闇の地に光る幻想の質感 谷原菜摘子「谷原菜摘子の北加賀屋奇譚」三木学評

クリエイティブセンター大阪(CCO)2階 展示風景 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

谷原菜摘子「谷原菜摘子の北加賀屋奇譚」
会期:2023年3月8日(水)~12(日)
会場:クリエイティブセンター大阪(CCO)、千鳥文化

2023年3月8日(水)から12日(日)まで、「咲くやこの花賞」受賞記念展示として、谷原菜摘子の展覧会が大阪市・北加賀屋にある名村造船所跡地のクリエイティブセンター大阪(CCO)と、千鳥文化の2か所で開催された。谷原は大阪の未来を担う文化人に贈られる令和3年度の「咲くやこの花賞」の美術部門を受賞しており、それを記念した展覧会である。CCOは、初期作から最新作を網羅した大型の絵画作品を中心に構成され、千鳥文化はフランス滞在時に制作したドローイングを中心とした作品で構成されていた。会場が北加賀屋になったのは、2000年以降、谷原がCCOにほど近い共同スタジオ、Super Studio Kitakagaya(SSK)の1室を借りて、制作を続けているからでもある。

《ぱぱが神様になったので》(2014) 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

谷原は、黒いベルベットの下地に、油画やアクリル絵具に加えて、スパンコールやグリッターという光沢製のある素材を画材にした独特な技法と、シュールレアリスティックな画風で知られている画家である。1枚の絵画だけでもたくさんの登場人物、物語性を持っており、凝縮された世界観がある。人間の負の側面を描きながら一見、華やかな要素が入り混じった対比が特徴的である。

谷原の作品を、2021年に開催されたSSKのキュレータービジットで初めて見たとき、筆者はちょうどポーラ美術館から依頼を受け、同年に開催された「フジタ 色彩への旅」展のために、フジタ(藤田嗣治)の色彩について調査をしていた。そのこともあって、フジタが築いた技法との共通点を見て取ることになった。もちろん谷原の描いている人物は、「乳白色の肌」「乳白色の下地」と称された、フジタが描いた1920年代の白人女性の裸婦像とは異なる点は多い。それからすでに100年を経ており、芸術のシーンだけではなく、社会情勢や立場、ジェンダーも違う。その上でなお谷原がフジタの関心と課題、技法を継承しているように見えたのだ。

フジタは東京美術学校で黒田清輝に学んだ。日本美術学校において西洋画科の創設に参画した黒田は、アカデミーに印象派の技法を取り入れたラファエル・コランに学び、外光派、紫派と称された。外光派、紫派というのは、19世紀にチューブ入り絵具が開発されたことにより、印象派のように、屋外で自然の光の元で明るい絵画を描いたことによる。紫派というのは、自然界の影には厳密には黒はないということで、影を紫や絵具の混色で表現することからきている。しかし、そもそも印象派自体が、日本の浮世絵に多大な影響を受けているし、漆器を「japan」と言うように、黒は日本の代名詞的な色でもあった。実際、印象派に先行したマネなどは、日本の浮世絵の影響を受け、黒を大胆に使用している。フジタは、渡仏したことにより、マティスなどの同時代の画家と比較をし、物真似ではなく、自身にしかできない日本の技法を西洋画の中に取り入れることを試みた。それが白と黒による裸婦の表現である。

クリエイティブセンター大阪(CCO)2階 展示風景 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

さらに下地を工夫し、薄い麻布に鉛白と炭酸カルシウムを混ぜて「乳白色」にした上で、油分をとって墨を描きやすくするために、タルク(ベビーパウダーの成分)を塗布した。そのことにより、白人の肌のような質感を得ることに成功し、イリュージョンではない、肌の質感を物質的に再現するシミュレーションの方法によって、エコール・ド・パリの寵児になるわけである。近年の組成分析により、タルクや炭酸カルシウムを使用が明らかになり、半光沢・半透明のマチエールを生み出す秘密や水性の墨を油絵において描く方法がわかるようになった。当時の人々は、生々しい肌がカンヴァスに貼り付けられているようなリアリティにさぞ驚いたことだろう。

ここで谷原に戻ると、フジタの白とは真逆であるが、黒いベルベットの生地を使うことで、独特な肌の質感を描いている。これはまさに逆転の発想であるし、今までほとんどされてなかった方法だろう。シュタイナーの黒板絵のようなものはあるが、油絵においてはあまり聞いたことがない。谷原自身が思春期に凄惨ないじめにあうという、負の記憶を原点とし、人間の闇と束の間の美しさのようなものを描いているため、モチーフやテーマにあったということはあるかもしれないが、フジタのように生地や下地からアプローチしているところが興味深い。

さらに、漆黒の中で光らせるために、スパンコールやグリッターを使っているところもポイントだろう。グリッターは、ネイルやアイシャドウなどに化粧の道具としても使われており、同じく化粧品であるベビーパウダーを使っていたことも共通点がある。フジタは、戦後、土門拳の撮影した写真から、タルクを主成分とする、和光堂のシッカロールを使用していたことがわかっているが、1920年代にどのようなタルクを使っていたのか、どのようなきっかけでタルクを使うようになったのかはわかっていない。しかし、フジタが東京美術学校時代から女装を芸にし、渡仏後もさまざまなメイクをしていたことからも、化粧品の性質についてよく理解していたということは大きいだろう。

だから、実際の肌の質感を再現するにあたって、化粧品そのものを画材として使うという発想になったとしてもおかしくはない。谷原に関しても、人物像を描くにあたって、よりリアリティを出すために、化粧品やファッションに使う道具を使ったと言えるだろう。黒に関しては、大学時代に自分の表現には、普通のカンヴァス地では足らないと思ったから使用するようになったと述べていたが、黒地からうまく自身を含めた黄色人種(アジア人)の肌や衣装を描いている。もちろん、谷原が描く、幻想的な世界に合っているということもあるが、突出した画力がそれを成立させている。それは、現在の多くのペインターが、多様なメディウムの実験の中で、自身の画風を確立するようなことではなく、自分が描きたい世界が確固としてあり、それを実現するために、正確に選ばれた画材と言ってもよいだろう。

 

クリエイティブセンター大阪(CCO)2階 展示風景 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

『変身』より 糸あやつり人形 2021 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

『変身』より 糸あやつり人形 2021 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

今回、谷原は、2013年の大学院時代の作品から現在に至るさまざまな作品を、名村造船所跡地の総合事務所棟の2階、3階、4階を使用して展示したが、画家がこの空間を使うことは極めて難しいといえる。そもそも造船所の施設としてつくられたものであり、美術館のようなホワイトキューブやライティング設備を有していない。しかし、インスタレーション作家であったとしても難しい空間を、今回、同世代のキュレーターの檜山真有とともに、「彼岸の空間」「ざわざわとした不安と怖さがまとわりつく展覧会」にうまく仕上げていた。

《±7》(2013) 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

《ごらん、世界は美しい》(2022) 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

《どこかでラッパが鳴っている》(2021) 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

それはベルベットという黒地が、美術館のような明るい空間よりもむしろ薄暗く、古びた場所に向いているということもあるだろう。絵画作品を見るというより、現在、北加賀屋で制作をしている谷原が、暗闇の中で見ている幻視、奇譚を追体験するという趣向になっており、その生々しさに触れられるようになっていた。化粧室の鏡の上に貼られた、カフカの『変身』を原作とした人形劇のために描いたデザイン画や、暗い部屋に浮かぶあやつり人形も、世界観をうまく演出していた。実は、2階から3階に直接行くことはできず、4階から帰る途中に見る仕掛けになっていた3階のロッカーの中には、谷原が暗闇を見るきっかけとなった人物の肖像画が閉じ込められている。ここで結局のところ、幻よりも生きている人間が一番怖いことを再確認させられるのである。

《私は未だ地獄にいる》(2013) 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

個人的に大きな絵画で一番関心を持ったのは、ルーヴル美術館の前で神輿を持つ妖怪のような人々を描いた作品である。我々が洋画を獲得し、西洋化、近代化したと思ったのはまさに幻想に過ぎず、西洋美術の中心ともいえるルーヴル美術館にタオルを巻いた女性や日本の制服を着た少年、土着的な妖怪が群れをなしている様子は、まさに抑えられた近世が噴出したような印象を受けた。展覧会のポスターやフライヤーに採用された制服を着た男女が学校のプールに上で重なり溶けていくような作品《無常》もまた、新たな牢獄、監獄化した学校の闇を描いているように思える。

クリエイティブセンター大阪(CCO)4階 展示風景 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

《無常》(2022) 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

《無常》(部分)

《bye-bye,paradise》(2016) 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

《bye-bye,paradise》(部分)

《bye-bye,paradise》(部分)

クリエイティブセンター大阪(CCO)3階 展示風景 撮影:福永一夫 courtesy of MEM

今日、「奇譚」といった言葉が使われたり、「鬼」や「妖怪」が漫画やアニメなどの物語によく登場するのも、近代化こそが幻想に過ぎないという実感があるからだろう。また、新型コロナウイルスや放射線などによる人間の恐怖や対立も、近代以前の「妖怪」そのものでもある。そのような人々が生んだ幻想の世界を描いたといことで言えば、フジタが晩年に描いた宗教画に通じるかもれない。カトリックに改宗したフジタ自身も登場して神の世界を描いているが、いっぽうで地獄とも思える場面では妖怪や鳥獣戯画のような日本的な要素が見え隠れしている。

千鳥文化 展示風景

《目が充血した人》

《毛皮の人》

《マチアス》

《スカーフを巻いた人》

さらに、絵画もさることながら、千鳥文化に展示されていた渡仏時代のドローイングが目を見張った。確固たるデッサン力もさることながら、色のついた紙の地を活かして、さまざまな人種を描きわけており、肌の質を再現している。それは、フジタが大恐慌の影響でパリを離れ、中南米に旅をしたときに、画材が手に入らず、現地にある紙の地を活かして、現地の人々の肌や豊かな民族衣装の模様を描きわけていたことを彷彿とさせる。谷原もまた、渡仏当時、画材をどこで調達していいかわからなかったから、手に入るもので描いたと述べていた。そして、現地で見た人々を観察して描いたことにより、自分以外の人間を描くことができて、絵画の幅が広がったと語っていた。

谷原は、フジタのように、日本の技法を洋画に適用させて、西洋の中で画家として確立したい、というような野心はないだろう。しかし結果的に、新たな技法で洋画の中に日本的なモチーフを持ち込んで、洋画を開拓することに成功している。より世界が不穏になるなかで、人の心の闇はもっと深まるだろう。実際、渡仏時代に人種差別的な扱いを受けてその体験から描いた絵もあると語っていた。そのような社会の中で、谷原が描くモチーフはさらに多くなるかもしれない。しかし、闇の中に光るグリッターのように、生きているからこその怖さと美しさがあり、それをどのように描いていくのか、今後の展開も期待したい。

初出:『eTOKI』2023年3月20日公開。

著者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究、美術評論、ソフトウェアプランナー他。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行っている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹-色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。

https://etoki.art/

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