第31回松本清張賞を受賞し、鮮烈なデビューを果たした井上先斗の「イッツ・ダ・ボム」(文藝春秋)は、お読みになりましたか?
日頃、グラフィティに興味を持って街歩きしながら、“作品”を探している私にとって、「こんな小説が登場するのを待っていたんだよ」と言いたくなる快作でした。なぜ、公共空間にラクガキをするのか、具体的にどのように制作していくのか、といった疑問点に応える内容で、あっという間に読了してしまいました。
作者の井上さんがグラフィティの実作者というわけではなく、彼も懸命にお勉強して執筆したらしいので、その点が、少し弱い気もしましたが。ただ、松本清張賞という知名度の高い文学賞を受賞した作品が、まさかグラフィティをテーマにしたものになるとは想像もしていなかったので、とてもうれしかったです。
井上さんは川崎市在住です。川崎市と言えば、グラフィティの盛んな場所と言う認識が私にはあります。典型的なケースは、多摩川にかかる道路、橋梁を支える幅広の柱に描かれるものでしょう。
昭和世代の私にとって、そのような場所には、だいたい①水を吸いこんでぶかぶかに膨らんだエロ本②割れた酒瓶の破片③何か黒焦げに焼けた怪しいものーーの3点セットがもれなくついてきたことを今でもよく覚えています。あと、恐ろしいヤンキーのお兄さん方もたむろしていましたね。川っぺりの橋梁周辺には。
岡崎京子の漫画作品「リバーズ・エッジ」に登場する風景は、私にとって、非常にリアル、かつ懐かしい、自身にとっての原風景とも呼べるものです。登場する川が、多摩川か否かなんてどうでもいい。ただ、ああいった雰囲気の川にかかった橋のたもとにはグラフィティが描かれ、どこか「気軽に近づいたら痛い目に遭う」といった雰囲気を醸していたものです。
閑話休題。グラフィティはいきなり完成させるのが難しいケースも間々あります。人目を避けて、深夜や未明に危険な場所で描くことが多いからです。もちろん、描いているところを発見されたら、即、建造物損壊罪、もしくは器物損壊罪で逮捕されてしまいます。本当は一回で、瞬間で描きたい。でも、一回だけでは描ききれない。そんな場合、何回かに分けて描くこともあるのです。そんな例を最近も見つけましたので、以下、ご紹介しましょう。
川崎市ではないのですが、私は、横浜・桜木町駅の近くにある雑居ビル屋上のグラフィティを定点観測し続けてきました。横浜市中央図書館に資料探索、読書のためによく訪れるので、その道すがらにです。雑居ビルは7階まで居酒屋などの店舗が入っています。そのビルの屋上に設置された巨大なビルボードは長いこと、広告が張られたことはなく、基本、白い面を見せていました。
その面には気づいた時には、3点のグラフィティが描かれていました。かなり高所で、近づくこともできない場所なので、何と描いてあるのかはよく分かりませんが、とにかく、いつの間にか右寄せで3点の作品が描かれていたのです。ビルボード左方に、1点分の新作が描ける余地が残っていたのですが、長い間、そこは空白に残されたままでした。
2024年の11月中~下旬までの間のどこかの日、その左端の余白にグラフィティが描かれているのを私は発見しました。やはり、何と描いてあるのかは判然としません。他の3点の作品は、下に黒地を敷いた上に黄色い面を施しておりましたが、新作は黒い下地(?)だけでした。どうも他の作品と平仄が合いません。このまま、黒地のままで終了するのか、それとも黄色い面が上に載るのか、私は固唾をのんで見守っていました。
そして、おそらくですが2024年12月7日深夜から8日朝までの間に、黒地の上に黄色い面が載っているのを私は発見しました。まだ、黄色が少し薄い気もしますが、一応の完成を見たと言ってもいいでしょう。かなり長い間、継続して見守ってきたビルボードでしたが、ついに、右から左まで作品が横に並びました。同じ作者が描いたものなのか? それとも別の人物が描き足したものなのか? 私にはよく分かりません。ただ、右の2点が明らかに上手に描けているのに対して、左の2点(今回の新作含む)はややただたどしい筆致です。もしかしたら、別人なのかもしれません。
私は阿呆のように、ポカーンと口を開けながら、ものすごく高い場所で制作に励む人物の一挙手一投足を想像し続けました。単独なのか? それとも、誰か相棒を連れて監視役兼制作補助を受け持ってもらっているのか? どうやって、あのビルボードにまで近づくのか? 命綱はつけているのか否か? そんなことを考えていると、私の脳内にタイムラプス映像のように、制作者の暗闘が見えてきます。
新作の黄色が薄いのにもきちんとした理由・根拠がありそうです。よくビルボードを観察すると、下方から7台のライトが壁面を照らしているのに気が付きます。ところが、この照明、右端のものが一番、明るく、左端はほとんど光が出ていないようで、いつも薄暗いのです。だから、この左端にいくら黄色を大量に載せた作品を描いても、光量不足ではっきりとは見えないのです。この状況を作者は逆手に取ったのでしょう。あえて、黒っぽい作品を左端に配置することによって、少ない黄色でも映えて見えるようにしているのです。
ただ、これは夜間の照明が点灯している際の話しです。昼間は当然、ライトが付いていないので、当然、左端の作品の黒さ、暗さが目立つ状況になっています。つまり、作者の意識としては、自身の作品は夜間の照明点灯時に見てほしいものなのでしょう。確かに夜間に見た方が、作品の凄みは増しています。日中は、あたかも「真昼に見える月」のように、どこか頼りない感じに見えるのです。
制作するのも、鑑賞するのも、夜という時間帯に所属するもの、それがグラフィティなのかもしれません。どうして、彼らが、多くの危険を冒して作品を描くのか? 疑問の方は、ぜひ井上先斗の「イッツ・ダ・ボム」を読んでみてください。
バンクシーやカウズら一部著名アーティストのグラフィティが神格化され、お金を生み出すパワーを備え、人々も彼らの作品にやんややんやの喝さいを送る。そのくせ、一般の作り手の作品は、ただの犯罪行為扱いを受けているという不均衡ぶりには思わず失笑してしまいます。「ブランド物」になると、皆が崇め奉る対象になってしまうという貫徹した資本主義の酷さを感じます。
私たちが日々、通勤、通学、買い物、散歩している間に、どれだけ多くのブランド名、商品名、ロゴ、キャッチコピーにさらされているかご存じでしょうか?
過日、私はカウンターを片手に握りしめて、自分の前を通過していくそれら商業主義的なメッセージの数を計測してみました。朝の通勤時間帯の片道約70分(電車45分、徒歩25分)の間に約700~800もの商品名などとすれ違っていたのには驚きました。
もちろん、それら一つひとつをまともに見たり読んだり、聞いたりしているわけではありませんが、頭の中が汚染されるのに十分な量であることは間違いないでしょう。スマホに至っては、広告につぐ広告です。一見、何かの読み物に見えても実はただの広告という詐欺が普通にまかり通っている現実がそこにはあります。
広告は、お金を払った壁面などを使って堂々とその存在を誇示しています。その一方で、お金を払っていないグラフィティは、犯罪行為として基本、禁じられている。だが、際限なく垂れ流される広告に対する解毒剤として、グラフィティを捉えることもできるのではないでしょうか?
広告だって、そもそも犯罪的な質と量を誇っているのに、なぜか、広告が犯罪と受け止められることは少ないです。総量規制をかけて、過剰な広告を被爆しないで済む社会をぜひとも実現していかねばならない。さもないと、私たちの頭は広告まみれの大バカ者になること請け合いでしょう。
話しは少し変わりますが、桜木町のグラフィティの足元近くに設置された交通標識の細い柱に、縦長に細いステッカーが貼られていました。「#戦争と家父長制を憎む」とだけ縦書きで書いてあります。私は、そのステッカーを見て「と」で並列するのは違うかな、と思いました。私なら「#戦争=家父長制を憎む」と「と」ではなく「=」で結びつけます。
戦争と家父長制はプロパガンダを必須の栄養剤としています。そして、広告も戦時下は戦争に協力(翼賛)する形で売り上げを伸ばそうとするのです。私たちは、街中の広告表現の変遷を注視しなければならないでしょう。
同時に、街中のグラフィティやステッカーに込められたメッセージも注視する必要性があるでしょう。片や全面的に資本主義に守られた表現、片や資本主義から否定された表現とそのベクトルは違いますが、両方を見つめることで私たちは社会の自由度が今、どこまで担保されているのかを知ることができると思います。
今、街を歩けば、何かを禁止したり、否定したり、咎めたりする「命令形」のメッセージであふれかえっています。私たちは、それらの言葉を昼間の月のようにぼーっと傍観していてはまずいと思います。広告表現と禁止メッセージが私たちの自由な精神を真綿で首を締めるようにじわじわ蝕み始めているかもしれないのですから。(2024年12月10日21時31分脱稿)