富井玲子『オペレーションの思想 戦後日本美術史における見えない手』(イースト・プレス、2024年)
この『美術評論+』をはじめて嬉しかったことの一つに富井玲子さんから感想をいただくようになったことがある。アメリカ美術評論家連盟に所属している富井さんによると、『美術評論+』のような独自メディアはアメリカにはないらしく、面白い試みであるという。このような試みは、関西在住でメディアに枯渇している私自身のDIYでもあり、地方の作家の営為を、読者に届けるための「オペレーション」の実践であるといってもよい。富井さんにはそれがわかったのかもしれない。大阪市出身、大阪大学卒業の生粋の?大阪人である富井さんは、現在、NYを拠点にしているが、執筆の調査のために戻ってくる際、そのついでに私が研究していた「大大阪」時代の建築群を紹介したり、奈良の空海展を一緒に見に行ったりして、さまざまな意見を交換することができた。その調査の目的が、今回上梓された『オペレーションの思想 戦後日本美術史における見えざる手』である。
さて、富井さんは美術史家、キュレーターであり、グローバル美術史、いわゆるグローバル・アート・ヒストリーに、日本の戦後美術を位置付けた立役者である。2016年には、初の英文単著『荒野のラジカリズム:国際的同時性と日本の1960年代美術』(MIT大学出局)が出版され、ロバート・マザーウェル出版賞を受賞し、同書をもとに2019年には「荒野のラジカリズム:グローバル1960年代の日本のアーティスト」展がジャパン・ソサエティで開催された。富井さんは、英文自著の美術史・美術理論をもとに、展覧会を開催できる日本人では唯一無二の美術史家であるといってよい。国際的な名声は高いが、国内においては初めての単著になるので、本書を読んで富井さんの活動を知る人もいるかもしれない。
本書は、富井さんが「荒野」と名付ける非主流・非中心の場所で活動してきたGUN(新潟)やTHE PLAY(関西)、松澤宥(長野県下諏訪)、といったアーティストだけではなく、具体美術協会(具体)から東京ビエンナーレまでの、日本の戦後美術が60年代に国際的同時性を獲得していく系譜を、「オペレーション」という新しい概念装置で、鮮やかに浮かびだしている。「オペレーション」は、美術の表現ではなく、その先にある鑑賞者の受容と社会化するための方法といってもよい。そこにこそ、「時空共有化としての近代」への参画、いわゆるモダニズムにおける日本の方法である「日本型モダニズム」の美術が見えてくるというわけである。
それは戦前までの西洋の美術に追いつこうとする意識ではない。それを富井さんは遅延の意識であるというが、1960年代になると「国際的同時性」の意識が芽生えてく。富井さんが60年代に的を絞ったのも、国際的同時性やさまざまなオペレーションが、21世紀のグローバル・コンテンポラリー・アートの在り方を先取りしているからでもある。
最初に団体展を語る方法として「オペレーション」を考えたと記しているが、美術団体や団体展というものも、世界にはない特殊な形態として語られることがあるが、まずはこの役割に目を付ける。つまり、日本的な集団主義の発露であり、現在のコレクティビズムにも通じるものである、というのだ。まさにこれこそ日本のドメスティックな形態に、日本型モダニズムを見る再発見の方法であろう。
いわゆる官展(サロン)や美術学校(アカデミー)は、西洋に遅れて日本に導入されたシステムである。それに対するオルタナティブとして、在野の美術団体が設立された。例えば、二科会がもともと文展(官展)において日本画が新旧の二科存在して、洋画にはなく、その設置を要求したが採用されなかったことから、「二科会」として独立した経緯がある。二科会の中で特にアヴァンギャルドな作品を展示していたのが第九室で、九室会と称され𠮷原治良らが発起人になり、抽象的・シュルレアリスム的な作品を制作した。二科会からもさまざまな独立団体が誕生したが、吉原の具体(具体美術協会)もその系譜にあたる。吉原は、近代と現代、戦前と戦後の蝶番の役割を果たしている。具体は、今日グローバル・アート・ヒストリーの中に位置付けられた代表的なコレクティブであるが、前例として、戦前・戦後の団体と団体展のオペレーションがあったからこそ成立したともいえるだろう。
もう一つ大きなトピックは、戦前のサロン方式に変わる、アンデパンダン展である。戦前の国(文部省)に変わり、読売新聞社のようなメディアが主催となって開催された、無審査方式のアンデパンダン展は、絵画や彫刻といった硬直した審査方式のサロンから、まさに戦後民主主義を体現する自由な表現の場を提供した。しかし14年続いた読売アンデパンダン展が終わり、二つの大きな流れが出てくる。1つ目は貸画廊であり、2つ目は自主アンデパンダン展である。この貸画廊というシステムは、参加料を支払えば誰でも発表できるというアンデパンダンの方式が拡散したものだといえるが、これまた西洋にはないシステムで、やや否定的に語られることが多い。欧米では商業画廊が、アーティストを選び展覧会をするか、オープンスタジオのような形で作家が観客を招くことが一般的であったからである。しかし、内科画廊のように、企画もする貸画廊が、多くのアーティストとアートシーンを生んでいったし、それは少なくとも商業画廊や企業メセナが急増する90年代後半まで有効であったように思う。これも語り直しの一つだろう。
そして、自主アンデパンダン展である。地方でも多くのアンデパンダン展が開催され、それは美術館やギャラリーのような制度的にも空間的にも守られてない場所も多かった。タイガー立石の参加した「観光芸術展」は多摩川の川べりであったし、岐阜の「アンデパンダン・アート・フェスティバル」にも長良川畔の5万平米の広大なスペースで会場であり、河川法を含めて、自由と言いながらも、都市のレギュレーションに従わなければならなかった。それは大地の芸術祭や瀬戸内国際芸術祭のような、地域アートプロジェクトの取り組みや課題を先取りしているともいえるわけである。
さらに、美術館の外側に出るのではなく、内なる制度批判を求めてイベントを続けた美共闘、自主アンデパンダンを経て、美術館ではない場所でさまざまなハプニングを行っていくザ・プレイは、リレーショナル・アートや社会関与型のアートを先駆ける。最後は毎日国際展を改革し、1970年に東京ビエンナーレのコミッショナー制度を導入した峯村敏明と、コミッショナーとなって、国別ではない形で、国際的同時代性のある作家をキュレーションした中原祐介である。
もちろん60年代から写真の普及により、一過性のイベントやパフォーマンスを、メディアに載せる(オペレーションする)ことで、それらの行為が富井さんのいう「第二の人生」として生き続けることができた点が大きい。その頃からパフォーマンスだけではなく、不定形であったり、大型であったりする作品も破棄される運命にあった。つまり刹那的な人生を歩むことと引き換えに、写真と言説として、「第二の人生」を歩むことが想定されるようになった。それは具体からハイレッド・センター、GUN、松澤宥、彦坂尚嘉、THE PLAYのすべてに共通している。
さらに、日本における中心である東京と地方、中心と周縁、荒野といった分類の中で、もう一つの中心として京都を挙げているのが興味深い。京都は、今日においても、独自のアートの生態系があることが裏付けられている。
「オペレーション」という観点から見たときに、60年代の日本の現代美術は、国際的同時性、つまりコンテンポラリー性とグローバル性を併せ持ち、だからこそ21世紀のさまざまなアートシーンを予見していると富井さんは示唆している。また、それはアジアを含めた、さまざまな状況下でも、「時空共有化」し、それぞれの社会の中でモダニズムが生まれ、グローバル化していくと指摘している。そして、それぞれの方法で実施しているオペレーションから、西洋中心主義を、脱中心化するグローバル・コンテンポラリー・アートが見えてくるというわけである。
400ページを超える大著、そのすべてに精緻な資料調査を行っている富井さんの手付きは見事というしかなく、しかも今までにない「オペレーション」という強力な眼鏡によって、戦後の日本現代美術の中の、グローバル・コンテンポラリー・アートの予見性(木霊)、各地域との接点(響きあい)が浮かび上がる。このような独創的で国際的にも説得力があり視野の広い日本の美術書はほとんどないといえる。富井さんがいうグローバルを見ようとするほど、ローカルな視線が重要であるということを雄弁に物語るものであるといえる。日本の場合、戦後に階級制がある程度解体されたので、今日においても国内アート市場はそれほど大きくないが、逆に言えば、そのような状況であるからこそ、さまざまな地域に適応可能な多様なオペレーションが生まれたともいえなくない。オペレーションという概念装置が、語り直しの方法として、世界各地を結び付け拾い上げて行くことを期待したい。そして、『美術評論+』も、周縁の小さな行為を拾い上げる評論家の主体性(エージェンシー)の発露、オペレーションとして機能するように試みていきたい。