「温故知新」「三十にして立つ、四十にして惑わず」「子曰く、学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思ひて学ばざれば即ち殆(あや)ふし」等々の格言を数多く流布した儒教は、中国から伝来して日本の歴史に根づいた思想の一つだ。孔子の言行録である『論語』とともにもたらされ、仏教思想などと並んで、日本の伝統文化とは不可分の関係にある。
一方で、筆者は日本を「美の国」と考えている。縄文時代に始まり、奈良・平安の昔には美を深く尊ぶ空気が醸成され、絵巻物や仏像などを通して、千年以上の歳月にわたってさまざまな美を多様な技法・媒体で表してきた。その中で、儒教もまた、美の範疇にある「かたち」となった。
そこに着目し、実際に日本人の儒教の受容を目に見える「かたち」で表した絵画や彫刻等で構成された「儒教のかたち こころの鑑(かがみ) 日本美術に見る儒教」と題した企画展が、東京・六本木のサントリー美術館で開かれている(1月26日まで)。ここでは、後期展示のレビュー記事をお届けしたい。
鳳凰が飛ぶ空間を演出する障屛画
江戸時代に儒教を絵の題材にした画家の代表格は、狩野派だった。なぜか? 幕府や大名の御用絵師だったことが大きそうだ。その前の時代から、儒教は「君主の学問」として日本で流布していた。特に室町時代後半以降、戦国の世を終えることを目指して全国の統制を図ろうとしていた武士たちにとっては、頼りになりうる思想だったようだ。
京都・南禅寺蔵、伝狩野永徳《二十四孝図襖》は、豊臣秀吉が建てた正親町院(おうぎまちいん)仙洞御所対面所に由来し、同寺に収まっているという。この絵には、中国の故事で親への孝行がすぐれたとされる24人の人物「二十四孝」のうちの10人が描かれている。例えば、雪が積もる中、季節外れの筍を病気の母のために探す孟宗という少年の姿が小さく描かれたシーンがある。掲載した写真では、右から2番目の襖の真ん中よりも少し上のほうに配されている。説話の内容を知れば、いかにも儒教らしい教訓にのっとったモチーフであることがわかる。
筆者がここで特に注目したいのは、全体で見ると、この作品が金をふんだんに使った絢爛豪華な襖絵であることだ。金をぜいたくに使うのは、「金碧障壁画」という言葉が生まれることにつながる、当時の絵画界の傾向でもあった。襖絵などの障屛画(しょうへいが)は部屋を飾る調度品だったが、当時の武士たちは儒教の教訓を得るという名目下でも、華麗な空気に身を浸せるよう、絵師たちに要望したのではなかろうか。
伝説上の動物である鳳凰の図柄も重用されたようだ。『論語』では、鳳凰がすぐれた君主の出現をことほぐ伝説の下で現れるという。狩野探幽《桐鳳凰図屛風》も、金箔が美しい。この屛風が飾られた部屋にいた「君主」の満足感は、かなり高かったのではなかろうか。
君主は音楽ができなければいけない
儒教では、「君主は音楽ができなければいけない」という。このことを知るに及んで、少々頭が覚醒させられた。音楽をテーマにしながらも演奏者の姿がなく、太鼓や琴などの楽器のみが描かれている図様が斬新な《楽器図》は、儒教のそんな考え方の下で描かれた絵画らしい。
儒教においては、正当な音楽は天子から発せられ、正しい治世に欠かせないものとして重要視されたという。はたして、楽器をどんなレベルで演奏できたかは不明だが、たとえば皇室では今でも歌合の会などに望むために和歌を詠む相応の能力が必要だ。同じように、楽器を使って音楽を奏でるのが基本的な素養だったと考えると、ただ武に長けるのが「君主」の条件ではなくなり、マルチな能力を求められる。実に興味深い話だ。現代でもそうあってほしいとさえ思う。
音楽は天上からの響きという考え方は、時折西洋絵画にその例を見ることができるが、楽器を持つ飛天などが描かれた絵画などが存在することを考えれば、おそらく東洋にもあったのだろうと思う。音楽を心から愛する筆者のような者から見れば、こうした絵が描かれたこと自体、何と素敵なことかと思う。
狩野派はなぜ農村の絵を描いたのか
もう一つ、ぜひ取り上げておきたい画題がある。一見、農村風景をただ描いた純朴な絵のように見える「四季耕作図」だ。筆者はこの画題が好きだ。為政者が居室で農民の苦労を知るためという、特別な目的で描かれた絵だからだ。
もちろん、筆者は今の時代に身分制度をよしとするわけではないけれども、例えば、企業の経営者層が平社員の労働の実態をよく分かっていないから、社員支店での経営改革ができないなどという、現代でもありがちな状況にもものを言うような画題なのではないだろうか。本展に出品されている狩野晴川院養信《四季耕作図屛風》 は、やはり金を基調とした麗しさを特徴としている。江戸時代は度重なる飢饉によって農民はたびたび大変な生活を強いられていたが、為政者はある種の理想郷を知るためにも、こうした絵を置いていたと考えると、少し救われる。
浮世絵の題材になった儒教
NHK大河ドラマ「べらぼう」第2話(2025年1月12日放送)で出てきた「忘八」は、儒教の「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の8つの徳目を「忘」れることから「女郎買い」という不埒(ふらち)な行いに走るというたとえから生まれた言葉である。逆に言えば、儒教はそれほどまでに人々の間に広まっていたと見ていい。
もちろん、将軍家にあった襖絵などを庶民が見ることは普通できない。しかし、江戸の素晴らしいところは、庶民の間で歌舞伎や浮世絵などの文化が広まっていたことだ。
本展に出品されている《忠臣蔵 夜討三 本望》は、風景画の名作シリーズ「東海道五十三次」で知られる歌川広重の作品だ。
※掲載した写真は、筆者がプレス内覧会(後期展示)で許可を得て撮影したものです。
【展覧会情報】
展覧会名:儒教のかたち こころの鑑 日本美術に見る儒教
会場:サントリー美術館(東京・六本木)
会期:2024年11月27日(水)~2025年1月26日(日)※展示替えあり
公式ウェブサイト:https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2024_5/index.html