質問1これまでの美術評論でもっとも印象的なものについてお答えください。
未回答
質問2これからの美術評論はどのようなものになりうるかをお答えください。
美術評論のこれからを論じる場合、評論の載るメディアのことを考えなければなりません。20世紀の最後の10年間は、紙のメディアがまだ機能していました。21世紀に入り、インターネットが普遍化する中で、紙の評論メディアは急速に衰退していきました。21世紀の四半世紀を経た現在、その趨勢は変わりません。ネットがデフォルトとなった中で、評論の場がネットに広がっているのは確かでしょう。それが、評論の発信する側と読み手の側、あるいは論じられる作り手の側との間で創造的な循環が生まれているかどうかが問われる状況にあるのではないでしょうか? こうした状況の検証について、筆者自身は確たる知見と展望を持っているわけではありませんが、美術評論のあり方を考える上で重要な課題になるのではないかと思っています。では、誰が、あるいはどこがそれをやるのか? おそらく、美術評論家連盟はその主体となりうるのではないかと信じます。そこで、提案ですが、美術評論家連盟で論ずべきテーマのひとつとして検討していただければと思います。一方で、紙の媒体も重要ではないかと考えます。筆者自身のことで恐縮ですが、昨年、永らく休刊となっていた写真に関する批評誌『写真批評』の復刊に関わりました。『写真批評』は、東京綜合写真専門学校の創設者で長らく校長を務めた、写真評論家、重森弘淹が1973年に発刊した批評誌で、隔月刊で1974年に終刊するまで7号を数えました。1970年代に入って急速に変化していったメディア社会とポスト安保闘争時代の社会状況に向き合いながら、写真の可能性を批評を通して模索する姿勢で編集が行われ、写真の歴史に足跡を残しました。20世紀末頃から、それまでは写真批評の場を僅かながら残していた『アサヒカメラ』、『日本カメラ』など、長い伝統のある写真関連の紙媒体のメディアが、21世紀に入って姿を消しました(美術評論一般の紙媒体に目を向けると、たとえば『美術手帖』は今日も生き残っていますが、発行頻度は激減し、紙面の物理的な量、つまり総ページ数は減少しました。他方、ウエブ版『美術手帖』は、ページ数的には増大しています。) 前出したカメラ雑誌などの休刊は写真批評の場の消失を象徴する出来事でした。そういう状況を目前にしながら、紙の本の堅固さは、ネットにおける情報の流出のシャワーの中でも、評論の基盤として機能するという信念の下に、出版の主体となる東京綜合写真専門学校の現校長兼理事長の伊奈英次氏と意見交換する中で2023年2月に『写真批評』復刊の実現となりました。海外の写真批評の状況を見てみると、ネット上の批評とともに、紙媒体の批評の場も併存しています。たとえば、オーストリアのグラーツで発行されている『Camera Austria International』、ドイツのベルリンで発行されている『European Photography』、アメリカ、ニューヨークの『Aperture』などです。言葉を固着して流通させる紙媒体の力は、過小評価すべきではないと考えます。2024年10月に『写真批評』復刊第2号が発行されました。本号より筆者は編集長として関わっています。評論の場を再構築していく実験としてもこの媒体に向かい合っていきたいと思います。