【特集】「国際美術展における政治性」大舘奈津子

最近、社会、政治をテーマにした展覧会が、ややネガティブな反応を引き起こす状況をソーシャルメディア上で見聞するようになった。顕著だったのは「第8回横浜トリエンナーレ」(2024年3月15日-6月9日)に対するもので、その多くが「政治的すぎる」といった批判である。

はて、政治的すぎるとは? 世界中の問題や抵抗についての作品や、 トマス・ラファによるデモ映像が数多く展示されていたからか、それとも旧第一銀行横浜支店会場におけるアジアの複数のコレクティブによる展示に対してだろうか。文化大革命や光州事件から香港の民主化運動など歴史を刻む出来事を、文学や美術といった芸術作品で結びつつ、現代の事象を示唆する至極真っ当な形式に基づいた展示と、カルチュラルアクティビストによる現在進行形の活動発表の並走は、芸術と政治の表象と行為の重ね合わせのような面白さがあった[1]。とはいえ、以下に示す田中功起が『ゲンロン』誌上にて指摘した今回のトリエンナーレに対する疑問は正当なものである。

アート作品に社会が反映されているとして、それが一体社会に対して何をもたらすのか、何を意味しているのか。[中略]社会批評を展開するトリエンナーレは誰のために、何をどのように示したかったのだろうか。[2]

確かに今回の「横浜トリエンナーレ」は社会を反映していたが、それが「直接的」に社会に何か与えたかと問われると、少なくともすぐには与えていない、と私も思う。ただしそれが問題であるとも私には思えない。美術も展覧会もどちらも種を蒔くような長期に渡る行為であるからだ。そして、直接的に社会に与える「行為」は美術の場において、多少なりとも広報的な意味合いは持つものの、それに抗い対立するかあるいは中立化されその効力を失うかに陥ることが多い。

2012年にドイツで開催された二つの展覧会における政治的な行為の例を挙げてみたい。「ベルリン・ビエンナーレ7」(4月27日―7月1日)と「ドクメンタ13」(6月9日―9月16日)である。その前年後半からニューヨークで始まった反グローバリズム運動、反格差運動としてのオキュパイ運動が「展示」されたものである。前者は「ベルリン・ビエンナーレ」のアーティスティックディレクターを務めたポーランド人アーティスト、アルトゥル・ジミェフスキが、オキュパイ運動(ニューヨークのオキュパイミュージアムの主導者らとベルリンの活動家)をビエンナーレの公式プログラムとして招待し、メイン会場であるクンストヴェルケの1階でトークやイベントなどを展開したものの、最終的にはその扱いが見世物的であるとして展示作家である活動家たちがビエンナーレ側を非難し、その批判が一般にも共有された。一方、「ドクメンタ13」では、オキュパイ運動に賛同する活動家たちがゲリラ的にフリデリチアヌム美術館前のメイン広場でテントを張って活動を開始し、その後別のグループが加わることで「doccupy」として展開したが、アーティスティックディレクターであるキャロライン・クリストフ=バカルギエフが会期から1ヶ月後の7月8日にこの「doccupy運動」を歓迎するメッセージを発表し[3]、ヨーゼフ・ボイスの精神に通じるものと称賛した。この公認化以降、抗議運動としての性格から変容し、広場という開放的な場所も相まって、その政治性は弱まり、平和的な美術イベントの一部になったかのようであった。政治的であり続けることで参加者が広がらず美術館という制度内で見世物化してしまった前者と、政治性を失うことで大衆化した後者、いずれも美術という枠組みの中で運動が政治性を持ち続けること、また大きく社会への広がりをもたらすことのいずれにも失敗した例である。田中が唱えた「誰のために、何を示したかったのだろうか」という指摘をここでのオキュパイ運動について当てはめれば、おそらく一般的な共感を得るための運動であったことは想像に難くないが、美術の一部に包摂されて終わってしまったと言えよう。

同じカッセルの地で社会に確実にインパクトを与えたと感じられたのが、2022年の「ドクメンタ15」である。各地で社会的な実践を行っているコレクティブが数多く参加し、当事者による実践をカッセルに持ち込んだことで従来にはない不和や異化は確かに生まれた。そもそもの制度から問い直した「ドクメンタ15」の内容や経緯については、三上真理子による詳細かつ秀逸な記事が出ている[4]のでここでは深く触れない。また、批判の元となったドクメンタにおける反ユダヤ主義について杉田敦が詳細に歴史を追って執筆した記事もある[5]。

「ドクメンタ15」の先駆性は何か。オクウィ・エンヴェゾーが先鞭をつけたとも言える脱植民地主義に立脚した「ドクメンタ11」が、非西洋の作家の作品によって構築、体現化され、それに続く複数の回では、それを踏まえてドイツ、ヨーロッパの負の遺産と向き合った。そうした経緯に基づいたものとして、今回の「ドクメンタ15」でようやく、インドネシアのコレクティブであるルアンルパにより、当事者による実践行為として立ち現れたことだろう。作品生成の過程を視覚だけに頼らず、実際に観客が体験する作品、もしくは作品になりかけたものたちがそこここらにあった。また、現代美術の展覧会で身体に染みついた読解や理解という鑑賞法を超えた感覚があった。オープニング時期に限らず、関係者がそこかしこにいて、作品について、またあらゆる主題について語りたくて仕方がない、という形で観客、いや参加者と関わる姿があった。雑多な場所は心地よく、どれが良いかとは簡単に言えないエネルギーの塊があり、眼前で目まぐるしく生み出される何かを目撃した、というのが一番近い表現かもしれない。おそらく観客それぞれ千差万別の体験があったのではないか。そうしたなか、メディア上で繰り返された「ドクメンタ15」を反ユダヤ主義とする批判の極度の盛り上がりは、私自身はその批判に完全に乗れなかった上、どのような解決方法があったのか、当時も今も見つけられないままでいる。

しかしながら、「ドクメンタ15」以前以後と言えるほど、この反ユダヤ主義をめぐる問題は尾を引いた。翌年2023年夏、フランクフルトで行われた「世界演劇祭2023」[6]において、「初の非西洋人女性ディレクター」として就任した相馬千秋が、これまで彼女が協働してきたアーティストたちとの演目を中心としたプログラムを組み、成功を収めたものの、実現の過程で主催者側から「反ユダヤ主義をめぐる炎上対策」という名目の介入があったことを明らかにしている[7]。

これら二つの芸術祭は「横浜トリエンナーレ」に対して行われた批判のような国際展もしくは演劇祭のようなイベントが「政治的か否か」を論じるまでもなく、それ自体が「政治的」なものとなってしまったものである[8]。

この傾向は2023年10月7日のハマスによるイスラエル攻撃以降さらに強まることとなる。「ドクメンタ15」や「世界演劇祭」での出来事は伏線でしかなかったと思われるほど、その後のイスラエル軍による過剰な攻撃に対して、もしくは10月7日以前にも存在したパレスチナ占領に反対するためにパレスチナ支持を表明することが欧米を中心とした芸術機関および教育機関でさらにタブー化し、それ以前の2019年から反ユダヤ主義としてドイツ議会が問題視していたBDS運動に関わっている芸術、教育関係者は明確にキャンセルカルチャーの対象となっていく。個展の取りやめ、レクチャーのキャンセルなど公になっているものだけでも数多くある[9]。もちろんそうした状況に反対する国際美術館会議からの声明 [10]なども発出されたが、公にならないまま不可視化されたキャンセル、解雇、機会喪失の例はおそらく数えられないほど多いだろう。

こうした欧米の状況を見ながら、遠く離れた極東の地で政治的な展覧会が忌避される状況を考えると、それ自体が特権的であることへの無自覚さは顕然たるものがある。政治的な展覧会だけではなく、そうした場における政治的なアクションも疎まれ、2024年3月11日、国立西洋美術館で開催された「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」の内覧会における出品作家他アーティストを含む市民からの抗議活動[11]に対する非難は、同じ展覧会の出品作家からも起こった。この活動に参加したアーティストの遠藤麻衣は、インタビューで次のように語っている。「イスラエルの攻撃を何とか中止させたいと願って参加したのですが、美術館の中でゲリラ的に抗議活動をしたことに『過激すぎる』『暴力的だ』との批判が来ました。『作品を鑑賞する時間を奪った』『美術館に迷惑をかけるな』とも言われました。私たちが何を主張したかよりも、どのような仕方で実施したかの方に批判が殺到したのです」[12]。

国際展に話を戻す。2024年8月17日から10月20日まで開催された「釜山ビエンナーレ」は、国際美術展として、「ドクメンタ15」に応答するものであり、欧州において向けられた非難とは対照的に、展覧会を通じてその内容やコンセプトにはっきりと支持を打ち出していた。アーティスティックディレクターを務めたベルギー出身の美術史家のフィリップ・ピロットとニュージーランド出身のキュレーターのヴェラ・メイは、「Seeing in the dark」をテーマに暗黒時代とも言える現代のなかで、自らの立ち位置を再度想像することを試みた。

メイン会場である釜山現代美術館の入口近くには、「ドクメンタ15」で「ユダヤ人を揶揄する絵」を描いたとして作品People’s Justice (人民の正義)(2002)が撤去されたタリン・パディによる新作Memedi Sawah/ Scarecrow Installation(2024)、また、その隣では2011年に結成されパレスチナとベルギーで活動し、同じくドクメンタ15に参加したサブバーシブ・フィルムによる新作An Exercise in Assembling(2023-)が展示された。タリン・パディの新作は直近のインドネシアの大統領選挙に伴った主食である米の急激な価格上昇に応答したもので、農民への連帯を示すものであった。

「ドクメンタ15」でのサバーシブ・フィルムの展示は、1960年から80年代に制作されその後、日本のパレスチナ連帯団体によって東京で保管されていたパレスチナについての16ミリフィルム20本の記録映像について修復、デジタル化を主導した研究プロジェクト「Tokyo Reels」[13]をインスタレーションとしたものであった。しかしこれは、会期終了間際にドクメンタ諮問委員会から展示中止勧告が出され、それに対しルアンルパをはじめとするルンブンコミュニティはこの勧告を拒否、結果的に展示は継続された。今回、釜山で展示された新作は、「cinéma de combat(闘争の映画)」を集め、編集したもので、政治闘争だけではなく、学生運動、ジェンダーをめぐる運動、反資本主義運動などあらゆる運動の記録映画を集め、キャプションを入れたものである。運動そのものについての理解だけでなく、映画がどのように記録をしてきたかが垣間見られるものであった。この親密さを併せ持った闘争の記録映像の集積は現在進行形で活動する人々へのメッセージとも受け取れるものであり、またタリン・パディの作品と同じくこれまで無視されてきた学生、農民を含む人々への連帯を可視化している。

ビエンナーレには他にも、1989年の韓国、現代重工業でのストライキを題材としたホン・ジンホンによるDouble Slit(2024)や石川真生大琉球写真絵巻(2023)など当事者が語る記録や、さらには地域の知られざる歴史を扱った、ディナ・ノメナ・アンドリアリマンジャによるマダガスカルの歴史を紐とき、刺繍やテキストから構成した作品A la recherche des Betia(べティアを探して)(2023)、また一方で詩的でありながら、政治性を帯びて見える陳暁云の作品により、政治が個人的なものに強く結びつくということが提示されていた。

「ドクメンタ15」をめぐる一連の騒動は、私を含むおそらく多くの非欧米出身者として欧米で芸術を学び、その後も欧米の動向を追ってきたものにとって、改めて自分の立ち位置を確かめる衝撃的な機会になったのではないか。脱植民地主義の理論を学ぶことは、特にアジアにおける日本の過去の植民地支配という加害の歴史問題と向き合うことでもあり、それを踏まえて歴史や社会を批評的に考察することを自らにも課してきた。そして、幸いにも最近はそれらについて率直に語り合えるアジアを中心とした知人、友人も増えてきた。また、パレスチナ問題については、足立正生、若松孝二の赤軍-P.F.L.P 世界戦争宣言(1971)、針生一郎が1977年に始めた「JAALA国際交流展」などの例を出すまでもなく、当時の国内メディアにおけるパレスチナ解放機構(PLO)やヤーセル・アラファトの取り上げ方なども含め、常に論ずるべき重要な問題だったはずである。自らが過去に学んだ歴史を振り返ってももちろんそこにはアウシュビッツ訪問も含まれるのであるが――タリン・パディの図像から発した「ドクメンタ」全体への感情的とも思える批判は、欧米を中心としてきた現代美術の言説や制度における政治性の偏りがそもそも欧米出身ではない自分に理解できるものを超えていたことを確認する作業でもあったように思えた。

「釜山ビエンナーレ」の数週間後に開始した「光州ビエンナーレ」の訪問ではさらにその思いを強くした。前回より「ヴェネツィア・ビエンナーレ」を模してか、国別パビリオン方式が導入され、それぞれの国で、手を挙げた機関が担当するパビリオンが市内に散らばっている[14]が、メインの企画展はフランス人キュレーター、ニコラ・ブリオーによる「Pansori, a soundscape of the 21st century 」と題された展覧会であった。「光州ビエンナーレ」は、これまで、その土地の性格から民主化運動とは切っても切り離せない作品を展示し、アジアの中でも最も政治的な展覧会を続けてきたと言って良い。しかしながら、今回の展覧会は光州の歴史から遠く離れただけではなく、今、私たちが生きている現実社会からも逃避しているように見えた。政治的事情は事象として提示されるのみであり、全体として音を通じたコスモロジーや人新世におけるアートが全面に押し出されている。ビエンナーレホールの最後のセクションは「Primodial Sound」と名付けられ、世界がミクロな分子によって無限に広がることについて考察している。

「ドクメンタ15」に対して、「単調」であり、「アートの文法という観点から見るとミススペリングだらけだった」と批判した[15]キュレーターは、社会へのコミットよりは展示の完成度を優先させたのだろうか。そもそものアートの文法を作ったのは誰かというルアンルパが打ち立てた問いを理解しないまま、展示の美学性が優先されたであろう「光州ビエンナーレ」は、私にとっては、ふわふわした夢世界のようだと感じてしまったが、それはおそらく私の美学的な理解と知識が不足しているのだろう。人新世で語られる人間と自然との「共存」は時にして人間という特権的な立場からの、同じ言葉を持たない自然に対する、人間にとって都合が良い提案が含まれている、と私自身は疑っている。同様に、ポストコロニアルスタディーズに対して懐疑的なキュレーターの言葉は彼がいう文化的なハイブリッドとしてのクレオール化を語るときにやはりその特権的な立場について考えることはなかったのだろうか? 大局的に見るもしくは俯瞰することができることそのものが移動の自由を持たない人々、もしくは自ら求めていないにもかかわらず、紛争や気候変動など、様々な理由で移動せざるを得ない人々を無視することにはならないのだろうか。世界最強のパスポートのひとつを保持する我が身を振り返りながら、芸術と社会、芸術と政治の関係について考えることが自らの責務であることを強く思う。そして、今後はそれをいかに行為として実践できるかでもあり、その可能性は私を含めた個々人の意志にかかっている。

 

 [1]第8回横浜トリエンナーレの内容については筆者レビューを参照のこと。大舘奈津子「第8回横浜トリエンナーレ『野草、いま、ここで生きてる』」『ART iT』(2024年6月30日公開)https://www.art-it.asia/top/admin_ed_exrev/250643/

[2]田中功起「アートを再考し、朝ご飯を作る 4月1日から8月23日(連載 日付のあるノート、もしくは日記のようなもの 第18回)」『ゲンロン』17号、2024年9月、222-231頁。

[3] ドクメンタ13公式ウェブサイトよりhttps://d13.documenta.de/#press/news-archive/press-single-view/?tx_ttnews%5Btt_news%5D=159&cHash=e26d0c1a6f7cd3f67904003cbb2aeb33

[4]ドイツ在住の三上真理子による開始直後と終了後の公式報告書について、執筆時期が違う二つのオンライン記事に詳しい。三上真理子「時代の転換点に立ち、大きく歴史をゆるがすドクメンタ15。西洋型アートからの脱却と反ユダヤ主義問題をめぐる現状とは」『bownd bow』 (2022年7月8日公開)http://boundbaw.com/world-topics/articles/148。三上真理子「『アート』は解放と抵抗の土壌となりうるか ドクメンタ15の反ユダヤ主義問題から『インクルージョン』を考える」『tobotobo』(2023年6月30日公開)

https://tobotobo.org/2023/06/30/202306_marikok/

[5] 杉田敦「【特別連載】杉田敦 ナノソート2021 #02:ドクメンタを巡るホドロジー(前)」『ARTiT』(2023年3月3日公開)https://www.art-it.asia/top/contributertop/admin_ed_columns/232708/

[6]「 世界演劇祭(Theater der Welt)」は国際演劇協会(I T I)ドイツセンターが主催する国際演劇祭で1981年に開始、現在は三年に一度、毎回ドイツ国内のいずれかの街が主催都市となる。第16回目となる「世界演劇祭2023」はフランクフルトで2023年6月29日から7月16日までフランクフルトで行われ、芸術公社の相馬千秋がプログラムディレクターを務めた。

[7]相馬千秋「世界演劇祭テアターデアヴェルトを自己批評的に振り返る」『新潮』、2023年12月号

[8] 同じような状況として、私自身も当事者として関わった「あいちトリエンナーレ2019」も同様であり、芸術について政治そのものの介入が行われる。その状況下では、署名活動やアーティストたちによる再開のための動き(ReFreedom Aichi)などと比べると、批評や言論は無力化し、できることはその記録をとる、という形でしか機能しなくなる。

[9]2024年にドイツの美術館で予定されていたキャンディス・ブレイツが個展キャンセルとなった。Philip Olterm “Interview; A frenzy of judgement’: artist Candice Breitz on her German show being pulled over Gaza”

, Guardian、2023.12.7. https://www.theguardian.com/artanddesign/2023/dec/07/a-frenzy-of-judgement-artist-candice-breitz-on-her-german-show-being-pulled-over-gaza。バービカンアートセンターは作家パンカジ・ミシュラのトークをキャンセルした。Lanre Bakare “Barbican backs away from hosting talk about Gaza war”, Guardian、2024.7.6. https://www.theguardian.com/culture/2024/feb/06/barbican-backs-away-from-hosting-talk-on-alleged-israeli-genocide-in-gaza

[10]キャンセルカルチャーに対して反するとした国際美術館会議(CIMAM)の声明。事例も多く掲載されている。https://cimam.org/resources-publications/cancellation-and-censorship-in-times-of-war/(2024年1月15日公開)

[11] 「国立西洋美術館初の現代美術展にて、飯山由貴ら出品作家有志を含む市民が、同館オフィシャルパートナーの川崎重工によるイスラエルからの武器輸入に対して抗議」『ART iT』(2024年3月11日公開)https://www.art-it.asia/top/admin_ed_news/245449/

[12]塩倉裕「遠藤麻衣インタビュー フェミニストを怖いと私に思わせたのは誰 今考える『強さ・過激さ』」『朝日新聞デジタル』(2024年11月5日公開)https://www.asahi.com/articles/ASSC12CM0SC1UPQJ00JM.html

[13] Julian Ross, “Tokyo Reels: The Solidarity Image”, Afterall 57, Palestine and the world. https://www.afterall.org/articles/tokyo-reels-the-solidarity-image/(2024年9月24日公開)

[14]日本パビリオンは今回福岡市が主催し、山本浩貴キュレーションによる二人展。「私たちには(まだ)記憶すべきことがある」として内海昭子と山内光枝のインスタレーションを展示した。

[15]浅田 彰+⼩崎哲哉+島袋道浩+都留ドゥヴォー恵美里「ニコラ・ブリオーとの会話」Real Kyoto Forum & Interview, ICA Kyoto, https://icakyoto.art/realkyoto/talks/87254/ (2023年2月17日公開)

※すべてのウェブページは2024年11月10日閲覧