Colorsからはみ出した色の可能性「カラーズ ― 色の秘密にせまる 印象派から現代アートへ」ポーラ美術館 三木学評

川人綾作品 展示風景

「カラーズ ― 色の秘密にせまる 印象派から現代アートへ」
会期:2024年12月14日(土)~ 2025年5月18日(日)
会場:ポーラ美術館

昨年末、2023年12月16日から2024年5月19日まで、ポーラ美術館で開催されていた「モダン・タイムス・イン・パリ 1925 ― 機械時代のアートとデザイン」展の内覧会に行った。展覧会と並行して、ポーラ美術館、国立情報科学研究所、東京藝大、東京大学、京都大学という国内においてこれ以上ないという組み合わせで実施した、レオナール・フジタ(藤田嗣治)の共同研究の成果を展示できることになったからだ。私は研究協力者のひとりになっており、ポーラ美術館と国立情報科学研究所などのパイプ役になっていたことから、視察として見に行くことになったのだが、作品返却の日と重なった担当学芸員の内呂博之さんも、国立情報科学研究所の研究者チームもその日に参加することができず、多くの記者やライター、評論家に対して、一番内容がわかっているから…という理由で、急遽私が解説することになったのだ。

たしかに、紫外線を使用した蛍光成分の調査と、デジタル技術を用いた非接触による層の分離、赤、青、緑に蛍光発光する白色顔料を使用して、フジタが編み出したであろう質感再現の手法、肌の表面反射、内部拡散の類似性といった芸術的にも、科学的にもやや込み入った話をするのは、研究に参加した者ではないと難しかったかもしれない。ともあれ、研究代表者ではないのだが、プレス対応をすることになり、多くの記者からの関心をもたれ、『ウェブ版美術手帖』[1]や『日経新聞』[2]などに掲載されるようになったのは幸いであった。

それから丸1年後、実はまたポーラ美術館に関係者として行くことになった。正確に言うと関係者としてポーラ美術館に行くのは3回目で、2021年4月17日から9月5日まで開催されたレオナール・フジタの「フジタ 色彩への旅」展に色彩分析を担当し[3]、その内容をカタログに寄稿したからだ[4]。そしてコロナ禍の展覧会であったため、トークイベントが行えず、内呂さんと映像配信を行うことになったのだった[5]。多くの美術関係者は、フジタがマティスのような色彩画家だとは思わない。むしろ色彩を使用せず、白と黒を中心に、「グラン・フォン・ブラン(素晴らしき白)」、「乳白色の肌」といった質感表現を行ったことで知られている。

ただ、「フジタ 色彩への旅」展は、1930年代にフジタがフランスから南北アメリカを縦断し、その後、日本に帰国後もアジアを旅して、色彩豊かな表現をした時代にフォーカスを当てた展覧会だった。そこでその特徴を色彩研究家の観点から分析してほしいという依頼だったのだ。結論的には、フジタの配色は、西洋的な対比のメソッドを明確に意識して描いたものだと思われた。同時に、1920年代の「乳白色の肌」「乳白色の下地」の表現は、私が開発に携わった色の立体的な分布をみるソフトでは難しいことは明白だった。そこで、やり残した課題として、フジタの1920年代の表現の秘密を継続的に調べたいという思いもあって、長年、質感研究のチームを率いている生理学研究所の小松英彦名誉教授に相談し、国立情報科学研究所の佐藤いまり教授の研究チームをご紹介いただき、本格的にフジタの1920年代の質感表現を調査できるようになったのだった。

前置きは長くなったが3回目となる今回は、「カラーズ」展という色彩をテーマに、ポーラ美術館のコレクションを中心に、印象派から始まるモダンアートと現代アートを接続する試みで、特に現代に関しては、現役の日本国内の作家を多数紹介する意欲的な展覧会である。私は、1970年代から作家活動を続け、ドナルド・ジャッドと出会い、桑山忠明と長年交流を続け、近年高い評価を得ているアーティスト、前田信明さんとのオープニングトークイベントの聞き手として呼ばれ、同時にカタログにも、色彩科学の発達が近代から現代の芸術に与えた影響について寄稿することになった。

これだけ現役の作家を招聘して展示するのはかなり大変だったと思うが、まさに今、力のある絵画を中心にした作家たちが集い、なかなか見ることができないものになっていると思う。現役の作家を挙げてみると、杉本博司、ゲルハルト・リヒター 、ベルナール・フリズ、前田信明、草間彌生、ヴォルフガング・ティルマンス、丸山直文、グオリャン・タン 、山口歴 、流麻二果、門田光雅、坂本夏子、山田航平、川人綾、伊藤秀人、中田真裕 、小泉智貴 、山本太郎と大御所から若手まで錚々たる顔ぶれである。なかでも多くの作家が新作を制作し、設営のために会場に訪れており、活気に満ちた展覧会になっていた。写真やファッションに加え、漆芸、磁器といったファッションや工芸分野までも包含する展覧会であったが、特に絵画の作家が多かったのは間違いない。

絵画は近年、美術館で取り上げられることが少なくなってきている。現代アートの主流は、インスタレーションやリサーチベースの作品、あるいは地域共同体と協働するような作品が多く、絵画や彫刻といったオーソドックスな形式の表現は、取引がしやすいこともあってアートフェアなどで扱われるようになっているが、逆に市場と距離をとる美術館からは敬遠される傾向にあるからだ。

ただし、美術館においても絵画や平面作品のすべてが旧態依然としたものになっているわけではなく、ゲルハルト・リヒターやベルナール・フリズのように、常に絵画に革新をもたらしているアーティストもいる。本展は、断絶があるように見える芸術の歴史に、色彩によって一気通貫につなげようとする試みだといえる。実は昨年、同じく内呂博之さんが中心となってキュレーションした、「日本画」をテーマにした展覧会、「シン・ジャパニーズ・ペインティング」展が開催されていた。それは、明治以降にフェノロサや岡倉天心によって造られた「日本画」という形式が、世界的な現代アートの隆盛に飲み込まれ、ドメスティック化しているため、ある種役割を終えたかのように思われている状況を逆手に取り、「シン・ジャパニーズ・ペインティング」として、新たな可能性を追求する試みであった。残念ながら行く機会を失ってしまったが、すでに顔彩画の技法が中国はあまり伝承されていない中、ここに来て「日本画」は新たな可能性を帯びているのも確かだろう。確かに江戸絵画を過去のものとして捨ててしまい、大量に日本から流出してしまった二の舞は避けなければならないし、「日本画」の再評価も急務のように思う。

「シン・ジャパニーズ・ペインティング」が「日本画」の再評価としたならば、「カラーズ」はある意味で、同じく明治につくられた「洋画」の系譜の再評価を行うものといってもよい。前田信明、丸山直文、山口歴 、流麻二果、門田光雅、坂本夏子、山田航平、川人綾は、アクリル絵具を用いているケースも多いが、「洋画」の系譜にある作家たちといってよい。もちろん全員、団体展に所属しているわけではなく、インディペンデントで、現代アート、コンテンポラリー・アートの業界で活躍している作家であるが、大きな系譜で言えば、「洋画」の延長線上に位置しているといえるだろう。流麻二果などは、第1回文部省美術展で最高賞を受賞した《南風》(1907)で知られる和田三造の親戚にあたるのも興味深い。和田三造は、洋画科出身であるが、日本画、衣裳デザインの分野でも活躍し、東京美術学校の図案科の教授にも就任している。また、先駆的な色彩研究も行い、財団法人日本色彩研究所の前身となる日本標準色協会を設立しており、その当時に編纂した『配色總鑑』(全6巻・1933年~)は、再編され今日でも世界的に売れている。流は、過去の女性作家の作品の色を抽出して薄く塗り重ねる作品を発表しているが、明治以降の色の系譜をたどるものだといってよいだろう。

洋画の系譜といっても、流が忘却された女性の洋画家だけではなく、日本画家たちの作品をモチーフにするように、カラーフィールド・ぺインイティングやミニマル・アートの系譜のように見えて、その作品性は、屋外にカンヴァスを晒したり、ミネラル分が多い熊本の地下水を含ませた絵具を塗り重ねたりして仕上げられる前田信明の作品は、水墨画のような趣がある。山口歴や門田のようなブラッシュストロークの作品も、抽象表現主義的な作品に見えて、書のようなストローク性や独特の質感がある。そもそも日本の場合、「洋画」といっても、日本絵画の影響に加え、日本の気候風土などの環境やそれを反映した感性によって、非常に融合的なものであったことは確かであろう。川人綾は、織物のパターンや手法を絵画に転用しているが、印象派に影響を与え国立ゴブラン織工場の監督官であったミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールがゴブラン織から見出した対比の理論とは、異なる日本的な配色パターンを駆使している。「シン・ジャパニーズ・ペインティング」にも出品していた山本太郎にいたっては、「ニッポン画」を提唱しており、「日本画」よりもむしろ琳派などの江戸絵画と結び付けている。

全体的に色彩といっても、近代以降の西洋で特に意識されてきた対比的なものではないし、工芸作家である伊藤秀人、中田真裕、さらにファッションデザイナーでもある小泉智貴は典型的であるが、科学的に他の要素と分離された色彩ではなく、質感やその他の感覚や素材と密接に結びついた作品になっており、我々にとって色彩とは何かを考えさせられる。西洋中心主義の見直しが叫ばれている現在、西洋文化、近代科学を背景にしたColorsからはみ出してしまう「色」を強く感じさせる展覧会になっていると思うし、それこそが新たな可能性を拓くものだろう。

 

[1] 「藤田嗣治の「乳白色の肌」はどうやって生まれたのか?」『ウェブ版美術手帖』カルチュア・コンビニエンス・ストア、2024年2年18日。https://bijutsutecho.com/magazine/insight/28466

[2] 「藤田嗣治「乳白色の肌」、科学で迫る本来の姿」『日経新聞電子版』日経新聞、2024年2月16日。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD090A50Z00C24A2000000/

[3] 「色彩への旅/フジタの色彩を分析」『フジタ 色彩への旅』ポーラ美術館、2021年。https://www.polamuseum.or.jp/sp/foujita/o_202104_09/

[4] 三木学「フジタ―「色彩」と「質感」の旅」『フジタ 色彩への旅』求龍堂、2021年、p.184。https://allreviews.jp/review/5616

[5] 『フジタ―色彩への旅 オンライントークイベント』ポーラ美術館チャンネル。https://www.youtube.com/watch?v=8feNcA-bZNo

著者: (MIKI Manabu)

文筆家、編集者、色彩研究、美術評論、ソフトウェアプランナー他。
独自のイメージ研究を基に、現代アート・建築・写真・色彩・音楽などのジャンル、書籍・空間・ソフトウェアなどメディアを横断した著述・編集を行っている。
共編著に『大大阪モダン建築』(2007)『フランスの色景』(2014)、『新・大阪モダン建築』(2019、すべて青幻舎)、『キュラトリアル・ターン』(昭和堂、2020)など。展示・キュレーションに「アーティストの虹-色景」『あいちトリエンナーレ2016』(愛知県美術館、2016)、「ニュー・ファンタスマゴリア」(京都芸術センター、2017)など。ソフトウェア企画に、『Feelimage Analyzer』(ビバコンピュータ株式会社、マイクロソフト・イノベーションアワード2008、IPAソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤー2009受賞)、『PhotoMusic』(クラウド・テン株式会社)、『mupic』(株式会社ディーバ)など。

https://etoki.art/

https://docs.google.com/spreadsheets/d/1FaByUa6V7uskVGH5-0hZTdOiuLWxVr4f/edit?gid=291136154#gid=291136154

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