Breads and Noodles_Performance

金仁淑のやわらかな意志のスタイル

 スーザン・ソンダクが「今日の芸術における、二つの主要なラディカルな立場を考えてみる」ものとして、「一つはジャンルの区別を取り壊すことを推奨する」、「もう一つの立場は、個々の芸術が持っている鮮明なあり方を強調すること」の二つのラディカルな立場について1966年に述べた。

 金仁淑(キム・インスク)の作品をこの数年間見てきて、その核にあるものは何かと考察しているうちに、スーザン・ソンタグの言葉を思い出していた。
 金仁淑は、2024年の木村伊兵衛写真賞を、受賞した。同賞が始まって以来初めて「写真」ではなく「映像」作品が評価された。審査員の全員一致の審査結果だった。この写真賞に映像を主体とした作品が選ばれたことも初めてなら、48回の同賞受賞者のなかで初めて日本国籍以外の作家ともなった。
 彼女が受賞したことによって、同賞も開けた。
 ソンタグが写真論のなかで、ダイアン・アーバスの言葉を引用したように「写真は行きたいところへ行き、したいことをするための免許」というのは、このようなことではないだろうか。

 受賞対象作品は東京写真美術館の2023年の恵比寿映像祭(2023年2月3日-19日、21日-3月28日)で展示された「Eye to Eye」と、Gallery MOMOで展示された写真と4チャンネルのビデオで構成されるインスタレーション作品「Between Breads and Noodles」2023年2月25日- 3月25日)の二作品である。
 東京都写真美術館がすでに写真だけを扱う美術館ではないように、木村伊兵衛写真賞が同様に写真だけではなく映像作品を対象としたことは、それが初めてのことであっても、また表現の世界全体を見渡しても、すでにそれほど劇的な変化とは思えない。
 つまりそれはスーザン・ソンタグが、著書「ラディカルな意志のスタイル」で語った諸芸術における二つのラディカリズムのうち、「ジャンル間の区別をなくす」ことであるのだが、ソンタグが指摘した芸術表現の二つのラディカリズムは、当時は、その違いは歴然としていた。しかし現在ではジャンル間の区別は曖昧なものとなっている。しかも、それもラディカリズムの結果としてそうなったわけではない。

Eye to Eye_MOT2024_01

作品名《Eye to Eye, 東京都現代美術館 Ver.》
10チャンネル・ヴィデオインスタレーション、東京都現代美術館、2024年
提供:金仁淑

  

     写真と映像の区別は制作者の意識によっても変化する。デジタルカメラの登場とともに顕著になったことでもあるが、すでにデジタル・カメラのビュアーの中では、静止画と動画の違いは、時間の連続性の有無にすぎなくなっている。(もちろん本来の写真術には、時間性だけではなく、光学的あるいは化学的なさまざまな技法があり、プリントにも技巧を要するし、そういう固有の鮮明さもある。)
 このような表現分野の区別に関する越境的な現象は、技術の問題だけではなく、文化の越境でもあって、2011年第23回高松宮殿下記念世界文化賞で、ビデオ・アーティストのビル・ヴィオラが「絵画部門」で受賞したことにも現れている。同賞には「映像部門」があるにもかかわらず、ヴィオラの受賞は「絵画部門」であった。
 ソンタグが言った「ジャンルの区別を取り壊すこと」は、いまや取り立てて持ち出されることは少ない。

 そうするともう一つのラディカリズムである「個々の芸術が持っている鮮明なあり方を強調する」ということはどうなのだろうか?これもソンタグが60年代に念頭としていたものからは大きく変化している。
 写真と映像のそれぞれ「個々の芸術」で強調される「鮮明なあり方」についての設問が果たして成り立つのだろうか?
 この問いは、<写真でなければ成立しない表現はあるのか>に置き換えられるだろう。ここではまず「写真」は静止画でプリントされたものである。これより他の条件は多様であり、カメラとレンズの設定はどうであるか、光学的にフィルムを使っているのか、デジタル記憶媒体を使っているのかを筆頭に、さまざまな手法が控えている。伝統的な技法、あるいはそれに新たな工夫を加えたもので「鮮明なあり方」を追求するべきものがあるだろうし、その上でテーマの可能性はいくらでも開けている。ただこれは「写真」という表現にこだわる者のみのものであるだろう。

 金仁淑の木村伊兵衛賞受賞作品の一つである10チャンネル・ビデオ・インスタレーション作品「Eye to Eye」は、東京都写真美術館での展示後、東京都現代美術館の「翻訳できないわたしの言葉」展(2024年4月18日〜7月7日)で展示された。
 これは、Gallery MOMOで発表されたビデオインスタレーションと写真で構成された「Between Breads and Noodles」とともに、彼女の最近の表現スタイルの定番になっている。
 さらに後者のドイツでの展覧会では、アジア6カ国から集めた40種類、2000個の即席ラーメンを積み上げてタワーを作った。観客は、どれも同じように見えるアジア各地の即席ラーメンの包装だが、観客はそれらを選んで、その場で食することができる。食べることで、アジア各地の違いを文字通りに「味わう」ことができた。

こういう彼女の表現のラディカルな側面を考えてみよう。これはソンタグが持ち出した表現技術の原点的な差異のラディカリズムだけではなく、ラディカルな社会との対峙のしかたでもある。

 「いろんな角度から見つめてみる必要がありませんか?いろんな角度から出会うのが楽しいと思いませんか?」と、彼女は国際放送されたテレビ番組インタビューで語っていた。

 「いろんな角度」から、表現も、社会も見えてくる。
 彼女の最近のいくつかの作品のシリーズは、アイデンティティidentityをめぐるものだ。アイデンティティの対義語を探すのは難しく、この言葉は、むしろアイデンティティ・クライシスidentity crisisのように、他の言葉と組み合わせて概念を形成することが多い。あるいはアイデンティティ・ポリティクスidentity politicsのように、ジェンダー、人種、民族、性的指向、障害の有無などの特定のアイデンティティに基づく集団の利益に基づく政治活動を意味する。

 東京都写真美術館、東京都現代美術館で展示された「Eye to Eye」は、滋賀県にある日本在住のブラジル人の子供達が通うサンタナ学園という学校の校長や生徒、児童たちと関係性を作りながら、学校の日常を垣間見る二つの映像と全校生徒と先生を撮影した「ビデオポートレート」で構成されたインスタレーションである。
 サンタナ学園の校長中田ケンコ先生は、日本人の両親のもとでブラジルで生まれたブラジル国籍の在日ブラジル人である。ケンコ先生との対話は、「在日」、つまり日本に暮らすことの共通項についての二人の会話によって、この言葉のニュアンスが際立つことになる。
 日本と海外でルーツを持つ「日系外国人」の場合は「定住者」の在留資格を取得でき、日本に無制限に滞在することができる。定住者ビザは期間的な就労制限がなく、工場などでの就労も認められている。
 滋賀県では産業の約4割を製造業が占めており、工場などで働く外国人労働者やその家族が多く暮らしている。そのうち、2022年時点では、ブラジル人が9,281人と、外国人人口の26%近くを占め、最も多い。
  日々忙しく働く日系ブラジル人社会で、不安定な条件で働くことも多い両親たちのもとで、子供たちの居場所がないのに気づき、乳幼児から18歳の子供をあずかり、ブラジル語で学びながらいられる場所としてサンタナ学園を設立した。
 外国籍の子どもが外国人学校に入学すると日本の教育制度からは離れることになる。また幼児の場合も、子ども・子育て支援制度から外れ、幼児教育・保育の無償化制度からも対象外になる。そのほかにも指導監督基準を満たすかどうかと存立に関わるような問題を抱えている。そういうことに対処しながらも、ケンコ先生は、子どもたちの家まで送迎バスを長い距離を走らせている。運転する彼女との対話は、苦労しながらも精力的に働くケンコ先生の意志の強さを感じさせる。
 この国は、必要な労働力を海外から受け入れざるをえないが、働く人たちの生活の受け皿は用意しない。そういう状況が映し出されている。
 金仁淑の作品からは、いろんな角度で「国」「家族」「生活」が見えてくる。

 一方、彼女は、済州島出身の祖父母、在日コリアンの父、日本人の母のもとに生まれ、20代半ばから40歳まで韓国で暮らした経験がある。
 大学時代からのつきあいの新郎も登場する彼女自身の結婚式の様子を記録した「The Real Wedding Ceremony」という映像作品には、地元の関西で行われた結婚披露パーティーと、韓国で行われた伝統様式の儀式の様子が出てくる。パーティーには、在日コリアンの友人たちも集まり、歌や踊りの大盛り上がりを見せる。南北それぞれに縁のある友人たちがパーティーの場で出会って、興味深くお互いのことを話しあっていたりする。このはしゃいだ披露宴とは対照的に、韓国で挙式した伝統様式の結婚式場面に転換する。しかし実はこの結婚式は、伝統的な要素をベースに自分たちの創意を組み込んだハイブリッドなものだったのだ。ここでは伝統の服装を身につけ、神妙な様子の新郎新婦たちの表情が映し出されている。結婚という人生の節目も、伝統や現代や国境線や様々な軸で回転して、いろんな角度で見えてくる。

The Real Wedding Ceremony

作品名《The Real Wedding Ceremony, Actors♯2》
インクジェットプリント 118x160㎝、2010年
インスタレーションビュー、BUoY、2021年
提供:金仁淑

 「Between Breads and Noodles」では、国家政策に基づいて1963年から1977年の間に、およそ8千名の炭鉱夫と1万名の看護師として、 韓国から西ドイツに渡った人々がいる。その彼らと後の世代のアイデンティティの変化を捉えたものである。
 この作品は、主に写真と映像とインスタレーションで構成されている。この作品では、ドイツに移住し、家族を持ち、生活している韓国出身の人々を描いている。同時に、背景にある制度などの外的要素も垣間見えてくる。例えば、ドイツ国籍には、血統主義と出生地主義の二軸がある。まず両親のいずれかがドイツ国籍であれば、出生と同時にドイツ国籍を取得できる。外国人の場合は、2001年の移民法改正により、ドイツに永住意志のある外国の両親を持つ子供でドイツで生まれた者は、出生と同時に両親の国籍と同時にドイツ国籍も自動的に付与される。

Breads and Noodles

作品名《Between Breads and Noodles》 Performance
ビデオインスタレーション、Gallery MOMO、2023年
提供:金仁淑

 写真と映像で、このドイツ在住の数世代の韓国人家族の様子を描いている。そこにはドイツ人も家族の一員に受け入れられている。
 さらに先述したドイツでの展覧会には、屹立する即席ラーメンのタワーのインスタレーションがあり、ヨーロッパにおけるアジア人のアイデンティティや個人性を、ラーメンを食べながら味わうこともできる。それは同時にヨーロッパのパンと、アジアの麺との間にある文化を感じるものでもあった。
 「Eye to Eye」と「Between Breads and Noodles」という二つの受賞作品から見える金仁淑作品の骨子は、彼女が「いろんな角度」にあわせている焦点の先にある。


 写真か映像かというような表現領域の差異を問うことは、個別分野を除いて、すでに意味を失っている。
 国境、文化、民族、都市、制度、情報、生活などを、やわらかさと根源的(radical)な姿勢のメディア・オリエンテッドで多様な表現で見せていくのが彼女のスタイルだ。

 

後記:
 スーザン・ソンタグが初めて日本に訪れたのは1979年で、韓国では朴正熙大統領暗殺事件があった時だった。事件後にクーデターを指揮して軍の実権を握った全斗煥が翌年に非常戒厳令を発令する直前だった。韓国で起きていることを調査するのが目的だったようだ。
 その訪問時、彼女が早朝の魚市場の様子を見たいと言っているという友人からの知らせで、未明に車を走らせて築地まで一緒に出かけたことがあった。
 今年、再び、韓国では12月3日に戒厳令が発令された。市民の迅速、圧倒的な抗議で数時間で終結した。

 

著者: (OKI Keisuke)

アーティスト/クリエイティブ・コーダー/ライター、多摩美術大学卒業(1978)李禹煥ゼミ。カーネギーメロン大学SfCI研究員(97-99)。ポスト・ミニマル作品を発表する一方、ビデオギャラリーSCANの活動に関わり公募審査などを担当。今日の作家展、第一回横浜トリエンナーレ、Transmedialeなどに出展。第16回「美術手帖」芸術評論佳作入選、Leonardo Vol. 28, No. 4 (MIT Press)、インターコミュニケーション(NTT出版)などに執筆、訳書に「ジェネラティブ・アート Processingによる実践ガイド」