市原尚士と美を愛する多くの参加者が共に思い入れのある美術展などへの展評を展示するという一風変わった「I氏の展覧会」@Gallery Camelliaが6月23日から28日までの会期で無事終了しました。私は展示の出品者の一人として会期中、毎日会場を訪問して、お客様の反応や声に耳を傾けておりました。そのご報告をいたします。
まず、心底から驚いたのは、滞廊時間の長さでした。いらっしゃるお客様が本当にじっくりと展評を読み込んでいるのです。自分も見たことのある展示は、ご自分の感想と比較対照して、改めてご自分の展示への思いを更新していらっしゃるようでした。自分が見たことのない展示の場合は、文章を読むことで、「見ていない(はずの)展示を見てみる」という体験に挑戦しているようでした。
ギャラリーカメリアに行かれた方はご存じかもしれませんが、出入り口を入ったところに部屋が一つあり、向かって右側にもう一つ部屋があります。今回は出入り口を入ってすぐの部屋を一般の方からの展評、右側の部屋を市原の展評という二部構成になりました。
【一般の方の展評、レベルが高い!】

一般の方から寄せられた展評を壁面に張った
一般の方の展評のレベルが大変、高く驚きました。横浜美術館の「おかえり、ヨコハマ」展に出ていた、ハイネが作者とされる「ペルリ提督横浜上陸の図」への感想はこうです。
アメリカの国旗は描かれているのに日本国旗が描かれていないということに気付いた。
すみません、私もこの展示でハイネの絵は見ましたが、日本国旗が描かれていないことにまったく気が付きませんでした。
パナソニック汐留美術館「オディロン・ルドンー光の夢、影の輝き」展をご覧になった方の、こんな文章にも感心しました。
ルドンの描く眼に惹かれる。植物のように密やかに触手を伸ばしていくような眼差しを感じる。
植物のように触手を伸ばす眼差しって、かっこいいし的確な表現だと思いました。私にはこんな表現は絶対に出てきません!
分からないことは分からないと正直に内面を吐露する文章もありました。菅木志雄「揺らぐ空体」@岩手県立美術館を工作用紙の上に黒マジックか何かで書いた文章には思わず吹き出しました。
空間とは何か? モノの本質とは?
さっぱり分からないけれど、なんだかかっこ良かった
美術評論家が展評で「さっぱり分からない」と書いたら怒られます。だから、懸命に知ったかぶりして、分かったような文章を書くわけですが、本音を言えば私も「さっぱり分かっていない」一人です。
現在休館中の出光美術館「日本・東洋陶磁の精華ーコレクションの深まり」を取り上げた方の感想もご紹介します。
陶磁器の景色(表面が光で変化した様)が抽象画に思えてきて、色の組み合わせやマチエールの斬新さに一人静かに興奮して凝視していた
なっ、なるほどー。陶磁器の表面は抽象画、ですか。そんな面白いこと、今まで一度も考えたことありませんでした。素晴らしい見方ですね。
そして、私が泣いてしまうほど感動したのが、今はなき東京・池袋のセゾン美術館(1999年閉館)で1989年に開催された「ウィーン世紀末」展に関しての評でした。
1989年、私は浪人生だった。
たまたま入った予備校近くの美術館でその絵(クリムト作「Birch Forest」)を見た。
一目で惹き込まれ、私はこの絵の前から1時間…イヤ2時間…?
とにかくものすごく長い時間動けなかった。
「この絵の中で眠りたい」
絵の中に入りたかった。切望のような感覚を覚えている。
薄暗い会場の中で周りに人もいただろうに…
自分と絵だけの世界。とてもとても静かな時間だった。
えっ、89年! 私も浪人生でした。ウィーン世紀末展、私も見ました。クリムトの風景画に私も大・大衝撃を受けていました。そうそう、本当に感動すると人って動けなくなるんですよね。
その後、無事大学に一浪で入学した後、現在に至るまで、プラド、ウフィツィ、メトロポリタンなどなど様々な美術館を訪ね、一歩も動けなくなる体験を重ねてきました。
ローマのボルゲーゼ美術館の彫刻「Apollo and Daphne」(ベルニーニ作)に至っては、閉館まで動けないまま鑑賞していました。しかも、鑑賞している間、ずっと号泣していました。「なぜ、こんなに涙が止まらないなんてことがあるんだろう」と不思議で仕方ありませんでした。
36年も前の展示の評を書いてくださった参加者の文章を読んで、ベルニーニの傑作彫刻と出会った日のことを思い出しました。あのイタリア旅行の間、私は結局3回もボルゲーゼ美術館を訪ね、ベルニーニの作品の前に陣取り、毎回毎回、号泣していました。そんなことを思い出させてくれた、このウィーン世紀末展の評を書いてくれた方よ、「本当にありがとう」です。

一般の方から寄せられた展評はいずれも傑作ぞろい
まだまだ、ほかにも大傑作の展評はたくさんありましたが、キリがないのでこの辺で紹介は終了します。ギャラリーカメリアのオーナー、原田直子さんの展示法が実に洗練されていました。英字紙を下に引き、その上に皆さんの展評を良い感じで配置しており、長い時間、見ていたくなるのは、やはり展示の妙があるからだと感じさせられました。
【I氏の展示はすべて一発書き】

I氏展示コーナーの出入り口に張られた原稿用紙
さあ、続いてはI氏(=市原尚士)の部屋ですね。台湾のお札シール2枚が貼られた原稿用紙に「太陽の下、新しいものは何ひとつない」と旧約聖書から引いた謎の言葉(挨拶)が。そこをくぐると、何だか黒い感じの部屋です。

天井から吊り下げられた原稿用紙に黒い文字で展評が書き込まれた
天井からだらりと吊り下がっているのは原稿用紙と展示のDM・チラシ・ハンドアウトです。一つの展示に対して400字詰原稿用紙1枚で評を書いています。I氏は下書きもせず、一気呵成に、一発で評を書いています。国語辞書も見ませんし、ネットの検索も一切しません。
取り上げる展示を決めると、汚い独特の書体の大きめの字でばんばん書いているのです。そんな評が16点、天井からぶらさがっているというわけです。これが展示の心臓部分になります。
そのほかに、展示を通して出てきた名言、迷言を記した「測量美帳」と名付けたクロッキー帳にも黒々と太い字で「私は作品 人生は会期」といった言葉がたくさん記されています。言葉、言葉、言葉があふれかえっています。

海外で現地制作した、新聞紙を利用した作品が展示された
ただ、それだけでは展示は終わりません。海外に頻繁に行く、市原がイタリア、ロンドン、中国の3か国で現地制作した作品も出品されました。現地で購入した新聞の任意の1ページを鉛筆やクレパスや水彩絵の具やペイントインクのマーカーでひたすら塗りつぶしていく、という作品です。ルノワールやニキ・ド・サンファルら著名アーティストの作品写真が載っているページを使っているのですが、見た目、それらの作品が掲載されているとはほとんど分かりません。
言葉を素材にした生業を30数年、継続してきたI氏は「言葉の持つ虚偽性」にうんざりしてきました。そんな彼が文字の印刷された新聞紙の前に向き合い、線や面をその上部に施すわけです。情報が過剰になればなるほど文字は読めなくなる作品…。それは現代社会そのものではないかという主張を秘めた作品でした。
ネット空間は過剰な情報があふれかえることによって、すでにI氏の作品同様、何も読めなくなっていることは間違いありません。

取材メモを再利用した玉串(上2点)と湯呑
展示には、コラムニストの辛酸なめ子さんも友情出展してくれました。
神棚や祭壇など神事にお供えする常緑樹「サカキ」の枝に紙垂(しで)が付いているのですが、よく見ると、その紙垂は、辛酸さんが過去に取材した際のメモやノートの断片を紙垂の形に折っていたのです。つまり、自身の取材メモを使って「玉串」を制作しているということです。辛酸さんもI氏と同様、言葉を生業にしてきました。そんな彼女にとって、言葉への感謝の気持ちや言葉を丁寧に扱い続けたいという祈りの気持ちが自然に表れた玉串でした。
もう一つは、すし屋の魚文字の湯呑をイメージしたという、湯呑の上に言葉や絵がコラージュされた作品。こちらも、過去の取材ノートやメモの断片などが貼られており、「言葉」というネタを縦横無尽に操って、おいしいお寿司を作ってみせる名職人・辛酸さんの面目躍如たるユーモラスな作品でした。
【展示への批判も糧にしていく覚悟】
カメリアのオーナー・原田さんが展示を終わって、こう振り返っています。
感動で込み上げるテキストがいくつもあったり、知らない作家を知ることが出来たり、独特な視点でご覧になっていることが知れたりと、展覧会関係者にも知ってもらいたいものばかりでした。
小さき声に耳を傾けて、それを受けとめ大切にしながら展覧会をしていきたいと、あらためて強く思わせていただきました。
私もまったく同感です。いらっしゃったお客様の中には、呆れたり、機嫌を損ねたりしている方も正直、いらっしゃいました。
原田さんも私も、そのような受け取り方をされる方がいて、まったく問題ないと考えております。というか、そういう批判があるだろうと最初から覚悟の上の確信犯的な展示に挑戦するんだと、催行前から考えていました。
もっともらしい顔つきで、いかにも権威がありそうな展示、原田さんも市原もどうしても好きになれません。「小さき声」に耳を傾ける、そんな展示が2人とも好きです。
多種多様な展評の展示、という前代未聞の試みは、原田さんから2~3年前、「年間5000か所以上も美術館やギャラリーを回っているという割りには、あまりにも(市原の)アウトプットが少ないのではないか? あなたの美術鑑賞の成果を社会に還元する展示をカメリアでやってみませんか?」とお誘いを受けたことがきっかけでした。
数回の打ち合わせを行っているうちに、市原だけでなく、一般の美術ファンも巻き込んで、彼らの展評も併せて展示する、というコンセプトが誕生しました。2024年夏から25年にかけて、市原が講師の展評書き方講座もギャラリー内で実施し、その受講生を中心に、今展の展評がざくざく集まった、という次第です。
最後に正直な告白をいたします。
美術評論家連盟に所属する私よりも、展示に参加した一般の皆さんの方がはるかに素敵な展評を書かれていたのには、かなりドキッとしました。私ももっと精進を重ねないといけませんね。(2025年6月29日21時31分脱稿)
*市原が一発書きした拙い展評は、原稿用紙の画像付きで、後日、公開させていただきますのでお楽しみに!