山下和也展「うつしあう世界」
会期:2023年9月15日(金)~25日(月)
会場:GALLERY301
2023年9月15日(金)から25日(月)まで、神戸市栄町通にあるGALLERY301で山下和也展「うつしあう世界」が開催されている。山下は、現在、C.A.P.(芸術と計画会議)が入居・一部運営している「海外移住と文化の交流センター」にスタジオを構え、スタジオ内外でさまざまなプロジェクトを行いながら、制作活動を続けている。山下はなかでも外部に向けて活発に活動をしているアーティストのひとりだろう。
C.A.P.は、もともと、1994年に神戸の旧居留地にある、杉山知子のアトリエを拠点に、杉山と同じ京都市立芸術大学出身のアーティストが中心になって集まった任意団体だった。初期に集まったのは杉山に加え、赤松玉女、石原友明、椿昇、松井智恵といった11人のメンバーで、いわゆる「関西ニューウェーブ」の立役者たちと言ってもいいかもしれない。90年代になって「関西ニューウェーブ」の動向も一段落し、新しい世代が台頭する時期にあたる。杉山らは、「私的」と言われた活動から、90年代になって社会的なアプローチを始める。とはいってもあくまで「私的」な関心の延長線上に、社会とのつながりを求めるようになったというべきだろうか。近代建築が立ち並び、整然と区画化された旧居留地にアートセンターをつくり、「旧居留地ミュージアム構想」として、旧居留地全体が存命のアーティストと市民が交流する空間になるよう行政に提案したのだ。杉山のアトリエでは「CAPATY」と称し、活発に人々が交流するパーティーが開催されていた。
しかし、緩やかだった任意団体は、1995年に阪神・淡路大震災が起きたことにより、神戸自体が甚大な被害を受けたり、海外から支援金が届いたりすることによって、よりアクティブな組織に変わっていく。1999年から2000年をまたいで、旧神戸移住センターを半年間限定で貸与され、そこをスタジオにしたり、イベントをしたり、実験的なアートセンターを立ち上げる。その後、NPOとなって移住関係の資料展示を請け負うことになり、2009年、旧神戸移住センターが「海外移住と文化の交流センター」としてリニューアルオープンする際、スタジオを運営することになる。
2014年末には、杉山を含めた初期のメンバーは抜け、元ジーベックのプロデューサーである下田展久が代表となってさまざまな活動を継承している。入居者は、条件としてオープンスタジオなど市民に開いていく必要がある。また、海外の類似した団体と交流して交換でレジデンスをしたり、市民を巻き込んだりするプロジェクトを実施している。
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山下は、新しい世代のC.A.P.のメンバーであるが、初期のC.A.P.の構想に近い形で、山麓に位置する「海外移住と文化の交流センター」から、元町などの中心市街地に新しい拠点をつくり、交流を深めるプログラムを実施しているといってよい。
今回は、山下自身の展覧会であるが、幅広い関心がうかがえる。山下は、京都嵯峨芸術大学短期大学部美術学部美術学科専攻科二次元表現コース日本画古画研究工房(現在は嵯峨美術大学)を卒業後、同附属研究所の研究生を経て、文化財修復などの仕事に従事しながら制作を続けているという。関西圏以外では嵯峨美術大学は知らない人がいるかもしれないが、美術・芸術大学が集積している京都の中でも、大覚寺を母体としていることもあって、「古画研究」が盛んである。そこでは明治以降の西洋化した「日本画」ではなく、日本や中国の古典絵画を模写するという、それ以前の教育を継承している今となってはユニークな存在であるといえる。
なかでも、今回、山下が採用しているのは水墨の技法であるが、主題やモチーフは、水・光と影、「かくこととみること」と言った普遍的なものである。いっぽうで明治以降、フェノロサや岡倉天心が敷いた教育体系の中で西洋化した「日本画」ではない可能性を提示しているように思える。というのも、山水や水墨、書、書画を組み合わせた文人画は、絵画よりも劣るものとして、退けられており、良くも悪くも西洋化しなかったジャンルだからだ。田能村直入や富岡鉄斎、矢野橋村らの新しい南画の運動はあったが、その後も、大学教育ではなく民間によって継承されてきた。
ただし、今回山下が出品した「Records」というシリーズで描いている手法は、水墨による点描画である。宋代の文人画家、米芾・米友仁父子が始めた「米法山水」という、輪郭線を用いず、墨の点を重ねる技法があり、日本でも木村蒹葭堂、広瀬臺山、岡田半江など大阪の文人画家にみられるが、主流の技法ではない。さらに山下の点描は、点というよりも、細い筆を少し置いた棒のような痕跡の集積であり、山下自身は、俵屋宗達のにじみを活かした「たらしこみ」を解釈したものだという。
とはいえ、そこで描かれているものは、小さな棒が点描状態になったものであり、形式的にはむしろスーラやシニャックなどの新印象派に近い。ただし、新印象派が意図した、絵具を混ぜずにカンヴァスに色彩を置き、並置させることで、視覚上で混色させることとは異なる。今回出品しているこのシリーズのうち右の2点の作品については、2枚の和紙に水墨で点描していき、上層の1枚は皺による起伏によって線をつくり、その皺を固定した状態で、もう1枚の下層の絵と何も描いていない紙を裏打ちという表具の技法によって1枚のシートとして合体させている。つまり3層の紙が重なって1枚の絵になっているが、裏打ちの技術や知識がなければこの構造を把握できず、1枚の紙にしか見えない。和紙が薄いため、下層の点描も見えるが、距離や角度によって点描がモアレのように変化して見える。右の2枚に関しては、後述するネウマ譜から抽出した音符の部分をカッティングし、所々下層が見えている。
左の大型の作品は、ネウマ譜からカッティングしたシートでマスキングをした後、和紙を重ねず薄い墨を塗ることで、多層性を出している。また、胡粉による斑点が散らされている。これらはよりオップアートに近いといってもいいかもしれないが、西洋画ではない方法で多層性を出している点が特徴だろう。引いてみると、水面のキラキラした反射と、透過した水中が合わさった水の流れに見えてくる。
上層と下層の墨と紙は異なるものとのことで、微妙に色の差があることも影響しているのだろう。とはいえ、それは無彩色の範囲を超えないものであり、白黒のグラデーションによる効果といってよいが、「墨は五彩を表す」という言葉にならえば、五彩を表す墨による混色といえるかもしれない。あるいは、音楽の印象派、ドビュッシーが転調で雰囲気の差が見られない、平均律のピアノを駆使したように、微妙な変化を反復させることで、キラキラした光のような演出をしていることに近い。しかし、中国の山水は、「画の六法」が範とされ、特に「気韻生動」「骨法用筆」といった生き生きとした線を重視するので、点描のような線がなく、気が寸断される方法は、おそらく亜流だろう。山下の場合は、明治以降の水墨画も近代絵画の画題や手法が取り入れられ、融合していたらどうなっていたかということへの解答といってもいいかもしれない。
山下が、東洋的な精神や主題よりも、むしろ、西洋的なものに関心を抱いていることは、もう一つの壁面に展示されていたシリーズ「Trace of being」においてより明確だ。山下が昔購入して飾っていたという、ヨーロッパ中世に描かれたグレゴリオ聖歌の楽譜(ネウマ譜)を元に、アクリルシートをカッティングし、その上から乾式拓本墨で即興的にフロッタージュのようにドローイングしていった作品群である。そちらはむしろ生々しい線の跡が残るものだ。グレゴリオ聖歌は、単旋律であり、音符は四角なので、朧気ながら四角の型が見え隠れする。ある種の楽譜のスクラッチであり、手による再生の跡といってもいいだろう。そこから、音をイメージするのは難しいかもしれないが、こちらは微妙にずれた反復が平面的に並べられたものであり、ある種のモアレを感じることができる。
双方、東洋と西洋の主題と技法が入り混じり、あったかもしれない可能性が示されている。会場は南に窓が大きく開かれており、そこにはグレゴリオ聖歌の楽譜を下敷きにして、切り取られたカッティングシートの四角いマスが貼られており、反転した楽譜となっている。窓からは日中、強い光が差し込むため、正面の「Records」は微妙な光を反射しているが、よく見ると一部は白い胡粉を上からマスの連なりにして描いているものもある。太陽光の変化を反射させる画材を用いて、絵画を浮き立たせることは日本的なことであるが、その点に関しても、窓によるステンドグラスのような効果との融合を意識しているようにも見える。
入口の前に飾られているのは2つの扉を描いた小品だが、近代美術史を知っている人ならどこかで見たことがあると思うだろう。左は、マティスが描いたコリウールの絵画《開いた窓》(1905)、右は、デュシャンが制作したオブジェ《なりたての未亡人》(1920)をモチーフにしたものだ。そして、その奥にはカジミール・マレーヴィチの《黒い正方形》(1915)をモチーフにした作品もある。しかし、いずれもメディウムは墨と和紙、膠であり、水墨の技法が使われている。
それは明治時代に、日本の棟梁が西洋建築を、日本に素材と技法で見様見真似でつくった、「擬洋風建築」にも例えられるかもしれないが、山下の場合、東洋にも西洋にも見られる共通の画題を注意深く取り出したうえに、水墨の技法に置き換え、抽象と具象のレベルもどちらにも属さない、あるいはどちらにも共通している範囲に設定しているように思える。その比率や融合のレベルは、さまざまな検討の余地があると思うが、ありえたかもしれない形の提示であろう。しかし、合わせ鏡に写った像が反対を向くように、それらは同床異夢の像であるかもしれない。その違和感は、日本に住む現代人も抱えるリアリティでもある。そして、ここに提示された「うつしあう世界」とは、日本の古画の模写に倣いつつ、反射や反復、東洋と西洋をフィードバックしながら、理解と誤解が混じる近代以降の絵画の世界といってもいいだろう。