「塩田千春 つながる私(アイ)」
会期:2024年9月14日 ~ 12月1日
会場:大阪中之島美術館
現在、「塩田千春 つながる私(アイ)」展が大阪中之島美術館で開催されている。コロナ禍の隔離を経て、誰もが意識した他者とのつながりを、3つのアイ、I(私)、EYE(目)、愛でアプローチするという本展は、国立国際美術館で開催された展覧会以来、出身地大阪で16年ぶりになる大規模個展である。開幕に先立って行われた記者内覧会に別の用事が入り行きそびれた。本人の解説があったのでぜひ聞きたかったので残念であった。
なぜなら塩田千春に関して不勉強なことにそれほど知らないからである。2008年に国立国際美術館で開催されたという展覧会も行っていないし、2019年に森美術館で開催され、大いに話題になった「塩田千春展:魂がふるえる」展にも行っていない。2022年には、岸和田市立自泉会館で「塩田千春展 Home to Home 家から家」展も開催されている。ただし、国際芸術祭「あいち2022」では会場の一つであった一宮市の「のこぎり屋根工場」でのインスタレーションと、旧一宮市立中央看護専門学校の展示は見ることができた。空間と歴史を読んだ見応えのインスタレーションであったのは間違いない。
とはいえ、1972年に生まれ岸和田市で育った塩田は、1973年早生まれの私とおそらく同学年なので、同じ時代に関西で生まれ育ったので時代的、地理的な共通点はある。我々は、いわゆる団塊ジュニアと言われる団塊の子供の世代にあたり、かなりの人口ボリュームがある。しかし、子供の大学入学時にバブル経済が崩壊し、卒業する頃には就職氷河期が始まった。昭和的な価値観を継承しつつ、かつてない過当競争を強いられたにもかかわらず、卒業時には、就職先もなく、何とか入社した会社はブラック企業で、精神や身体を壊して脱落するといった話が当たり前のようにあった。パワハラ・セクハラ・アカハラみたいなものは当たり前で、それが法律やコンプライアンスに違反しているといったことが社会的な合意事項になるのはその後30年はかかることになる。失われた30年で辛うじて得たものは、そのような人権意識の高まりといったことだろう。
塩田は、1996年にはベルリンに留学しているので、その後の日本の状況はあまり知らないかもしれないが、まだ日本に経済的に余力があった当時、就職先がない美大生が海外に行くことはあった。現在ほど美大・芸大の大学院がない頃なので、外国人であっても学費が無料であったドイツに留学するのは選択肢の一つだっただろう。その後、塩田は国際的に活躍するアーティストへと成長する。人口ボリュームのわりに、団塊ジュニアの世代で活躍するアーティストが少ないのは社会状況によるところも多いと思うが、それだけに塩田の活躍は目を見張る。
赤い糸を使ったインスタレーションで知られる塩田であるが、今回の展覧会は特にテレビ局が主催社に入っていることもあって、塩田のこれまでの歩みをインタビューやベルリンのスタジオや周囲の環境などのドキュメンタリーを入れて紹介されていることが塩田や作品の理解を深めるために効果的であった。会場の中央に大型スクリーンを吊るして、上映されており、私が訪れたときも多くの観客が熱心に見ていた。インタビュー映像から、絵を描き始めた幼少期、絵が描けなくなった大学時代、ファイバーアートでも知られるアーティストでもあるマグダレーナ・アバカノヴィッチと勘違いし、マリーナ・アブラモヴィッチの学生になり、肉体を酷使するパフォーマンスを行っていた留学時代、子供の流産や父の死と重なったヴェネチア・ビエンナーレ、自身のがんの手術と重なった森美術館での展覧会など、壮絶な人生の経験とハイライトともなるような展覧会が表裏の関係になっていることも印象的であった。
また、大がかりなインスタレーションだけではなく、インタビューと関連する初期の絵画作品、映像作品、さらに近年の多和田葉子の連載小説『研修生(プラクティカンティン)』のために描かれた挿絵や舞台美術の映像なども流されており、塩田作品だけではなく、作家自身の個性も含めた全体像がわかるようになっていた。
特に塩田の言葉で印象的だったのは自身のインスタレーションを「瞬間哲学」と述べていたことだ。その瞬間に空間全体に引き込まれるインスタレーションを見て、そこからその後、深い哲学や思索に導いていって現代美術の面白さを知ってもらう意図があるという。それを聞いて、塩田千春もやはり関西人なんだなと妙に納得をした。具体美術協会(具体)から続いた伝統と言わないまでも、80年代の「関西ニューウェーブ」、90年代の「ネオ・ジオ」「ネオ・ポップ」のような関西の作家たちは、生来のサービス精神や驚かしたいという気持ちもあるし、「つかみ」を重要視する。今回も、黒い美術館に穿たれた数少ない窓からも見えるように、入口付近につくられた赤い糸と巨大な服のインスタレーションや、最初の部屋には別府温泉の水蒸気から連想したという、巨大な水槽を繭のように白い糸が取り囲むインスタレーションなど、いわゆるホワイトキューブで特徴のない空間でありながら、人々を引き込む導入の仕掛けがなされていた。
それは絵画や彫刻のような観客の能動的な鑑賞を必要とするものとは異なる。それは特に糸の線が見えていることが大きい。糸をはっていく順序はわからないが、どこからどこに結ばれているのかはわかる。画家出身であることもあるのか、それはすなわち絵画のストロークのようなものであり、言わばそのストロークの痕跡がすべて見えている空間の絵画であり、時間の絵画といった要素がある。観客は、インスタレーションを見た瞬間に、塩田がつくった過去の行為のすべてを知覚することになる。そして空間を通して、かけられたであろう膨大な時間を一瞬のうちに追想するのである。
塩田は、現代アートのような一般の人にとってマイナーな表現は、一瞬にして心をつかまなければ、誰もその後のことに関心をもってくれない、ということを十分理解しているのだ。そのような塩田の志向もあって、「映える」インスタレーションとして、SNS時代のプロモーションの例にもなったということだろう。しかし、そこから何重にも仕掛けが施されていて、塩田の繊細な心に引き込まれることになる。
ある意味では、歴史的建造物やモニュメントを梱包するクリストやダニエル・ビュランなどを思わせる祝祭性がありながら、もっと内面的でパーソナルな次元にまで降り立つのが塩田の特徴といってもいいかもしれない。そこに多くの人を結び付け、社会や公共といった抽象的な群ではなく、個々の人生と直接的に対峙している。それが時に靴であったり、鍵であったり、「つながり」をテーマにした個々のメッセージであったりするのだ。ハイライトは、今回のために集められた1500通以上のメッセージが書かれた紙を丹念に読み込み、無数に天井から吊り下げられた赤い糸の中に円を描くように吊られた《つながる輪》(2024)である。端に吊られたメッセージを読むと、個々のさまざまな人生のつながりを垣間見ることができる。
塩田は、コロナ禍で人と人との関係が遮断されたことによって、否応なく人とのつながりの大切さを意識されられたことが本展のテーマとなったと述べていたが、塩田自身の根底にあるテーマともいえる。衣服や家、そして衣服の元でもあり、人との縁のメタファーでもある糸を使って表現し続けているのは、故郷から離れ、家から離れ、親や子供、自身の身体の部分からの別離を経て「つながれる何か」を追い求め続けているともいえる。
ちょうどNHKBSで、コシノ三姉妹の母、小篠綾子をモデルにした朝の連続テレビ小説『カーネーション』が放映されており、尾野真千子演じる糸子が、呉服屋・洋装店をしながら、祖父母や両親、子供、親友、恋人との濃い関係の中で生きていく姿が描かれている。当時ほどではなくても、岸和田の郷土愛の強い土地柄は継承されているだろう。それだけに、塩田の別離の苦悩は想像する以上に強いのかもしれない。我々の世代までは、両親と同じように結婚し、子育てすると大半が思っていたので、根底にある価値観は思った以上に古い。
いっぽうで戦後は地方の濃い人間関係から都市に移住することで、解放されてきた歴史もある。つながることの弊害も多いからだ。それでもなお人はつながらないと生きていけない。塩田が問いかけるのは、「それでもなお」私たちが求める「つながり」だと思える。美しいインスタレーションではあるが、血を連想させる鮮烈な赤に、ある種の痛みを覚えるのは気のせいではないだろう。つながることで感じる痛みに耐えながら、なおつながろうとすること。塩田のインスタレーションにはそのような切実な思いが潜んでいるような気がした。同時にその痛みは「愛」の裏返しでもある。
私も寄稿した『広告 Vol.417 特集:文化』(博報堂、2023年)の一貫で実施された「赤から想起するもの世界100カ国調査」[i]では、赤から想起されるものの1位は「血」であり、3位が「愛」であった。また、63位に「生命」、66位に「死」、103位に「痛み」が想起されている。それは塩田のテーマである「生と死」、「不在の中の存在」、人生というプロセスを凝縮するものでもあるだろう。
同時に糸のインスタレーションは、仏教の「縁起」的な世界観のようにも思えるし、 一神教的な神との契約ではなく、共同体の相互関係の中に神が宿る神道的な世界観のようにも思える。伝統的な価値観が崩れ、ますます人間関係が国際的になる中、私たちが求める「つながり」とは何か? 美しさの奥には、重いテーマが流れている。
とはいえ、母親とフレンズがつくったというイチゴ型のアクリルたわし「つながる私」ならぬ「つながるたわし」が特設ショップで売られるなど、いわゆる「おかんアート」(この言葉には賛否ある)と言われそうな展開をするところもいかにも大阪的で、場外では笑いの要素もあるし、母や地元との強い絆と言えるつながりを感じさせられる。深い愛情のもとに育ったことがよくわかる。
かつてなら現代アートの中では退けられていた、個人的な愛や痛みといったモチーフは、抽象化、普遍化されないと人々に共有されるわけではない。塩田の方法は、個々人の人生や体験は抽象化、代替不可能なものとして、それらを拾い集め、具体的なままで共有する方法を見出しているように思える。そして何もかも見える状態にして提示されているからこそ、私たちは何も見てこようとしてこなかったのだと気づかされるのである。
[i] 「赤から想起するもの世界100カ国調査」(博報堂、2023年)https://kohkoku.jp/417/red/