのは、「日本の水墨画の祖」と言われる雪舟の《天橋立図》(1501年頃)(図7)である。この絵は、手本の摸写ではなく実景を写生する最初期の作例であると共に、画面内に複数の視角を融合させて美的な脚色を施していることで知られている。

さらに、日本の水墨画ではしばしば松林が描かれるが、その最高峰とされるのが長谷川等伯の《松林図屏風》(16世紀)(図8)である。この作品は、等伯が中国南宋の牧谿の様式を日本の風土に合わせて洗練すると共に、最愛の息子が早逝し落胆していた時期に描かれたことでも有名である。

 

図7 雪舟《天橋立図》1501年頃

 

図8 長谷川等伯《松林図屏風》16世紀

 

こうして見ると、西村の「Record」シリーズは、日本人の伝統的な自然観の現代的な表現と見なすことができる。つまり、古来日本では、大自然の強い現れには神が宿るとされ、特に常緑で樹命の長い松は神の依り代として格が高いと寿がれてきた。そのように日本人が松に神性を見るのは、大自然が「彼岸」に根差しているという信仰があるからである。「彼岸」は「根の国」とも呼ばれ、あらゆる生命の死のみならず再生も司る根源的世界である。すなわち、いにしえから日本人はただ単に松を美的に鑑賞するだけではなく、万物の不死と再生を示す希望のシンボルとして享受してきた。その描出の際に、墨一色で精神の崇高性を表す水墨画は極めて適した技法だったのである。

西村自身は、この「Record」シリーズでは特に雪舟や等伯を意識してはいなかったという。むしろ、社会問題を美的に表象するアメリカの画家ロス・ブレックナーに対する思慕が強かったとする。しかし、だからこそそれは伝統的感受性の無意識的な反映であり、雪舟のような実景の写生の理想化や等伯のような外国の作風の日本化という芸術的伝統を、西村は写真の加工や西洋美術の参照を通じて今日的に表現したのである。

 

図9 西村大樹《いずれ雨の日でもないのに窓の外をながめるようになる》2023年

 

図10 西村大樹《夜の使いたちが餌を求めて飛び立つ》2023年

 

図11 西村大樹《かれらは歩み去る一日にささやく》2023年

 

この「Record」シリーズの延長上に、西村は「Foresight dream(予知夢)」シリーズを展開している(図9・図10・図11・図12・図13)。この大画面を基調とし、油彩にアクリルや岩絵具も併用する連作でも、やはり天橋立の松並木がモティーフとされている。

西村によれば、モティーフは同じでも、両者のシリーズには制作において時間性と空間性の差異が生じる。つまり、油彩では写真よりも制作に掛かる時間が長いため、一筆ごとに込められる思いも濃密になっていく。また、大画面であればあるほど鑑賞者は自分が包含されるように感じるので、より作品世界が発するメッセージに深く感応していくことになる。

この「Foresight dream」シリーズで何よりも特徴的なのは、その画面全体を滴り落ちるような絵具の複数の縦筋である。このガラス窓に打ち付ける雨を連想させる水滴は、2019年末にオーストラリアで発生した山火事を発想源としている。西村がその森林火災をニュースで見ながら感じたことは、こうした大規模な延焼はもはや人力では消火できず、天然の長期間にわたる降雨に頼るしかないという謙虚な認識だったという。

2020年からの新型コロナ禍もそうであったように、様々な感染症もまた人間が起こした生態系の変化により発生する。人類の手に負えない疫病の猛威は、自然な終息を待つしかない。この「Foresight dream」シリーズの寡黙でありながら来光への希求を掻き立てる画面は、結局私達は大自然をコントロールできるなどと思いあがるのではなく、大自然への畏敬の念を忘れずに、「愛されて生かされている」という感謝の気持ちで生きていくべきなのではないかと、見る者に無言で語りかけているように思われる。

新しい一日の始まりを優しく告げる朝陽。穏やかな昼下がりを心地良く包み込む陽光。そして、ありふれた慎ましく穏やかな生活の中に垣間見る一瞬の永遠。

西村の作品には、いずれもそうした安寧と浄福への希望と祈願が満ちている。

 

図12 西村大樹《私はひとり冷たい幻想を抱きながら長靴をはいて歩かなければなりません》2022年

 

図13 西村大樹《世界と溶け込むに至るまで》2021年

 

(写真は全て作家提供)

 

西村大樹 オフィシャルウェブサイト – Daiki NISHIMURA Official Web Site –

 

【関連論考】

展評「西村大樹個展――不在の風景、平穏な海」hakari contemporary 秋丸知貴評

著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2020年4月から2023年3月まで上智大学グリーフケア研究所特別研究員。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。上智大学グリーフケア研究所、京都ノートルダム女子大学で、非常勤講師を務める。現在、鹿児島県霧島アートの森学芸員、滋賀医科大学非常勤講師、京都芸術大学非常勤講師。

【投稿予定】

■ 秋丸知貴『近代とは何か?――抽象絵画の思想史的研究』
序論 「象徴形式」の美学
第1章 「自然」概念の変遷
第2章 「象徴形式」としての一点透視遠近法
第3章 「芸術」概念の変遷
第4章 抽象絵画における純粋主義
第5章 抽象絵画における神秘主義
第6章 自然的環境から近代技術的環境へ
第7章 抽象絵画における機械主義
第8章 「象徴形式」としての抽象絵画

■ 秋丸知貴『美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学』
第1章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について
第2章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラの凋落」概念について
第3章 ヴァルター・ベンヤミンの「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の問題について
第4章 ヴァルター・ベンヤミンの芸術美学――「自然との関係における美」と「歴史との関係における美」
第5章 ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――「複製技術時代の芸術作品」再考
第6章 ヴァルター・ベンヤミンの鑑賞美学――「礼拝価値」から「展示価値」へ
第7章 ヴァルター・ベンヤミンの建築美学――アール・ヌーヴォー建築からガラス建築へ

■ 秋丸知貴『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに』
序論 近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究
第1章 近代絵画と近代技術
第2章 印象派と大都市群集
第3章 セザンヌと蒸気鉄道
第4章 フォーヴィズムと自動車
第5章 「象徴形式」としてのキュビズム
第6章 近代絵画と飛行機
第7章 近代絵画とガラス建築(1)――印象派を中心に
第8章 近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に
第9章 近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に
第10章 近代絵画と近代照明(2)――抽象絵画を中心に
第11章 近代絵画と写真(1)――象徴派を中心に
第12章 近代絵画と写真(2)――エドゥアール・マネ、印象派を中心に
第13章 近代絵画と写真(3)――後印象派、新印象派を中心に
第14章 近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム、キュビズムを中心に
第15章 抽象絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに

■ 秋丸知貴『ポール・セザンヌと蒸気鉄道 補遺』
第1章 ポール・セザンヌの生涯と作品――19世紀後半のフランス画壇の歩みを背景に
第2章 ポール・セザンヌの中心点(1)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第3章 ポール・セザンヌの中心点(2)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第4章 ポール・セザンヌと写真――近代絵画における写真の影響の一側面

■ 秋丸知貴『岸田劉生と東京――近代日本絵画におけるリアリズムの凋落』
序論 日本人と写実表現
第1章 岸田吟香と近代日本洋画――洋画家岸田劉生の誕生
第2章 岸田劉生の写実回帰 ――大正期の細密描写
第3章 岸田劉生の東洋回帰――反西洋的近代化
第4章 日本における近代化の精神構造
第5章 岸田劉生と東京

■ 秋丸知貴『〈もの派〉の根源――現代日本美術における伝統的感受性』
第1章 関根伸夫《位相-大地》論――日本概念派からもの派へ
第2章 現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相-大地》(1968年)から《空相-黒》(1978年)への展開を中心に
第3章 Qui sommes-nous? ――小清水漸の1966年から1970年の芸術活動の考察
第4章 現代日本美術における土着性――小清水漸の《垂線》(1969年)から《表面から表面へ-モニュメンタリティー》(1974年)への展開を中心に
第5章 現代日本彫刻における土着性――小清水漸の《a tetrahedron-鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に

● 秋丸知貴『比較文化と比較芸術』
序論 比較の重要性
第1章 西洋と日本における自然観の比較
第2章 西洋と日本における宗教観の比較
第3章 西洋と日本における人間観の比較
第4章 西洋と日本における動物観の比較
第5章 西洋と日本における絵画観(画題)の比較
第6章 西洋と日本における絵画観(造形)の比較
第7章 西洋と日本における彫刻観の比較
第8章 西洋と日本における建築観の比較
第9章 西洋と日本における庭園観の比較
第10章 西洋と日本における料理観の比較
第11章 西洋と日本における文学観の比較
第12章 西洋と日本における演劇観の比較
第13章 西洋と日本における恋愛観の比較
第14章 西洋と日本における死生観の比較

■ 秋丸知貴『ケアとしての芸術』
第1章 グリーフケアとしての和歌――「辞世」を巡る考察を中心に
第2章 グリーフケアとしての芸道――オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』を手掛かりに
第3章 絵画制作におけるケアの基本構造――形式・内容・素材の観点から
第4章 絵画鑑賞におけるケアの基本構造――代弁と共感の観点から
第5章 フィンセント・ファン・ゴッホ論
第6章 エドヴァルト・ムンク論
第7章 草間彌生論
第8章 アウトサイダー・アート論

■ 秋丸知貴『芸術創造の死生学』
第1章 アンリ・エランベルジェの「創造の病い」概念について
第2章 ジークムント・フロイトの「昇華」概念について
第3章 カール・グスタフ・ユングの「個性化」概念について
第4章 エーリッヒ・ノイマンの「中心向性」概念について
第5章 エイブラハム・マズローの「至高体験」概念について
第6章 ミハイ・チクセントミハイの「フロー」概念について

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