彩字記#3(採取者・市原尚士)

美術館トイレ内の掲示

東京都内の某公立美術館のトイレに入ったところ、壁面に設置されたコンセントに何やら不穏な気配の文字が記されておりました。コンセントの向かって右側にラベルライターで「固くお断りします」の8文字が貼られています。何のことやらさっぱり分からないので、10秒ほど凝視を続けて、ようやく意味が分かりました。

コンセントの向かって左側にラベルライターを剥がした跡があったからです。右側と比べた結果、どうやら9文字の言葉が書かれていたようです。推理した結果、「スマホ等の充電は、」と書かれていた可能性が高い気がしました。そして、美術館に立ち寄っては、ちょくちょく充電していた方が、その表示にムカついて、ベリベリッと左側だけ剥がしたのでしょうか?

都内某美術館トイレ内のコンセント

確かに他人様のコンセントを勝手に使用して充電する行為は、窃盗罪に該当します。しかし、スマホの電池はすぐになくなり、私も出先であわててしまうことはしょっちゅうあります。「どこかで充電しないとまずいぞ」と思ったら、コーヒーのチェーン店等に駆け込まざるを得ません。仮に金銭的に余裕のない方だったら、公共施設のコンセントに目が吸い寄せられてしまうのは仕方ない気もします。

この美術館には、盗電を常習行為としていた方がいたのでしょうか? わざわざ、美術館のトイレにまで足を運んで? 盗電するくらいですから、多分、お金を払って美術展を見ていた方とは思われません。フリースペースで本でも読みながら、スマホの電池が満タンになるまで待機していたのかもしれません。

美術館側としては、いつも同じ、特定の人物が、美術を鑑賞する訳でもないのに、盗電ばかりしているのを把握して、「けしからん」と考え、「スマホ等の充電は、固くお断りします」と貼ったのでしょう。

私は、美術館側の主張もよく分かりますが、一方で、盗電常習者の気持ちも分かります。商業施設も公共機関もスマホなしでは1秒も生きられないような世の中にしておいて、そのくせ電気はすべて個人負担でお願いします、というのはあまりにも一方的な主張だと思います。

経済的に厳しい方も世の中には多く存在するわけですから、行政機関を始めとする公共施設は、充電で困っている方に対しては、市民サービスの一環として、「充電をしに、お気軽に役所(美術館)に足をお運びください」くらいのことを言ってもいいと思います。

市民フレンドリーな姿勢を示せば、彼ら彼女らの抱えている悩みや不安をヒアリングする機会も増えます。充電を一つのきっかけにして、福祉をより充実したものにすればいいと思うのですが…。

図書館内の掲示

東京都内の某図書館内に掲げられた「おしらせ」を読んで驚きました。そこにはこう書いてあったのです。「当館ご利用のお客様より、『においのする人がいる』という苦情が寄せられています。下記の施設を利用するなどして、においを落としてからご来館されますよう、お願いいたします」。

都内某図書館内の掲示(部分)

におい、って何でしょう? 匂い、臭い、どっちでしょう? 想像すると、どうやら臭い、つまり悪臭のことを指しているものと思われますが、私は「知の殿堂」とでも言うべき図書館の方たちの無知さにびっくりしました。路上で長年、生活を続けている方は、ご自身の体が悪臭を放っていることをまったく知らないのです(分からないのです)。何にでもすぐ慣れてしまうのが人間存在です。徐々に体が臭くなっていくと、鼻が徐々に慣れてしまい、結果、自身の臭いに気が付かないのです。

私も学生時代、着の身着のままの野宿旅行をしていたことがあります。傘もなかったので、雨に濡れたら濡れっぱなし。太陽が乾かしてくれるのを待つだけで、ひたすら毎日50数キロを歩いていました。何だか生きていることがとても悲しかったので、自暴自棄のようになって歩いていたのですが…。

そんな荒行(?)を続けていると、1週間もたたないうちに、どうやら強烈な臭いを放っていたらしいです、自分の体は。でも、恐ろしいことに、自分では自分の「悪臭」にまったく気が付かないのですよ。ですから、悪臭を漂わせながら図書館を訪問する方は、100%、自分が臭いとは思っていません。かつて、同じような体験をしていた私なので、断言できます。

何でもすぐ慣れるのが人間。強制収容所にぶち込まれても、多分、すぐ慣れます。辛いことは辛いとは思いますが、慣れてしまうのも間違いありません。逆に言うと、何にでも慣れてしまわない限り、人は生きられません。ファシズムの吹き荒れる世界、秘密警察が常時、国民を監視する社会、親子同士が密告する世の中…何でもかんでもすぐに慣れてしまうのです、人は。悲しいことに。

「おしらせ」の中に書かれていた「下記の施設」とはシャワーを使える某施設のことを指していました。でも、その施設がシャワーを提供するのは、「月・水・金」だけです。火曜日や木曜日に図書館で本でも読もうと思い、足を運んだ「悪臭さん」はいったいどうしたらいいのでしょうか?

私は「悪臭さん」の“身内”のようなものなので、「臭い奴がいて、迷惑だ」と図書館にクレームをつける利用者にもぞっとしましたし、クレームを100%そのまま受けて、「悪臭さん」に「シャワー浴びてから出直してこい」と告げる図書館の姿勢にもぞっとしました。

路上で生活する人間にとって、図書館はトイレもあり、水も確保でき、空調も利き、何時間でも無料にいられる安全な場所です。だからこそ、図書館を訪れているのに、その方を前にして「臭い奴は一昨日(おととい)おいで」と告げるのは、あまりにも無慈悲だとは思いませんか?

筆者は美術館やギャラリーだけでなく全国各地の図書館も熱心に回っています。図書館が大好きだからです。そして、図書館には「(ある種の香ばしい)においのする人がいる」のは間違いありません。

そのような方は、身の回りの生活必需品を詰めた大きな袋やバッグを持っていることが多く、毎日、同じ格好をしているので、すぐに分かります。そして、確かに臭いはします。

でも、電車にも時々ですが、そのような臭いを放つ方が乗っていますよね。どんなに満員でも、その方の周りだけ、誰も人がいないので、すぐに分かります。その乗客も自分が臭っていることをまったく認識していないのですよ。かつての私が、やはり自分の臭いに気が付かなかったように。

でも、電車で匂いによる乗車拒否をしたというニュースは聞いたことがありません。臭い人が乗ってもいいのが、電車だからです。臭さを理由に乗車拒否ができるわけもないからです、法的に考えて。公共空間というのはそういうものなんです。だから、図書館という「公共空間中の公共空間」でも臭いを理由に、ある特定の利用者が不利益をこうむっていい訳はないのです。

都内の某図書館は明らかに対応を間違えていると思います。悪臭を漂わせている方が「健康で文化的な最低限度の生活」(日本国憲法第25条)を送るために、図書館と言うセーフティネットを求めているのであれば、彼ら彼女らがより利用しやすくするために、どんな方策を取ればいいのか、全力で考えるのが筋だと思います。

臭い方を「臭い、臭い、どこかに行け」と言っている「臭くない方」よ、あなたの精神の放つ腐臭の方が、私にはよっぽど恐ろしい。あなたの生活は、今、安泰か? 仮に現在、安泰であったとしても、生活の何かがちょっとどうかしたら、あなただって「臭い方」になりうることに、あなたはどうして気が付かないのだろうか? そうなった時、あなたはあなたの臭いに気が付かないんだよ? 図書館で職員にお声がけされて、「シャワー浴びてから出直してこい」と言われて、あなたの自尊心はズタズタにならないでいられる自信はありますか?

盗電を固くお断りする美術館の方にも私は言いたいです。電気代も払えない境遇に追い詰められている方かもしれないのに、「ただ電気代を“払いたくない”だけの窃盗容疑の犯罪者」扱いするのはやめてもらえませんか?

日本では、人が貧困に陥るのは、その人間自身の努力不足が原因だと決めつける「通俗道徳」がいまだに幅を利かせています。これは明らかに間違っています。あなたが努力しようがしまいが、けがや病気やその他、さまざまなトラブルに見舞われれば、あっと言う間に貧困状態になりえます。

そうであれば、現在、経済的に苦しく、臭いを漂わせている方を排斥したり、さげすんだりする行為がいかに品のないことかが、お分かりになるのではないでしょうか?

図書館や美術館のような公共施設が、臭いによって国民を差別するのは間違っています。臭い方も臭くない方も気持ちよく利用できるためにはどうしたらいいのか。真剣に考えなければいけないと思います。そして、そのような努力をせず、ただ禁止や勧告を一方的に張り紙するのは、ただの落書き以下の値打ちしかないと私は確信しています。

(2025年3月12日19時14分脱稿)

*「彩字記」は、街で出合う文字や色彩を市原尚士が採取し、描かれた形象、書かれた文字を記述しようとする試みです。不定期で掲載いたします。

著者: (ICHIHARA Shoji)

ジャーナリスト。1969年千葉市生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。月刊美術誌『ギャラリー』(ギャラリーステーション)に「美の散策」を連載中。