巨星墜つ――。各紙の追悼文で目にし、私自身も正にその感慨を覚えた。日本の美術史研究の泰斗、高階秀爾先生が満92歳で永眠された。
高階先生ほど、人々に愛された人を私は知らない。会う人全てが、その知性と感性に溢れた温厚な人柄に魅了された。高階先生を悪く言う人を、私は聞いたことがない。誰よりも美と知を心から愛し、誰とでもそれを惜しみなく共有された。頭脳明晰にして、記憶力抜群。講演でも著作でも、誰にでも分かる話題から入り、最後は学界の最新の研究成果に至るその見事な語り口は、稀代の名人芸であった。今、美術史の関係者はもちろん、各界の著名人や市井の読者の誰もが「私の高階先生」を誇らしく語り、その逝去を心から深く悼んでいる。
依頼とはいえ、もっとふさわしい東京大学の弟子の方々が大勢いるのに私などが追悼文を書くのは内心とても恐れ多い。高階先生の本を読んで美術史研究を志した方々が、私の他に無数にいることもよく存じている。それでも、東大定年後は国立西洋美術館の館長として長らく大学では教えられていなかった高階先生の講演会を聴きたくて全国を行脚し、高階先生の顔写真を下敷きに入れて「この人に師事したい!」と毎日強く念じ続けた10年後に、念願叶って京都芸術大学大学院の博士課程で師事できたことが私の人生最大の幸運の一つであることに免じて許していただきたい(その下敷きの話を高階先生にゼミ初日に情熱を込めて語ったら、温和な顔で少しだけ微苦笑されたのだが……)。
高階先生には3年間、大学院長室で1、2週間に1回、約2時間マンツーマンで指導を受けた。長年、著書を読んで質問したいと思い続けていたことを片っ端から尋ね、その詳細さに驚かれつつも一つ一つ丁寧に答えていただいた。ある時は、「今日は君との話が面白いから会議は休もう」と言っていただいたこともある。この僥倖と多大な学恩に対し、私には高階先生に伺った内容を世間や後進に広く伝えていく義務がある。紙数の許す限り、その一端をこの場をお借りして紹介したい。
まず、東大の美術史学科出身のある先生から「私は学生時代に『直観を実証するのが研究です』と教わった」と聞いた話を伝えたところ、「それを言ったのは私だったかもしれないね」とのこと。また、高階先生が東大の美術史の講義で写真やデザインや建築にも言及したのは、「留学したフランスでは当然だったからね」とのこと。
睡眠時間が平均4時間というのは本当ですかと尋ねたところ、「今は医者に止められているけれどね」とのこと。あまりの仕事量の多さから研究者間では「高階インダストリ」と呼ばれていますと伝えたところ、「誰だそんなことを言っているのは(笑)」とのこと。
溢れる本の対策はどうしているのですかと尋ねたところ、「書庫としてマンションを一室を借りているんだよ」とのこと。論文を書く時には準備期間を長く取って構想をじっくり練るのですかと尋ねたところ、「そうできたら良いんだけれどね」とのこと。専門書といっても自分の論文に使えるところはせいぜい数ページでしょうかと尋ねたところ、ちょっと驚きつつ無言でニコニコ微笑まれていた。
1972年初版の『日本近代美術史論』の無地の装幀が著者自装なのはなぜですかと尋ねたところ、「あの頃は凝った装幀が多過ぎたのでそうではないものを自分で示そうと思ったんだよ」とのこと。この本を始め、高階先生の著作の文献一覧は関連文献をほぼ全て網羅しており研究に重宝しますと伝えたところ、「関連文献全てに目を通すのはとても大切なことです」とのこと。
『日本近代美術史論』で提出された「構想画」という概念は欧米に先行研究があるのですかと尋ねたところ、「『構想画』は様々な資料や経験から自分で考えた概念であるが、欧米にはそれに近いものとして『物語画』という概念がある」とのこと。
文章が既に1966年の処女作『芸術・狂気・人間』から完成していますが誰か参考にされた人はいますかと尋ねたところ、「それは文章が全然進歩していないということだね」といたずらっぽく笑いながら「ベルグソンやジイドは参考にしたね」とのこと。『季刊芸術』の連載「ベルグソンの芸術哲学」が秀逸ですがいつ研究されたのですかと尋ねたところ、「卒論がベルグソンだったからね」とのこと。高階先生の文章にはフランス的明晰さを感じますと伝えたところ、無言でニコニコ微笑まれていた。高階先生の著作は謎解きが面白く極上の推理小説を読んでいる趣がありますが、ひょっとして推理小説はお好きですかと尋ねたところ、無言でニコニコ微笑まれていた(いつもこの微笑は無言の肯定だと理解していた)。
1964年の『芸術生活』上での東野芳明氏との「ポップ・アート論争」は、東野氏が一方的に言いがかりをつけているように思いますと伝えたところ、「実は、あれは東野さんと打ち合わせたやらせでね。日本では、議論になると『それではお二人には別室で仲直りしていただいて……』になってしまう。そうではなく、公の場での議論を定着させたい気持ちを二人とも持っていたからね」とのこと。
高階先生、もっともっと沢山お話を聞かせていただきたかったです。昨年最後に電話でお話したときに「頑張りなさい」と励ましてくださったことはいつまでも私の誇りです。高階先生の末席の弟子として恥ずかしくないように、これからも研究に邁進いたします。
*初出『週刊読書人』2025年1月24日号より転載。
筆者と高階秀爾先生
2015年3月15日 京都府立文化芸術会館にて