【目次】
まえがき
序章 一枚の写真を見る
第一章 グローバル美術史の見取り図
第二章 はじめに団体展ありき
第三章 現代美術を語りなおすために
第四章 二科の吉原、具体の吉原
第五章 熱狂の広報(パブリシティ)から情報の覚醒へ
第六章 貸画廊を歩いてみよう
第七章 荒野の咆哮は未来へ木霊(エコー)する
第八章 荒野の極点
第九章 京都発・現代美術
第十章 「東京ビエンナーレ ’70」 周縁からのカウンタープロポーザル
結びにかえて
あとがき――美術史のインターポエティック
富井玲子氏の初の邦語単著『オペレーションの思想――戦後日本美術史における見えない手』が出版された。今後、本書は戦後日本美術研究の基本書となる重要文献である。
富井氏は、1982年に大阪大学文学部で美学を、1984年に同修士課程で美術史を学んだ後、1988年に米テキサス大学オースティン校で博士号(美術史学)を取得した。以後、ニューヨークに在住し、国際現代美術センター(CICA)の上級研究員を経てインディペンデントの美術史家兼キュレーターとして国際的に活躍している。
富井氏の専門は、戦後日本美術史である。その皮切りは、1994年に横浜美術館からNYグッゲンハイム美術館へ巡回した、アレクサンドラ・モンローの企画による名高い戦後日本美術の総合的回顧展『1945年以後の日本美術――空に叫び』展図録の編集及び執筆への参画であった。それ以来、富井氏は約30年間海外を主戦場に戦後日本美術を英語で広く研究紹介してきた斯界の第一人者である。私が富井氏の仕事に注目したのも、『1945年以後の日本美術』展図録と2005年の村上隆の企画による『リトルボーイ』展図録の両方に編集で名前があることに興味を覚えたのがきっかけであった。
富井氏は、2016年に初の英語単著『荒野のラジカリズム――国際的同時性と日本の1960年代美術』(マサチューセッツ工科大学出版会)を出版し、2017年にロバート・マザーウェル出版賞を受賞している。2019年には、同書を基にした「荒野のラジカリズム――グローバル1960年代の日本のアーティスト」展をニューヨークのジャパン・ソサイエティで企画開催している。2020年度には、文化長官表彰(文化発信・国際交流‐日本美術研究)も受けている。
本書は、歴史研究としてミクロな事実を積み上げると共に、マクロな歴史観の刷新を試みている。その際に提出される概念が、「オペレーション(operation)」である。しかし、この概念は日常語を学術用語として用いているのでやや意味が分かりにくい上に、前著の『荒野のラジカリズム』の議論を踏まえておかないと内容を掴みにくい。そこで、本書の主張を私なりに解釈を入れつつ分かりやすく図式化すると次のようになる。
本書の目的は、いかに従来の西洋中心主義(Eurocentrism)的な美術史観を脱却して、新たな世界美術史(Global Art History)を構築するかである。
まず、一般的な歴史理解では、文化的変革としての近代化(modernization)は西洋が推進し、それが非西洋に波及したとされる。つまり、西洋は「先進国」で、非西洋は「後進国」とされる。この観点では、西洋は「中心」で、非西洋は「周縁」となる。あるいは、西洋は「文明」で、非西洋は「未開」ということになる。
西洋から非西洋への近代化の波及には、空間的遠隔から時間的遅延が生じる。この時、先発の西洋の近代化に対する後発の非西洋の近代化は、時間的に遅れ、内容的にも変質するので、劣っていると見なされる。従って、西洋は「一流」「本物」で、非西洋は「二流」「偽物」ということになる。あるいは、西洋は「主流」で、非西洋は「傍流」「亜流」という位置付けになる。
さらに、この西洋と非西洋における「中心」と「周縁」の関係は、非西洋の国内でも反復される。日本で言えば、東京と地方の関係である。西洋由来の近代化が東京を通じて地方に波及する過程では、やはり空間的遠隔から時間的遅延が生じる。ここでも、先発の東京の近代化に対する後発の地方の近代化は、時間的に遅れ、内容的にも変質するので、劣っていると見なされる。この観点では、東京は「中心」で、地方は「周縁」となる。あるいは、東京は「沃野」で、地方は「荒野」ということになる。
こうした文化における西洋中心主義を、文化的帝国主義あるいは文化的植民地主義という。注意すべきは、支配する側のみならず支配される側もこれらを自明的に内面化してしまうことである。私達は、まずこの内なる植民地化を脱却しなければならない。
これらの問題は、美術史研究において特に重要である。なぜなら、美術史は美術作品の価値判断を必然的に含むからである。
まず、もし先進性が価値基準ならば、価値があるのは先発の西洋美術の近代化であり、後発の非西洋美術の近代化は遅れる分だけ価値が低いことになる。また、もし印象派以後の西洋美術の近代化の流れが唯一絶対の規範であれば、非西洋美術の近代化の流れにおけるその規範からのズレは全て価値が低いと見なされる。
この関係は、日本の国内においても反復される。つまり、もし先進性が価値基準ならば、価値があるのはいち早く主流としての西洋美術を取り入れる東京美術であり、後を追う地方美術は遅れる分だけ価値が低いことになる。また、西洋美術を反映した東京美術が唯一絶対の規範であれば、地方美術におけるその規範からのズレは全て価値の低いものと見なされる。いずれにしても、日本の地方美術は制度面においても表現面においても不毛な「荒野」ということになる。
だが、富井氏は、こうした西洋中心主義的な美術史観に疑問を投げかけ、相対化による脱中心化を提唱する。そして、1960年代の戦後日本美術こそはその試金石であるとする。なぜならば、広義の1960年代(前後を5年ずつ取って1955年頃から1975年頃まで)の戦後日本美術には文化多元主義を体現する内容が数多くあるからである。
まず前提として、一言で「西洋」と言っても、近代化については、ヨーロッパとアメリカでは時間的遅延がある。例えば、1970年にアーヴィング・サンドラーが著した『アメリカ絵画の勝利』は、アメリカ美術のヨーロッパ美術に対する遅延意識の克服の表明といえる。また、ヨーロッパ美術の中でも様々な時間的遅延がある。つまり、「西洋美術」と言っても一枚岩ではない。こうした事実の細分化は、西洋中心主義的な美術史観の相対化・脱中心化に役立つ。
また、西洋に対する日本の近代化の時間的遅延については、科学技術の発達と文化水準の向上で「時空の共有化」が進み「国際的同時性」が成立した1960年代以降には常に当てはまるとは限らない。例えば、日本で行われた「東京ビエンナーレ’70」は、最先端の西洋作家達とそれに比肩する日本作家達の国際的交流及び競演であり、国家単位を超える世界美術史上の意義を持つ。そこでは、既に「中心」と「周縁」という構図は成り立たない。
それどころか、従来表現において遅れているとされていた「周縁」が「中心」よりも先進的なこともある。例えば、国際関係では、地面に大穴を掘るアイディアは、1965年の日本の兵庫のグループ「位」の《穴》の方が、1967年のアメリカのクレス・オルデンバーグの《静かな市の記念碑》よりも時間的に早い。また、国内関係では、東京よりも時間的に早く1964年に長野で確立した松澤宥の観念芸術は、直接関係はないけれども欧米で同時期に展開したコンセプチュアル・アートと呼応する現象であった。つまり、ここでは「中心」の西洋よりも「周縁」の日本が、また「主流」化された東京よりも「荒野」の地方が急進的だった訳である。こうした「荒野のラジカリズム」を細かく跡付けていくことは、西洋中心主義の相対化・脱中心化に有用である。
さらに、もし偶然に表現が似ていたとしても、その内容や文脈が異なることがある。例えば、やはり地面に大穴を掘るアイディアでは、1967年のオルデンバーグの《静かな市の記念碑》は政治的な意味合いが強かったが、1968年の関根伸夫の《位相‐大地》は非政治的で哲学的な意味合いが強かった。また、前者は西洋のアースワークの先駆けになったが、後者は日本のもの派の出発点になった。こうした個々の作品の成立背景や歴史的位置付けを丁寧に押さえることも、西洋中心主義の相対化・脱中心化に有効である。
そして、もし表現が先行例に影響を受けたとしても、単なる模倣ではなく新たな独創であることがある。例えば、1969年に始まる新潟の堀川紀夫の《石を送るメール・アート》は、ロバート・スミッソン、高松次郎、松澤宥、河原温、丹波勝次等の先行者に学びつつ新たな創意を加えていた。そうした影響を受けた上での創意工夫を意味する「インターポエティック(interpoetic)」の様相をきちんと捉えることも、西洋中心主義の相対化・脱中心化に有益である。
その上で、ここが本書の急所であるが、富井氏はより重要な観点として「オペレーション」という分析概念を提出する。これは、「表現(expression)」の対概念である。つまり、作家による内面の作品化が「表現」であり、その作品を社会化することが「オペレーション」である。作家の主体性(agency)は、この二つの側面で発揮される。
注意すべきは、作品の「表現」は目に見えるが、「オペレーション」は目に見えないことである。つまり、作品の外部で作品を社会化する行為(展覧会・批評・営業等)や制度(学校・美術館・画廊・マスメディア等)は構造として捉えなければ認識されない。その意味で、「オペレーション」はそうした「見えざる(複数の)手」によって構成されている。そこでは、従来の「表現」中心の美術史も脱却されなければならない。
こうした富井氏の立場は、構造主義・ポスト構造主義の思想的影響を受けて、作品の内実だけではなく構造の分析を重視し、偏った近代西洋的価値観の是正を目指す、1970年代以後の欧米のニュー・アートヒストリーの流れを受けたものと言える。アメリカ留学以来、富井氏はそうした本場の学問的潮流の渦中で数多くの重要な仕事に継続的に取り組んできた。その長年の思考と実践の産物である本書は、世界美術史の提唱も含めて、そうした国際的・学際的な学問的動向の一つの成果なのである。
いずれにしても、ローカルな美術の独自性は「表現」よりもむしろ「オペレーション」に現れうる。「表現がグローバルに似ていても、オペレーションがローカルに異なる場合が多々ある」(58頁)。なぜならば、個人の内面の作品化の過程よりも作品の社会化の過程の方が、固有の現実的条件に影響される度合いが高いからである。そこには、置き換え不可能な「生きられた経験(lived experience)」がある。
「中心」からのトップダウンでいかに西洋の主流化に染まったかよりも、「周縁」からのボトムアップでいかに「表現」や「オペレーション」で創意工夫したか、その主体的な独自性を肯定的に評価し、調査を詳細に蓄積していくこと。それこそが、具体的に西洋中心主義を脱却させ、より望ましい世界美術史の構築に貢献するのである。
ここで、西洋もまた「中心」ではなく「周縁」に過ぎないという観点が成立する。つまり、西洋の近代化が唯一絶対の規範なのではなく、「国際的同時性」が進んだ1960年代以降は、「西洋型モダニズム」「日本型モダニズム」「××型モダニズム」等の複数のモダニズムが世界的に並行していると考えられる。
その中でも「日本型モダニズム」は、広大に広がっている周縁からの世界美術史構築への貢献において一つの基準モデルになりうる。なぜならば、「日本型モダニズム」は、「国際的同時性」の黎明期から直接西洋と交流しているので関係項が少なく(例えば「台湾型モダニズム」は西洋のみならず日本との関係も考慮しなければならないだろう)、表現もオペレーションも創意工夫に富む様々な見所があるからである。
本書が、そうした「日本型モダニズム」を特徴付ける「オペレーション」の実例として大きく取り上げるのが、団体展と貸画廊である。
まず、団体展は、いわゆる日本人の集団主義を反映した日本独自の文化として「日本型モダニズム」の基本形態を形作ると共に、戦前と戦後の時間的連続性も担保する。その中でも、1954年に結成された具体美術協会は、戦前に二科会に属した吉原治良の創意の下に、大型団体展の持続的安定性と小型グループ展の革新的実験性の両方の長所を取り入れた団体であり、その絶妙な「オペレーション」により「国際的同時性」に通じる前衛的な「表現」が生み出されたと言える。
また、同じく日本独自の文化と言われる貸画廊が戦後日本美術に果たした役割も大きい。1964年に無鑑査の読売アンデパンダン展が無くなった後に、言わば「細分化されたアンデパンダン展」として発展した貸画廊は、若手作家達の前衛的実験の受皿であった。例えば、1963年に開廊した内科画廊は、ハイレッド・センター、篠原有司男、松澤宥等の貴重な制作発表の場となっている。また、企画画廊であるが、1950年に日本で最初に現代美術を扱い、戦後日本美術の強力な「孵卵器」となった東京画廊の支援抜きには、1960年代から70年代にかけての斎藤義重、高松次郎、もの派の先鋭的展開は考えられないだろう。
そして、何よりもまず本書の長所は、従来西洋的な主流化の文脈で評価されてきた1950年代の具体美術協会から1970年代のもの派へという流れの狭間にある、1960年代の戦後日本美術の独自性にこの「オペレーション」という分析概念を通じて光を当てるところである。そこでは、特に「周縁」の中でも「中心」性を持つ特殊な「荒野」としての京都への注目や、プロデューサーとしての峯村敏明や中原佑介が主導する1970年の「東京ビエンナーレ ’70」が有していた「オペレーション」上の創意工夫の特質の分析などが興味深い。それらを通じて、本書は西洋のみならず全世界に向けて、ローカルに堅実でありながらグローバルにバランスの良い世界美術史の構築を呼びかけているのである。
東京に対する大阪出身であり、文系に対する理系出身であり(文系に進路変更する前は大阪大学理学部数学科卒業)、アイビーリーグに対する州立テキサス大学出身であり、「Japanese woman in New York」であるという様々な「重荷」を抱える富井氏は(そもそも国外で国内を実証研究すること自体が想像を絶する困難さのはずである)、それにもかかわらず現在のように戦後日本美術史研究の国際的リーダーの一人へと粘り強く着実に業績を積み上げる過程で、おそらく幾重にも「周縁」から世界を眺める経験を乗り越えてきたのではないかと想像される。そうした富井氏だからこそ、相手を十分に認めた上で盲目的な崇拝にも不必要な卑下にも陥らずに、誰とでも人間として対等に向き合おうとするその世界美術史の提言には真摯な必然性と誠実な説得力が感じられる。
なお、現在私が『美術評論⁺』で連載している『〈もの派〉の根源――現代日本美術における伝統的感受性』は、富井氏の用語を借りれば、戦後日本美術における作家の主体性を主に「表現」に注目して考察するものである。その点で、作家の主体性を「表現」だけではなく「オペレーション」からも把握していく本書の観点は、研究者として非常に参考になったことに感謝申し上げたい。
最後に、出版社の方々には、富井氏の前著『荒野のラジカリズム――国際的同時性と日本の1960年代美術』の一日も早い翻訳出版を心から期待したい。
【関連論考】
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https://critique.aicajapan.com/7328
■ 『アートスケープ』
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【ニューヨーク】つながりと共振──「荒野のラジカリズム:グローバル60年代の日本の現代美術家たち」展 梁瀬薫(アート・プロデューサー、アート・ジャーナリスト)
https://artscape.jp/focus/10153431_1635.html
■ 『Art Annual Online』
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富井玲子『荒野のラジカリズム:国際的同時性と日本の1960年代美術』がロバート・マザーウェル・ブックアワードを受賞
https://www.art-annual.jp/news-exhibition/news/66501/
■ 秋丸知貴『〈もの派〉の根源――現代日本美術における伝統的感受性』
第1章 関根伸夫《位相-大地》論――観念性から実在性へ
第2章 現代日本美術における自然観――関根伸夫の《位相-大地》(1968年)から《空相-黒》(1978年)への展開を中心に
第3章 Qui sommes-nous? ――小清水漸の1966年から1970年の芸術活動の考察
第4章 現代日本美術における土着性――小清水漸の《垂線》(1969年)から《表面から表面へ-モニュメンタリティー》(1974年)への展開を中心に
第5章 現代日本彫刻における土着性――小清水漸の《a tetrahedron-鋳鉄》(1974年)から「作業台」シリーズへの展開を中心に