「政治的なアーティスト political artist」を自任する、キューバのアーティストのタニア・ブルゲラは、「Tatlin’s Whisper」というシリーズを、2006年の《Tatlin’s Whisper #3》を手始めに、《Tatlin’s Whisper #5》(2008)、《Tatlin’s Whisper #6》(2009)と、現在に至るまで三つ行っている[i]。このシリーズは、メディアにおいて広く流通しているイメージを取り上げ、観客が直接体験する参加型のアクションにすることによって、メディアによって陳腐化されたイメージを観客の現実的な体験へともたらそうとする一連の試みである[ii]。それらのなかで最も有名なものといえば、テート・モダンのターバイン・ホールに架けられたブリッジ上で2008年に行われた《Tatlin’s Whisper #5》[iii]であるだろう。パフォーマンスの開催を予告することなく、二人の騎馬警官が、そのときたまたまブリッジ上にいた観客に対してさまざまな群衆コントロールのテクニックを行使するという作品である。この作品においても、ブルゲラは、抗議活動などにおける騎馬警察による群衆の管理という、特にヨーロッパにおいてメディア上で広く流通しているイメージを流用し、たまたまその場にいた観客を、パフォーマンスだと知らせることなくそうしたテクニックに直接的に晒し従わせることによって、ありふれたイメージと観客との関係をより直接的なかたちで結び直そうとした。
このとき観客は、テート・モダンに有名な絵画や彫刻などを見に来た鑑賞者として、もしくはロンドンにおける観光地の一つにやって来た観光客として見物人のような態度で振る舞うことは、もはや不可能となり、好むと好まざるとにかかわらず半ば強制的に騎馬警官による群衆コントロールへ巻き込まれ参加させられている。すなわち、この作品の「参加者」は、このパフォーマンスに自ら能動的に参加しているわけではなく、気づいたら、すでにこの作品、この状況のなかにいて参加させられているのである。ブルゲラの作品はこのように、見物人、傍観者だと思っている人々、自分は関係ないと思っている人々に対して、「あなたもすでに状況のなかにいるのだ、参加しているのだ」ということ、さらには群衆コントロールが用いられる暴動や抗議活動のようなメディア上のイメージとあなたたちは関係しているのだということを突きつけるのである。この作品は、騎馬警官の指示に受動的に従うことを参加者に強いているのであり、他の多くの参加型アート作品とは違って、見物人のように受動的な態度で作品を見ている観客を、さまざまなアクティヴィティを用いて能動的な参加者へ変容させたり、他の人々との対話的・友好的な関係へと引き入れようとしたりするのではない。「気づいたらすでに状況に参加していた」というその「気づき」を与えるのである。そこには、状況は、その外部に立つことができて時には自分から能動的に入っていけるようなもののように対象化されたかたちで存在しているのではなく、否応なしにすでに自らが巻き込まれているものであるというブルゲラの認識がある。
これは《Tatlin’s Whisper #5》に限定されたものではなく、たとえば、《Trust Workshop / Untitled (Moscow, 2007)》やその別バージョンである《Delayed Patriotism》(2007)も同様の考え方に基づいている。ここでは、前者の作品を取り上げてみることにしよう。これは、2007年のモスクワ・ビエンナーレにおいて発表されたもので、観客が小さな空間に入ると、そこにカメラマンがいて、生きている猿や鷲と一緒に写真に収まるよう求められる。そして、撮影の際に生きた動物たちに気を取られていた観客は、出来上がった写真をのちに受け取ったとき、フェリックス・ジェルジンスキー、つまりソ連における最初の二つの国家公安組織の創設者が映った写真の前で自分たちが撮影されていたことに気づくことになるのである。この作品もまた、普段の生活においてKGBの存在がつねに背後にあること、自分たちがKGBと決して無縁ではないこと、すなわち、自分たちが、KGBが依然として暗躍している状況への参加者であることを観客に突きつけるものなのである。したがって、ここでも、作品によって観客は能動化され状況へ参加するようになるのではない。むしろ人々は作品以前からすでにその状況の内部に巻き込まれているのであり、作品を通してそのことを気づかされるのである。
ブルゲラはしばしば、「表象 representation」という概念を批判しているが、それは、今まで述べてきたような、状況への内属といった考え方とも関連していると理解することができるだろう。ブルゲラはローズリー・ゴールドバーグとのインタビューにおいて、次のように語っている。
私は現実とともに仕事をしたいのです。現実の表象とともにではなく。私は、自分の作品が何かを表象して欲しくはありません。人々がそれがアートであることを時には知ることさえなしに、それを見るのではなくそのなかにいて欲しいのです。これは現実の状況でした。[iv]
たとえば、政治的なテーマを象徴的に描き出す絵画や映像も、政治的作品であることは確かであろう。実際、世の中で政治的な作品と呼ばれるものは、ほとんどがそういうものである。しかし、ブルゲラは、政治的アーティストを自称していても、そういったタイプの作品を制作しようとはしない。彼女にとって、そのような作品は「現実の表象」でしかなく、現実それ自体を直接扱い現実のなかで活動するものではないからである。絵画や映像という形で現実を表象することは、それらが描き出す現実の状況を作品という形態へと閉じ込めて対象化し、現実と観客とを切り離してしまうことである。そして、そうした作品は、外部の現実から隔離されたホワイトキューブにおいて鑑賞されることになるだろう。だが、《Tatlin’s Whisper #5》や《Trust Workshop / Untitled (Moscow, 2007)》といったブルゲラの作品では、たとえそれらが美術館において行われたとしても、観客はもはや現実から距離を取った見物人でいることはできず、自らが現実の状況のなかにすでにいることを思い知らされるのである。したがって、ブルゲラが《Tatlin’s Whisper #5》で、パフォーマンス作品が行われることをあえて事前に知らせなかったこともそのことと関係していると考えられる[v]。もし前もって告知したとするならば、それは観客によってアート作品であると認識されてしまい、同じテート・モダンで絵画や彫刻、映像作品を見るのと同様に、自らに関わる現実とは切り離された「パフォーマンス作品」として鑑賞されてしまったであろう。そうならないためにこそ事前の告知は回避されたのである。
《Tatlin’s Whisper #5》では、騎馬警察によって観客はあたかも「暴徒」であるかのように管理されていたが、それよりも知られてない同じシリーズの作品《Tatlin’s Whisper #3》では、観客はさらに過激化したやり方で扱われ、もはやそれは「不法性」に近づいている。この作品で、スペイン・マドリードのコマーシャル・ギャラリーで行われるオープニング・パーティーにやって来た人々は、気がつくといつの間にか火炎瓶を製造するワークショップに参加させられているのである[vi]。この作品において参照されているのは、メディアにおいて広く流通している、さまざまな抗議活動や蜂起のイメージ、そしてそこで火炎瓶が用いられているイメージである。そして、好むと好まざるとにかかわらず、気軽にオープニングにやって来た観客は半ば強引な形で火炎瓶製造ワークショップという状況へ巻き込まれ、抗議活動や蜂起のイメージへと直接的に接続されるのである。
アメリカの美術史家・批評家キャリー・ランバート-ビーティは、この作品に関してこう述べている。
アートとアート鑑賞は、危険な活動として扱われ、もしくはむしろ、危険な活動であるようにされている。ブルゲラは喜んで、火炎瓶とその製造法の知識を持った彼女の観客を夜陰へと送り込む。つまり、彼女は実際に観客を潜在的に危険な人々にするのである。ここにおいて、アルテ・デ・コンドゥクタは、アート鑑賞者がみな「政治的な人々 political people」であると見なしている。そしてもし我々がそうでないならば、彼女はそのようにするのである。[vii]
ブルゲラは、《Tatlin’s Whisper #5》において、テート・モダンに作品鑑賞にやって来た人々を、警察による管理を必要とするかもしれない危険な「暴徒」であるかのように扱っていた。それと同様に、《Tatlin’s Whisper #3》では、オープニングで社交を楽しむためにやって来たであろうアート鑑賞者は、友好的で善良なブルジョワ市民[viii]ではなく、暴動に参加するかもしれないような、火炎瓶を製造し警察に向かってそれを投げるかもしれないような「潜在的に危険な人々」に仕立て上げられている。こうして両作品において、「危険な人々」になりうるという、アート鑑賞者が本来持っている潜在性に焦点が当てられているのである。このように、ブルゲラのこれらの作品において、参加型アートにおける観客像が大きく変更されていることに注意すべきであろう。加えて、アート鑑賞者が「政治的な人々」と見なされているとランバート-ビーティが指摘していることも注目に値する。ブルゲラの作品においてアート鑑賞者たちは、外部の現実から切り離され、距離を取って作品を見るだけの人々、つまり見物人や傍観者ではなく、政治的な状況につねにすでに巻き込まれそのなかにいる「政治的な人々」であるということをそれは示しているのである。
ここまで検討してきた「Tatlin’s Whisper」シリーズの二つの作品、そして《Trust Workshop》は、観客が作品の一部となって参加する、いわゆる「参加型アート」に分類されるであろう。そして、ブルゲラは他にも多く参加型の作品をつくっている。しかし、ブルゲラは、他のタイプの作品も制作しており、彼女のすべての作品が、いわゆる参加型アートであるというわけではない。では、ブルゲラのそうしたタイプの作品はどのようなものであろうか。それは、参加型アートに分類される作品との関係においてどのように理解できるだろうか。例としてここでは、通常参加型アートとは呼ばれないであろうブルゲラの最初期の作品《Tribute to Ana Mendieta》を取り上げて検討してみることにしよう。
この作品は、ブルゲラがキューバでまだ学生であったとき、1985年にキューバ系アメリカ人のアーティストであるアナ・メンディエタが死去した直後に構想され、1986年から1996年まで行われた長期間に及ぶプロジェクトである。ブルゲラは、この約10年間にわたって、キューバで展覧会に招待されたとき、自分の作品を展示することに加えて、必ずメンディエタのパフォーマンスを行った[ix]。このプロジェクトに、1990年代後半から2000年代前半にかけて流行し、2005年にニューヨークのグッゲンハイム美術館で開催されたマリーナ・アブラモヴィッチによる「Seven Easy Pieces」で絶頂を迎えた「パフォーマンスの再演 reenactment」の先駆けを見出すことも可能かもしれない。だが、そもそもブルゲラは、《Tribute to Ana Mendieta》などの自作品を、これらと同様の「パフォーマンス・アート」に分類することを拒否し、その代わりにそれをスペイン語で「アルテ・デ・コンドゥクタ Arte de Conducta」と呼んでいる。それは、英語で「behavioral art」と訳されることも時にはあるものの(日本語ではとりあえず「振る舞いの芸術」とでも翻訳することができるだろう)、ブルゲラはあえて「Arte de Conducta」とスペイン語で表記することにこだわる。英語ではなくスペイン語を用いることで、それが「パフォーマンス・アート performance art」とは似て非なるものであり、異なる系譜、特にラテン・アメリカの伝統に属することを明示的に表すためだ。ブルゲラはかつて、パフォーマンス・アートを学ぶためにシカゴに移ったとき、パフォーマンス・アートは、自らの伝統とは全く関係のない西洋の伝統に結びつくものであり、自分の仕事は、キューバ、ラテン・アメリカ、そして旧社会主義国における政治的アクションやパフォーマンスにむしろ関係していることを認識したのだという[x]。
ブルゲラは、アルテ・デ・コンドゥクタとパフォーマンス・アートやボディ・アートとの違いについて次のように説明している。
アルテ・デ・コンドゥクタは、社会的身振りそしてコミュニケーション的身振りです。身体ではなく社会的存在を重視します。素材は、社会的領域、つまり態度と振る舞いであって、人間の身体ではありません。アルテ・デ・コンドゥクタは問いかけます、いかにして我々は身振りを用いそれを変容させうるのか、と。[xi]
ブルゲラは同じインタビューで、パフォーマンス・アートは「自己言及的(アイデンティティ、個人史に関わる)であり、ナラティヴである」[xii]とも述べているように、パフォーマンス・アート(とボディ・アート)がパフォーマンスする身体や自己と深く結びついているのに対して、アルテ・デ・コンドゥクタは、パフォーマンスする身体よりも、むしろその外部に広がる社会的領域に関わっているのであり、そこにこそ両者の大きな差異があると考えている。
さらに、ブルゲラは、《Tribute to Ana Mendieta》が、自らの仕事を表すキー概念のひとつ、「ポリティカル・タイミング・スペシフィシティ political timing specificity」に関連しているとも主張している。そもそもポリティカル・タイミング・スペシフィシティとはどういう概念なのか[xiii]。ブルゲラは、2008年頃にその概念にたどり着いたという[xiv]。もともと彼女は長い間、自らの作品を「サイト・スペシフィック」と呼んできたが、人々が、ブルゲラの主要な関心である政治的力学よりも文化的・人類学的次元に焦点を当てる傾向が強いことに気づいた。そのため、「サイト」を「ポリティカル・タイミング」で置き換えることにしたのだという。ポリティカル・タイミングとはまさに、それでもって政治家が仕事を行うメディウムであり、アーティストであるブルゲラも、政治家と同様に、そして政治家と同じ次元において、それを自らの作品の素材とするのである。もはや事後的な政治的コメントとして作品をつくるのでは十分ではない。先述のように、それだと政治的なテーマの「表象」にしかならないからだ。ポリティカル・タイミング・スペシフィック・アートは、政治的なものの表象ではなく、適切な瞬間にある特定の状況に介入する政治的な力となり、政治的な状況を新たにつくり出すのである。
では、ポリティカル・タイミング・スペシフィック・アートである《Tribute to Ana Mendieta》はいかなる政治的状況を生み出したのか。当時キューバでは、キューバ内に居住している者だけが公式のキューバ人アーティストとして認められていたため、いわゆる「ピーターパン作戦」によって12歳のときにキューバからアメリカに連れてこられた国外移住者であるアナ・メンディエタは、キューバ政府によってアーティストとして公式には認められていなかった。したがって、この作品は、キューバ人による国外脱出・亡命と、それに対するキューバ政府の対応という政治的な問題全体にも関わっている。キューバにおけるそうした状況に対してブルゲラは、キューバ国内の展覧会においてメンディエタの作品を再び行うことによって、キューバの美術的・文化的文脈のなかにもう一度メンディエタを据え直そうとしたのである。ゆえに、ブルゲラは、敬愛するメンディエタへの単なるオマージュとして、もしくは何らかの主張を象徴的に表すために、このプロジェクトを行なったのではない。キューバ政府の意思に反して、メンディエタ、さらにはキューバからの国外移住者をキューバに再導入するという具体的かつ政治的な目的をもち状況への介入として行なったのである。ここで、アートは、ポリティカル・タイミングという、政治家と同じメディウムを用い、政治家と同じ次元において活動し、目的を達成するための政治的な力となっている。このとき、《Tribute to Ana Mendieta》という作品は、それを展覧会で見ている観客というよりも、むしろ主にキューバの政治家そしてキューバ政府に対して向けられている。ブルゲラは、この作品を通して、半ば挑発的なやり方を用いて何らかの反応をせざるを得ないようにキューバ政府を追い込むことによってメンディエタなどの国外移住者に関わる議論へと無理やり引きずり出し、否応なしにキューバ政府がそこに参加させられるような政治的状況を新たにつくり出しているのである。
クレア・ビショップは『人工地獄』において、現場で参加型アート作品に直接参加するのではなく、あとになってから映像や写真、インスタレーション、出版物などを通してさまざまな場所においてその作品を鑑賞する人々のことを「二次的な観客 secondary audience」と呼び、その重要性を主張した[xv]。その概念をここでの議論に敷衍するならば、《Tribute to Ana Mendieta》において、作品が行われた現場に立ち会っておらず直接参加していないキューバ政府のことを、二次的な観客ならぬ、「二次的な参加者」と呼ぶことができるのではないか。この作品は、その現場から遠く離れたところにいるキューバ政府を参加者として、新たに創造された状況のなかに巻き込むようなかたちで行われたのである。ここでもまた、「二次的な参加者」こそが重要なのである。《Tribute to Ana Mendieta》は、一見したところ、アナ・メンディエタによるパフォーマンスをブルゲラが一人で再演しているだけであり、いわゆる参加型アートではないと思うかもしれない。しかし、これは、ポリティカル・タイミング・スペシフィック・アートとして、キューバ政府のようなその場にいない人々をも(二次的な)参加者として巻き込む状況をつくり上げているという意味において、「拡張された参加型アート」であると言うことができるだろう[xvi]。タニア・ブルゲラは、作品が行われる実際の場を超える拡張された領域において、政治家をも巻き込み、新たにつくり出された状況へと引き入れるのであり、政治家たちは気づいたらその状況にすでに参加しているのである。
[i] 本論において、ブルゲラの作品タイトルは、いまだ定着した日本語訳がほとんどないため、英語で表記することとする。
[ii] 「Tatlin’s Whisper」シリーズ全体に関しては、以下の論文を参照。
Andrés David Montenegro Rosero, “Arte de Conducta: On Tania Bruguera’s Tatlin’s Whisper Series”, Charlotte Bonham-Carter and Nicola Mann (eds.) Rhetoric, Social Value and the Arts: But How Does It Work? (London: Palgrave Macmillan, 2017)
[iii] フランスのキュレーターであるピエール・バル-ブランによって企画された、2日間に及ぶ、テート・モダンでのパフォーマンスの展覧会「The Living Currency」の一部として行われた。
テートのウェブサイトにおいて、このパフォーマンスの一部とブルゲラへのインタビューの映像を見ることができる。
https://www.tate.org.uk/art/artists/tania-bruguera-11982/tania-bruguera-tatlins-whisper-5
[iv] Roselee Goldberg and Tania Bruguera, “Being Cuban: Interview Ⅱ”, Prince Claus (ed.) La Biennale Di Venezia, (Chicago: Lowitz and Son, 2005), p.18. 拙訳。強調は引用者。
[v] ブルゲラは、作品であることや作品の形態を予告することなく、人々をそれに参加させることをしばしば行っているが、こうした手法はブラジルの演出家であるアウグスト・ボアールの「見えない演劇」を思い起こさせる。実際、クレア・ビショップは最近出版されたブルゲラへのインタビュー本において、ブルゲラが翌2009年に行った《Generic Capitalism》という作品とボアールの「見えない演劇」との共通性を指摘している。しかし、ブルゲラによれば、《Generic Capitalism》の段階において(そして《Tatlin’s Whisper #5》のときも)ボアールの「見えない演劇」という概念をまだ知らず、2011年にトム・フィンケルパールに紹介されて初めて知ったのだという。
Tania Bruguera & Claire Bishop, Tania Bruguera in Conversation with/en Conversación con Claire Bishop, (New York: Fundacion Cisneros, 2020), p.38.
ボアールの「見えない演劇」に関しては、以下の文献を参照。
アウグスト・ボアール『被抑圧者の演劇』里見実他訳、晶文社、1984年、pp.58-65.
クレア・ビショップ「第四章 明示された社会のサディズム」『人工地獄 現代アートと観客の政治学』大森俊克訳、フィルムアート社、2016年
[vi] 言うまでもなく、このようなワークショップがオープニングの夜に行われることは事前に告知されていなかった。
[vii] Carrie Lambert-Beatty, “Political People: Notes on Arte de Conducta”, Tania Bruguera: on the Political Imaginary, (Milano; New York: Charta, 2009), p.43. 拙訳。強調は引用者。
「アルテ・デ・コンドゥクタ」という、ブルゲラ独自の概念に関しては後述する。
[viii] たとえば、リレーショナル・アートで想定されている観客像はそのよう人たちであろう。
[ix] おそらくメンディエタの7つのパフォーマンスを行い、加えてオブジェクや写真も再制作したという。《Tribute to Ana Mendieta》に関しては、Bruguera & Bishop, 前掲書の他に、以下の論文を参照。
Claire Bishop, “Rise to the Occasion”, ARTFORUM, Vol. 57, No. 9, 2019.
[x] Andrés David Montenegro Rosero, op.cit., pp.88~94.
[xi] Bruguera & Bishop, op.cit., p.15. 拙訳。
[xii] Ibid. p.21. 拙訳。
[xiii] 以下の「ポリティカル・タイミング・スペシフィシティ」に関する解説は、主にBruguera & Bishop, 前掲書の第二章、Bishop, 前掲論文を参照した。
[xiv] したがって、《Tribute to Ana Mendieta》はこの概念が生まれる前に制作された作品だということになるが、ブルゲラは遡行的に、この作品が「ポリティカル・タイミング・スペシフィシティ」に関わる作品であったと理解している。
[xv] ビショップ、前掲書を参照。
[xvi] このことは、ブルゲラが、《Tribute to Ana Mendieta》での自らの試みを決して「再演 reenactment」と呼ぶことを拒否し、「再び行うこと redoing」という語で表現していることとも関わる。ブルゲラがそこで行っていたことは、伝説のパフォーマンスを再現することではなく、現在における新たな状況において、その状況との関わりにおいて、それを再び行うことなのである。したがって、そのような意味でも、ブルゲラの試みは、西洋の文脈において1990年代後半から2000年代前半にかけて流行した「パフォーマンスの再演 reenactment」とは次元を異にしており無関係であると言えるだろう。「パフォーマンスの再演」は現在の状況との適切な関わりを欠いているとブルゲラは考えているのである。