謎の薬草コンタラエルハとは何か?「書評 渡邊耕一著『毒消草の夢――デトックスプランツ・ヒストリー』青幻舎・2022年」秋丸知貴評

渡邊耕一「毒消草の夢――デトックスプランツ・ヒストリー」展
@The Third Gallery Aya
2022年9月17日(土)-10月15 日(土)

 

写真家・渡邊耕一が、本年度のさがみはら写真賞を受賞した。受賞作は、昨年2022年に出版された写真集『毒消草の夢――デトックスプランツ・ヒストリー』(青幻舎)である。出版時には、大阪のThe Third Gallery Aya等で同名の個展も開催された。

下記は、約1年前に発表したその展覧会評であるが、写真集の読解にもなっている。渡邊の作風は非常に奥深く、含蓄に富み、時に難解でさえあるので、改めて書評として公開することで祝辞に代えたい。

 


 

「写真家」渡邊耕一の待望の新作個展である。

1967年大阪府生まれの渡邊は、1990年大阪市立大学文学部心理学科を卒業後、2000年にインターメディウム研究所の写真コースを修了している。

周知のように、インターメディウム研究所は、1996年に伊藤俊治をディレクターとして大阪で創設された。「デジタル・テクノロジー時代のバウハウス」を標榜し、あらゆる表現媒体を「メディア」と捉え、絵画・写真・映画・ヴィデオ・インターネット等のそれぞれの特性を追求しつつ同等に駆使して、アクチュアルな問題意識を芸術的に創造する作家・研究者を輩出するところに特色があった。渡邊はそのインターメディウム研究所直系の「写真家」であり、その意味ではむしろ「マルチメディア・アーティスト」と呼ぶのがふさわしい一人である。

渡邊が世界に名を知られるきっかけとなったのは、2015年に出版した最初の写真集『Moving Plants』(青幻舎)及び同題によるその巡回展である。これは、日本ではありふれた雑草である「イタドリ」が、19世紀にシーボルトにより日本から欧州に持ち込まれた結果、現在欧米ではその旺盛な繁殖力のために外来侵略植物として恐れられている現状を写真とテキストでまとめたものであった。その点で、いわば植物から見た「人新世」や「東西文化交流」の具体的様相をテーマとする一種のコンセプチュアル・アートであったといえる。

 

Moving Plants
Moving Plants

著者:渡邊 耕一
出版社:青幻舎
ハードカバー 112ページ
発売日:2015/12/28

 

さらなる展開が期待された本展「毒消草の夢――デトックスプランツ・ヒストリー」で渡邊が取り上げるテーマも、やはり植物を通じた国際文化交流である。具体的には、幻の薬草「コンタラエルハ」が俎上に載せられる。

この聞きなれない植物は、イメージとしては、日本ではまず江戸時代の蘭方医・宇田川玄真の『遠西医方名物考』(1822-25年)に現れる。ここでは、「昆答刺越兒發(コンタラエルハ)」と表記され、馬蹄形の葉の付け根に〇が三つ並び葉脈が強調されて描かれるところにその特徴があった。

 

図1 宇田川玄真『遠西医方名物考』1822-25年

 

この宇田川の『遠西医方名物考』の「昆答刺越兒發」の挿図は、その葉の特徴的な描き方から、舶来したドイツのヨハン・ウィルヘルム・ウェインマンの『薬用植物図譜』(1737-45年)における「コントライェルバ・アメリカーナ・ヴェラ」の挿図を写したものと推定される。また、そのウェインマンの挿図は、スペインのフランシスコ・エルナンデスの『ヌエバ・エスパーニャ博物誌』(1651年)における「コントライェルバ」と書かれた挿図にルーツを持つものと同定される。

 

図2 ヨハン・ウィルヘルム・ウェインマン『薬用植物図譜』1737-45年

 

図3 フランシスコ・エルナンデス『ヌエバ・エスパーニャ博物誌』1651年

 

ところが、エルナンデスが『ヌエバ・エスパーニャ博物誌』で「コントライェルバ」と挿図に付記したのは、メキシコ産のコアネネピリという名称の植物である。

これは、一体どういうことなのだろうか?

実は、スペイン語で、コントラは「(毒を)無効にする」、イェルバは「草」を意味する。つまり、「コントライェルバ」は「毒消草」という意味であり、『ヌエバ・エスパーニャ博物誌』において「コントライェルバ」は植物名ではなく効能を示すために併記されていた言葉であった。結局、これがヨーロッパを経て日本に伝わる過程で、植物名と混同されて様々な混乱を引き起こした訳である。

例えば、『遠西医方名物考』から約30年後に、幕末の本草学者・馬場大助は『遠西舶上画譜』(1855年)で、舶来した植物の一つとして「昆答刺越兒發(コンタラエルハ)」の写生図を入れているが、どうも『遠西医方名物考』の「昆答刺越兒發(コンタラエルハ)」とは違うようだと訝しんでいる。実際に、この時馬場が挿図で示していた植物はシロバナソシンカであった。

 

図4 馬場大助『遠西舶上画譜』1855年

 

西洋では、「コントライェルバ」は、18世紀に分類学上の正式な学名としては、コアネネピリともシロバナソシンカとも別種の植物である「ドルステニア・コントライェルバ」を指すものと定められたが、日本ではその後も江戸時代にはそれとは異なる幻を追い続け、明治以後は遂に近代薬学の発達により幻のまま忘れ去られてしまったのだといえる。

このように、「コンタラエルハ」は、実際の舶来品が希少な上に効能を植物名と取り違えてしまったことにより、実体ではなくイメージが先行する「幻の薬草」として受容されたといえる。ここには、薬草に対する人間の普遍的な願望や、海を跨ぐ国際的商業ネットワークの欲望、そして舶来品に対する日本人の憧憬等が織り成す、数百年もの間南米=ヨーロッパ=日本を結んできた、様々な創造力とイマジネーションの展開を感受することができるだろう。

 

図5 ドルステニア・コントライェルバ

 

1990年代以降、アートシーンの一つの潮流として、社会学や人類学的な調査に基づき作品制作やプロジェクト実践を行うリサーチ=ベースド・アート(Research-Based Art)が隆盛している。その中でも、渡邊の作品は調査の持続的広範性と学術的高度性において遥かに群を抜いている。

また、渡邊の問題関心は常にアクチュアリティに満ち、現在のグローバル化や資本主義や環境問題の行方へと思考を誘うものにもなっている。実際に、本展図録『毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー』(青幻舎・2022年)には、人類の環境への影響を問う「人新世」に関する国際的な共同研究を精力的に推進している、カリフォルニア大学サンタクルーズ校人類学教授のアナ・ツィンが「植物と共に夢見ること」を寄稿している。

何よりもまず、渡邊の展示構成は全体として見たときに一篇の詩のようにとても美しい。また、展示された文献資料も単なる記録文書ではなく、夢の残滓のような一つの不思議なオブジェとしての雰囲気を醸し出している。それらは、「ヒストリー」という題名を通じて、正に歴史が常に主観的な物語であることを暗に表現しているかのようである。

ぜひ、単なる自然科学にも人文学にも収まらない、渡邊のアートとしてしか表現できない、冒険心と探求心と造形美に溢れる写真と文章と文献資料の世界に注目して欲しい。

 

毒消草の夢 デトックスプランツ・ヒストリー
著者:渡邊耕一
出版社:青幻舎
ハードカバー 160ページ

 

【初出】幻の薬草「コンタラエルハ」とは何か?「渡邊耕一『毒消草の夢――デトックスプランツ・ヒストリー』展」@The Third Gallery Aya 秋丸知貴評(eTOKI 2022年9月18日)

著者: (AKIMARU Tomoki)

美術評論家・美学者・美術史家・キュレーター。1997年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、1998年インターメディウム研究所アートセオリー専攻修了、2001年大阪大学大学院文学研究科文化表現論専攻美学文芸学専修修士課程修了、2009年京都芸術大学大学院芸術研究科美術史専攻博士課程単位取得満期退学、2012年京都芸術大学より博士学位(学術)授与。2013年に博士論文『ポール・セザンヌと蒸気鉄道――近代技術による視覚の変容』(晃洋書房)を出版し、2014年に同書で比較文明学会研究奨励賞(伊東俊太郎賞)受賞。2010年4月から2012年3月まで京都大学こころの未来研究センターで連携研究員として連携研究プロジェクト「近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究」の研究代表を務める。主なキュレーションに、現代京都藝苑2015「悲とアニマ——モノ学・感覚価値研究会」展(会場:北野天満宮、会期:2015年3月7日〜2015年3月14日)、現代京都藝苑2015「素材と知覚——『もの派』の根源を求めて」展(第1会場:遊狐草舎、第2会場:Impact Hub Kyoto〔虚白院 内〕、会期:2015年3月7日〜2015年3月22日)、現代京都藝苑2021「悲とアニマⅡ~いのちの帰趨~」展(第1会場:両足院〔建仁寺塔頭〕、第2会場:The Terminal KYOTO、会期:2021年11月19日~2021年11月28日)、「藤井湧泉——龍花春早 猫虎懶眠」展(第1会場:高台寺、第2会場:圓徳院、第3会場:掌美術館、会期:2022年3月3日~2022年5月6日)等。2020年4月から2023年3月まで上智大学グリーフケア研究所特別研究員。2023年に高木慶子・秋丸知貴『グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ』(クリエイツかもがわ・2023年)出版。上智大学グリーフケア研究所、京都ノートルダム女子大学で、非常勤講師を務める。現在、鹿児島県霧島アートの森学芸員、滋賀医科大学非常勤講師、京都芸術大学非常勤講師。

【投稿予定】

■ 秋丸知貴『近代とは何か?――抽象絵画の思想史的研究』
序論 「象徴形式」の美学
第1章 「自然」概念の変遷
第2章 「象徴形式」としての一点透視遠近法
第3章 「芸術」概念の変遷
第4章 抽象絵画における純粋主義
第5章 抽象絵画における神秘主義
第6章 自然的環境から近代技術的環境へ
第7章 抽象絵画における機械主義
第8章 「象徴形式」としての抽象絵画

■ 秋丸知貴『美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学』
第1章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念について
第2章 ヴァルター・ベンヤミンの「アウラの凋落」概念について
第3章 ヴァルター・ベンヤミンの「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の問題について
第4章 ヴァルター・ベンヤミンの芸術美学――「自然との関係における美」と「歴史との関係における美」
第5章 ヴァルター・ベンヤミンの複製美学――「複製技術時代の芸術作品」再考
第6章 ヴァルター・ベンヤミンの鑑賞美学――「礼拝価値」から「展示価値」へ
第7章 ヴァルター・ベンヤミンの建築美学――アール・ヌーヴォー建築からガラス建築へ

■ 秋丸知貴『近代絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに』
序論 近代技術的環境における心性の変容の図像解釈学的研究
第1章 近代絵画と近代技術
第2章 印象派と大都市群集
第3章 セザンヌと蒸気鉄道
第4章 フォーヴィズムと自動車
第5章 「象徴形式」としてのキュビズム
第6章 近代絵画と飛行機
第7章 近代絵画とガラス建築(1)――印象派を中心に
第8章 近代絵画とガラス建築(2)――キュビズムを中心に
第9章 近代絵画と近代照明(1)――フォーヴィズムを中心に
第10章 近代絵画と近代照明(2)――抽象絵画を中心に
第11章 近代絵画と写真(1)――象徴派を中心に
第12章 近代絵画と写真(2)――エドゥアール・マネ、印象派を中心に
第13章 近代絵画と写真(3)――後印象派、新印象派を中心に
第14章 近代絵画と写真(4)――フォーヴィズム、キュビズムを中心に
第15章 抽象絵画と近代技術――ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念を手掛りに

■ 秋丸知貴『ポール・セザンヌと蒸気鉄道 補遺』
第1章 ポール・セザンヌの生涯と作品――19世紀後半のフランス画壇の歩みを背景に
第2章 ポール・セザンヌの中心点(1)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第3章 ポール・セザンヌの中心点(2)――自筆書簡と実作品を手掛かりに
第4章 ポール・セザンヌと写真――近代絵画における写真の影響の一側面

■ 秋丸知貴『岸田劉生と東京――近代日本絵画におけるリアリズムの凋落』
序論 日本人と写実表現
第1章 岸田吟香と近代日本洋画――洋画家岸田劉生の誕生
第2章 岸田劉生の写実回帰 ――大正期の細密描写
第3章 岸田劉生の東洋回帰――反西洋的近代化
第4章 日本における近代化の精神構造
第5章 岸田劉生と東京

■ 秋丸知貴『〈もの派〉の根源――現代日本美術における伝統的感受性』
第1章 関根伸夫《位相-大地》論――日本概念派からもの派へ
第2章 現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相-大地》(1968年)から《空相-黒》(1978年)への展開を中心に
第3章 Qui sommes-nous? ――小清水漸の1966年から1970年の芸術活動の考察
第4章 現代日本美術における土着性――小清水漸の《垂線》(1969年)から《表面から表面へ-モニュメンタリティー》(1974年)への展開を中心に
第5章 現代日本彫刻における土着性――小清水漸の《a tetrahedron-鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に

● 秋丸知貴『比較文化と比較芸術』
序論 比較の重要性
第1章 西洋と日本における自然観の比較
第2章 西洋と日本における宗教観の比較
第3章 西洋と日本における人間観の比較
第4章 西洋と日本における動物観の比較
第5章 西洋と日本における絵画観(画題)の比較
第6章 西洋と日本における絵画観(造形)の比較
第7章 西洋と日本における彫刻観の比較
第8章 西洋と日本における建築観の比較
第9章 西洋と日本における庭園観の比較
第10章 西洋と日本における料理観の比較
第11章 西洋と日本における文学観の比較
第12章 西洋と日本における演劇観の比較
第13章 西洋と日本における恋愛観の比較
第14章 西洋と日本における死生観の比較

■ 秋丸知貴『ケアとしての芸術』
第1章 グリーフケアとしての和歌――「辞世」を巡る考察を中心に
第2章 グリーフケアとしての芸道――オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』を手掛かりに
第3章 絵画制作におけるケアの基本構造――形式・内容・素材の観点から
第4章 絵画鑑賞におけるケアの基本構造――代弁と共感の観点から
第5章 フィンセント・ファン・ゴッホ論
第6章 エドヴァルト・ムンク論
第7章 草間彌生論
第8章 アウトサイダー・アート論

■ 秋丸知貴『芸術創造の死生学』
第1章 アンリ・エランベルジェの「創造の病い」概念について
第2章 ジークムント・フロイトの「昇華」概念について
第3章 カール・グスタフ・ユングの「個性化」概念について
第4章 エーリッヒ・ノイマンの「中心向性」概念について
第5章 エイブラハム・マズローの「至高体験」概念について
第6章 ミハイ・チクセントミハイの「フロー」概念について

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