藤井湧泉「龍虎花卉多吉祥」展
日時:2023年2月8日(水)~2月14日(火)
会場:大丸京都店 6階 美術画廊
50代半ばの若さで、いずれも京都を代表する有名な禅宗寺院である、一休寺、相国寺、金閣寺、林光院、高台寺、圓徳院などに水墨作品が収蔵された実力派の水墨画家がいる。名前は、藤井湧泉(ふじい・ゆうせん)。「湧泉」の雅号は、哲学者の梅原猛による命名である。
実は、湧泉は1964年に中国江蘇省啓東市に生まれた中国人である。1985年に中国の名門美大である蘇州大学藝術学院を卒業後、21歳で北京服装学院の講師に抜擢された、中国大陸が生んだ本格派の画家である。
ところが、1992年に来日した湧泉は、京都で藤井姓の日本人女性と大恋愛の末に結婚する。以来、今日まで30年以上京都で暮らし、日本的美意識の吸収に日々努めている。その目指すところは、中国の豪華絢爛な美意識と日本の瀟洒淡麗な美意識を昇華することであり、古典を生み出した精神を現代に生かし、まだ誰も見たことのない新しい美を創造することである。
湧泉が日本で最初に頭角を現したのは、一休寺である。一休寺は正式名を酬恩庵と言い、一休宗純が再興して生涯を送ったことで「一休寺」として知られている。ここに収蔵されている湧泉の作品が、《虎絵衝立》(2008年)(図1)である。言うまでもなく、これは「絵の中の虎を捕まえよ」という将軍様(足利義満)の無理難題に「絵の中の虎を追い出してください」と切り返した、一休さんの有名な頓智話にちなんだ作品である。
図1 藤井湧泉《虎絵衝立》2008年 一休寺(酬恩庵)
この一休寺で描かれた緻密な毛並みのユーモラスな表情の虎は、その後、林光院の《龍虎襖絵》(2017年)(図2)の眠たげに片目を開けた虎へと発展する。これは、禅宗の伝統的な画題である、天地を統べる聖獣同士が意気盛んに対峙する「龍虎図」に、豊干・寒山・拾得という三人の聖僧と獰猛な虎が仲良く眠る「四睡の虎」を組み合わせたもので、強者同士がただ単に張り合うだけではなく、一方が他方を受け流すことでより高度な調和が達成されるという、古典を現代的に翻案した新しい龍虎図である。
図2 藤井湧泉《虎図襖絵》2018年 林光院
ところが、どうもこの虎は猫のように見える。誰もがそう言って喜ぶのを受けて、湧泉の虎はどんどん猫化していく。ここには、古来日本では見たことのない虎を描くために猫が参考にされたことで虎がどんどん可愛くなっていったという、長澤芦雪を筆頭とする伝統的な「カワイイ虎」に連なる美意識も見出せる。
2022年は、この近年の湧泉の代名詞といえる「猫虎(ねことら)」が京都と東京を席巻した。2022年春は、京都の高台寺・圓徳院・掌美術館の3会場合同個展「龍花春早 猫虎懶眠」で、色彩に富んだ様々な猫虎が披露された。また、2022年秋にGinza Sixで開催された東京初個展「水墨雲龍 極彩猫虎」では、さらにうたた寝するカラフルな猫虎による最新の龍虎図の世界が繰り広げられた。
そして、2023年初春を飾る本展「龍虎花卉多吉祥」は、東京から再び京都に会場を移して展開されるヴァラエティ豊かな猫虎を中心とする新作展である。これらの展覧会を通じて湧泉が追求しているのは、古典的で伝統的な禅宗画題である龍虎図をどこまで現代日本の日常生活に取り入れられるかという一つの実験的試みである(図3)。
図3 藤井湧泉《猫虎》2022年
このように、その経歴上、湧泉は正統派の「禅宗寺院の画僧」のイメージが強い。しかし、実は湧泉の得意とする分野の一つが美人画である。
元々、湧泉が講師を務めた北京服装学院は、中国の首都で芸術と文化の中心である北京に位置し、中国大陸で唯一校名に「服装」を冠するファッションの高等教育機関である。そこに、膨大に存在する他の画家達を差し置いて20代前半で講師に抜擢されたのだから、湧泉の女性に対する美意識とファッション・センスは文字通り中国の国家的な保証付きといえる。
そうした湧泉が本展で取り組んだ美人画の主題は、「京都の舞妓」である。京都や関西出身の画家が京都の舞妓を描く場合、良く描くか悪く描くか両極端になりやすい。しかし、湧泉の描く京都の舞妓は、どこまでも客観的なリアリズムに根ざしつつ、そのはんなりとしながら怜悧で透徹した美しさを余すところなく捉えるところに特徴がある。
例えば、そこで描かれているのは、竹内栖鳳や上村松園が描く理想化された京美人でも、岡本神草や甲斐庄楠音が描く露悪的な京美人でもない。湧泉がその精緻な筆致で描き出すのは、隠微でアンニュイでありながら、清楚でコケティッシュな気品も兼ね備えている、正に等身大の京都の舞妓の姿そのものである。
こうした湧泉の美人画については、面白いエピソードがある。
2008年に湧泉が描いた一休寺の《虎絵衝立》(図1)の精緻な描写に感銘を受けて、小説家の田辺青蛙が「生き屏風」という短編を書き、同年の第15回日本ホラー小説大賞の短編賞を受賞した。これを知った湧泉は、その屏風に取り憑いた女の幽霊と少女の鬼が繰り広げる幻想的で耽美的な小説を基に、《生き屏風》(2011年)(図4)という屏風を制作した。
図4 藤井湧泉《生き屏風》2011年
その深紅の背景が印象的な屏風作品に、高台寺の後藤典生執事長(当時)が感銘を受ける。そこで、高台寺で毎夏に開催する「百鬼夜行展」のための襖絵を湧泉に依頼し、深紅の夜景と美女群像が魅力的な12面の《妖女赤夜行進図》(2019年)(図5)が奉納されることになった。
図5 藤井湧泉《妖女赤夜行進図》2019年 高台寺蔵
さらに、《妖女赤夜行進図》に取り組む中で、湧泉には「京都の舞妓」の画想が浮かんだ。その最初の本格的な取り組みが、本展に出品されている《舞妓》(2023年)(図6)なのである。
図6 藤井湧泉《舞妓》2023年
本展の見どころの一つである湧泉の《舞妓》は、こうした複数の数奇な縁の下に生み出された作品である。湧泉の美人画が、今後さらにどのような新しい物語を紡いでいくのかぜひ見守りたい。
※本記事は、YOD Galleryの依頼により「藤井湧泉展――龍虎花卉多吉祥」の公式解説のために制作された。
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